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「子供の頃の写真が全く出てこないことで、虐待説の次に根強いのが、整形説とか養護施設出身説とかですけどね。結局、それらの可能性を考えるならもっとストレートに、羽海ちゃんの家庭環境におけるありとあらゆる可能性から目を逸らさないでいるべきです」
「……整形はしていないと思います。それに、養護施設出身というのもないんじゃないかと……」
「ですよね。私もそう思います。羽海ちゃんの顔立ちってなんというか自然ですし。整形であの独特の透明感は出せませんよ」
 嘉奈島羽海の顔は、中学生の頃と殆ど変わっていない。そのまま綺麗に成長したという感じだ。だからこそ、過去の写真を出さない理由が分からない。
「羽海ちゃんって高校生の時のクラス写真も流出しちゃっているんですが、その時もこの顔立ちでしたからね。きっとクラスでも人気者だったんだろうな。中学生とか、もっというと小学生の頃の嘉奈島羽海が知りたいですよ、私」
 白瀬知夜は、どんどん複雑な気持ちになっていく純哉を余所にそう締めくくった。
「他にも歌詞とかを深掘りしていくと血の繋がりとか家族の愛情とかを全く信じていなさそうな証拠がどんどん出てくるんですけど、この辺りは『作品と本人は違う』論者に反論されるので。あとは、有名なのだと子供、ですよね」
 白瀬知夜が根拠として挙げている三つ目のもの──子供、を耳にした時、純哉は密かに身を強ばらせた。純哉が殺害を依頼された対象、嘉奈島羽海が何より憎んでいる、子供。
「羽海ちゃんが生放送の島ロケに行った時に、子供達に囲まれたことがあったじゃないですか。よくこれYouTubeとかにも切り抜き転載されてるので絶対見たことあると思うんですけど。その時の羽海ちゃん……すごく子供に冷たかったでしょ?」
 当然ながら、その映像は純哉も観ている。なんなら、嘉奈島羽海はこの件で一度炎上しているので、ファンでは無い人間もこの一件だけは知っていたりもしてしまう。
 嘉奈島羽海が人口二〇〇人前後の小さな島を訪れ、そこで曲を書くというテレビの生放送番組だった。言ってしまえばよくある企画である。嘉奈島羽海はその島の特産品を食べ、伝統の楽器を弾き、嘉奈島羽海は楽しそうに笑っていた。
 だが、そのロケをしているところへ、島のやんちゃな子供達が乱入してきた時に、嘉奈島羽海の態度が変わった。
 彼女はあからさまに顔を引きつらせ、サインを求める子供達のことを振り払うようにして、さっさとロケバスに戻ってしまったのだ。子供達の乱入は想定外だったとはいえ、嘉奈島羽海の対応は生放送にあるまじきものだった。
 よりによって生放送だった為、彼女の対応はそのまま放送されてしまった。そして、あまりにも態度が悪いとして炎上した。
 ファンは突然の出来事に驚いただけとして擁護し、嘉奈島羽海のファンではない人間は冷酷で傲慢だとして叩き続けた。嘉奈島羽海サイドはこれについて何も発信せず、次第にこの炎上自体も落ち着いていった。
 だが、一部の人間は嘉奈島羽海の一連の行動をただの『態度の悪さ』とはみなさなかった。
 それよりももっと深刻な異常さを嗅ぎ取っていた。それこそ、目の前の白瀬知夜のように。
「羽海ちゃんのあの態度は子供を邪険にしてたっていうより、怯えてたんじゃないかと思うんですよ。子供に纏わり付かれて、羽海ちゃんは明らかに怯えてました。だから、羽海ちゃんは子供が苦手なんじゃないかなと」
「子供が苦手だと虐待をされていた根拠になるんですか?」
「そりゃあ直接は結びつきませんけど。無邪気に寄ってくる子供に忌避感を覚えるっていうのが、いわゆる幸せな家庭にいなかったことの証明なんじゃないかなって。羽海ちゃん、子供嫌いなんですよ」
 その推測だけは完璧に正しい。そのことを、純哉はもう知ってしまっていた。嘉奈島羽海はお腹の子供に忌避感を覚えていて、疎ましがっている。かつての同級生に殺害を依頼するくらいに。
「これくらい怪しい部分が揃っていて、羽海ちゃんの家庭環境が良かったとは思えませんよ。現に、羽海ちゃんがこんなに反応してるんですから。そうに決まってる。こんな程度で訴訟とか……あの記事、消せばいいですかね。もう無理か……?」
 純哉は白瀬知夜を半ば薄気味悪く、半ば好奇心混じりで以て見つめていた。訴訟を起こされることの恐怖と、自分の『考察』が合っているかもしれないということへの興奮。それに、今ここで新たな『材料』を手に入れたことへの優越感。それらが全部混ざり合っている。
「訴訟を起こされると困るんです。……息子がいて、中学受験をする予定で。そんな中で母親が訴訟を起こされてるってなったら、ショック受けて受験どころじゃなくなると思うんです」
 やけに不安そうだったのはそれが理由らしい。彼女にとって誹謗中傷訴訟は、数十万の支払い以上の罰になってしまうのだ。それこそ、教師の職を失うかもしれない純哉と同じように。
「……お子さんいらっしゃるんですか」
「います。だから、そうですね。なんというか、羽海ちゃんの心境の変化も分かるんですよ。実際母親になると、家族っていうものに過敏になるというか。やっぱり、子供っていう存在をよくも悪くも意識し続ける生活にシフトするのもあって」
 再び、白瀬知夜の表情が不安げに曇る。さっきから見受けられる情緒不安定のトリガーは、恐らくその息子だ。それが、彼女の異常な熱に冷や水を浴びせている。
「……子供嫌いの羽海ちゃんが子供なんか産んで大丈夫なのかって批判も出ていたじゃないですか。けれど、私は大丈夫だと思うんです。母親になってしまえば、ある程度人は変わるものです。それこそ、羽海ちゃんは歌手としての活動で多分……心の傷を癒やしている部分もあっただろうと思うので。そこで乗り越えられたところも大きいと思うんですよ。だから、産んじゃえばね。いいと思うんですけど」
「産んでしまえば、人間性も変わると?」
「そうなんです。産んでみると、本当に心持ちが変わるんですよ。ああ、だから今回のことも、前向きな変化といえばそうなのかもしれない……」
 それから、白瀬知夜はしばらく押し黙った。その内面を推し量ることはもう出来なかった。
 そこで純哉は、ゆっくりと口を開いた。
「嘉奈島羽海が家族について話したことって、本当に一度も無いんですか」
「……えっと……」
「記事を読んでいる時に気づいたんです。嘉奈島羽海が家族の情報を明かしたことは殆ど無い、と書かれていました。彼女が家族に触れたことってあるんですか?」
 そこで白瀬知夜はハッとした顔を見せた。逡巡するように、彼女の目が左右に振れる。
「……あるにはあるんですけど、証拠となるものが残ってなくて。私の記憶違いだったら、それこそ捏造だとかそういうので燃やされそうじゃないですか。だから──書かなかったんですけど」
 純哉は思わず息を呑んだ。白瀬知夜にコンタクトを取ったのは、それが理由だったと言ってもいい。
 自分の考察記事が正当なものだと信じ込んでいる白瀬知夜が、存在を仄めかしつつも敢えて明言しなかった何かしらの『証拠』。彼女のような熱狂的なファンだけが覚えている、今ではもう風化していそうな嘉奈島羽海の断片。それが、純哉の求めていたことだった。
 ややあって、白瀬知夜は言った。
「……実は、一回ラジオのゲストで呼ばれた時に、羽海ちゃんがするっと口を滑らせたんですよ。なんだったかな……その鳥、お父さんも好きだった、みたいな。そう、家族のことについて語らない羽海ちゃんが、お父さんについて触れたんです。そこから羽海ちゃんはちょっと失言した、みたいな口ぶりになって、自分の発言なのにはぐらかして流しちゃって。……もうアーカイブ残ってないから、記事には書けなくて。そう、羽海ちゃんって、お父さんとは仲良かったのかも、しれないですね」
「その鳥の名前、覚えてますか」
「ウミガラス、だったかと思います」
 名前を聞いても、純哉にはそれがどんな鳥なのかは分からなかった。ただ、その情報はSNS上でも全くヒットしなかった情報だ。
 仮に白瀬知夜の記憶違いだったとしても──何も手がかりがないよりはマシだった。
 もし、嘉奈島羽海が純哉ともう一度会う機会を作ってくるなら、彼女の真意を引き出す情報として使えるかもしれない。
 そこからは、当たり障りの無い──本当にただの嘉奈島羽海のファン同士がするような会話をした。どの曲が好きかとか、どういうきっかけで嘉奈島羽海を好きになったのかなど。
「どうして羽海ちゃんのことを好きになったんですか?」
 ごく自然にその質問をされたので、純哉は短く「姉の影響で」と答えた。

 帰り際にはもう、白瀬知夜には不安の影は無かった。その変わりように、純哉は少し驚く。
「考えてみたんですけど、私の記事を訴えようって思ったってことは、羽海ちゃんは私の記事を読んでくれていたってことですよね」
 それを言う白瀬知夜の表情は、晴れやかでどことなく満足げだった。
「それはそれで、嬉しいのかもしれない。羽海ちゃんが私の書いたものを把握して、目を通して──そうして覚えておいてくれたなら、私の考察が多分合っているってことだろうから。それが届いただけで書いた甲斐があった」
 白瀬知夜の考察が合っているかどうかなんて、純哉には分からない。答えを知っているのは嘉奈島羽海だけだ。
 これだけ嘉奈島羽海について考え、彼女の考えを知ろうとしている白瀬知夜は、嘉奈島羽海が生まれてくる子供を殺そうとしていることなんて、夢にも思っていない。考察の土俵にも上げていない。
 それがなんだかとても恐ろしかった。

 嘉奈島羽海からの次の連絡は、純哉が想定しているよりもずっと早く来た。

 

(つづく)