五
「一日も早いご帰還を」
朝廷の中枢をになう高官らが、玉座に迫った。宇文述亡きあと、側近の顔触れは大きく変わっている。
翼は、楊広の背後で護衛として控えていた。
「驍果も帰郷を望んでおります」
天子が不在となった東都は危険にさらされている。家族を残してきた文官も将兵も帰還を切望しているというのが主な訴えだった。
翼は失笑した。
高官のひとりが声を荒らげる。
「なにがおかしい」
「これは失礼をいたしました」
本来、翼は発言できる立場にない。しかし楊広は翼を止めなかった。
翼はうやうやしく胸の前で手を組み、高官にお辞儀をした。
「ですがいささか不遜ではございませんか。おそれ多くも天子に向かって、家族が恋しいから帰りたいなどと」
高官はこめかみを震わせる。
「歌い手風情が口を挟むな」
「そう、驍果は身分の低い奴隷にございます。それが天子の護衛という栄誉ある職に取り立てていただいた。にもかかわらず、家族が恋しくて帰郷を乞うなど笑止。また、驍果をだしに、天子に帰還を促す行いも臣としてのご自覚が欠けていらっしゃる」
高官は唾を飛ばして翼を罵る。
「国防も知らぬ小童めが。今、東都は危機にあるのだぞ」
「何のために陛下が王を各都に配置されたと?」
楊広には、特に目を掛けている三人の愛孫がいる。
江都へ発つ以前に、長安に最年少の代王楊侑を、東都にその兄の越王楊どうを、そして江都の自身の側には長兄の燕王楊たんを置いた。
三人の父は楊昭――今は亡き楊広の長男である。
この配置は、大興城、東都、江都のいずれの都が奪われても、隋が存続できるように考えてのものだ。不眠で心身が極限まで追いつめられていたときも、楊広が最低限の危機管理を図っていたことが分かる。
高官は目を光らせた。
「しかし、東都は危機にある。越王はまだ十三とお若く、救援を求める使者を陛下のもとへ送ってこられた」
楊広が東都を離れたばかりのころは、樊子蓋という猛将が東都付近で睨みを利かせていた。しかし樊子蓋が病死すると、東都はたちまち叛徒たちの争奪の対象となったのである。
翼は大仰に首をかしげてみせる。
「陛下はすみやかに東都付近の兵を徴集し、さらに江都からも救援を送りましたが?」
高官は言葉をつまらせ、威圧するふうに声を大きくした。
「天子が腰を据えて、天下をにらむのが肝要なのだ」
「陛下が南に留まっては困ることでも?」
「貴様……」
翼は眉を寄せ、深い憂いを演出する。
「畏れながら、貴殿は江都の有力者からせしめた賂がかなりの額になるとか。江都の役人や商人から訴えが出ております。朝廷全体の評判を貶めるような行為はつつしまれるべきかと」
高官の顔色が変わった。
玉座にいる楊広が、とどめを刺すように言う。
「朕が知らぬとでも思ったか」
高官は絶句したように目を見開き、恐縮した様子でうつむく。ほかの官人らも、息をひそめて成り行きを見守っている。
緊迫した空気の中で、楊広は一言、
「さがれ」と言い渡した。
安堵の息が場にひろがる。朝堂には翼ら護衛のみが残った。
――よく我慢したものだ。
翼は感心していた。
以前の楊広であれば、問答無用で斬っていただろう。
「あの程度の追及でよろしかったでしょうか」
翼は背後から楊広に問う。
「斬るにはまだ早い。こうも阿呆ばかりだと気が滅入るが」
「自業自得でございましょう」
江都へ行幸する際、諫言した臣を楊広はことごとく抹殺した。極限の状態にあったとはいえ、自制すべきだったろう。
楊広は今、不調のせいで失った二年を取りかえそうとしていた。
翼、柳貴、沈光ら、給使の面々は広間におりて、楊広の対面に控える。
「宇文家の愚鈍三兄弟は真っ先に殺したいが、そうもいかん」
宇文述という朝廷の精神的支柱を失った穴を埋める人材が育っていない。
親友関係にあった楊広の喪失感は大きく、温情で息子らを取り立てた。三人の中でも、楊広の娘の南陽公主を妻にした宇文智及はともかく、その兄の宇文化及、宇文士及の狼藉が目に余る。
新たに側近となった者たちも抜け目なく、いつ裏切るか油断ならない。
楊広は今後半年を目安に、朝廷の粛清を考えている。
「悔しいが人がたらん。今は生かしておくしかない。一方で、叛徒どもの数が多すぎる。大体、この国は人口が多いのだ。殺し合って、少し減るくらいでよい」
天子とは思えぬ横暴を言う。
もとの楊広に戻ってきたな、と翼は思った。
実際、楊広は叛乱勢力が互いに殺しあうよう仕向けている。江都で力を蓄え、残った勢力と戦うという心づもりだった。
楊広は義眼の男に、鋭い眼差しを向けた。
「沈光。その後、新しい報せは?」
「三日前と変わらずです」
沈光は遊侠少年だったころの手下を各地に送り、情報を集めていた。
叛徒の中でも、楊広が動きを気にしている勢力がある。
例えば竇建徳だ。人格者で知られ、叛徒を取り締まるべき役所の者ですら、竇建徳に心酔して仲間となる者がいるという。この点が楊広と決定的に違う。
「ですが、流行歌が厄介ですな」
「李密から目を離すなよ」
李密は、楊玄感の参謀だった男だ。
何を差し置いても長安の京師を取るよう、楊玄感に進言していたという。楊玄感がその策を採用しなかったので事なきをえたが、もし長安を取られていたら危なかった。そして李密には、魏徴や秦叔宝など、旗下に勇士が多い。
なにより、あの流行歌だ。
――桃李の子が天子になる。
という方士の予言の歌が、民の間で流行っている。
桃李とは李姓を指すとされており、李姓で天下が狙えるほど大きな勢力といえばまず李密の名があがる。占いのような目に見えぬ力に、大衆の心理は動かされる。楊広はその大衆の動きを警戒した。
「阿呆の面ばかり見ていたら気がふさぐ。後宮へ戻る」
朝堂の外では、蕭皇后が馬車で待っている。
以前は、蕭皇后も朝堂で同席していたが、急襲を警戒して外で控えているのである。
腰を上げた楊広に、沈光が決まりの悪い顔で言った。
「事情は分かるんですがね、今すこし真面目なふりをしていただいたほうが良いかと」
楊広は、江都宮の後宮に、百の部屋をつくってそれぞれに美女を住まわせた。これが朝廷の官人らにすこぶる評判が悪い。
「ばかもの、これも相手を欺くためだ」
荒淫な皇帝であるという印象を与え、謀叛を考える官人らを油断させるという手ではある。しかし、もとより好色の悪評高い楊広のこと、想定を超える非難を浴びる羽目になったのである。
「まあそうなんですがね」
沈光は肩をすくめた。
「よいか」と楊広は前屈みになって三人を見据える。
「この半年のうちに、おれは朝廷の膿を出しきって北上する」
声をさらに低めた。
「そして東都に帰ると見せかけて、戻るのは西の京師だ」
楊玄感の件で翼も学んだ。東都は運河の便もよく、籠城戦にも適しているが、天下の要は長安の京師だ。
京師へ戻り、東都付近に本拠を置く李密を叩く。そのための支度を内々に進めていた。
「なるべく速やかに、そして密やかに。表に出るときは思い切り派手にだ。この三点を踏まえて、賊徒どもの意表をつく」
官人も民も二代目の皇帝が、政への意欲を失っているという見方をしている。
つぎの天子と目されている李密の勢力を一掃すれば、その見方を否定する象徴的な事件となるだろう。
「不調程度でおのれを見失った。おれは、その失点を取り戻す」
実のところ、楊広はまだ本調子ではない。護冬から聞く話によると、長年を掛けて仕込まれた害というものは、数月で消せるようなものではないらしい。
ときを稼ぎ、少しでも楊広を回復させる。今は耐えるときだ。翼はそう思い、来るべき日のため備えていた。
しかしその年末、驚くべき報せが楊広のもとへ飛びこんできた。
集まっていた給使を前に、楊広は報せを片手で握りつぶす。やり切れぬ怒りに、総身を震わせていた。
「やられたぞ」
長安が叛徒の手に落ちたという。
首領は李淵。関中のさらに北に位置する主要都市、太原の長官を務めていた男だ。
李淵の妻は、楊広の母独孤伽羅と姉妹に当たり、楊広と李淵は母方の従兄弟関係にある。
「あやつめ、まんまとやりおった」
京師を落とした李淵は、代王楊侑を隋の第三代皇帝として即位させた。勝手に楊広を退位させ、太上皇に祭り上げたという。
翼も動揺を隠せない。
「地方の長官級が叛旗となると、影響は大きいですね」
まさにこれから京師に腰を据えんとしていたところだった。この局面の要を掻っ攫われた楊広の苛立ちは計り知れない。
「あのぼんやり者にそんな根性はあるまい」
楊広は大きく肩を上下させた。
「といいますと?」
「あのくそがきが、父を唆したらしい」
「がき?」
「爆竹のがきだ」
雁門城の籠城戦で、目覚ましい働きを見せた爆竹の少年は、李淵の次男だという。
ほんとうかどうか、爆竹少年は、太原にある晋陽宮で父に宴席を催させた。その上で「天子の宮女を侍らせたとなれば、楊広に罪を問われるぞ」と父を脅して兵を挙げさせたらしい。
たしか、年齢は翼より五つほど下で、今は二十歳前後だろう。とんでもない少年が出てきたものだ。
「策を変えねばならん」
しかし北上は楊広の奥の手だった。代わりになる策などない。
楊広は歯噛みして、言い放つ。
「当面は南に腰を据える」
崩れるときは、一気に崩れるものらしい。
驍果から離脱するものが続いた。かつて陳の都のあった建康へ楊広が遷都を考えているという噂が流れ、北に家族がある者たちの心が離れたようである。
「何度、遷都はないと否定しても、あいつら聞く耳をもたん」
沈光がぼやく。
肉飛仙に憧れて従ってきた者たちも、隋の旗色が悪くなるや見限る者が出てきていた。
去っていくだけならいい。
楊広の首を取らんと画策する者たちが現れ、徒党を組み始めたのである。その動きはあからさまで、翼の耳に入るほどだった。
「蓮の花から目を離すな」
不穏な空気に、楊広は給使を蕭皇后の護衛につけた。もしもの際は、蕭皇后を連れて逃げるよう厳命したのである。
季節は春、宮殿の庭では花が咲き乱れている。
空を見あげたまま、蕭皇后は翼に告げた。
「覚悟をしなくてはなりません」
この女人は、王朝の滅亡も視野にいれている。楽観して、不安をごまかしたりもしない。
「ですから、私とあなたの間でひみつを持つのはやめましょう」
蓮の花にたとえられる淑やかな面ざしが、翼に向いた。
「あの人の不調は、わたくしのせいだったのでしょう」
切り出されて、どきりとする。
いつか訊かれるだろうとは思っていた。できることなら自分以外の者に尋ねてほしいとも願っていた。
しかし、蕭皇后はまっすぐに翼を見つめている。翼は精一杯、顔をとりつくろった。
「いいえ、陛下の耳鳴りは琴に由来するものです」
柳貴たちと申し合わせたとおりに答えたが、声がうわずった。
「うそはいけません。お香もよくなかったのでしょう」
察しのよい蕭皇后のこと、ごまかすのは難しそうだ。一瞬ためらってから、翼は首肯する。
蕭皇后は笑みをみせ、ふたたび空を見た。
「わたくしは天子をお諫めする賦を作りました」
別人のように変貌する夫を見て、忸怩たる思いでいたらしい。皇后の務めを果たせずにいる自分を顧みる文章をしたため、楊広に送ったのである。
「お香のせいであの人は極限の苦しみにあったのに。愚かなことをしました。皇后失格ですね」
「いいえ、悪いのは陛下です」
翼は確信をもって言う。楊広みずから明かして、妻を安心させるべきだったのだ。
強い語調で非難する翼がおかしかったのか、蕭皇后は口もとをゆるませる。
「わたくしね、ほんとうはあの人との婚姻は気乗りがしなかったのですよ」
「えっ」
急に水を顔へ掛けられたようになる。
「ですが、以前はそうは仰っておられなかったような」
初めて会ったとき楊広の美丈夫ぶりに喜んだ。そう話していたはずだ。
蕭皇后は目を閉じてうなずく。
「周囲にはそう言うようにしていたのです。でも会ったばかりのころはいやでした。わたくしはあまり裕福でない境遇で育ったでしょう。婚姻の条件がすばらしいほど、これまで家族から自分がどういう扱いを受けてきたのかが見えてしまって。品行方正でひかえめな夫が鼻についたのです」
「ひかえめ?」
翼は眉をひそめる。蕭皇后と出会ったとき、楊広はまだ十代だった。その頃すでに謙虚な演技を身に着けていたのだろうか。それとも――。
「あの人はどんな夫になってほしいかとわたくしに訊きました。それで、印象とは正反対の人物を申し上げたのです。多くの女人が求めるような強い男がよいと」
それはまさに今の楊広の姿だ。
もしや、とある考えが頭をもたげる。
自信家の姿のほうが演技だったのだろうか。それがいつの間にか馴染んでしまったのか。
蕭皇后は懐かしむように目をほそめる。
「まるで課題をこなすように女人を相手にしていって。生真面目でおかしな人。いつしか、わたくしのほうが好きになっていました」
居ずまいをただし、翼と向き合う。
「妻となって以来、国を造る片翼になるのだと自分を律してきました。隋の現状は、このわたくしに責任があります」
――蕭皇后は、とてもへんな感じがするの。
かつて護冬は翼にそう告げた。女色にふける楊広を見ても、嫉妬ひとつ見せない蕭皇后をいぶかしんだのである。
事情をしらなければ、たしかに異様に見えたに違いない。
「隋がほろぶのは刻の問題でしょう。ですが王朝の血脈を絶えさせるわけにはいきません。三都に置いた孫たちは楊広とかかわりが深く、賊の標的になりやすい。三人とは別にわたくしが目を掛けている子や孫がおります。わたくしがあの子たちを守らなくては」
あざやかな色の蝶が、ふたりの前を飛んでいった。
「なにより、楊広を死なせぬことです。楊広が楊広でありさえすれば、あの人は国と民にとって最善の政をします」
かえすがえすも不調だった二年が悔やまれる。蕭皇后の言葉のとおり、楊広が楊広でありさえすれば、あの男はどんな苦境も切りひらける。
小柄な身体が翼に迫った。
「力を貸してくれますね」
変事があった際には楊広を死守しろ、ということらしい。
答えに窮し、正直に告げた。
「もしもの際は、皇后陛下をお守りするお役目を仰せつかっているのです」
小柄な婦人は、のぞき込むように翼を見上げた。
「わたくしは、護冬から承諾を得ておりますよ」
小鳥のさえずる音がする。
「参りましたね」
「わたくし、夫よりも駆け引きが上手でしょう?」
清楚な笑みが翼に向く。翼は皇后の前に跪いた。
「かしこまりました。かならず、あの方をお守りします」
蕭皇后と翼の密約が成立した。ふたりの願いは同じ。
何があっても楊広を生かすこと――。
そして春に変事は起きた。
六
東の空が赤い。
夜明け前にもかかわらず、空が明るんでいるのは灯火のせいだ。
まさに今、叛徒たちが宮城へ乗り込まんとしている。
首謀者は、楊広が晋王だったころから仕えていた臣で、驍果を統率する将軍らだ。かれらに担ぎ上げられたのが宇文家の三兄弟というわけだった。
――動いたか。
闇の中、翼は屋根の上を移動する。
いつ異変になるとも知れず、昼夜問わず敵の動きを警戒する必要があった。それで沈光、柳貴と三交代で宮中を見張っていたのである。
今朝の番は翼だった。
事変が起こるとすれば、今日だと踏んでいた。忠誠に厚い給使の主力が非番にされていたからだ。
暗がりの中、翼は楊広の寝所の屋根へ飛び移る。
戸の前に、見張りの護衛が三人いた。
翼は庇に手を掛け、見張りの頭を蹴りつける。地に降りたときには、すでに短刀を逆手に抜いていた。ぎょっとした護衛が腰に手をやったが、刀を抜き切る前に翼の拳が顔面にめり込んでいる。もうひとりも慌てて刀を振りかざしたが、空ぶりして体勢を崩した。その首の急所に、翼は短刀の柄を打ちこむ。
床に倒れた三名の身体をしばり、寝殿の陰に隠す。ここまで、流れるような作業で済ませた。
翼は寝殿の戸を叩き、返事を待たずに中へ入る。楊広がすでに支度を済ませていた。
「叛徒どもが動いたか」
振り返った姿に、翼はふいを突かれたようになる。
質素な兵装で、顔には大きな眼帯を着けていた。右目のあたりに黒い石のついた、覆面といっていいほど大きなあの眼帯である。
「お気づきでしたか」
「気づかぬわけがあるか。何かあったのかと護衛に訊いたが、小火だろうなどとぬかしおった。数は?」
「おそらく三百は超えるかと」
楊広は短刀など、軽い武器をすばやく身に着ける。
「蓮の花は動いておるな?」
「昨夕のうちに、宮女に変装して後宮を出ているはずです」
「では我々も参ろう。目指すは東都ぞ」
翼は「はっ」と拱手で応える。
ごくわずかな身内だけを連れ、東都へ向かう――。
東都では、隋軍が李密を筆頭とする賊徒と死闘を繰り広げており、天子が現れれば勢いがつく。江都よりも東都の臣のほうが信頼でき、朝廷の体制も整えやすい。
これが楊広の最後の手だ。
楊広は羽織の掛かった衣架の裏へ進む。一見、なんの変哲もない壁がある。膝の高さのあたりを押すと、戸の半分ほどの大きさの板がへこみ、横へずれていく。
壁の先は墨で塗りこめたような暗がりだった。
足もとには杭があり、紐が二本掛けられている。紐はその直下、大きく空いた穴へと垂れていた。
「おれが先に行く」
紐を握った楊広は、穴へと飛びこんだ。
「え、ちょっと……」
翼が安全を確かめながら先に進む段取りだったが、さっそく無視して行ってしまった。
「これだもんな」
ぼやきながら、翼も後につづく。壁を元に戻すと、周囲が闇に包まれた。
これで寝室に敵が踏み込んでも、天子が突如消えたように見えるはずだ。
穴を下りきると、屈んで進めるほどの地道(トンネル)が続いている。手探りで闇の中を進んでいく。
――よく考えたものだ。
江都宮は運河と接続し、周囲に水路がめぐらされている。
ゆえに、大規模な地道は作れないというのが定説だ。楊広はその盲点を突いた。
城外へ出る地道は作れなくとも、寝殿から城内の街へ通ずる地道は作れる。
楊広が後宮に籠って取り掛かっていたのは、この抜け道を造る工事だった。給使はもちろん、楊広みずから穴を掘った。女色にふける余裕などなかったのである。
「まるで産道を通っているようだな」
先を進む楊広の声が、すぐそばで聞こえた。
目を閉じても開けても同じ闇がある。母の胎内というのは言い得て妙だった。
「生まれなおすとしたら、何になりたいですか」
「天子にしかなるまい」
たいした自信である。
「まあ今生ばかりは、お前の仕業かもしれんがな」
「何でも私のせいにするのはやめてください」
「お前は人の人生を狂わせがちだ。少しは自覚しろ」
「私が一体何をしたというんです?」
溜息まじりの声が闇に響く。
「覚えておらんならいい」
行く先がほんのりと明るい。壁に突き当たり、楊広は縦穴を登っていく。穴の覆いを取り払い、白い光の中へ這い出た。
そこは街はずれの小屋だった。夜は明けていたがうす暗い。空は曇天に覆われていて、雨が降っていないのが幸いだった。
(つづく)