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 は、と思わず怪訝な声が出そうになったところを、慌てて抑える。話を聞くに、山根と嘉奈島家の関係はただのご近所さんだ。どちらかといえば良好な関係を築けていない方の。それなのに、その家の娘を勝手に連れ出したというのは、常識では考えられない。一歩間違えたら誘拐だ。

「そうしたら父親が烈火の如く怒ってさ。あのときは本当に殺されるかと思ったね。羽海ちゃんはむしろ映画の撮影が見たいって、俺に感謝してたくらいだったのに。それなのに結局芸能人になるんだから、なんだかなって感じだよ。だったら最初から俺に任せておけばいいのに」

 現実的には、映画の撮影隊に地元の可愛い少女を見せたところでスカウトされることはないだろう。

 そこで見初められたところで北海道を離れて芸能活動をするのは現実的じゃない。それなのに、山根は何も考えずに羽海を連れていこうとしたのだろうか。全てが短絡的すぎる。

「でもさ、羽海ちゃんが言ったんだよ。こんな機会無いかもしれないから、映画の撮影を見に行きたいって。お父さんは駄目だって言うけど、自分は行きたいんだって」

 山根は目の前の純哉に言い訳するかのように口を尖らせる。遥か昔のことを、改めて純哉に肯定して欲しいかのようだ。もっと言えば、予想通り芸能人になった嘉奈島羽海を見て、自分は間違っていなかったのだと思っているような節すらある。純哉はどう反応していいか分からず「それは大変でしたね」と、何の意味も成さないことを口にする。

「あれは親父さんがおかしくて、駄目になっちゃった、パターンだな。羽海ちゃん、よくわからん男と一緒になってデキ婚するってんで、騒がれてるでしょう。あれは父性の欠落なんだよ。ああやって束縛されてきた子が、父親の代わりを求めて、年上の男に行くんだね。昔っからそうよ」

 また先程の訳知り顔だった。嘉奈島羽海のことなんか殆ど知らないくせに、SNSとは無縁の山根ですら、まるで彼女の専門家のように語る。

「お父さんがどこにいるか分かりますか? もう嘉奈島羽海さんとは交流が無いんでしょうか」

「そこまで言われると分からんね。でも、あの子の父親って仕事でやらかして、地元を離れてるんだよ。だから、その時に羽海ちゃんだけ、親戚に預けられたんじゃないの? ほら、あの子ん家、いなかったからね、母親」

「そうみたいですね」

 初めて明かされた話だったが、純哉は知っているふりをした。羽海が頑なに自分の家族関係について話をしないということも、事務所からの差し止め対象にかかるものだろう。今のところはその裏付けが、山根という得体の知れない近隣住民の証言だけなのだが。

「で、俺の話、どうなるの?」

 楽しそうに山根が尋ねる。純哉が黙っていると、山根は勝手に話し始めた。

「記事に使える? 使えるんなら使ってよ。あそこの父親が全ての原因なんだって。あ、俺の名前、出るなら出るでもう、いいからね。これで、羽海ちゃんがまた連絡してきてくれたら、それってすごいことだよなあ。これ、思い出話だから。お金とかはいいから。お金あげたら記事に出来ないんだろ?」

 過去に記者と同じようなやり取りをしたのだろうか。山根はやけに慣れた口調で言う。

「こういうのって、色々変な力で揉み消されちゃうのかもしれないけどさ。フリーの記者さんならその辺り上手くやれるでしょ。本当に、頑張ってよ。俺、羽海ちゃんが叩かれてるの見て本当に悲しくなっちゃったんだよ」

 山根がそのまままた思い出語りを始めようとしたので、純哉は慌てて制し、代わりに尋ねた。

「嘉奈島羽海の生家がどこにあるか、わかりますか」

「そりゃあ、近所だから。俺んところの近所だから」

 純哉は本人の知らないところで当たり前のように無視される嘉奈島羽海のプライベートを思い、少し背筋が寒くなる。彼女はかつての近隣住民からも、コンテンツにされている。純哉のスマートフォンの中には、れっきとした人間の嘉奈島羽海がいるのに。

 

 嘉奈島羽海の生家には、当然ながら別の人間が住んでいた。山根からの情報によると、元々この家を持っていた家主の稗田という女性だそうだ。

 嘉奈島羽海の家も、本当に普通の家だ。都会のものよりも鋭角な青い屋根に、ぽんと平屋がついている。庭は広くよく手入れされており、何らかの野菜まで育てられていたが、嘉奈島家の趣味ではなく、稗田が育てているものだろう。

 少し悩んでから、純哉はインターホンを鳴らした。インターホンの下には『イタズラ・訪問販売お断り』という手書きの文字が書かれており、うっすらと事情が透けてみえるようになっている。

 押してからしばらく待っていると、控えめな「どちら様ですか?」の声がした。純哉は間髪容れずに先程と同じ嘘を吐く。

「記者の方? うちはそういうのはお断りしてるんです。嘉奈島さんのところにも迷惑がかかるし」

「恐れ入りますが、今嘉奈島羽海さんが受けている過剰なバッシングをご存じないですか。一人の人間に対する扱いとは思えません。僕は彼女に関する正当な記事を書きたいんです」

「バッシング、とかは正直よくわからないの。何か、ニュースになっているのは見たけれど。嘉奈島さんはあんまり……ここ出身だって話もしないっていうから」

 全くとりつく島も無かった。稗田は早く話を切り上げたがっていたが、これで本当に話をしたくないのなら、まず知らない男が来ている時点で居留守でも使っていたはずだ。数秒考えて、純哉は言う。

「もしお話しさせて頂けるのなら、多少のお礼はさせていただきます」

 インターホンの向こう側で、稗田が軽く息を呑むのがわかった。

「お礼、ですか」

「いくらかお包みさせて頂きますので、どうかお話伺えないでしょうか」

 しばらくの沈黙の後に、稗田が言った。

「お上がりください」

 

(つづく)