7
「アルファ……準備完了……」「ブラボー位置についた……」「チャーリー――」
ヘッドセットから破壊工作チームのリーダーたちの声が相次いで聞こえてきた。
「水」を製造しているのが日本の新興宗教団体「大和の命」と判明してから二週間、これほどの短期間で準備が整ったのも、かつて情報機関で工作任務に従事した経験を持つプロ中のプロでチームを編成したからだ。
総勢二十名の破壊工作チームは、アルファからエコーまでの五つの小隊に分かれ、新本殿を取り囲む広大、かつ深い森の中で所定の位置についた。
新本殿から三キロほど離れた森の中に停めた指揮車の中で、トム・ハンセンは前面にあるデジタル式の時計に目をやった。
時刻は午前零時五十分になろうとしていた。
ずらりと並ぶモニターのうち五つの映像は、それぞれのチームのリーダーがヘルメットに装着したウェアラブルカメラからのものだ。
「了解……。警備員の巡回は午前一時だ。彼らが引き上げたところで突入する。それまで待機……」
ハンセンが告げると、隣に座る補佐役のデビット・ジョンソンが口を開いた。
「簡単な任務になりそうですね。警備員は二人一組。巡回は二時間毎。携帯している武器は拳銃のみ。これじゃ公園を散歩するようなもんです。正直言って拍子抜けですよ」
そう言って肩を竦めるのだったが、そこはジョンソンもプロである。モニターから、一瞬たりとも目を離さない。
「ここまでのところはね……」
ハンセンもまた、五つのモニターに順次目をやりながら答えた。「新本殿の周りには、てっきり侵入者を感知するセンサーが張り巡らされているんじゃないかと思っていたが、考えてみれば森の中には野生動物がわんさかいるからね。そんなものを設置したら、しょっちゅう警報が鳴って、その度に警備員が駆けつけることになる。それに宗教団体のアメリカ総本部の教会だ。襲撃されるなんてことは想定していなかったんだろうな。まして、日本の団体だからね……」
「なるほどね。日本の宗教団体ならそうかもしれませんね」
ジョンソンは苦笑する。
「確か君は――」
「ええ、海軍時代に横須賀に三年ほどおりました。SEALsに入隊する前でしたがね……」
ジョンソンは、先回りして答える。「そりゃあ、いい国でしたよ。食べ物は素晴らしく美味いし、信じ難いほど治安はいいですからね。話には聞いてましたけど、入学間もない小学生が一人で電車通学する光景を目の当たりにした時には、驚いたなんてもんじゃありませんでした。世界広しといえども、あんな国はどこにもありませんよ」
「とは言え油断は禁物だ。建築申請の際に当局に提出した設計図から、建物内部の構造は把握できたものの、内部のセキュリティシステムについては一切不明なんだからね」
「分かっています……」
ジョンソンの声に緊張感が籠る。「何か異変があれば、重火器を持った警備員が駆けつけてくることだって考えられますからね」
ジョンソンの言う通りだ。
「水」には信者の獲得、ひいては世界最大の宗教団体にのし上がる「大和の命」の野望がかかっているのだ。しかも放線菌の製造施設は最高機密とされており、教団内でもその存在を知る者はごく僅かだという。外の警備はともかく内部、特に製造施設周辺には、セキュリティーシステムが張り巡らされていると考えておくべきなのだ。
もちろん無力化する方法は立案済みだが、情報を集め、準備を整えたつもりでも、想定外の事態はまま起こり得る。
ハンセンが改めて「油断は禁物」と戒めたのも、ジョンソンが不測の事態を想定する言葉を返してきたのも、お互いが工作任務の現場で想定外の事態に遭遇した経験があるからだ。
「ところでトム……。あの新本殿の中には何があって、何が行われているんですか?」
まだ、作戦開始まで三分ほどあることもあってか、ジョンソンはふと思いついたように訊ねてきた。
任務の内容は全員に伝えてあるが、「水」の正体はもちろん、製造施設の存在も説明していなかった。ただ、「地下二階を徹底的に破壊せよ」「新神殿を建物ごと破壊しても構わない」と命じただけだ。
「それを知る必要はないだろ? 我々の仕事はクライアントの要望を完璧に叶えてやることだ。たとえ違法行為であってもね……」
ハンセンは冷徹な口調で、ジョンソンの質問を一蹴した。
「確かに……」
もちろん、ジョンソンも承知の上だ。
あっさりと引き下がると、「あと二分です……」
静かに告げてきた。
「エコー……」
ハンセンは、第五のチームに向かって呼びかけた。「二分前だ。準備はいいな」
「いつでも取り掛かれます……」
低い男の声が答える。
「アルファからデルタまでの他のチームも聞いたな? 予定通り、エコーが送電を遮断したのを確認したら、私の合図で侵入開始だ」
「アルファ了解」「ブラボー了解……」「チャーリー了解……」「デルタ了解……」
各チームのコールサインは、無線通信で使われるアルファベットのAからEまでの呼び方に準じたものだ。
アルファから順次、デルタまでが順番に応えたところで、ハンセンは目の前の時計に集中した。
そして、いよいよ作戦開始時刻の午前一時になったところで、
「エコー……。作戦を開始する……」
ヘッドセットのイヤホンを通じて、チームリーダーの密やかな声が聞こえてくると、彼が装着しているウェアラブルカメラからの映像が大きく揺れた。
程なくしてモニターの中に、太い電柱が浮かび上がったかと思うと、間髪を容れず傍から黒い戦闘服姿の男が現れた。黒い目出し帽を被っている上に、暗視ゴーグルを装着しているせいでハンセンですら個人を特定できない。彼に続いて全く同じ服装をした男が現れると、やはり黒いバッグを手に電柱に向かって駆け寄って行く。
辿りついた男たちは、バッグのファスナーを引き開けると、電柱の根本に蹲り、早々に作業に入る。中に入っているのは、プラスチック爆弾のC-4と雷管、そしてリード線である。
C-4は粘土状で、目的に応じて使用量を調整できる上に、形状も自在に変えられる特性を持つことから、破壊工作には最適な爆弾だ。しかも彼らの任務は、たった一本の電柱を倒すだけとあって、作業はものの数分で終了した。
二人はリード線を引きながら戻ってくると、直ちに起爆装置への接続作業に入る。
「エコー……。爆破準備完了……」
報告を聞いたハンセンは、「アルファからチャーリーへ。爆破の準備が整った。停電と同時に突入開始だ。デルタは追って指示があるまで待機せよ」
「アルファ、了解……」
次いでブラボーからデルタまでの各チームから、アルファベットの順番に従って、順次同様の報告が入った。
すかさずハンセンは、ジョンソンに向かって命じた。
「デイヴ、妨害電波を起動させろ」
「妨害電波を起動させます……」
命令を復唱したジョンソンは、コントロールパネルに手を伸ばし、中にある一つのボタンを押した。
製造施設を破壊し終えるまでは、外部との交信を一切遮断し、新本殿の中にいる人間たちを孤立状態に置かなければならない。作戦指揮車には携帯電話の電波を妨害する装置があり、侵入開始直前に起動させることになっていたのだ。
「電波が遮断されたことを確認しました」
ジョンソンの言葉を聞いたハンセンは、すかさず命じた。
「OK……、エコー、爆破しろ……」
間髪を容れずモニター画面に閃光が走り、作戦車の中にまで爆発音が聞こえた。
その余韻が残る中、今度は折れた電柱が倒れる光景がモニターの中に浮かび上がる。
電柱は一本だが、「キの字」形の大きなもので、送電線が八本走っている。
支えを失って切断した送電線から閃光と火花が上がる。その瞬間、定点カメラからの映像を映し出していたモニター内の新本殿、そしてホテルの明かりが一斉に消えるのが見て取れた。
「電源の遮断を確認した。アルファ、ブラボー、チャーリー突入開始!」
低く、しかし断固とした口調で命じたハンセンは、間髪を容れず続けた。「徹底的に破壊するんだ!」
8
重量感のある爆発音が聞こえ、花音は眠りを破られた。
新本殿に併設されたホテルのベッドの上で身体を起こしながら、サイドランプに手を伸ばし明かりをつけようとした。ところが、紐を引いても全く反応しない。
停電……?
そうとしか考えられないのだが、気になるのは眠りを破った爆発音だ。
音の大きさからして、少しばかり距離があったように思うが、送電線に何らかの不都合が生じたのだろうか。
もちろん花音にその方面の知識はない。
しかも、ここはアメリカである。
道路一つとっても穴ぼこだらけ。なのに、いつまで経っても放置されたままで補修される気配はない。
広大な国土を網羅し、そのほとんどが舗装されているのだから、保守管理に手が回らないのは理解できないではないが、万事において大雑把。特に公共インフラのメンテナンスにはその傾向が強く見られるのは事実である。
だから、送電に不備が生じても不思議ではないのだが、それにしても……、と花音は思った。
新本殿は手付かずの大森林の真っ只中に建てられたのだ。送電線も建設時に新設したもので、老朽化するには早すぎる。もちろん、アメリカの嵐は日本とは比較にならないほど強烈で、暴風に吹き飛ばされた枝が送電線に引っかかりショートすることもあるだろう。しかし、室内は静謐そのもので、暴風雨が吹き荒れている気配はない。
花音はベッドを抜け出すと窓際に立ち、カーテンを引き開けた。
空一面を雲が覆っているせいもあって、外は漆黒の闇に閉ざされている。
それでも数キロほど離れた地点から、白煙が立ち上っているのが見てとれた。
やはり、送電線に何か不具合が生じたらしい。
花音は窓際から離れると、ベッドサイドのテーブルに置かれた電話を手に取った。
スマホの明かりを頼りに、『1』番のボタンをプッシュする。
本来であれば、フロントにつながるはずなのだが、全く反応がない。
そうか、電力が切れれば電話は使えないか……。
一人納得した花音は、手にしたスマホのパネルをタップし、北米支部長に電話をかけてみることにした。
ところがである。
こちらもまた、回線がつながる気配がないのだ。
これは、いったいどういうことだろう、携帯が繋がらないなんて、何が起きているの……?
改めてスマホの画面に目をやると、電波状況を表す場所に、『圏外』という表示が出ている。
圏外? ベッドに入る直前まで、東京と連絡を取り合っていたのに?……。
突然の爆発音、そして外部との交信が絶たれてしまったことが、偶然とは思えなくなってきた。今直面している事態が明確な意図にのもとに行われているとしたら、思い当たるのは「霊泉」だが、それにしても……と花音は思った。
「霊泉」の正体を知る者は、教団内でもごく僅か。アメリカでは、今ここにいる自分と、北米支部長の二人だけだ。もちろん、「霊泉」の製造を一手に担ってきた礼央は全てを知ってはいるが、彼は逃亡中だし、こんな騒ぎを起こせるとは思えない。
孤立した状況下に身を置くと不安が恐怖に変わり、最悪の事態を考え始めるのは人間の性だ。花音もその例に漏れず、ここはまず身の安全の確保に努めるべきだと思った。
とにかく避難しなくちゃ。人のいるところへ行かなければ……。
花音はスマホの明かりを頼りに身支度を整え始めた。
(つづく)