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『いきなりDMを送ってすいません。嘉奈島羽海への誹謗中傷で、代理人から開示請求を受けました。訴状が届いており、二、三相手方の弁護士とも話したのですが、相手はこちらの「嘉奈島羽海観測所」の方も誹謗中傷として訴える意向だそうです』

 引っかからない可能性もあった。何せ、純哉が吐いたのは嘉奈島羽海の弁護士がこれから訴訟を行う相手の情報をぺらぺら話したということになるのだから。よく考えれば、これはおかしいと分かるだろう。
 だが、普段からセンセーショナルな記事を書いている自覚があったからだろう。『しらせ』はいとも容易く引っかかった。それどころか、訴訟について詳しく知る為に、実際に会って話せないかと狼狽した様子で提案してきたのだ。
 あとは純哉の望んだ通りに話が進んだ。純哉はこうして『しらせ』の中の人である白瀬知夜に話を聞くことに成功したのだった。
「落ち着いてください。僕が訴えようとしているわけじゃなく、相手方の弁護士からそういった話を聞いたというだけです。……僕自身、よく『嘉奈島羽海観測所』さんの考察記事を読んでいたからこそ、伝えずにはいられなくて」
「嘉奈島羽海サイドが問題としている記事がどれかって、分かったりしますか……その、当たりはついてるんですよ。ほら、共演者との不仲系のものは、あくまで私の見解だと書いていてもコミュニティーノートを書かれたり、消せと脅迫のような投稿をされたりしていましたから」
 白瀬知夜はああいった記事を書きながらも、心のどこかで後ろめたさを感じていたのだろう。そして、訴訟を起こされたら確実に自分が負けるだろうという確信も抱いている。あれだけ勝手な妄想を書き連ねておきながらそんな感覚を持っていることを、純哉は少し意外に思った。
 ここから先は、慎重にいかなければならなかった。純哉は一呼吸置いてから、白瀬知夜に言う。
「僕が開示請求を受けたのは『嘉奈島羽海は絶対にろくな家庭で育ってない。愛情が欠乏した人間特有の印象を受ける』というものでした」
 この部分も、少し話をやわらかく改変している。本当はもっと救いようのない、最低なものだ。だが、純哉の引き出したい話を考えると、これでいい。
「こんなこと言ったらあれですけど、普通に、そんなのでも開示されるんですねっていうものですよね……? そこまで酷いこと、いや、言ってるんですけど、なんというか……」
「誹謗中傷のラインを超えていたら、あとは嘉奈島羽海サイドがどの投稿を許せないかで決まる部分がありますから」
「……許せないのが、家庭の話ってことですか?」
 不安そうになりながらも、白瀬知夜が少しだけ好奇心に目を輝かせる。こういった類いのファンには、このような情報でも『考察』の材料になるからだろう。純哉はその目の輝きに気づかないふりをして、神妙に話を続ける。
「そうみたいです。白瀬さんの記事でも、誹謗中傷として訴えようと思っているのが──例の家族の考察記事みたいで」
「『嘉奈島羽海の病的な「家族」嫌い。不自然なまでの家族愛の否定と虐待の痕跡』ですか」
 薄気味が悪いほど、白瀬知夜は自分の書いた記事のタイトルを正確に記憶していた。
「そうです。事実無根であり悪質な誹謗中傷だと」
「でもあれは私の個人の見解で──それに、ちゃんと考えてみれば羽海ちゃんの至るところにその痕跡はあったんです。いや、駄目ですね──私が何を言っても、たとえそれが事実であったとしても、訴えられたら負ける」
 白瀬知夜はそう言って、大きく溜息を吐いた。ややあって、彼女が続ける。
「……きっと、赤ちゃんが出来たからなんでしょうね。だから、家族のことについてあれこれ言われるのとか、虐待疑惑のこととか掘り返されるのが嫌になったんだ。だから、地雷踏んだってことでしょ。ああ……そういうの、なんか分かっちゃって嫌だな……というか、これだけ露骨な反応されたら間接的に認めてるのと同じで」
 最後の方は、純哉にというよりは自分自身に言い聞かせているようだった。そこまで口にすると、白瀬知夜はハッと我に返って、気まずそうに純哉を見た。最低限の社会性はあるようだ。
「でも、僕も白瀬さんの記事には頷けるところがあって。恐らく、これだけ過敏な反応を示していることから、きっと白瀬さんの考察は当たっているんだろうと」
「本当にそう思いますか?」
「ちゃんと見てればわかりますよ。嘉奈島羽海が何かしら家族に問題を抱えてるってことは」
 これは、ハッタリだ。そんなこと、純哉にはまるで分からなかった。学生時代の嘉奈島羽海は、目に見えて虐待されている様子は無かった。むしろ、家族から屈託無く愛されているが故の独特の伸びやかさがあり、それが魅力に繋がっている部分があった。
 だが、それが表面に出てくる虐待だったとは限らない。それこそ、純哉の家の歪みがそうだった。純哉の家は、傍から見て何の問題も無かったはずだ。純礼が高校を辞めて家に引きこもるようになっても、なおそうだった。
 純礼は対外的には何の問題も無かった。人付き合いの出来ない少し扱いづらい子だったが、家庭には目立った瑕疵が無いとされていた。嘉奈島羽海が同じような状況にあったとして、一体誰が気づけるだろう?
「そうなんですよ! むしろ、そこを乗り越えて今活動している──活動していたってことが、羽海ちゃんの一番すごいところで、魅力の源泉なのに、そこに目を向けないで何の翳りも無いただのスターとして消費しているような人間が、私は一番嫌いなんです。あなたは嘉奈島羽海の何が魅力だと思って、今推しているんだって聞きたくなる」
 白瀬知夜は急に興奮した様子でまくし立て始めた。訴訟に関するさっきまでの不安は、もう既にどこかに行ってしまったようだった。
「瑞地さんも私の考察記事を読んでくださったなら、ある程度分かって頂いていると思うんですが──嘉奈島羽海は、おかしい部分がいくつもあるんですよ」
 そう言って、白瀬知夜は丁寧に考察記事のおさらいを始めた。これこそ、純哉が彼女に求めていたことだった。
 嘉奈島羽海が虐待を受けていた根拠として『しらせ』があげていた根拠の一つ目、それは嘉奈島羽海が家族愛をテーマとしたり、特集に掲げている企画への出演を頑なに拒否していることだ。
「普段はレギュラーで出ているテレビのバラエティ番組の特集が、家族に関するものだった回だけ出てないくらいなんですよ。ここは不自然すぎて、みんなわかりやすい反論が出来ていなかったのが面白いですよね。虐待否定派は『事務所がブランディングの為にそうしてる』って言ってましたけど、そんなブランディングありますか?」
「家族って話題から距離を取らせたらミステリアスになるとは思いますけど……」
 ただ、単なるブランディングでそんな不自然なNGを出すはずがない。ゲストならまだしも、レギュラー番組まで欠席するのは度を超している。
 事務所の指示じゃなければ、嘉奈島羽海自身がそういったNGを出しているということだ。普通ではおよそ通らないような要求も、あの人気を誇っていた嘉奈島羽海なら通ったということだろう。
 問題は、嘉奈島羽海がどうしてそんなNGを出したかだ。
 普通に考えれば、嘉奈島羽海が『家族』に対して嫌な印象を抱いているから以外には考えられないだろう。
 彼女は家族に対して話すことを徹底して避けている。
 その点について思いを巡らせたところで、丁度、白瀬知夜が言った。
「二つ目の根拠として、彼女が家族について話すことを避けていることが挙げられるんです。これだけ長い間活動していて、こんなに多種多様なインタビューをこなしているのにも関わらず、彼女の口から自分の家族について聞けたことは殆どありません。私達は正確な家族構成すら知らないんですよ」
 これも不自然な点の一つであるし、ファンの間でも議論に上るところだ。嘉奈島羽海はどんなインタビューでも、家族のことを口にしない。実際に、同級生であった純哉ですら、羽海に兄弟がいるのかどうかも知らないのだ。
 大抵のインタビューでは、家族の話題を避けて通れない。幼い頃の家族との思い出はエピソードトークで取り沙汰されることも多い。それこそ芸能人であれば、幼少期の写真がテレビで取り上げられることだってままあるのだ。
 だが、嘉奈島羽海には一切それがない。

 

(つづく)