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「アルファ、了解、突入を開始する……」

 その言葉を機に、相次いで残る二つのチームリーダーから同様の連絡が入った。

 手順は既に決めてある。

 ハンセンが答えるまでもなく、三つのモニターに映し出された画面が激しく上下に揺れ出した。

 侵入経路は、事前に入手した新本殿の図面を基に決めてある。

 通用口、従業員用の出入り口、そして地下駐車場の出入り口の三ヶ所だ。

 新本殿内に常駐している警備員は、巡回要員が四名、守衛室に二名、そして防災センターに三名、計九名で、教団関係者は遅くとも午後八時には全員宿舎に引き上げるのを確認してあった。

 森の中から飛び出した工作員は、それぞれの侵入口に向けて突進して行く。

 暗視機能を持つウェアラブルカメラからの映像は白と緑で、お世辞にも見やすいとは言えないが、それも慣れの問題である。これまで何度も、こうした任務に従事してきたハンセンには十分だった。

 経験豊富な隊員たちの動きは素早く、無駄がなかった。

 警備体制は入念に調べ上げていたし、送電を止めた時点で監視カメラは機能しなくなっているはずである。しかも曇天で月明かりはなく、周囲は真っ暗闇とあって、警備員に出くわすこともなく、三つのチームは予め決められていた侵入口に辿り着いた。

 周囲の状況を確認したリーダーが合図を送ったのだろう。ウェアラブルカメラから送られてくる映像の中に、一人、二人と隊員たちが新本殿の中に侵入していく様子が浮かび上がる。

 全隊員が携行しているサブマシンガンMP5は、多くの国の特殊部隊で採用されている性能、実績共に折り紙つきの代物だ。

 曲がり角に差し掛かると、先頭の隊員が顔を覗かせ、行く手の安全を確認する。問題なしと見るや続く隊員に向かって合図を送り、二番手が躍り出て援護体制を取る。

 そうした動きを繰り返しながら、三つのチームは予定していた集合場所へと突き進んでいく。

 と、その時だった。

 通用口から侵入したアルファチームからの映像に、二つの白い人影が浮かび上がった。

 咄嗟に頭を引っ込めたのだろう。人影はすぐに消え、後ろに控える四人の隊員たちの姿が映し出される。

 送電を止めても非常灯の明かりは消すことはできない。光量は弱いとはいえ、人影を視認するのは可能だ。

 リーダーが後方に向かって手を翳し、「待て」の合図を送る。続く四人が壁面に背中を押しつけてMP5を構え、万が一の事態に備える。

 銃身の先端にはサプレッサーが装着されており、銃声を最小限に抑えながら警備員に打撃を与えることは可能だが、目的はあくまで製造施設を破壊することにある。銃器の使用は極力避けるよう命じていたのだ。

 どうやら、警備員はこちらに向かって近づいてきているらしい。

 リーダーの手が素早く動き、次に取るべき行動をサインで指示する。

 手技をもって警備員を無力化しようとしているのだ。

 果たして、画像が大きく揺れ動くと、次の瞬間もんどり打って廊下の床に倒れ込む二人の警備員の姿が浮かび上がった。

 すかさず、別の隊員が警備員の腕を後ろに回し、拘束バンドで締め上げる。同時にもう一人の隊員が彼らの口をテープで塞ぐ。

 電光石火の早業とはまさにこのことだ。瞬時にして二人の警備員を無力化することに成功したのである。

「アルファ、二名を拘束した……」

 リーダーの低い声に、

「了解……。足は拘束しないように。見張りを一人残して、集合地点に向かえ」

 ハンセンは低い声で命じた。

 突如の停電に対応するためだろう、他の警備員たちも同時に巡回を始めたらしい。

 次いで、チャーリー、そしてブラボーが警備員に遭遇することになったのだが、隊員は経験豊富なプロばかりである。

 手技で制圧することに成功し、新本殿内には防災センターに三名の警備員が残るだけとなった。

「全員、速やかに集合地点へ……。館内にはまだ三名の警備員がいるはずだ。警戒を怠らないように……」

 本当は、「まず遭遇することはないだろうが」と、一言入れたいところだが、ハンセンはあえて言わないことにした。

 残る三名は、防災センターに詰めていて、停電の原因究明、セキュリティーシステムの復旧に追われているはずで、外に出てくる可能性は極めて低いのだが、予断、油断は禁物だ。想定外の事態は、どんな作戦にもつきものだからだ。

 果たしてアルファとブラボーの二つのチームが、難なく集合場所とされた地下一階の駐車場で合流した。

「大和の命」が放線菌入りの「水」を製造していることを告げてきた男は、製造施設へのアクセス経路を語らなかったが、密かに入手した新本殿内の図面から見当がついていた。

 保管庫とされている地下二階のスペースである。

 完成時には、監督当局の承認検査があるが、その際「保管庫」ならば物が置かれていなくても不審を抱かれずに済むし、機材を設置するのは認可されてからでも十分可能だ。まして、製造施設の存在を知る者はごく僅かしかいない教団の最高機密なのだ。当然、製造作業にあたる人間たちの出入りにも細心の注意を払うだろうから、出入り口は地下一階の駐車場にあると当たりをつけたのだ。

 実際、地下一階には新本殿にアクセスするための二基のエレベータとは別に、もう一つ地下二階のみとつながるエレベーターが設置されており、しかもドアで駐車場とは隔絶されている構造になっていたのだ。

 もし、地下二階が「保管庫」であるのなら、物を搬入・搬出するには不自然極まりない構造なのだが、機密の漏洩を防ぐ観点から考えると理にかなっていると言える。なぜなら、地下二階に行くには、おそらく厳重なセキュリティーが施されているドアを開けないことには、エレベーターホールにすら立ち入ることができないからだ。

 そこで問題になるのが、その厳重なセキュリティーをどうやって破るかだが、地下一階への侵入に成功した今となっては些細な障害でしかなかった。

 人知れず製造施設のみをピンポイントで破壊しろというのなら難易度はとてつもなく高いが、新本殿ごとでも構わないというのだ。しかも、九名中六名の警備員の拘束に成功した今、反撃を食らう恐れもほぼない。

「アルファ、地下二階へのエレベーターホールに入るドアを確認した。想定通り指紋認証でロックが解除されるようになっている」

 ウェアラブルカメラからの映像に、壁面に取り付けられたパネルが浮かび上がる。

「アルファ、了解した。予定通り、油圧スプレッダーで、ドアをこじ開けろ」

「了解……」

 その言葉と同時に、リーダーの背後に控えていた隊員が、鋼鉄製の巨大な鋏のような形状をした器材を持ってドアに歩み寄る。

「チャーリー、聞こえるか?」

 ハンセンは、間髪を容れず言った。

「チャーリー、もうすぐ集合地点に辿り着きます……」

「すぐに防災センターに向かえ。室内にまだ三名警備員がいるはずだ。警報システムは生きちゃいないだろうが、音が出るかもしれない。外で待機して、万が一にも警備員が出てきたら、三名全員を拘束するんだ」

「了解……」

「デルタ」

 続けてハンセンは、待機していたチームに呼びかけた。

「こちらデルタ……」

「やはり指紋認証式のセキュリティーが設置してある。おそらくエレベーターも同様だろう。予定通り、地下一階に車両を移動させて待機してくれ。ドアを破ったら、直ちに作業に取り掛かれるよう準備するんだ」

「デルタ、了解……」

 それまで森の中に身を潜めていたデルタチームのリーダーからの映像に動きが現れた。

 森の中を移動して行く先に、黒塗りの大型ワゴン車が見えてくる。

 その間に、ドアを破壊する作業は佳境に入った。

 まず隊員の一人がバールをドアに差し込み、スプレッダーの先端を差し込む隙間を確保しにかかる。必要な隙間はごく僅か。力任せの作業である。ドアは金属製だから、当然大きな音が上がってしまうのだが、それもハンセンには織り込み済みだった。

 新本殿の地下一階の物音が、隣接しているホテルにまで届くはずがないし、聞こえるはずもない。九名中六名の警備員は既に拘束済みだ。仮に残る三名が物音に気がついたとしても、部屋を出た時点でチャーリーチームによって拘束されるのは明らかだからだ。

 デルタからの映像が、大型ワゴン車の助手席からのものに変わった。

 やがて行く手に新本殿の地下駐車場へのアプローチが見えてくる。

 一方アルファは、バールによるドアの隙間作りに成功し、いよいよスプレッダーの出番となった。

 尖った先端が隙間に差し込まれると、次の瞬間、鋏が開き始める。油圧の威力は凄まじく、鋼鉄製のドアがみるみる間に捲れ上がる。程なくして鍵が壊れると、すかさずリーダーが再びバールを入れてドアをこじ開けた。

 エレベーターホールに侵入した隊員たちは、直ちに次の行動に入る。

 製造施設への侵入は、最初から選択肢の中にない。送電を遮断した時点で、エレベーターが使用できなくなってしまうからだ。

 エレベーターのドアをこじ開け、ワイヤーを伝って地下二階に降りる手もあるが、新本殿ごと破壊しても構わないとなれば手間がかかるだけだ。工作員への命令内容は様々だが、共通しているのは迅速かつ短時間のうちに任務を確実に遂げることにある。

 今、地下駐車場に入ったワゴン車の荷台には、ガソリンを満載したタンクが積まれている。そこから、地下二階につながるエレベーターが上下する空間内にガソリンを流し込み、爆発的火災をもって新本殿ごと焼きつくしてしまうことにしたのだ。

 地下駐車場を走行するワゴン車が、エレベーターホールに続くドアの前で停車する。

 待ち構えていたベータチームの隊員たちが、すかさず後部ドアを開き、格納されていたホースを引き出す。その先端を持った隊員が、こじ開けられたエレベーターのドアに向かって小走りに駆けて行く。

 しかし、ガソリンの投入はすぐには始まらない。

 エレベーターが地下一階で停止状態になっていて、アルファチームの隊員が、籠の天井にある扉を開き、ワイヤーを登って可動機械を手動で操作し、籠を上昇させてホースを差し込む隙間を作る作業を行っていたからだ。

 しかし、それも僅かな時間のことで、籠はジリジリと上昇を始め、二十センチほどの隙間ができたところで停止した。

 天井の出入り口から、アルファチームの隊員が飛び降りると、

「準備完了。直ちにガソリンの放出を始める」

 リーダーの声が告げてきた。

「了解。確保した警備員を全員外に誘導せよ……」

 テロリストが相手ならともかく、仮に信者だとしても警備員は一般人だ。無駄な殺生は、極力避けるべきだ。

 警備員を生かしておけば、武装した集団の襲撃に遭ったことが教団に知られてしまうが、それは承知の上だ。しかし、そのことを公にしてしまえば、教団がなぜ襲撃を受けたのか。「霊泉」を配布していたこと、放線菌の秘密をも明かさなければならなくなる。下手に言い繕えば詮索する者が必ず現れるし、まして「霊泉」は、教団にとって信者獲得のためのキラーコンテンツだ。その存在が世に知れるのは、人類にとって福音以外の何物でもないのだが、難病が治癒したのは信仰の賜物と信じ込んでいた信者たちが雪崩を打って脱会して行くのは目に見えている。

 加えて、「霊泉」を武器に、世界最大の宗教団体にのし上がるという野望が懸かっているのだ。再度、放線菌を入手して、水の製造を行おうとするだろうから、謎の集団の襲撃に遭ったとは口が裂けても言えないはずだと踏んだのだ。

「チャーリー、直ちに防災センター内の警備員を確保します」

 捕獲した警備員を監視していた隊員たちと、防災センターの外で待機していた隊員たちが、即座に行動を起こす。

 そして、彼らが直近の出口に向かって移動し始めたのを確認したところで、ハンセンは命じた。

「ガソリンの放出を開始しろ」

「了解……」

 アルファが応えると同時に、タンクのコックが捻られる。エレベーターの床とフロアーの隙間に差し込まれたホースが脈を打つような動きを見せると、ガソリンが暗い空間に向かって勢いよく流れ込んでいく。

 タンクには六百リットルほどのガソリンが積み込まれていたが、放出を終えるまで数分しかかからなかった。

「放出完了。発火装置をセットします。五分後に起動します……」

 発火装置には強力なマグネットがついている。カウントダウンが始まったのを確認したリーダーは、それをエレベーターの床の外側に設置する。流し込まれたガソリンは、すでに揮発し始めており、五分もすれば縦穴の中に充満し、僅かな火花でも爆発的に燃え上がる。

「セット完了。直ちに退却します」

 六百リットルものガソリンが一気に燃え上がった時の威力を隊員たちは熟知している。

 デルタチームはワゴン車に。他の三チームの隊員たちは、全力で出口に向かって駆け始める。

「避難させた警備員たちの足を結束バンドで拘束するのを忘れるな」

 ハンセンは、作戦が成功したことを確信しながら、警備員たちの避難誘導に当たっている隊員たちに最後の命令を下した。

 

(つづく)