霊泉の配布が始まって以来、信者の数は増加の一途を辿り、全米を網羅しつつある。ハノーバーに信者がいる可能性は十分考えられるし、写真を配布されればどこで目撃されるかわかったものではない。
「確かに、信者に目撃される可能性はありますね……」
「信者?」
テーラーは片眉を吊り上げる。「信者ならばまだいいさ。教団の命運がかかってるとなればプロを雇うさ」
「プロ?」
「いるんだよ。そういうヤツらが……。アメリカにはね……」
それがどんな人間たちかの説明はいらない。
金次第で殺しすら請け負う人間や組織が存在するのは周知の事実というものだが、SEALsの隊員であったテーラーに言われると、俄然真実味を帯びてくる。
何と返したものか言葉を探しあぐね、黙ってしまった礼央に向かってテーラーは続ける。
「話を聞く限りでは、教団の最優先事項はレシピを手に入れることだ。いきなり殺害しようとはせんだろうが、レシピが手に入れば、君には用がなくなるよな」
「レシピだけではありませんけどね……。薬を製造するには、亡くなった教授が発見した菌は必要不可欠。それを僕から奪取しないことには……」
「それも所持しているんだろ?」
「ええ……。それは、まあ……」
「じゃあ、レシピと菌の双方を手に入れたら?」
そうなれば、自分は無用の長物。テーラーの言う通りの結末を迎えることになるのは間違いあるまい。
礼央は黙ってしまった。
つまり肯定したのだ。
「これは君のために言うんだが……」
テーラーはそう前置きすると、一瞬の間を置いて話を続ける。
「ここに長く留まるのは賢明じゃないな。できるだけ早いうちに、他所の土地に移るべきだ」
「他所の土地と言われても……」
テーラーの言っていることが、絶対的に正しいのは分かっている。大学院時代、学部時代、もっと遡ればボーダースクール時代の友人たちと、頼れる人間には心当たりがないではない。しかし、テーラーの推測が正しければ、追手が迫った時に、彼らに多大な迷惑がかからないとも限らない。しかも彼らには自らの力で身を守る能力はない。どう考えても、頼る相手としてテーラーが最適な人間なのだ。
そんな礼央の内心を見透かしているかのように、唐突に話題を転じる。
「君には、私が身につけた格闘技術のほとんどを教え込んだ。そして君は見事に、それに応えた。でもね、実のところ、君にはまだ教えていないことがあるんだよ」
「教えていないこと?」
「武器の扱いだ……」
テーラー低い声で言い放つ。
「武器なら、ナイフの扱いは――」
「ナイフなんて銃の前には何の役にも立たんよ」
テーラーは礼央の言葉を遮り苦笑する。
そして、「こっちへ来い」と言うように顎をしゃくって促すと、道場の出口に向かって歩き始める。
黙って礼央は後に続いた。
道場は三階建のビルの二階にある。
テーラーは階段を降り一階に、さらに地下へと向かう。
「チャック……」
礼央は彼の背後から声をかけた。「地下も借りたの?」
答えは意外なものだった。
「今ではこのビル全体が私のものなんだ。一階は不動産屋に貸して、二階は道場。三階は私の住居だ」
ダートマス時代に道場に通っていた頃は、多くの弟子を抱えてはいたものの、「貧乏暇なし」がテーラーの口癖だった。彼自身の生活も、至って質素なものだったし、あれから随分時が経ったとはいえ、ビルを丸ごと購入できるほどの蓄財ができたとは考えにくい。
果たして、テーラーは言う。
「君もだいぶ金を稼いだようだが、私もそれなりに稼ぎがあったのさ」
テーラーは肩を震わせながら言い、「どうやって稼いだかは訊かれても、答えられないがね」
振り向くこともなく、階段を降りていく。そして地下室のドアの前に立つと、暗証番号式のロックを解除する。
鈍いモータ音が微かに聞こえ、ロックが解除される。
振り向いたテーラーが「中に入れ」と言わんばかりに、再び顎をしゃくる。
窓一つない室内は真っ暗だ。それでも闇の中に陳列棚とでも言うのだろうか、左右中央に整然とラックが並んでいるのが視認できた。
照明に明かりが灯った。それらの正体を確認した瞬間、礼央は息を呑んだ。そして驚愕した。
左右の壁面、それに向かい合う形で二列に並ぶラックに保管されているのは銃である。それも自動小銃や狙撃ライフルと思しき大型銃ばかりだ。その奥には、上面がガラス貼りのケースがあり、中には拳銃やサイレンサーが整然と並んでいた。
部屋の奥には中型の金庫がある。厳重に保管されているところからして、おそらく中には弾薬が入っているのだろう。そしてその傍には作業台があり、どうやら使用済みの空薬莢に火薬と弾頭を装填するのだろう。黒色火薬と工作機械と計量器が置かれている。
まさに武器庫だ。
「こ……これは……」
礼央は、掠れる声で漏らした。
「私のコレクションさ」
テーラーは平然と答える。「実戦で実績がある銃は大抵のものが揃っているし、ただ珍しいものもある。いわゆるコレクターアイテムっていうやつだね」
「これだけのものを、どうやって?」
「アメリカに銃愛好家がどれほどいると思う?」
「大統領でさえNRA(全米ライフル協会)の意向は無視できないほどガンマニアがいるのは知ってるけど……」
それにしても、数が多すぎて、愛好家の域を超えているように思える。
礼央は言葉が続かなくなった。
「興味がない人間には常軌を逸した数だと思うだろうが、この程度を所持している愛好家は結構いるもんなのさ。何の変哲もないただの一戸建て住宅の地下室が銃で満杯。ここと同じってのもザラにあるんだぜ」
「でも、自動小銃の類は所持していても、ニューハンプシャーでは撃てないんじゃなかったっけ?」
「オートマチックでは撃てないけれど、単発ならば射撃場でいくらでも打てるけど?」
テーラーは鼻歌を歌いださんばかりの軽い口調で言い、ラックの中にある一丁を手にすると、
「こいつはAK。名前ぐらいは聞いたことあるだろ?」
礼央に向かって差し出してきた。
「確かロシア製の自動小銃だったよね。共産圏を中心に、もっとも多く使われてる小銃だと記憶しているけど?」
「さすがだな。その辺りの知識は持ち合わせているわけか」
差し出された銃を手にしてみると、見た目以上に重量があって、無意識のうちに目が泳いでしまった。その時、他の陳列ケースの中に、小型の自動小銃が保管されているのが目に入った。
礼央の視線が留まった先にテーラーは目を向ける。
「こいつはイングラム。その隣にあるのは、MP5。イングラムは古いモデルだけに、使い勝手が悪くてね。それでも当時としては連射性能が格段に優れていたんでコレクションに加えたんだ。その点、MP5は、安全性、性能ともに優れていて、西側諸国の警察や軍隊で広く使われているバリバリの現役だ」
「それも連射しなければ、射撃場で撃てるわけ?」
「ニューハンプシャーではできないが、州によっては可能だよ。例えばテキサスとかね……。と言うか、そもそもニューハンプシャーでは小型自動小銃の所持が禁じられているからね」
「じゃあ、このコレクションは……」
驚きの連続で、礼央は再び言葉が続かなくなった。
「そう、立派な違法行為だよ。ただし、大半は購入時には正式な手続きを踏んで合法的に手に入れたものばかりだがね。昔、軍にいた頃、テキサスで買ったんだ」
「大半は?」
「交換会で密かに入手したものもあるからね」
「交換会?」
「銃愛好家なら誰でも知っているけど、大規模な交換会が頻繁に開催されているんだよ。大規模コンベンション会場に、それこそ全米から武器マニアが集結してきてナイフや銃、ありとあらゆる武器を交換、売買するんだ。メーカーも大きなブースを出して、自社製品の販促活動を行うのさ」
「交換って……現物を持ち込むわけ?」
「もちろん」
テーラーは当然のように言う。「たぶん、西部劇映画のような光景を想像したんだろうが、実際その通りなんだ。銃や日本刀を肩にかけて、会場を闊歩する人も多いからね。それでも、事故は滅多におきやしないんだが、交換会は個人でも出展できるから中には怪しいヤツもいるわけさ」
「所持が許されていない銃を売っているってわけ?」
テーラーは顔の前に人差し指を突き立て、ニヤリと笑った。
「だから、手に入らない武器なんて、アメリカにはありはしないんだよ。もちろん、金次第ではあるがね……」
アメリカ生まれでアメリカ育ちの礼央にして、初めて知る銃取引の実態、蔓延ぶりには、ただただ驚くばかりだ。
テーラーのスマホが鳴ったのはその時だった。
パネルに浮かぶ相手の名前を見た瞬間、明らかに彼の表情に変化が表れた。
一瞬にして眼差しが鋭くなり、瞳に緊張感が漲るのが見てとれた。
「すまんが、ちょっと外すよ……」
そう断りを入れてきたテーラーは、ドアに向かって歩き始める。
呼び出し音が止まった。
「イエス、ボス……」
ドアが閉じる寸前、テーラーが応える低い声が聞こえた。
(つづく)