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「あり得ない」
 川添は断言し、表情を硬くする。「病の克服は人類の夢です。だから製薬、医療界は一丸となって新薬の開発、治療法の確立に莫大な研究開発費と人的資源を投じて、取り組んでいるのです。それでも一進一退が現実なのに、こんな馬鹿げたことが起こる、しかもこれだけ多くの人間に起きたなんて――」
「ですから、先生たちの見解をお伺いしたくて、ここにお越しいただいたのです」
 礼央は川添の言葉を遮った。「正直申し上げて、私自身もこのデータを入手した時には、あり得ない。捏造にも程があると思いましたのでね」
「失礼ですが、倉科さんは医療従事者か研究者でいらっしゃるのですか?」
 山岸が訊ねてきた。
 もちろん、二人とは初対面である。
 挨拶の場では、「アメリカ本部で花音さんのカウンター・パートを務めている倉科と申します」と告げただけだから、礼央については何一つ知らないに等しい。
「大学は出ておりますが、学部で生物学を学んだ程度です。医学課程に進学するつもりでしたが、受験直前に『大和の命』に出会いましてね。その時入信して以来、職員として働いております」
 もちろん、嘘である。
 礼央の役割はもちろん、今後の展開は、信者といえども決して知られてはならない教団の極秘事項だ。
「私がスカウトしましたの」
 花音がすかさず口を挟む。「倉科さんは、先生方同様日系アメリカ人でしてね。この土地を教団が買収するに当たってご尽力いただきましたし、神殿の建設も倉科さんがリーダーとなってチームを率いて下さったんです」
 大功労者だと言わんばかりのニュアンスを込めて花音は言うのだったが、そう聞けば二人が何を想像するかは察しがつく。
 花音と礼央は年齢が近い。いずれ花音も結婚するであろうから、礼央は婿候補である可能性もなきにしもあらずと踏んだに違いない。もちろん、そんな話は一度たりとも持ち上がってはいないし、少なくとも礼央にはそんな気持ちはないのだが、事情を知らぬ二人が、勘ぐったとしても不思議ではない。
 花音は続ける。
「実は、このデータは、全て私共の信者様のものなのです」
「えっ……」
 二人の驚きようったらない。
 短く声を発した後は、目を丸くして、ポカンと口を開けたまま絶句する。
「過去二年の間に、各支部の報告で信者様から感謝の言葉をいただくようになりましてね。最初はポツリポツリといった程度だったのですが、同様の報告がやたら目につくようになりまして、一度詳しく調べてみようということになったのです」
「では、これらのデータは、その調査結果なのですか?」
 それでも俄には信じ難いとばかりに、川添は念を押す。
 コクリと頷いた花音は、「正直なところ、私たちもこのデータを見た時には、目を疑いました。何かの間違いだと思ったのは先生方と一緒です。支部長を通じて、確かなのか、間違いではないのかと、幾度も訊ねました」
 花音が、それに対しての返答を告げなかったのは、話の流れから答えは明らかだからだ。
 果たして、二人は同時に顔を見合わせ、眉間に皺を刻み考え込んでしまう。
 暫しの沈黙が、四人の間に流れた。
 口を開いたのは花音だった。
「どう思われます?」
「どう思われますと、おっしゃられましても……」
 山岸は口籠もり、助けを請うかのように川添を見る。
「真実だとおっしゃられると、返す言葉が見つからないのですが……」
 そうは言いながらも、困惑を露わに歯切れの悪い口調で川添は切り出した。「それでも、やはり信じ難いというのが私の正直な感想です。先に申しましたが、仮に……仮にですよ、これらのデータが事実だとするならば、やはり何らかの外的インパクトがあったとしか考えられません。ただ、一人に限って起きた現象ならば、ごく、ごく稀ではありますが、癌が縮小したり、末期の患者が想定を遥かに超えて生きながらえるケースがあるのは事実です。だからこそ奇跡という言葉が使われるわけで、これだけ多くの患者、しかも多岐に亘る病が快方に向かうとなると、これはもう科学の力が存在したとしか……」
「科学の力?」
 花音は、最後のフレーズに興味を覚えたらしくすかさず訊ねる。
「科学とは再現性ですので」
 川添はその言葉の意味の説明を始める。「新理論、新発見、アカデミズムのあらゆる分野で、多くの論文が公表されます。学術誌に掲載されるのは査読がなされ、論文内容に第三者がお墨付きを与えたものに限られるのですが、画期的な内容であれば、必ず検証が行われるのです。それも論文の内容と、同じ手順で行うのです。そこで結果が同じであれば、初めて新発見、あるいは新理論として認定される……」
 山岸が川添を補足する。
「つまり、誰がやろうと同じ手順で行えば、同じ結果になる。それが再現性であり、科学なのです」
「何だか、カクテル作りに似てるわね」
 花音はクスリと笑う。「同じ銘柄のジンにベルモットを垂らしてシェイクすればマティーニが出来上がる。どこで飲んでも味は一緒。それも科学ってことになるわけね」
「分かり易い喩えではありますが、同じ銘柄のジンとベルモットを同配分でカクテルしても、バーテンダーによって味は微妙に異なります。その点、科学は違うのです。同じ手順で再現する限り、寸分違わぬ結果が出なければならないのです」
 今度は川添が、断固とした口調で答えた。
「おっしゃることは理解できます。いや、全くその通りだと私も思います」
 花音は、そこで困惑した声色になる。「でもね、この信者様たちは、全米各地に分散してお住まいで、共通点は病を抱えていらっしゃることだけなんです。もちろん病院も、担当医も、服用している薬もてんでバラバラ。そう考えると、もはやこの現象は科学の領域では解明できないということになりません?」
 さすがは花音だ。
 二人と会う前に、花音からは、この面談の目的と話の展開について、ざっくりと聞かされてはいたものの、「まあ、任せておいて。うまくやるから」と、詳しくは語らなかったのだが、そう聞けば彼女の考えが読めてくる。
 そこで、礼央は口を挟んだ。
「花音さん、共通点はもう一つあるじゃないですか」
「もう一つって何?」
「皆さん、『大和の命』の熱心な信者だということですよ」
 はっとした表情を浮かべたのは、花音ばかりではない。
 いや、花音は演技だろうが、山岸、川添の両名は、礼央に指摘されて初めて気がついたのは明白だ。
 まさに、あうんの呼吸というやつだ。
 花音は礼央に視線を向けてくると、満足げに目を細める。
「あっ、もう一つありますね」
 礼央が続けて言うと、さすがに花音も、予想していなかったのだろう。今度は、「えっ?」というように、驚いた様子で目を見開いた。
 礼央は、そんな花音を見つめながら、
「この新神殿が完成してから起き始めた現象だってことですよ」
 初めて気がついたとばかりに言った。「新神殿が完成した直後から、医療の最先端で日々患者と向き合っておられるお二人が、あり得ないとおっしゃる現象が信者様たちに起き始めた。しかも偶然とは思えない頻度でです。となると科学では解明できない、何かの力が働いたとしか考えられません。となると思い当たるのはただ一つ……」
 そこから先はあなたが言えとばかりに、礼央は目で合図した。
 果たして花音は言う。
「『大和の命』の神様に願いが通じた……。神様のお力添えとしか考えられませんね」

 

(つづく)