ドラマ『監察医 朝顔』に夢中になった。3年前に放送された、フジテレビの連続ものである。好評を受けて続編が作られ、主人公の監察医と一家のその後を描いた単発ものも放送された。

 監察医の万木朝顔に扮したのが、俳優の上野樹里。朝顔は、仕事を通して人間の生と死に向き合いながら成長するが、彼女の心は晴れることがない。愛する母親が東日本大震災で被災して今も行方がわからず、刑事である父親と共に捜索をつづけているからだ。

 朝顔は口数が少なく、あまり感情を表に出さない。演じる役者としては、ちょっとした顔つきの変化などで、その瞬間の彼女の心情を視聴者に伝えねばならず、高い演技力が求められる。この難しい役を上野樹里は見事に演じ切り、私は何度も泣かされた。

 現在36歳の上野は、俳優として世に出て20年目。彼女を初めて意識したのが、出世作の青春映画『スウィングガールズ』(2004年)で、その翌年に小さな役で登場した単発ドラマをたまたま見て、彼女の芝居に心を奪われてしまった。

 その作品は『やがて来る日のために』で、脚本は名匠の山田太一(フジテレビ・未ソフト化)。上野の役は、病を得て余命わずかの18歳の高校生だった。最大の見せ場は、彼女が主治医の許しを得て自宅から外出し、訪問看護師らといっしょに、久しぶりに思い出の場所を訪ね歩く場面である。

 まず足を運んだのが、彼女がかつて通った中学校。渡り廊下の途中で、彼女がふと立ち止まり、さびた鉄柱をそっと手でなでる。何か思い出したのか、少し哀しげな顔つきである。ここで、かつて渡り廊下で何があったのかを映像で見せるのが、テレビドラマの常識だ。ところがこの作品では、あえて回想シーンをはさまず、上野は表情と視線のわずかな変化だけで、心の奥に去来する思いを表した。つまり制作スタッフは、番組を見ている私たちの想像力にすべてを委ね、そしてこの時19歳だった上野樹里は、その大役を十二分に果たしたのである。

 このあと彼女は、校舎内を歩き、外へ出るとコンビニに立ち寄る。そして最後に、駅のホームに立って、すべりこむ列車を見つめる。乗客が降りてドアが閉まり、ホームから離れてゆく列車。彼女は寂しげな微笑みを浮かべてから、かすかに天を仰ぎ、万感の思いを込めてつぶやく。

「ありがとう……」

 私はこの場面を見ながら、あまりにもせつなくて、涙も出なかった。久しぶりに懐かしさを味わえた喜び。そして、もう二度と思い出の地を訪ねることはできないだろうという、悲しい予感。わずか数分の場面だが、上野はその間にひと言も発することなく、生命の火が消えようとしている少女の胸の内を、鮮やかなまでに想像させてくれた。ひたすら美しく、そして哀しい名場面であり、上野の芝居も魂が震えるほど素晴らしかった。

 演出は、今は亡き堀川とんこう。取材で氏に会った際、撮影時の上野樹里について尋ねた。彼女が出演するシーンは日程の都合で撮影時間がほとんどなく、リハーサルも十分にできなかった。特に駅のホームでの撮影は現場で練習もできず、いきなり本番だったという。そんな過酷な状況にあって、上野が期待を上回る芝居を見せたので、元TBSのベテラン演出家である堀川は、いたく感動したそうだ。上野に出演を頼んだのはプロデューサーだったが、彼女は前もって台本を読み込み、しっかりと準備していたのだろう。

 その後の上野は、俳優としての自分の可能性を試すように、いろいろな役柄に挑んでいる。フジテレビ『ラスト・フレンズ』では、同性愛者である自分に思い悩むモトクロス選手。主演を務めたNHKの大河ドラマ『江』では、運命に弄ばれる戦国武将の娘。フジテレビ『素直になれなくて』では、勝ち気で本心を見せられず恋愛に臆病な女性。また大ヒットした『のだめカンタービレ』、長寿アニメの実写版『まるまるちびまる子ちゃん』(共にフジテレビ)などのコメディー作品で演じた〈明るくて、少し変わった女の子〉は、20代の上野の当たり役となった。

 では、彼女はどんな思いを抱いて、演技に取り組んでいるのだろうか。毎日放送の『情熱大陸』が彼女に密着取材した際、興味深い場面があった。

 当時の上野は、『冗談じゃない!』という連続ドラマで、20歳も年上の男と恋に落ちる大学生を演じていた。だがこの女性の気持ちがうまくつかめず、1人で悶々としていた。撮影の合間に眉間にできる縦じわが、その証拠である。しかし民放の連続ドラマは撮影スケジュールがきつく、演出家や共演者に相談する時間はない。だが、ついに上野は決心し、演出家に悩みを打ち明けた。そして自分で考えた芝居を披露したところ、演出家がその芝居を本番で採用してくれたのだった。

 この場面からもわかるように、上野は何よりも〈演じること〉が好きである。その反面、気持ちの上で納得ができないとその役を演じられないという、不器用な面もある。ということは、もし演出家が自分の望む芝居を彼女に求めすぎると、そこで衝突が起きかねない、という危険をはらんでいる。

 長らく所属した大手芸能事務所から今年、独立した上野樹里。今後は、まだ経験していない、劇場の舞台で演じる姿が見てみたい。その日が来たら、生身の彼女が大勢の観客をどう魅了するか、ぜひ客席から確かめよう。それから俳優として経験を積んだ今、彼女の眉間に、まだ縦じわができるかどうかも。