テレビで初めてその姿を見かけたときから、その人はいつも〈心優しいおじいちゃん〉だった。彼の名は、笠智衆。今は亡き、昭和を代表する映画俳優である。
笠さんは遅咲きの人で、映画界での下積み生活は10年と長い。若いときから老け役が多く、代表作である小津安二郎監督の映画『東京物語』でも、49歳で老人を演じた。
60代に入ると、テレビドラマにもしばしば呼ばれるようになった。その中で私が笠さんの芝居にうならされたのが、1976年放送の『幻の町』という1時間のドラマである。
終戦直後に樺太から引き揚げてきた老夫婦の公作(笠智衆)とさわが、冬の小樽を訪れた。望郷の念が強い2人は、かつて暮らした樺太の町、真岡の市街図を作り上げようとしているのだ。取材を終えた2人は、完成した地図を手に、小雪が降る埠頭にやって来た。
ここまでは落ち着いて見ていたが、その後の展開にあっと驚いた。
突然、鳴り響く船の汽笛。そして、まもなく船が樺太へ向けて出航することを告げる係員。老夫婦は微笑み、手をつなぐと桟橋へ向かって歩きだす。次の瞬間、なんと2人の姿が消えたではないか。
樺太はかつては日本の領土だったが、敗戦後はソ連のものとなり、日本から船で渡ることはできない。つまり老夫婦は、幻の連絡船に乗って、思い出の地へと帰って行ったのだ。
演出は、北海道放送の守分寿男(故人)。氏の回想録『さらば卓袱台』に、撮影の舞台裏が詳しく記されている。
「私は先ず老夫婦というイメージを自分のなかから捨てることを決心した(略)。ふたりの心が求める異境となった町への想いは、それが強くなればなるほど時間を逆行する旅になるはずで、そうだとすれば、それは老夫婦の道行に見えて、実は青春にと遡行する若者の道行ではないのか」
老夫婦は、幻の船が桟橋に着いたことを知ると、無邪気に笑い合った。なるほど、あの屈託のない笑顔は〈若さ〉の表現だったのか。
倉本聰が書いた脚本を読んだ守分は、あることを思いつく。見た目は老夫婦だが、今の2人の心の中には、若いころの自分たちがいる。ぜひ、そのことをはっきりと表現したい。
「2人のキスシーンはどうだろうか。作家の倉本さんにそう言うと目をむいた。『うーん、恐ろしいことをいう』。それから彼は目を閉じて考えこんだ」
そして夫婦が旅立つ場面が書き直され、撮影が始まった。場所は小樽の埠頭である。
公作「わしゃァお前に、くちづけしたことなかったか」
さわ「1度もなかったですよ。50年間」
公作「してほしかったか」
さわ「すこしはね」
直後にさわに軽く口づけした公作は、妻に背を向けると、雪の中を小さくスキップした。喜びと照れ臭さが自然に伝わる、すてきな表現である。実はこの芝居は、笠さんが本番でいきなり演じた、いわゆるアドリブだった。演出の守分も「少年少女のようにという演出を遥かに超えた表現」と著書で絶賛した。笠さんの役柄への理解の深さを感じさせる瞬間であり、何度も見返したくなる名場面である。
今度は、倉本聰が書いた脚本に注目してみよう。
ありふれた日常に根ざした物語を書きつづけた作家なのに、『幻の町』では、おしまいで登場人物たちを幻想の世界へ連れていってしまうのが、きわめて珍しい。同ドラマの放送半年後に発売された著書『うちのホンカン』に載った、映画評論家の白井佳夫との対談で、その理由を当人が明かしている。
「老人問題というのはね、ぼくにとってはすごく救いようのない、結論の出ないテーマなのです。じゃ、結論の出ないテーマの結論というのは何か、というとね。自分としては現世の中で結論が出ないから、幻影の世界の中に結論を求めざるをえなかった」。
倉本は最愛の母の死がきっかけで、ドラマ『りんりんと』と、2年後に『幻の町』を書いた。前者も演出は守分寿男で、老人ホームに入ることを決心した母親と、彼女をホームまで送ってゆく一人息子の〈最後の旅〉を描いている。「母さん本当に、生きてていいの?」。母の冗談めかしたひと言を、うまく受け止めきれない息子。せつなさが心に突き刺さる〈別れ〉の物語である。
両方の作品で主人公の老女に扮したのが、名優の田中絹代。役名をどちらも「さわ」としたのは、2つの作品がつながっていることを意味する。若き日の倉本にこの2つのドラマを書かせたもの、それは日に日に老いてゆく母親を見守りながら感じた戸惑い、不安、そして自責の念であった。
「だからぼくにとっては、どこが悪いとか、じゃどこを直せとか、そういうものじゃなくなってるわけです(略)。これを感受性で受けとめてくれる人だけが受けとめてくれりゃいい」(前述の対談より)
倉本にとって『幻の町』は、迷える自分をさらけ出したものであり、そんな自分を救済するために書いたものだった。放送後の評価も高く、その年の芸術祭の優秀賞を獲得。数年前には、初めてDVDが発売された。
笠さんは、キスシーンが書き足された脚本を読むと、演出の守分に電話をかけた。「私にとって、長い俳優生活で、初めてのキスシーンです」。このとき笠智衆、71歳。その声は、とてもはずんでいたという。