最初から読む

 

「なるほど、その放線菌に癌を治す効果があると知ったら、そりゃあ教団も放ってはおかないだろうな」
 ようやくことの次第が理解できたとばかりにテーラーは頷く。
「とは言え、癌が消滅したのは放線菌の効果なのかどうかは、その時点では確信が持てませんでした。奇跡的と言われる現象はまま起こり得ますし、効果の有無を判断するには症例があまりにも少なすぎたからです」
「じゃあ、効果を検証するために教団を通じて信者に飲ませたってわけなのか?」
「その通りなのですが、可能性は高いとは思っていました」
「その根拠は?」
「キンジー博士は持ち帰った放線菌を、製薬会社に持ち込んだんです。ところが製薬会社は放線菌が秘めている可能性に気がついたらしく、その存在を封じ込めてしまったんです」
「封じ込めたって……闇に葬り去ろうとしたってのか?」
「ええ……」
「なぜだ!」
 大声で叫ぶテーラーの口調に弾みがつく。「癌の特効薬、まして万能薬なんてことになれば、とてつもないビッグビジネスになるじゃないか。製薬会社は莫大な利益を上げ――」
「そんなものが出てきたら、製薬会社も医学会も飯の食い上げになるからですよ」
 礼央はテーラーの言葉を遮った。
「えっ?」
「もちろん特許は取得するでしょう。しかし、有効期限が切れればジェネリックが出てきますし、万能薬なんてものが出てきたら、他の薬を開発製造する必要がなくなっちゃうじゃないですか。医者だって、一つの薬で病気が治ってしまったら、患者がいなくなってしまうでしょ? つまり製薬、医学界双方にとって、絶対に出てきてはならないのが万能薬なんです」
 テーラーは、ポカンと口を開けて暫し絶句すると、呟くように言う。
「なるほど。確かにその通りだ……」
「もちろん、キンジー博士にはそれなりの金が支払われたようですけどね。博士が教鞭を執っていた大学にも……」
「つまり博士は、金と引き換えに学者としての矜持を捨てたわけか」
「学者としての矜持?」
 礼央は目を吊り上げながら、思わず苦笑いを浮かべた。「そんなもの、学者にあるのかどうか……」
「それはどういう意味だ? 学者にもいろいろあるが、真実を追究するのが学者の使命だろ?」
「学者でいられるのも、研究を続けられればこそのこと。どんな研究だって資金は必要不可欠なんです。しかも大学の研究予算は限りがあって、ただでさえも足りないのに、限られた原資を在籍する教授が奪い合うんですよ。だからスポンサーを見つけて支援してもらわないことには、まともに研究なんかできやしないんです。大学も製薬会社から金をもらったっていったのは、そういう背景があるからです」
 テーラーはため息を漏らす。
「大学も金をもらった以上は、スポンサーを満足させなきゃならないってわけか……」
「それだけじゃありません。万能薬なんてものが出てきたら、大学だって困りますからね。そりゃそうでしょう。医学部、薬学部、生命科学に遺伝子工学なんて、病を治すための研究をやっているんですからね。なくなってしまう学部がわんさか出てくることになるんですから、教員も含めて研究者は職を失ってしまうし、学生だって集まらなくなるじゃないですか。経営的見地からすれば大学にとっても悪夢ですよ」
「つまり、問題は根本的に解決してはならない。あり続けないことには、研究ができなくなってしまうってわけか……」
「だからキンジー博士も、放線菌の存在を封印せざるを得なかったんでしょうね。公表すれば一躍時の人、いやノーベル賞だって夢じゃないし、英雄として歴史に名を残すことになったでしょうけど、大学から研究費がもらえなくなるわ、スポンサーもみつからないでは、学者生命は終わったも同然ですからね。それに製薬業界には死活問題になるんですから、どんな手段を講じて、口封じに出てくるか分かったもんじゃありませんし……」
「アメリカだからな。博士一人の口を封じるのは簡単な話だし、請け負うヤツらにはいくらでもいるからな……」
「とにかく、私はその放線菌とレシピを入手したわけです。そして母に飲ませた放線菌入りの水を病を抱えている『大和の命』の信者に飲ませてみたんです。そうしたら――」
「効果のほどが明確になったってわけか」
「信者の中には医師もいるんですが、彼らが首を傾げるほどの目覚ましい効果がね。放線菌の存在、薬効は教団の最高機密。知るのは教団の中でもほんの数人しかいないのですが、彼らはまず信者に広く水を配布するべく、コロラドに広大な土地を購入して新神殿を建てて、そこの地下室で『霊泉』と称した放線菌入りの水の製造を始めたのですが、それが教団の野心を掻き立てることになってしまって……」
「野心?」
「病からの解放は、人類の夢です。それが叶わないと分かっているから、人は皆、病を恐れる。それが『大和の命』の信者になれば、夢が叶うとなったらどうなります?」
「そりゃあ、入信する者がわんさか湧いて出てくるさ」
「そう、『大和の命』が世界最大の宗教団体になるのも現実味を帯びてくるわけです。そして数は力ですから、世界中の国で信者がマジョリティーとなれば――」
 さすがにテーラーも察しがついたらしい。
 目を丸くして大声を上げる。
「教祖は世界を支配する存在になるってことか!」
「大統領であろうと、首相であろうと、王様であろうと、病から逃れることはできませんでした。それが『大和の命』の信者になって、霊泉を飲み続ければ健康でいられるとなったら、どうなります? 強大無比の権力を握る者であればあるほど、是が非でも霊泉の恩恵に与りたいと思うに決まってるじゃないですか」
「でも、その霊泉っていうのを密かに入手して、分析すれば――」
「おそらく教団は信者の数が増すに連れ、世界中の国々に教会を建て始めるでしょう。霊泉の配布は教会のみとし、さながら礼拝の際に神父から与えられる聖体のような方法で配布するんじゃないかと思うんです」
「実際に教会に行かない限りは飲むことができないってわけか……」
「彼らが私を必死で追っているのは、そんな野望に目覚めてしまったからです。だから、どこに逃れようと、捜索の手を緩めるはずがないんです」
 テーラーは、すぐに言葉を返してこなかった。
 何かを考えるように、前方を見据えて沈黙する。
 そして暫しの間の後、口を開くと、
「君は、放線菌をどうするつもりなんだ? 世の中に薬効を広く知らしめ、人々を病から解放しようと思っているのか?」
 真剣な眼差しで問うてきた。
「それができれば、素晴らしいことこの上ありませんけど、絶対に不可能ですね」
 礼央は断言した。
「なぜだ?」
「薬として世に出すためには、薬効が認められることが大前提になるからです」
 礼央はそういうと「いいですか」と顔の前に人差し指を突き立て、話を続けた。
「薬効を検証し、効果の有無を判断するのは、製薬会社、医学界であり、国家機関の承認が必要になるんです。いずれも、仕事があるのは病があればこそ。そんな薬が出てこようものなら、不要になってしまう人たちなんです」
「なるほど、確かにそうなるよな……」
「万人の夢が叶うなら、自分達が職を失っても構わないなんて人間がいると思いますか? そんなのいるわけがないでしょう。だから、治験の段階で効果は認められない。放線菌の存在は再び封印されてしまうに決まってますよ」
 テーラーはため息を漏らし、天井を仰ぐ。
「だよなあ……。確かにそうなるよなあ……」
「だから、私は『大和の命』に協力したんです。当初はそんな野望を抱いてはいませんでしたからね。ただ信者を幸せにしてあげたい。病に苦しむ信者を救ってやりたいという、宗教家としてのあり方に共感を覚えたんです。製薬会社や管理、規制当局の目に触れることなく、あの水を配布するなら宗教を利用するしかないと考えたんです」
「それが権力を握る野望に繋がったってわけか……」
 テーラーは苦々しげに呟くのだったが、「世に出すのは不可能だって諦めるのなら『大和の命』から逃れる方法があるぞ」
 はたと思いついたように声を上げた。
「どうやって?」
「それはだな――」
 テーラーは興奮した様子で、驚くべき手段を告げてきた。

 

(つづく)