「事情を話した時、逃走者は地縁のある土地、知己を頼るものだ。追手は真っ先にそこを当たるって言いましたよね。私の経歴を調べれば、ハノーバーが――」
「君が私の道場に通っていたことを知っている人間はいるのか?」
礼央に格闘技の心得があることを知る者は、ダートマスの寮でルームメイトだった数人ぐらいのもので、教団の人間に至っては皆無である。だから、セルフィッシュを倒すことができたのだ。
礼央は首を振った。
「まあ、組織はその方面でもプロ中のプロ揃いだ。把握されるのは時間の問題だとしても、それまでにハノーバーを立ち去ってしまえば、『訪ねてはこなかった』で済む。車を二度も乗り換えていることだし、彼らの力をもってしても、足跡を辿るだけでも時間がかかるだろうね」
そう語るテーラーだったが、
「礼央……そういえば、携帯電話は?」
ふと気がついたように問うてきた。
「もちろん持っていますけど、コロラドを出てからは電源を切ったままにしています。かかってくるとすれば、例の宗教団体しかありませんし、電話がつながったら放っておくわけがありませんからね。どんな手段を使うかは分かりませんが、携帯の位置情報から居場所を把握されてしまう可能性があると思って……」
「それは正解だったな。組織のメンバーの中には警察やCIA、FBI出身者も多くいるから、電源を入れたままにしておいたら危ないところだった」
その言葉からして、テーラーが所属しているのは、さしずめそうした組織の天下りのための受け皿も兼ねている組織なのかもしれない。公的機関のOBが古巣の伝手を活用するのはどこの国でもあることだ。驚きに値するほどではないにせよ、礼央は改めて非合法活動がまかり通るアメリカの闇を垣間見た思いがした。
「いずれにしても、早々にハノーバーを去るに越したことはない。さっそくレッスンに入ろう。ちょっと、こいつを持っていてくれ……」
サブマシンガンを手渡してきた。
テーラーはスポーツバッグのファスナーを引き上げると、中からスプレー缶を取り出した。そしてそれを片手に、森の中へと入って行く。
ルームライトの光も届かない森の中にテーラーが飲み込まれて行く。程なくしてスプレー缶の内容物が吹き付けられる音が聞こえてくるや、闇の中にぼんやりと黄緑色の光が現れた。
どうやら、スプレー缶の中身は蛍光塗料であったようだ。
引き返しているのだろうテーラーの足音が徐々に大きくなってくる。
ルームライトの薄明かりの中に、姿を現したテーラーは、
「私が君に授ける最後のレッスンだ」
と言い、礼央の手からサブマシンガンを取り上げた。「万が一に備えて、銃の特性と操作を教えておく。使うことなく逃げ切ることを願ってね……」
薄明かりの中で礼央を見据えるテーラーの眼差しが鋭くなった。
次の瞬間、彼は本体上部のボルトを引いた。
金属が擦れる微かな音が聞こえた。
テーラーはぼんやりと光る、蛍光塗料に向かってサブマシンガンを構えると、わずかな間の後、引き金を引いた。
6
サプレッサーの消音効果は絶大で、銃声は驚くほど小さなものだった。
聞こえるのは凄まじい速さで撃鉄が薬莢を叩く音、それも金属音とは明らかに違う乾いた連続音だ。それにかぶさって、銃弾が樹の幹や木の葉に当たる音、それらの飛沫が周囲に飛び散る音が聞こえるだけだ。
しかし、それも一瞬のことで、すぐに静寂が訪れた。
テーラーが弾倉を外しにかかったところからすると、どうやら装填してあった弾丸を全て撃ち尽くしてしまったらしい。
テーラーは新たな弾倉を装着すると、
「撃ってみろ……」
サブマシンガンを手渡してきた。
サプレッサーを装着していることもあるのだろうが、見た目よりも重量がある。
本体の大きさは三十センチほどか、サブマシンガンというより大型拳銃といった方がふさわしいように思えるのだが、実際にフルオートでの連射を目の当たりにしたばかりだ。いったいこの小さな躯体のどこに、あれだけの凄まじい速度で弾丸を発射する能力があるのか不思議に思えてくる。
「そいつは、イングラムと言ってね。サブマシンガンとしては古いタイプのものだが、三十年ほど前になるかな、日本でそいつをぶっ放したヤツがいて、大騒動になったことがあってね」
「日本で?」
礼央は耳を疑った。
日本は世界の中でも最も銃規制が厳しい国で、猟銃でさえ所持の許可を取るのが容易ではないと聞く。拳銃ともなると一般市民が所持することは不可能なはずなのに、サブマシンガンをぶっ放したヤツがいたなんて信じられるはずがない。
「まあ、君は生まれも育ちもアメリカだし、年齢からしても、事件を知らないのも無理はない。それに、どうやってこんな物騒な代物を日本に持ちこんだのかも、ついぞ解明できなかったらしいし……」
「解明できなかった? じゃあ犯人は――」
「結局捕まらなかったんだよ。所謂、迷宮入りってやつさ」
テーラーは礼央の言葉を遮って言い、「万が一の場合に備えて、君に銃の扱いを教えるつもりでここにやってきたんだが、こんな代物を所持しながらの逃亡は現実的じゃない」
と続ける。
「じゃあ、なんでこんなものを?」
「ゲンを担いだのさ」
「ゲン?」
「あれだけの大事件をしでかしたのに、捜査の手を見事にかわしたんだ。君が我々の手から逃げおおせることを願ってさ……」
話は終わったとばかりに、「さあ、撃ってみろ」
闇の中でぼんやりと光る的に目をやった。
テーラーの指示に従って、本体上部にあるボルトを引いた。初弾がチャンバー内に装填される。安全装置を外す。モードはフルオートだ。
「OK、撃て!」
テーラーの言葉に、間髪を容れず礼央は引金を引いた。
的に狙いを定めたつもりだったのに、次の瞬間、銃身が斜め右に向かって跳ね上がった。躯体の大きさからは想像もできないほどの衝撃である。まるで暴れ馬。制御不能とはまさにこのことだ。
慌てて礼央は、引金から指を外そうとしたのだが、それより早く手の中のイングラムは金属の加工物と化した。
全弾を撃ち尽くしてしまったのだ。
「どうだ? 初めて撃ったサブマシンガンは……」
呆然として立ち尽くしてしまった礼央に、テーラーが問うてきた。
「いや……。凄まじいと言うか……反動がもの凄くて……」
「何発撃ったか分かるか?」
テーラは忍び笑いを漏らしながら訊ねてきた。
礼央が首を振ると、
「三十二発……。それだけの銃弾を一・五秒ほどで撃ち尽くしたんだ」
「たった一・五秒で三十二発も?」
どうりで制御できないわけだ。
シューティングレンジで撃ったのは小口径の拳銃だったが、一発ずつ発射しても銃が跳ね上がって的を捉えるのは容易ではなかったのに、三十二発をたった一・五秒である。
「だから銃撃戦になった時には、精々セミオートまでだ。フルオートでは、あっという間に弾切れになるからね」
「じゃあ、フルオートは?」
「味方の援護には極めて有効だね。それと、危機的状況を打開する時にもね……。弾丸が雨霰と向かってくれば、敵もボーッと立ってるわけにはいかないからね。本能的に身を守ろうとするものだ」
「なるほど」
礼央が頷くのを見たテーラーは、
「さあ、ゲン担ぎは済んだことだし、君に与える銃の扱いを教えることにしよう」
ここからが本番だとばかりに、スポーツバッグの中を探り始める。
僅か一・五秒の体験であったにもかかわらず、その間に覚えた感触が体から抜け切らない。凄まじいばかりの連射性能に驚愕し、自分に銃弾が降り注ぐ光景を想像して恐怖を覚えたのだったが、礼央は胸中に不思議な感情が芽生えてくるのを感じていた。
血が騒ぎ始めるというか、高揚するというか、あるいは興奮というか……。これまでついぞ覚えたことがなかった不思議な感情が込み上げてきてしかたがないのだ。
そういえば……と礼央は思った。
初めて人を殺したとなれば誰でも大いに動揺し、恐怖や罪悪感、後悔の念に駆られ、発覚した後の我が身に不安や絶望感を抱くだろう。
だが、セルフィッシュを殺めてしまった際には、そうした人間らしい感情の芽生えを一切感じなかったことを思い出したのだ。
いったいこれは……。
人間ならば覚えて当然の感情が欠落しているのか……。それとも自分の中に眠っていた、これまでついぞ感じたことがなかった感情、いや本能というべきものが覚醒しようとしているのか……。
礼央は必死に考えてみたのだが、結論はなかなか見出せない。
「さあ、レッスンはここからが本番だ」
テーラーの言葉に、礼央は我に返った。
彼は拳銃を差し出してくると、続けて言う。
「グロックという銃でね、警察や軍隊で広く使われている性能、信頼性共に高い評価を受けている代物だ。早く扱いに慣れて、これから先は万が一の時に備えて手元に置いておくことだな」
(つづく)