訊き漏らしたことがないかどうかを検証しているのかと思いきや、誰かの囁く声が聞こえてきた。
果たして、突然ケリーは口を開いた。
「一つ訊きたいことがある」
「何なりと……。七百万ドルももらったんだもの、サービスしなくちゃね。もちろん、答えられない質問もあるが……」
「君は日本人、いや日系人なのか?」
「その質問には答えられないな。話は終わりだ……」
礼央は言い放つと即座に回線を切り、今度はテーラーに電話をかけた。
二度目のコールで、
「ワッツ・アップ……」
テーラーが短く答える。
「取引完了だ。七百万ドルの入金を確認した。後は連中がどう出るかだな……」
「決まってるさ」
テーラーが薄く笑う気配が伝わってくる。「製造施設の場所を掴んだからには、放ってはおかんよ。あらゆる手段を講じて徹底的に破壊しにかかるさ」
「あなたが所属している組織も、そうした仕事を請け負うことがあるの?」
「能力はあるよ」
テーラーは平然と答える。「破壊工作の依頼なんて、そうそうあるもんじゃないが、メンバーの中には軍や諜報機関で、実際にその手の任務に従事した者もいるし、装備も整ってはいるよ。もちろん、任務の内容次第だが、いずれにしてもかなり高くつくだろうし、我々の組織だってテロ紛いの仕事は請け負わないからね」
テーラーの言う通りではあるだろう。
破壊工作となれば、状況次第では爆薬を使用することもあるだろうし、相手によっては銃撃戦になることだって考えられるのだ。いかに銃器が蔓延しているアメリカといえども、大騒動になるのは目に見えている。
「でも、今回の場合は――」
「施設を破壊しにかかるだろうから、極めて稀なケースにはなるだろうね」
「そんなリクエストでも応えられる組織が、他にもあるのか?」
「限られはするけど、あることはあるね」
テーラーは簡単に答える。
「しかし、爆破なんて手段を講じようものなら――」
「礼央……」
テーラーは名を呼び、礼央の言葉を遮る。「プロ中のプロがやるんだぜ? そりゃあここはアメリカだ。昔ユナボマーってのがいたけど、原料さえ入手できれば素人でさえ一発でビルを吹っ飛ばすような爆弾を作れちまうのは事実ではある。だがね、そんな手段に打って出ようものなら、それこそ国家機関が放っておくもんか。仕事を請け負った組織は存亡の危機に立たされるどころか、刑務所行きは免れない。壊滅的打撃を与えるだけでいいのなら、手段はいくらでもあるんだよ」
「じゃあ、あなたの組織に依頼がくることも考えられるわけ?」
「可能性はなきにしもあらずだが、現時点ではなんともいえないね。俺は、組織に命じられるまま動くメンバーの一人に過ぎないんだから……」
「私を追跡している最中だしね」
礼央が軽口を叩くと、
「そのことなんだが……」
テーラーは、話題を変えにかかる。「追跡チームも色々と手を尽くしてはいるようだけど、ロサンゼルスで乗っていた車を発見したものの、その後の逃走経路を把握するのに難儀しているようでね。いったい誰に知恵をつけられたんだ?」
礼央は思わず苦笑してしまった。
「誰からも知恵なんてつけられてはいないよ」
「ほう、そうかね。だったら素人にしちゃ上出来だ」
「これでも、あなたの弟子ですから……」
どうやらテーラーは苦笑を浮かべているらしく、
「君は、私の弟子の中でもピカイチだったからな」
声を震わせる。
「ところでチャック。今どちらに?」
「まだ、ハノーバーだ」
「ハノーバー?」
「待機の状態が続いているんだ。私の今回の任務は、君の捕獲だ。出動命令が下されるのは、追跡チームが君の所在を突き止めてからだ。獲物がどこにいるのか分からないうちに、集合をかけたって仕方がないからな。それに、待機中は事実上の拘束状態だからメンバーには報酬が発生するし、移動させれば別途費用が生ずる。組織もビジネスでやっているんだもの、コストは極力抑えにかかるさ」
「なるほどねえ……。つまりチャックがハノーバーにいる限り、私の居所は把握されていないってことになるわけだ」
「とは言え、油断は禁物だぜ。俺に命令が下された時には、君が捕捉されたってことだが、そうなれば監視の目から逃れることはまず不可能だ。なんせ、彼らはプロ中のプロだからね。我々捕獲チームが駆けつけるまで、君は彼らの監視下に置かれることになるんだ」
監視の方法についてはさしたる知識はないが、一旦目標を捉えたら、パパラッチでさえ路上に停車した車の中から、あるいは離れた建物の中から双眼鏡や望遠カメラで気づかれることなく、監視することは可能だ。まして、テーラーに『プロ中のプロ』と称される連中がチームを組んで監視するのだ。捕捉されたら、逃れるのはまず不可能というものだ。
「どこから見られているか分からないなんて、考えただけでもゾッとするね」
それは礼央の紛れもない本心だった。
「だから前にも言ったが、早々にアメリカを離れることだ。エマーソン・ジョシュアも『大和の命』が『水』を製造していて、プラントがコロラドにあると知ったんだ。早々に破壊工作を実行するはずだ。それも徹底的にね……。そして、君を捕まえられず、その上、プラントを破壊されれば、『大和の命』は二度と『水』の製造には乗り出さない」
「二度と『水』の製造には乗り出さないって? なぜそう言える?」
礼央はすかさず問い返した。「彼らは私が放線菌と『水』製造のレシピを所持していると考えているはずなんだよ? 実際、私を捕まえるべく君の所属している組織に依頼して――」
「再び『水』の製造に取り掛かろうとしても、エマーソン・ジョシュアが阻止しにかかるのが目に見えているからさ」
テーラーは礼央の言葉を遮った。「新たにプラントを作っても、稼働する以前に破壊されたらさすがに諦めるだろうさ」
「でも、『大和の命』はあの『水』で世界最大の宗教団体にのしあがろうって野望を抱いているんだよ」
「エマーソン・ジョシュアだって会社の、いや製薬、医療業界の存亡がかかってるんだ。絶対に手を緩めはしないね」
テーラーの言葉を聞きながら、仮に『大和の命』が『水』の製造を諦めたとしたら、エマーソン・ジョシュアは次にどんなアクションを起こすかがふと気になった。
『水』の製造を礼央が一人で行っていることは、教団の極秘事項とされていて、花音以外に知る者は数人しかいない。だから教団から礼央の存在が漏れるとは考えられないのだが、放線菌のレシピを持つ人間がいること。そしてその人間が現在も放線菌のレシピを所持している可能性が高いとエマーソン・ジョシュアは考えるはずだ。となると、次に取るべきアクションはただ一つ、教団に放線菌のレシピを持ち込んだ人間の正体を掴むこと。そして、放線菌の存在を闇に葬り去るために、その人間を始末することしかない。
元よりそのつもりでここまで来たのだが、礼央は改めて言った。
「明日中にアメリカを出ることにするよ……」
「二年や三年は、大人しくしていた方がいいだろうな。金はしこたまあるんだし、のんびりしたらいいさ」
「ありがとう……世話になったね。チャックには心から感謝しているよ。ほとぼりが醒めたあたりで、仮想通貨で謝礼を支払わせてもらうよ。口座を開設したら教えてくれ……」
礼央はそう言い残すと回線を切り、国境の街デトロイトに向けてアクセルを踏み込んだ。
(つづく)