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「まあ、話してもよい年齢でしょう。しよくおうが捕らわれた話は知っていますね」

 蜀王ようしゆうは、楊広の弟だ。

 素行がわるく、皇太子が長男から次男へ代わったのを機に、皇帝が蜀から御所へ呼びつけた。新しい皇太子に忠誠を誓わせるためである。

「父は、蜀王が京師へもどるや、罪を捏造して幽閉の身にしました。皇太子殿下の地位を安泰とするためです。ですが、そんな策を弄せずとも、蜀王は色々と問題を起こしていましたから、正当な手続きで罪に問えました。今の父は、殿下の歓心を得るためなら、なりふり構わぬ有様です」

 楊広を支える重臣に、宇文述と楊素の二大勢力がある。楊素は、すこしでも優位に立つために必死なのだろう。

「父も焦っているのです。宇文殿は皇太子殿下のご友人、しかも、殿下は大切なひめを宇文三兄弟のひとりへ嫁がせています。わが楊家はどうしても不利になる」

 ――同姓不婚。

 おなじ姓をもつ家同士では、婚姻関係になれない。楊玄感がいかに優秀であっても、隋の皇族のむすめを妻とすることはできない。

 もしや――。

 翼は楊玄感が師として選ばれた経緯が分かってきた。

 楊玄感を、翼の師にするよう仕向けたのはおそらく楊広だ。宇文家と楊家の力関係を調整するために、楊玄感を屋敷に出入りできる立場に取り立てた。

 楊広は好色漢だが、ばかではない。

「疑問がとけたところで、今日の講義を始めましょうか。まずは詩経を」

「はい、先生」

 翼は笑顔でこたえ、書物をひらく。

 ――油断は禁物だ。

 楊玄感の講義を聴きながら、翼は楊広が皇太子に立てられた頃の出来事を思いかえす。

 忘れもしない人生最大の屈辱の日、楊広預かりの身となって大泣きをした日の翌朝のことだ。

 翼の枕の下に文が置かれていた。書かれていた文面は短かった。

 

『お前を呼んだのは私です。

 私にはお前が必要なのです。

 楊広を生かしておくわけにはいきません』

 

 差出人の名を見て、翼は驚きに胸を打たれ、同時にその大物の名に勇気づけられた。相手と翼の望みはおなじだ。

 ――楊広を廃太子にする。

 その大物は、楊広を恨んでいる。翼も、楽団を利用した楊広が憎い。楊広を陥れるため、ふたりは手を組んだ。

 翼は大物の正体も、楊広を廃太子にする目論みも、護秋に明かさなかった。護秋に話せば、楊広の耳に入る恐れがあるからだ。

 もちろん、翼は護秋の望みどおり天子の歌い手になるつもりでいる。しかし、その天子が楊広である必要はない。

「翼、聞いていますか」

 気づくと、楊玄感が翼の顔をのぞきこんでいた。

「『すくすくと伸びたわかよもぎ、おとなになればかたよもぎ』ですね」

 なんだ、と楊玄感は長いひげをゆらす。

「もう言い回しが頭にはいっているのですね」

「私は歌い手ですので」

 翼は口もとをゆるめ、目をほころばせる。こうすると、花がひらくような笑みになると、自分で知っていた。

「言われてみれば、そのとおりでした。では残りをそらんじてください」

 はい、と翼は子どもらしい返事をする。

「かわいそうな父母よ、わたしを産んで苦労して――」

 詩経を口ずさみながら、翼は隠し部屋で妾と逢瀬を楽しんでいるであろう男の顔を思い浮かべる。

 相手は、実の兄から皇太子の座を奪った策略家だ。楊広が隙をみせる好機を、慎重に待つしかない。

 

 

 翼が戸をしめたとたん、女のうめき声が漏れきこえた。

「んっ」

 つづけて低い男の声がささやく。楊広の声である。

 翼は周囲に気をくばりながら、堂の前から離れる。

 いつものように、楊広の逢瀬の段取りを済ませた。ただし今日は場所がちがう。簫妃が外出しているからか、離れではなく日当たりのいい正堂を支度するよう命じられた。

 隠し部屋ではないから、外で見張りをせねばならない。人払いはしてあるが、念のため堂の周囲の庭をたしかめて回る。

 ――こそこそ隠れてよくやる。

 天子即位は、楊広の悲願だろう。

 好色と分かれば、これまで貞節でとおしてきた分、皇帝の心証もわるくなる。立場にも影響するのに、手の込んだ細工をしてまで女色を楽しもうとする気持ちが分からなかった。

 ――女人の好みもよく分からないんだよな。

 相手は美女にかぎるというわけでもない。容姿も気性もばらばらで一貫性がない。

 ただ一点、共通していることがある。楊広は、自分に好意を示した女人にしか興味を持たない。そのほうが扱いやすいからなのか、それとも……。

「意外と自信がないのかもしれないな」

 思わず声を出して笑った。

 堂のまわりを一周して、ちょうど正面の庭へもどったときだった。翼よりふたつ年上の従僕が庭の門にあらわれる。あたりを見回し、翼を見つけるなり駆け寄ってきた。

「翼、たいへんだ」

「堂には近づかぬよう、言いつけられてるだろ」

「それどころじゃない。こんなときに家令が不在なんて」

「なにがあったんだ」

 従僕は息を弾ませて言った。

「陛下のごらいだ。馬車で厩へお越しになった」

 家事を差配する家令は、昨日から泊りがけで絹の買いつけに出ている。そのうえ、簫妃が屋敷の侍女や従僕を伴って外出しているから、屋敷内の使用人もほとんどいない。

「そいつは一大事だ」

 様々な考えが、瞬時に翼の頭の中をかけめぐる。

 翼は覚悟を決め、従僕に言い含めた。

「おれ、殿下にお伝えして、陛下をお迎えするよ。お前は客間の支度をしてくれ」

 ――これは好機だ。

 今、楊広が痴態をさらせば、皇帝も皇太子にふさわしいか考え直すに違いない。

 このまま楊広には知らせず、皇帝を出迎える。翼は心を奮い立たせて、厩のほうへ駆け出した。しかし、すぐに足をとめる。

 ――不貞くらいで皇帝の考えが変わるだろうか。

 不貞といっても、楊広の相手は身分のひくいはしためだ。そのうえ、一夫一妻の誓いを立てた皇后が亡くなって以来、皇帝自身も妃を複数そばに置くようになった。

 ――勇み足はよくない。よく考えろ。

 楊広をあなどるべきではない。あの男ならうまく乗り切る。ここで楊広を陥れるのは得策ではなく、むしろ危機を知らせなかったことで忠誠を疑われる。

 ――楊広を陥れるのは、今じゃない。

 翼は思い直して、堂へ舞い戻る。

 前庭の門に踏み込んだ翼は、その光景に目をうたがった。

 黒木の正堂の前が一か所だけ白い。堂の前でひざまずいてるのは楊広だった。白いと思ったのは、身にまとっているのが喪服だったからだ。

 翼は呆然として立ち尽くす。

 ――こんなにはやく支度ができるわけないか。

 つい今しがたまで、楊広は妾とたわむれていた。

 だれかが、翼のしらぬうちに楊広に報せたのだ。しかしだれにそんなことができただろうか。従僕は客間へ向かわせており、堂に近づけてはいない。堂から厩までの道で、翼はだれにも会わなかった。

 楊広には間諜がいて、皇帝の動きを見張らせているとしか考えられない。

 ――あぶなかった。

 楊広は堂の前へ駆けこむ翼の姿を見ているから、急いで報せに来たと言えば説明はつく。

 翼を見た楊広が、したり顔で笑った気がした。

 複数の人が近づく気配に、翼は振り返る。

 薄曇りの日差しの下、あたりが急に明るくなったように感じた。

 皇帝が妃たちをともなって現れる。白粉おしろいのかおり、玉や翡翠をあしらった金銀のかんざし、よりすぐりの美貌。あらゆる美が溢れ、色のない冬の庭へ流れ込んでくる。

 以前の質実な皇帝からは、想像もできなかったほどきらびやかな一行だ。

 中でもひとり、際立った美女がいる。

 皇帝の一番の寵妃、せん夫人だ。

 瞳は黒々と輝き、白く品のある肌は真珠を思わせる。陳の最後の皇帝の妹にあたり、陳がほろんだ際に隋の後宮へはいった。

 皇后亡き今、皇帝はこの宣華夫人を溺愛し、後宮の管理を一任していた。

「皇帝陛下、万歳万歳万々歳」

 翼は天子来駕の寿ぎをのべる。

「陛下、宣華夫人におかれてはご機嫌麗しゅうございます」

「翼か。また背が伸びたのではないか」

 両手を重ねて礼をする翼に、皇帝は目をゆるめる。

「近くに来たので立ちよった。広や夫人はおるか」

 翼は満面の笑みで応えた。

「旦那さまがお待ちです」

 翼は、前庭へ皇帝を案内する。楊広は皇帝の姿を認めるや、近づいて出迎えた。

「父上、ようこそおいでくださいました。ちょうど母上の供養で読経をしておったところです」

 髪も衣服も乱れていない。しずかな風情は、いかにも故人を偲んでいたかのようだ。仏事につかう白檀のかおりがして、なぜ楊広がこの香を指定して焚かせていたのかを、翼は今になってさとった。

「うむ、広は感心だな」

 皇后が亡くなってまだ半年もたっていない。妃たちに囲まれ、皇帝はどこか居心地わるそうにしている。

 翼は、一行を客間に案内した。しかし、喪服の楊広と華やかな妃たちでは、どうにもそぐわない。気まずい空気を感じてか、宣華夫人が背後に控える侍女にもちかける。

「護冬、つもる話もあるでしょう? 翼と遊んでいらっしゃい」

「はい、奥さま」

 前に進み出たのは護冬だ。後宮の女官になった護冬は、宣華夫人のずいじゆうとなっていた。

 楊広も翼をうながす。

「翼、お言葉に甘えなさい」

「はい、殿下。皆さまに感謝いたします」

 翼と護冬は、そろって主人に礼をして、堂を後にする。

 いつ声が掛かってもいいように、翼と護冬は客間のちかくで皇帝の帰りを待つことにした。寒空の下、翼は庭の岩にしゆきんを敷いて護冬をすわらせる。

「護秋姉さんがいればよかったのに、奥さまの御用で出かけているんだ」

 ひさしぶりに見る護冬は小さく見えた。翼の背が伸びたのだ。前は同じ高さに視線があったのに、今は翼が見下ろしている。

 色白の顔が、翼を見上げた。

「翼、げんき?」

 表情のとぼしい顔も、ぽってりとした唇もすべてがなつかしい。翼の顔から、しぜんと笑みがもれる。

「うん、風邪ひとつ引かない。護冬は?」

「たのしくやってる。毎日が夢みたい」

 もとは琴弾きだったが、今は楽器にもふれていないようだった。宮中のくらしが肌にあっているようで、無口の護冬にしてはめずらしくよくしゃべる。

「でも、陛下のお身体がすこし心配。毎日、お渡りがあるから」

 噂にたがわず、皇帝は宣華夫人をそばから離さないらしい。皇后が生きていた頃には考えられないことだった。

「寝室でご公務を執る日もあるくらいよ」

「それじゃ、陳の後主みたいだ」

 陳の最後の皇帝は公務の最中も妃とまぐわっていたという。ほんとうなのかどうか、街中で大人たちが噂していた。

「それからね」と護冬は声をひそめる。

「皇太子からの贈り物が、宣華夫人のもとへ頻繁に届くの」

「へえ」

 それは翼も知らなかった。楊広は、義母となった宣華夫人を味方につけておきたいのだろう。それほど宣華夫人の影響力は強まっている。

 急に護冬が立ちあがった。

「もうお帰りみたい」

 客間の戸が開き、随従らの手引きで、皇帝と宣華夫人が外へあらわれる。まだ二刻(約三十分)もたっていない。息子が皇后を供養しているところへ寵妃と乗り込んだのだから、さすがに皇帝も居づらかったのだろう。

 翼は、主人のもとへ向かおうとする護冬の腕をにぎった。

「護冬、無理はしないでね」

「大丈夫よ」

 護冬はわずかに目をほそめる。笑ったのだ。宣華夫人のもとへ、小走りで駆けていく。

 翼は楊広にともなって、皇帝一行を門前から見送った。

「冷えてきたな。翼よ、茶をたのめるか」

「どちらにお持ちしますか」

「正堂へ。書物を棚に隠したままなのでな」

 楊広はしれっという。正堂のどこかに妾を潜ませたままなのだろう。

「かしこまりました」

 翼は笑顔で応じる。茶といったのは楊広の隠語で、温めた酒をさす。翼は厨へ入り、さめた気持ちで支度に取り掛かった。

 ――おれは楊広を出し抜けるんだろうか。

 堂へ酒を届けた翼は、外で見張りに立った。

 従順を装い、うまくやってきたつもりだった。しかし楊広のほうがうわてで、心の中を見すかされている気がする。

 考え込んでいるうちに、逢瀬のときがおわる。翼は、いそいで酒器を厨へはこんだ。夕刻には簫妃が帰宅するから、それまでに一切を片づけておかねばならない。

 使用人の小屋の前を通りがかったときだった。

 だれもいないはずの小屋から物音がする。物盗りかと疑って戸の隙間からのぞくと、見覚えのある茶色の髪が見えた。

「護秋姉さん?」

 翼は声をかけてから、戸を開けた。

「なんだ、てっきり奥さまと出かけたものだと思ってた。さっき、護冬が来たんだぞ。せっかく会えたのに――」

 ござに座っていた護秋は慌てて、スカートのすそで足もとを隠す。しかし、翼の目は足首をつたう血をとらえていた。

「どうしたんだ、それ」

「なんでもないのよ」

 月のものだからと、護秋は手をふって翼を追い払おうとする。

「うそ言うな」

 そばに置かれた桶に、血がたまっている。低い卓の上に独特のにおいのする粉末が散っていた。楊広の命で手配したことがあるから、翼はそれが何か知っている。屋敷の妾たちが、望まぬ子を授かったときに飲む薬だ。

「楊広か」

 自分でも驚くほど低い声が出た。

「相手は楊広だな」

 護秋は答えない。

「あいつ、ただじゃ済まさない」

 たちあがると、強い力で護秋が翼の腕をつかんだ。

「やめて」

 目はつりあがり、頬は不安ではりつめている。こんな護秋の顔は見たことがない。

「おれのためだよね。おれがここにいられるように、あいつの言うことを聞いたの?」

 ところが護秋は、きっぱりと言う。

「ちがう。私からだから」

 迷いのない口ぶりに、翼はとまどう。

「流されたわけでもないし、自分で決めたこと」

「あんな男のどこが――」

 江都にいたころの護秋は身持ちが固く、男を寄せつけなかった。その護秋が、楊広に身をゆだねるなんて信じられない。

「お願いだから。だれにも言わないでね」

 おびえた様子で、護秋は翼に懇願する。翼は言葉をやわらげた。

「大丈夫、おれは護秋姉さんのいやがることはしないよ」

 護秋の背を撫でてやる。なにか身体を温めるものが必要だ。子が流れたあとに、寒い寒いといって亡くなったむすめを知っている。

「あなたを宮中に入れるまで、私は失敗できなかった。でもこうして無事にあなたを皇族のもとへ届けることができた。私も肩の荷がおりたの」

 だから、護秋は冒険した。過ちをおかす自由を手に入れたからだ。

「おれをみて。もう一人前だろ。護秋姉さんは自由だ。すきな相手を見つけてくれたなら、こんなにうれしいことはないよ」

 護秋の顔がゆがむ。子どものように小さくなって、母親代わりの女は泣いた。

 翼はその背を抱きしめ、決意をあらたにする。

 ――楊広を許さない。

 

 

「殿下でも緊張なさるのですね」

 翼は楊広のうわぎの帯を締める。楊広は翼を見おろし、呆れ声で言った。

「礼儀作法は身についても、生意気な口だけは直らんな」

「私は案じているのです。すこしお休みになられてはいかがですか」

 窓の外の樹木が葉擦れの音を立てた。夏物の衣服ではもう肌寒い。楊広の背に羽織のだいじゆを掛けてやった。

「なんだもう眠くなったのか。がきは寝るのが早いからな」

「心配して申し上げているのに」

 皇帝の崩御がちかい。

 楊広にしてはめずらしく、気が張っているようだった。

 療養のため、皇帝は大興城から西北にあるじん寿じゆきゆうにうつっていた。陳を平定してから造られた離宮で、落成の際に皇帝が顔をしかめたほど贅をこらしている。しかし健康を損ねてからは、逆にこの壮麗さが気に入ったらしい。

 近しい妃や皇太子も仁寿宮に入り、交替で皇帝の看病に当たっていた。

「以前は、一夫一妻を誓った父上を愚かだと思っていたものだが。今思えば、母上が目を光らせていたおかげで父上は心身すこやかであられたのだな」

 皇后が亡くなり、皇帝は宣華夫人を寵愛した。加減を損ねたのは女色のせいだ。

「殿下もすこしお控えになっては」

「気をつけることにしよう」

 ふと楊広が、首をかしげた。

「お前、風邪でもひいたか」

「いいえ」

「そうか、お前も十二だものな」

 翼はすこし声変わりをした。前とおなじようには歌えなくなってきている。翼が答えずにいると、楊広は短く息をはいた。

「安心しろ、歌えなくなっても翼星は離さぬ」

「なぜ殿下は翼星にこだわるのです。迷信はお好きではないのでしょう」

 考えてみれば不可解だ。もし翼が少女であったのなら、楊広が執着するのも理解できる。だが翼は男で、楊広は女人にしか興味がない。

「それは――」

 楊広が口をひらいたとき、外から声がした。

「殿下、よろしいでしょうか」

 護冬だった。

「なんだ」

 戸口から色白の顔が見える。護冬が翼を気にするふうな仕草をみせるので、翼は部屋の端へ控えた。

「失礼いたします」

 護冬は楊広のそばへ寄り、声をひそめた。

「内々に、西へご来駕を賜れますでしょうか」

 西には、皇帝の妃の宮殿がある。楊広は察したように、目で応えた。

「翼はここで控えていろ。父上に異変があればすぐに知らせるように」

 護冬をともない、去っていった。

 戸の閉まる音を聞いた翼は、脱力する。

 ――さすが護冬だ。

 しぜんな流れで、楊広を誘い出した。

 今日、翼は楊広をおとしいれる。皇帝の死がちかづいており、最後の手に出ることにしたのである。

 楊広が招かれた宮殿では、ある妃が待っている。

 この仁寿宮で楊広は皇帝の妃たちと、頻繁にやり取りをしてきた。その妃に誘惑されれば、楊広はかならず落ちる。

 もしそこで楊広に乱暴されたと、妃が訴えたらどうなるか。その妃が皇帝の一番の寵姫だとしたら?

 皇帝はまちがいなく激怒する。

 翼は窓から、護冬が楊広を案内する姿をみやった。

 楊広を待ち受けるその妃こそ、翼を京師へ招いた張本人だ。

 皇帝の寵妃――宣華夫人である。

 宣華夫人は、故国の陳を滅ぼした楊広を憎んでいる。

 陳には張貴妃という琵琶が得意な翼星がいたから、宣華夫人は翼星が何であるかを知っていた。そして、楊広が陳の翼星をほしがっていたことも知っている。

 江都に、翼のあざを持つ少年の歌い手がいると聞きつけた宣華夫人は、楊広への嫌がらせを思いついた。

 翼星を兄の楊勇のもとへ送る――。

 しかし、おのれの名が表にでるのは避けたい。それで皇太子の名をかたって、大興城へ呼び寄せたのである。

 ところが楊勇は廃太子となり、あろうことか翼星は楊広のもとへ渡った。

 憤慨した宣華夫人は、立太子の祝いを送る使者に翼への伝言を託した。翼も思いは同じで、ふたりは手を組んだ。

 窓から、楊広と護冬の姿が見えなくなった。

 

(つづく)