5
テーラーは無類の酒好きで、毎晩テネシーウイスキーをストレートで呑むと語ったのを覚えている。
ウーバーイーツで配達された夕食のピザを平らげ、てっきり酒を呑み始めるのかと思いきや、そんな気配は全くない。礼央が身を隠さなければならなくなった理由について、詳しい説明を求めてもこないし、今後の身の振り方を話題にするでもない。ダートマス時代に道場に通い続けた当時の記憶を辿るように思い出話に終始する。
その間、口にするのはコーヒーだけで、何らかの目的があって時間が経過するのを待っているように礼央には思えた。
予感は的中した。
腕時計に目をやったテーラーが、手にしていたマグカップをテーブルの上に置き、突然立ち上がると、「礼央……。出かけようか……」
静かな声で告げてきた。
サイドボードの上にある置時計を見ると、時刻は午後十一時ちょうどである。
「出かける? こんな時刻にどこへ?」
「詳しいことは後で話す……。とにかく、一緒に来るんだ」
命令口調に加えて、彼の目が明らかに緊張しているのが見てとれた。
何かただならぬ事態が勃発しているのは明らかだ。
いったい、何が起きようとしているんだ?
胸騒ぎを覚える一方で、師匠であるテーラーが愛弟子に危害を加えてくるとは思えない。
ここは、従うしかない……。
無言のまま頷いて、立ち上がった礼央に、
「ガレージで待っていてくれ。持っていくものがある……」
キーを放り投げてきたテーラーは、そう言い残すと先にリビングを出て行く。
ガレージの場所は承知している。
一階の一角、テナントの不動産屋に隣接したところにあり、階段の踊り場にあるドアを開けると、そこに一台のピックアップトラックがあった。
ダッジのラムで、ボディカラーは黒である。
礼央が助手席に乗り込んで程なくすると、テーラーが姿を現した。
右手にジュラルミンの小型のトランク、左手に大型のスポーツバッグを持ち、車に歩み寄るや、彼は後部座席のドアを開け、それらをシートの上に置く。
「OK……。出発しよう……」
運転席に乗り込んだテーラーは短く言い、エンジンをスタートさせると、リモコンでガレージの扉を開ける。
交通量がめっきり減った深夜の街を抜け、車は郊外へと向かって行く。
テーラーは無言だった。
車内に響くのは重々しいエンジン音のみ。先ほどとは打って変わって、ダートマス時代の思い出話すら語る気配はない。
二十分も走っただろうか。人家の明かりもほとんど見えなくなった辺りに差しかかったところで、テーラーはおもむろにハンドルを切ると、幹線道路から山道に車を乗り入れる。
周囲は漆黒の闇。ヘッドライトの明かりの中に浮かび上がる木々が見えるだけとなった。
胸騒ぎは強くなる一方だ。さすがに不安を抑えきれなくなって、礼央はついに口を開いた。
「どこへ行くんです? 森が深くなるばかりで――」
「もうすぐ着く……。それまでは黙っていてくれ……」
テーラーは低い声で礼央の話を遮り、再び口を噤む。
口調こそ穏やかなものの、何やらただならぬ気配が感じられ、礼央もまた口を噤むしかない。
程なくして山道からさらに細いダート道路に乗り入れたところで、テーラーは車を止めた。
エンジンを切り、ライトを消すと車内は漆黒の闇に包まれた。もはやテーラーの表情すら窺い知ることもできない。
「降りろ……」
テーラーの声が聞こえてきた。
何が起こるのか皆目見当もつかないが、ここまできたら従うしかない。
不安と緊張感が頂点に達したせいか、喉に酷い渇きを覚えながら礼央は車を降りた。
続いて車外に降り立ったテーラーは後部座席のドアを開け、トランクとスポーツバッグを取り出し地面に置く。そしてトランクを開け、中から何かを手にして立ち上がると礼央に向き直った。
彼が手にしている物を見て、礼央は凍りついた。
サブマシンガンである。
テーラーは一方の手に円筒状の物体を持っていた。それをサブマシンガンの銃口に装着し始める。作業の様子からそれが何かは察しがついた。
サプレッサー、消音器だ。
作業を終えたテーラーは、今度はマガジン(弾倉)を装填する。
銃器についての知識はほとんどなく、素人同然の礼央の目からしても、彼が手にしているサブマシンガンは異様な外見をしていた。
なにしろ、マシンガン本体よりもサプレッサーの方が長いのだ。マガジンの装着位置もグリップエンドで、こちらも本体以上に長い。
だが、そう感じたのは一瞬のことで、すぐに猛烈な恐怖に襲われ、礼央は凍りついてしまった。
深夜の人里離れた山の中。サプレッサーを装着したサブマシンガンとなれば、思いつくのは一つしかない。
ここで俺は殺されるのか?
一度芽生えた疑念は、すぐに確信に変わった。
そう言えば……。
武器庫さながらのガンコレクションを見せられた際に、テーラーにかかってきた電話を思い出したのだ。
思い返せば、彼の態度に変化が表れたのはあの時からだ。
あれは誰からの電話だったのだろう。テーラーは「教団が礼央を捜しているのなら、プロを雇う。アメリカにはその手の仕事を請け負うヤツらがいる」と語ったが、ひょっとして彼もまたそうした組織の一員なのではないかと思ったのだ。
だとすれば……。
礼央は身構えようとした。しかし体が動かない。
「チャック……」
かろうじて呼び掛けたのだが、言葉が続かない。
それでも礼央の心情を悟ったのだろう。
「心配するな。殺すつもりで連れてきたんじゃない」
テーラーは準備が整ったサブマシンガンを手にすると、キッパリと言い切った。「君に生き残る術を教えるためにここに来たんだ」
「生き残る術?」
「君は銃の扱いには慣れているのか?」
急速に恐怖と緊張感が薄らいでいくのを感じながら、礼央は答えた。
「遊びで何度かシューティングレンジには行ったことがあります……」
「行ったことがある?」
テーラーは片眉を上げ苦笑する。「つまり、触ったことがあるって程度ってわけだ」
「銃にはあまり関心がないもので……」
「君に言っておかなければならないことがある」
ラムの後部座席のドアは開いたままだ。室内から漏れてくるルームライトの灯りをうけて光るテーラーの目に、憂いの表情が浮かぶのが見て取れた。
果たしてテーラーは言う。
「気づいているかもしれないが、私は今日話したプロ集団に属している。私のガンコレクションを見せていた時、電話が入ったのを覚えているだろうが、あれは組織のボスからのものでね……」
そう聞けば、話の内容には察しがつく。
「私について……ですか?」
テーラーはこくりと頷く。
「偶然というしかないのだが、考えてみれば当然なんだ。似たような組織はたくさんあるが、私が属している組織は、メンバーの技量、経験、実績、あらゆる面で他の組織の追随を許さない、精鋭中の精鋭で構成されているからね。その分だけ、料金も頭抜けて高額なんだが、それを承知で依頼してきたところからも、その宗教団体は君の行方を必死で捜しているようだね」
「捜してどうするんです? 殺せとでも?」
「殺す? まさか」
テーラーは鼻を鳴らす。「クライアントの名前は聞かされてはいないが、レオ・クラシナの身柄を生きたまま捕らえよというご依頼だそうでね。当たり前じゃないか。新薬の元となる成分とレシピは君の手の中にあるんだろ? 殺してしまったら、元も子もないじゃないか。怪我をさせても構わないが、絶対に生かして捕らえろと念を押されたそうだ」
「ボスはその理由を知っているんですか?」
「さあね……。我々はクライアントの依頼を叶えるだけだ。ボスが知ってはいても、我々実働部隊の人間には絶対に明かしはしないからね。ただ、いきなり君の名前が出てきたのにはさすがに驚いたよ。なんせ捜す人間が、目の前にいるんだもの。しかも私を訪ねてきた理由を聞かされた直後だぜ」
取り敢えず命を奪われることはなさそうだ。
安堵しながら、礼央は訊ねた。
「で、チャックは依頼を受けたんですか?」
「一応ね……」
チャックは間髪を容れず答える。「もちろん依頼を断ることもできるんだが、君がターゲットだとなればそうはいかない。誤解しないでくれよ。捕らえるためじゃない。君を護るためだ……」
「護るって、私が捕まらないようにサポートするってことですか?」
「そのつもりだが?」
そう聞くと新たな疑問が湧いてくる。
「それじゃ組織を裏切ることになるじゃないですか。発覚すれば、面倒なことになるんじゃないですか?」
「発覚すればね……」
テーラーは簡単に言うが各分野のプロ集団、それも選りすぐりのメンバーたちが揃っていると言うのだ。
(つづく)