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(承前)

 

 一蹴されるかと思っていたのに、嘉奈島羽海はむしろ真剣に純哉の話を聞く姿勢になった。カラフルなジョイントマットが敷かれた床にゆっくりと座り、近くにあったクッションにもたれかかる。きっと、身体が重いのだろう。必然的に、純哉は彼女に見上げられる形になった。

「どういうことか、説明してくれる?」

「その前に。僕は、君のお父さんを見つけたんだ」

 羽海は純哉に、両親共に小さい頃に亡くなっていると言っていた。その嘘自体は、嘉奈島鴻一がある程度の年齢までウミガラスの繁殖に対し寄付を行っていたことから既に暴かれていた。その彼が生きているというのは、かなり衝撃的な指摘だと思ったのだが、羽海は溜息を吐いて純哉を見ただけだった。続けて、と言外に促されているようで、純哉はその求めに応じる。

 嘉奈島羽海からの連絡が無かった間、純哉は東京で嘉奈島鴻一を探した。

 死んだとされている人間を探す、という発想は、今までの純哉には無いものだった。ただ、嘉奈島羽海の父親が嘉奈島鴻一という名前であることが分かった以上、手立てが出来たと思った。

 羽幌町まで行って得たものは名前だけだ。でも、その名前すら、海鳥センターに向かわなければ──寄付名簿を検索しなければ分からないものだった。

 それを手立てに、純哉はなりふり構わずヒントを探った。インターネットで嘉奈島鴻一の名前を調べるところから始め、都内で活動していたウミガラス愛護サークルに辿り着いた。

 ウミガラス愛護サークルとは名ばかりの趣味の会が、都内に限っても五つは見つかった。そのうち四つは活動を終了していたものの、HP代わりのFacebook公開グループが残っていて、写真と共に交流の様子が綴られていた。

 十年以上前の記事まで、純哉は黙々と遡った。そうしてようやく、純哉はとある写真を見つけた。

 レンタル会議室でホワイトボードを背に撮った集合写真だ。若い男女が一組、四、五十代らしき男女が四人、老齢の男性が一人。何かしらのゲーム大会でも開いていたのか、ホワイトボードには簡易的なトーナメント表が書いてある。

 その中に『嘉奈島さん』の名前があった。

 純哉はもう一度写真に写っている人物の顔を確認した。一番端で控えめに写っている中年男性に、嘉奈島羽海の微かな面影があった。血の繋がりを感じさせるものだ。

 純哉はすぐさま、そのFacebookの記事に紐付けされていたアカウントに片端から連絡を入れた。自分は嘉奈島鴻一さんにお世話になったウミガラス愛好家の一人で、というそれらしい文面を付け加えると、驚いたことに三人もの人物が返信をしてきた。彼らはまだ聞いてもいない嘉奈島鴻一のことを、あれこれと理由をつけて話し始めた。十年ほど前に自然とこのサークルが解散したこと、それからしばらくはネット上の交流や年賀状の交換などをしていたこと、嘉奈島鴻一が病気になってからはやり取りが途絶えたということ。

 一方で、嘉奈島鴻一が事業に失敗した、あるいは死亡したという話は全く出てこなかった。

 その中で、嘉奈島鴻一と今でも交流がある、という戸庭勇を見つけた時、純哉は比喩ではなく、震えた。

『あなたも会いたいとは思うけども、もう鴻一さん、娘さんのことも分からんみたいなのよ。若いからこそ、進行早かったみたいでね』

「若年性アルツハイマーですか……」

『もしかしたら調子良くて話せるかもしれないし、鴻一さんウミガラス好きだったからね。何か反応があるかもしれない』

 そうして、戸庭は嘉奈島鴻一が暮らしている高齢者施設を教えてくれた。純哉はすぐさまその施設に連絡を取った。

「そちらの施設に入居している嘉奈島鴻一さんにウミガラスの保護についてのお話をしたくお電話させて頂きました」

 躊躇い無く嘘を吐いた。何故なら、この嘘がバレる相手なんて嘉奈島羽海くらいだ。彼女にバレてももう構わなかった。後で何を言われても、今確かめることが先決だった。

 果たして、嘉奈島鴻一は、あっさりと見つかった。

 他人である純哉でも見つけられてしまった。彼は、都内の高級老人ホームにひっそりと暮らしていた。

『嘉奈島さんご本人に心当たりがあるかを尋ねてみてから折り返し連絡させて頂きたいのですが、ご本人が覚えているかどうか、実はもう分からなくて……』

 職員もまた嘉奈島鴻一のアルツハイマー型認知症がかなり進行していることを告げ、それでもウミガラスのことは症状が進む前に何度か話を聞いていたので、繁殖状況のことが知れたらきっと喜ぶだろうことを伝えてくれた。きっと、嘉奈島鴻一のことを一人の人間として扱い、向き合ってその世話をしているのだろう。

 純哉はもう連絡することはないと思いながらも、その話を丁寧に聞いた。穏やかに嘉奈島鴻一が暮らしていることが知れ、喜ばしかった。

「お父さんは生きてたんだね」

 嘉奈島羽海はなおも、動揺しない。

「そうだね。でも、生きているかって言われるとどうかな。私の事も、もう分からないし」

「子供のことは、お父さんには報告してない?」

「一応言ったけど、よく分かってないみたいだね。名前は羽海って名付けるんだって言ってた。多分、私がお母さんに見えてる」

 彼女に悲しんでいる様子は無かった。もうその段階は通り越しているのだろう。嘉奈島羽海はただ、認知症を患ってしまった父親の話をしていた。そこには確執も愛憎も、何も見て取れなかった。

「……生きてることが、ファンには知られてないんだな」

「そうだね。母親のことだってぼかして話してるし、敢えて話さないようにしてるから、みんなうっすら死んだと思ってる」

「ただでさえ、嘉奈島羽海は家族のことに触れない歌手だから」

「それも、元々は事務所の戦略だったんだけどね。今の時代なら、家族という共同体に引っ張られない歌手の方がウケるってことになって。私もあまり家族の話をしたい方じゃなかったから、利害の一致で話さなかった」

「その方がよかったと思う。だから僕は君のファンになれたんだ」

 そうして、ファンは嘉奈島羽海の父親が死んだものだと扱う。それが本当になる。

 かつての嘉奈島親子を知っていた者達は、嘉奈島羽海の父親が北海道を離れて本州へ行った理由について尤もらしく語るようになる。

 その結果、嘉奈島鴻一は公式に死ぬ。

「ただ、疑問は残るんだ。君の父親が生きているんだとしたら、どうして父親のことについて、週刊誌が取り上げなかったのか? 僕は君に何も言わず君の父親が暮らす施設を特定した。僕に出来るようなことが、プロの記者達に出来ないとは思えない。そもそも、羽幌町には嘉奈島親子のことを探りにきていた記者が他にもいたんだから」

 それが、そもそも嘉奈島羽海の父親は本当に死んでいることに対してファンが疑問を覚えなかった理由だ。

 現代のメディアに、果たして本気で隠し通せるものなのだろうか。もし嘉奈島羽海の父親が生きているのだとしたら、必ずその事実は明らかになっているんじゃないだろうか、と。

 けれど、嘉奈島鴻一の状態を聞いて整理すると、すぐに分かった。

「答えは簡単なことだ。割に合わなかったんだ。嘉奈島羽海が望んでいないことを記事にすれば、所属事務所を通して抗議がされる。そうすれば、週刊誌側は少なからずダメージを負う。それでもゴシップ記事の反響が事務所からの抗議の内容よりも大きければ、週刊誌は記事を出す。商売なんだ。それが自然だろ?」

 嘉奈島羽海はじっと純哉のことを見つめていた。暗い部屋の中で、彼女の目は水面を見上げる魚の目をしていた。

「嘉奈島羽海の父親が高級老人ホームに暮らしている、なんて記事は出ない。そこには何の面白みも無いからだ。今や有名歌手になった一人娘が、高齢の一人親を施設に預けて快適な暮らしをさせている、というだけじゃ誰も面白がらない。仮に嘉奈島羽海が全く施設を訪問していないのだとしても、多忙なんだから当たり前だ、と見なされる。この記事はスキャンダルにならない。だから出ないんだ」

 

 

(つづく)