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 ――京師になんて来るんじゃなかった。

 怒りにまかせ、翼は庭を突き進む。

 江都にいたころは、翼を中心に世界がまわっていた。

 なのに、みなが楊広の肩ばかり持つ。怒りの矛先をどこに向けていいのか分からず、草木をかきわけて突進する。

「いてっ」

 顔に枝が当たり、翼は背から転んだ。

 衝撃を頭に受け、声をあげて泣き出していた。紅葉したむらが翼を守るように覆ってくれている。自分でもなぜ泣いているのか分からなくなってきたころ、清涼なかおりが鼻をかすめた。ほそい手が枝に伸びる。急に視界が明るくなった。

 あらわれたのは小柄な女人だ。

「まあ、顔に傷が」

 女人は、腰にさげた袋から練り薬を取り出す。つめたい指が泣き腫らした顔に触れて、気持ちがよかった。

「傷をそのままにしてはいけませんよ」

 手の甲で、涙にぬれた翼のあごをそっと拭う。陶器のようななめらかな肌ざわりだった。

「あなたは菩薩さまですか」

 蓮の花を思わせる清らかな美女で、おなじ人とは思えなかった。あら、と女人は形のよい唇をほころばせる。

「ではあなたは私の迦陵頻伽ね」

 翼は目をしばたたかせる。

「おれを知ってるの?」

 怒りは収まっていた。頭が冷えると、女人の背後に侍女らしき者が数名控えていることに気づく。

「わたくし、星占いが得意なの。いらっしゃい。お菓子をあげましょう」

 誘われるまま、翼は女人についていく。

 案内されたへやは、母屋のいちばん日当たりのよいところにあった。蒸し菓子のあまいかおりに、翼の腹の虫が鳴る。夕餉を抜いて腹を空かしていた翼に、女人は蒸し菓子をいくつも食べさせてくれた。

 ――ふしぎなひとだ。

 話していると、とてもなつかしい感じがする。

「わたくしも南の出なのですよ」

 はたして、女人もおなじ南方の人だった。翼はもっとこの女人と話していたかったが、一日の緊張がゆるんだのか、それとも腹がくちくなったせいか、菓子をほおばりながら眠ってしまった。

 起きたときには、夜が明けていた。

 横たわっていたのは清潔な寝床で、へやには立派な調度品がそろっている。見慣れた江都の寝室ではなく、楊広から与えられた私室だった。

 ――昨日の女人はだれだったんだろう。

 楊広の姉妹、もしくは夫人か。侍女に翼を抱きかかえられるわけもなく、あの女人が屋敷の従僕に命じて、翼を運ばせたのだろう。服は寝間着に替えられていた。

 夢であればよかったのに、今日から楊広に仕えなくてはならない。そう思うと、気が重かった。

 寝床から出ようとすると、硬い枕の下でかさりと乾いた音がした。

 枕の下に、小さな紙が差し込まれている。

 折りたたまれた紙をひらき、最初の一文に翼は息を呑んだ。

 

『お前を呼んだのはわたくしです』

 

 紙を握りしめ、周囲を見回す。人の気配はない。翼はにぎった紙をていねいに開き、いそぎつづく文字を目で追った。

 

 

第二章 しん

 

 

 南朝最後の王朝であるちんは、井戸でほろんだ国である。

 隋の初代皇帝の文帝は、南北統一のため、軍を陳へ差しむけた。

 総大将は皇帝の次男、当時二十一歳の晋王楊広。

 陳の皇帝ちんしゆくほうは愚鈍でしられ、隋の陸水軍が間近にせまるまで、そばに美女をはべらせ酒宴にあけくれた。隋軍が宮殿に乗りこんできたとき、ようやく事態をさとった。慌てて寵姫らと枯れ井戸にかくれ、敵をやり過ごそうとしたのである。

 隋の精鋭が見逃すわけもなく、すぐに井戸は取り囲まれた。

 情けないことに陳の皇帝は自ら井戸を登ることもできず、敵軍の手を借りて外へ出るはめになった。

 まず地上に現れたのは、寵姫のちようだった。

 張貴妃の美貌は、隋にもしられている。なによりその髪のうつくしさが目を引いた。

 総大将に先んじて宮殿を押さえた隋の武将こうケイは、ためらわずにこの美女を斬った。

 だつほうジ、歴史を見ても、皇帝を惑わし国をほろぼした美女は多い。この女は危ういと直感したのである。

 楊広は密かに張貴妃をおのれのものにせんと野心を抱いていた。心を浮き立たせて宮殿に入ったが時すでにおそく、高ケイをひどく恨んだという。

 一方、陳の最後の皇帝となった陳叔宝は、殺されることなくだいこうじようへ連行される。あまりにも愚昧で殺すまでもないと判断され、陳滅亡の十五年後、五十二歳の天寿をまっとうする。

 陳叔宝が、死後に隋朝によってつけられたおくりなは「ようてい」という。

 皇帝の諡には格がある。国をおこした名君には文帝などのが、国をほろぼした暗君にはれいおうなどのしゆうがつけられる。

「煬」とは火が盛んなこと、煬帝とは民をくるしめ国をほろぼしたこんくんに対する醜諡だった。

 

 

「湯冷ましと碗は卓の上に、お着替えは棚にご用意がございます。火鉢をお使いになるときは窓を開けるのをお忘れなきよう。ご指定の香を焚いておきますので、外へお出になるときには服に纏わせてくださいませ」

 翼は香炉の蓋をあけ、中に白檀の香が入っているのを確かめた。楊広が、書物を机の上に伏せる。

「お前も、ずいぶん気がきくようになったな」

 翼は胸の前で手をくみ、主人に向けて礼をする。

「おそれいります」

 大興城にある楊広の私邸、その離れの堂で翼は内密な支度をしていた。

 皇太子となった楊広は、限られた公務のときだけ東宮に滞在し、ふだんは城内にある私邸に滞在している。

 廃太子となった兄に遠慮して、というのが表向きの理由で、本当のところは密かに酒や色事をたのしむためだった。

 今なら、翼にもこの屋敷の特殊な構造の意味が分かる。父が来訪したときに備え、母屋は簡素にし、質実な暮らしを演出している。遊楽の道具はすべてこの離れの隠し部屋に置き、人の目に触れないようにしているのだ。

 いまも、からくりの戸の奥の隠し部屋で、お気に入りの妾が待っている。これから逢瀬のときというわけだった。

「暴れてへやを壊していたころとは大違いだな」

「そんなこともありましたか」

「おれは船を壊されたことを忘れぬぞ」

「私も、もう子どもではありませんから」

 楊広は白い歯をみせた。

「ばかめ、十一歳はまだ子どもだ」

 そう、子どもだからごまかしがきく。楊広のぜいたくを隠しきれず、万が一、不自然なことになったとき、側仕えの翼の幼さが役に立つ。

「妃の教育のたまものだな」

 離れでお楽しみのとき、楊広は妻に翼の教育をさせる。妃は楊広の不貞をしらない。ろくでもない夫である。

「今日はあたらしい先生を紹介してくださるそうですよ」

 外から女たちの談笑の声が聞こえてきた。

「話をすれば、だ」

 戸の外から、伺いを立てる侍女の声がする。

「入って構わぬ」

 楊広の許しを得て、翼は戸を開けた。

 薄いひかりの中に、たおやかな姿がある。薄桃色の唇、品のある控えめな眼差し。小柄で、清廉な蓮の花そのものだった。

 楊広の正妻のしようである。

「まちきれなくて来てしまいました。そろそろ翼を寄こしてくださらないと」

 夫の不貞などすこしも疑ってもいない様子で言う。翼は簫妃に深く礼をした。

「もうしわけございません。殿下が目を通される文書を整えていたのですが、私ではまだ分からない言葉も多く手間取ってしまいました」

 机上には、それらしい文書が積み重なっていた。

「まあ、もうお仕事のお手伝いまでできるようになったなんて。こんな童子は、ほかにおりませんわ。ね、あなたもそう思うでしょう」

 簫妃は、背後に控える侍女に同意をもとめる。

「ええ、奥さま」

 目を細めて答えたのは護秋だ。今は、簫妃の侍女をつとめている。

「では、まいりましょう。ご公務の邪魔をしてはいけませんものね」

 簫妃にともない、翼は離れを後にする。

「もうすっかり側仕えらしくなって。江都へ帰りたいと大泣きをしていたころが嘘のようです」

 翼は頬をふくらませる。

「奥さままでそんなことをおっしゃる。ずっと前のお話でございましょう」

 翼が楊広に仕え始めたのは三年前、まだ八つのときだ。忘れもしない。楊広に引き取られることがきまった日、泣いて暴れた翼に、簫妃は菓子を食べさせてくれた。

 以来、簫妃は翼を宮廷の歌い手にするべく、さまざまな教育をほどこした。礼儀については、簫妃がみずから教えてくれている。

「奥さまのご指導のおかげで私も変わったのですから」

 簫妃は、すでに滅んだりようの皇帝のむすめだ。

 梁は南朝の流れをくむ小国で、北朝と陳との間に挟まれたあたり、長江の中流域にあった。今は隋に併合されて消滅したが、中華の貴族文化を、遊牧民のながれをくむ隋につたえている。作法の先生として、これ以上適切な人はいない。

 あるきながら簫妃は翼とならび、ちいさく首をかしげた。

「また背が伸びましたね。新しい服を縫わなくては」

 翼はたいせつなものを抱きしめるように、両手でうわぎの胸のあたりを押さえた。

「縫っていただいたばかりのものです。まだ十分着られます」

 簫妃が次から次へと服をよこすので、翼の私室は服であふれていた。

「あなたにはふさわしいものを身につけてほしいのです。東宮でも、街中でも、翼を連れてあるくと、みなが振り向くでしょう。こんなきれいな少年はいませんもの。わたくしは鼻が高くて」

「人がみとれているのは奥さまでございましょう」

 母屋へ登る階段に差し掛かり、翼は簫妃に手をさしだした。簫妃の手をとり、階段を上がっていく。つかみ損ねてしまうのではと思うほど肌は滑らかで、ふれるたびに緊張する。

 へやは火鉢で暖められていた。翼の教育のために用意された書斎で、中はひろい。書棚や、食事作法をまなぶための卓や食器も備えてあった。

「間もなく新しい先生がおいでになりますから、それまで待ちましょう」

 卓についた簫妃のひざに、護秋が綿入れをかける。それから空気を入れかえるため、窓をすこし開けた。

 窓から見える庭がしろい。季節はまもなく春。葉を落とした樹木は寒々しいが、あと数日もすれば梅の花が香るようになるはずだ。

 新しい師は到着が遅れているようだった。手持ち無沙汰になり、簫妃が思い出したふうに語りだす。

「わたくしがどのような流れで嫁いだか、話したことがあったかしら」

「いいえ」

 翼は簫妃のそばに控え、答える。

「じつは、わたくし二月の生まれなのです」

「二月……ですか」

 南方では、二月に生まれた子は忌避される。

「生まれてすぐに叔父の家に引き取られて。その叔父夫妻がなくなってからは、叔父の親族の世話になりました。街の民と変わらない貧しい暮らしでしたよ」

 ――それでか。

 翼は心中でなっとくする。尊い生まれのわりに、簫妃は倹約家だ。ぜいたくといえば、翼に物を贈るくらいで、幼いころから慎ましい暮らしに慣れているのだろう。

「でもあるとき、人生がかわったのです」

「殿下とのご婚礼ですか」

 翼が問うと、簫妃は少女のように顔をほころばせる。

「そのとおりです。隋から次男の妃にと、梁の皇帝の娘たちに縁談が持ちかけられました」

 南朝の梁のむすめであれば血筋も好ましい。品行方正な次男にふさわしいと、楊広の父母は思ったのだろう。

「ですが、御所で占うと宮中にいるどの娘も不吉な結果が出ました。それでわたくしが宮中へ呼び戻されたというわけです」

「それは……」

 たんに、梁の皇帝がほかの娘たちを手放したくなかっただけではないのか。翼は言葉を胸におさめ、にこりとわらった。

「その占い師は、ほんものだったのですね」

「はじめて、あのひとをみたときのことは忘れません。この美丈夫がわたくしの夫なのかと、息を呑みました」

 楊広の裏の顔を簫妃は知らない。知らない方が幸せだろう。

「それにしても遅いですね」

 簫妃は庭のほうを見やる。

「あたらしい先生とはどういうお方なのです」

 護秋が問うと、簫妃はちらりと書棚へ視線をおくった。

「翼に学問を教えてくださるの。とても優秀な方よ。どなたかは、会ってからのお楽しみ」

 外で侍女の声がする。

「奥さま」

 しかし現れたのは侍女のみだ。侍女は小走りで書斎へはいり、簫妃に耳打ちする。

「ふたりとも、ここで待っていてくださいね」

 不測の事態でも起きたか、簫妃は言い置いて侍女と書斎を出る。

 護秋とふたりきりになり、翼はつぶやいた。

「先方の都合でもわるくなったのかな」

「そうかもしれませんね。いったいどなたなのでしょうね」

 護秋は火鉢の炭の位置を、棒でずらす。

「そういえば、護夏に赤子が生まれたそうよ」

 思い出したように、護秋が顔を上げた。

「それはめでたいや」

 翼が楊広に仕え始めたころ、護秋は双子の護夏と護春を嫁がせた。

 一方、護冬は嫁ぐのをいやがり、しばらく翼たちと簫妃のもとで仕えていた。昨年八月に皇后が亡くなったのを機に、女官としてえきていきゆう(後宮)へ入っている。

「護冬にも良縁をみつけてあげたのに」

「宮中なら書物を読ませてもらえると思ったんじゃない?」

 正直なところ、愛想のない護冬が家庭を持つ姿が想像できなかった。

「護秋姉さんこそ、けっこんしないの?」

 護秋はきれいになった。手のあかぎれはなくなり、表情もやわらかい。

「おれはもうひとりでもやっていけるしさ」

 護秋はまばたきをし、声を立てて笑う。

「そんな口をきくようになったなんてねえ。私も肩の荷がおりたかしら」

「そうやって馬鹿にする。おれだって――」

 口をとがらせて言うと、荒々しい物音が庭から聞こえてきた。ただならぬ様子に、護秋が立ちあがる。翼は護秋の腕を押さえた。

「護秋はここにいて。おれが様子を見てくる」

 

 

「小童めっ」

 声のするほうへ翼は駆ける。

 建物の角を曲がり、庭へ踏み込んだときだった。

「わっ」

 飛んできた青年の身体に巻き込まれ、翼は背から地に叩きつけられる。

「これは、すみません」

 青年は慌てて身体をどかしたが、すぐに腹を押さえてうずくまった。

 起きあがる翼の前に立ちはだかったのは、熊を思わせる大きな身体――ぶんじゆつだ。屋敷への出入りを許されている、楊広の数少ない側近である。そのこめかみには青筋が立っていた。

「女人の住まいをのぞくとはなんたる無礼」

 宇文述の背後で、簫妃が気ぜわしそうにしている。おろおろとした声で訴えた。

「のぞきではありません。翼に学問を教えていただくために、わたくしが呼んだのです」

「なんですと」

 宇文述の身体がのっそりと背後を向いた。

 翼は、すぐそばで腹を抱えている青年を見る。簫妃が招いた先生とは、この男のことらしい。細身の身体には不釣り合いなほど立派な鬚をたくわえている。風貌は知的で、三国志演義の諸葛孔明をおもわせた。

 この男に見覚えがある。記憶をさぐり、すぐに思い至った。

 ――ようげんかんだ。

 おなじ楊姓でも、隋朝楊家とは血縁関係にない。熊の宇文述と対立している重臣のようの息子である。

 宇文述はおのれの勘違いに気づいたらしく、ばつがわるそうにした。

「簫妃、あなたさまはいずれ皇后となられるお方。このような下賤で軽薄な歌手に熱心になられるのはいかがなものでしょう。あらぬ噂のたねになりますぞ」

 それまで不安げに様子を見守っていた簫妃の顔から、すっと表情が消える。

「もう一度、おっしゃい。だれが下賤で軽薄な歌い手ですって」

 簫妃の変わりように、宇文述はたじろいだ。

「これは言葉が過ぎました」

 簫妃は翼への侮辱が許せなかったらしい。毅然とした口調で言った。

「翼が国にとって定めの星であることは、すでに隋朝の臣には知らしめたはず。宇文殿こそ、おのれの子の不始末を恥じるべきでしょう」

 ――不始末?

 朝廷の事情にうとい翼には、簫妃が何を非難したのかが分からない。それは後ろめたい出来事らしく、宇文述は窮屈そうに肩をすぼめる。

「返すことばもございません。殿下に用があってまいりましたが、日を改めましょう」

 あらためて簫妃にわび、宇文述は大きな体躯をゆらして去っていく。

「いてて」

 宇文述のすがたがみえなくなって、ようやく楊玄感が起きあがる。服には宇文述の靴のあとがくっきり残っていた。

 翼は楊玄感のもとへ駆け寄った。

「医師をお呼びしますか?」

 宇文述の蹴りを腹に食らったらしい。蹴りでも突きでも、宇文述の一撃は身体の芯にくる。大興城へ来たころは、翼も宇文述のげんこつを食らってひどい目にあった。

「問題ありません。これでも戦場へ出ることもありますから」

 猛将楊素の息子となれば、戦での経験も積んでいる。痛そうにしていたのは、そぶりだったらしい。

「君が翼ですね。よろしくお願いいたします」

 楊玄感は胸の前で両手をあわせて礼をする。師から先にあいさつをさせてしまい、翼はあわてて拝礼をする。

「未熟者ですが、ご指導のほどどうぞよろしくお願いいたします」

 楊玄感は翼の手を取り、立ちあがらせた。

「私も勉強中の身ですから、そうかしこまらないで」

 やり取りをみていた簫妃が満足そうに言った。

「では、ひげ先生をご案内しましょう」

 ひげ先生、というのはしっくりくる。ひげのうつくしいぜんこうといえば、まず三国志演義の関羽が思い浮かぶ。けれど楊玄感の風貌はやはり諸葛孔明だ。

「わたくしたちがいては、気が散るでしょうから」

 書斎へ戻ると、簫妃は侍女たちと去っていった。ふたりだけになると、楊玄感は翼と向きあって座る。

「聞きたいことがありそうな顔をしていますね」

「いえ、その」

 どうして分かったのだろう。簫妃から学んだ作法のとおり、心の内を顔にださぬようしていたつもりだったのに。

「疑問を抱えたままでいるのは、気持ちが悪いですよ」

 お見通しとわかり、翼は口をひらいた。

「先ほど簫妃がおっしゃっていた話です。宇文家のご子息の不始末とは何なのでしょうか」

 楊広の側で仕えるため、まつりごとに関わることには興味を持つようにしている。しかし、東宮と楊広の私邸しか行き来のない翼には、ものを知るにも限界があった。

「そのことでしたか」と楊玄感は納得した顔をする。

「宇文殿の息子さんたちは、お役目で不正を働きましてね。その、なんといいますか、宇文殿が権力でもみ消したのです」

「そういえば、殿下が宇文家にはでぶ……ふくよかな三兄弟がいると」

 熊の息子には、のろまの三兄弟がいる――と、楊広が散々な言いようをしていた。

 楊玄感は艶やかなひげを撫でてわらう。

「でも私は、宇文殿がきらいになれないのです。偉くなられたというのに、いまだに戦場では斥候を買って出る」

 宇文述は熊の二つ名にふさわしい蛮勇をふるっているが、先ほども自分に非があるとわかるや簫妃に謝った。

 あれで根は素直なのかもしれない。

「それに、宇文殿がわが父を毛嫌いするのも、分からないのではないのです。わが楊家も潔癖というわけではありませんから」

「といいますと?」

 政情の裏話などなかなか聞けない。翼は身を乗り出していた。

「きみは十一歳になったのでしたね」

 興味津々の翼を前に、楊玄感は考えるふうに宙をみる。

 どうやら、血なまぐさい話らしい。

 

(つづく)