リリパット国転落事件

 

8.

 

 宮殿から西に五十メートルほど行くと、郊外の広場になっています。普段はリリパットの人々が運動やお茶を楽しんだりするために使うのだそうですが、今は、赤ずきんのために作られたものよりはるかに大きなテントが作りかけてあり、そこに虚ろな目つきのガリバーが座っていました。ロープや鎖でぐるぐる巻きにされていて、兵隊たちが槍をかまえ、暴れないようにか牽制しています。

 問題の死体は、そのガリバーのテントのすぐ近く、レンガでできた丸い広場の真ん中に折り重なるように倒れていました。下になっているのがハイヒール党のヤルセン。上になっているのがローヒール党のタップです。二人とも首があらぬ方向に曲がっており、レンガの表面が見えないほどの血だまりができているのでした。

「どういうことなの、これは? ふわあぁぁ」

 赤ずきんはその凄惨な光景に驚きはしましたが、どうしても眠気には勝てずにあくびをしてしまいました。

「あくびなどしている場合かっ!」

 びりりと空気が震えるほどの怒号をあげたのは、海軍大臣です。昨日とは違い、どこかで見たような青いスカーフを首に巻いていました。

「この若者二人は、官吏登用試験を控えていた、リリパットの未来を担う人材だぞ。それを、お前の仲間が殺したのだ」

「はあ? 本当? ガリバー?」

 赤ずきんは捕らえられているガリバーに訊ねます。ガリバーはぶるぶると首を横に振ります。さんざんワインを飲んだからでしょう、顔がむくんでいます。

「『本当?』と言われても、みんなが何を言っているのか、僕がなぜ縛られなきゃいけないのか、まったくわかりません」

「海軍大臣は、あなたが、この二人を殺したと言っているのよ」

「だいたいそんなところだとは思っていましたが、違いますよ。私は昨晩、どうやら飲みすぎてしまった。リリパットの樽は小さいだろうからと高をくくっていましたが、いつのまにか目がぐるぐる。そして宮殿の中庭で眠ってしまった。目が覚めたのは夜中でしたが、控えていた騎兵隊長が、身振り手振りでここへ案内してくれました」

 ふらふらする足でついていくと、テントは作りかけで、つぎはぎだらけの布団がありました。ガリバーはそれを被ってすぐに眠ってしまったそうです。

「で、気が付くと、鼻を槍でつんつんされており、まぶたを開いたら、目の前に二つ、血まみれの死体があったと……それだけです」

 本当ならば、ガリバーが眠っているあいだ、二人がここで転落死したということになりますが……転落死するような高さの建物など、見当たりません。

「なにをごちゃごちゃ言っとるんだ?」

 海軍大臣がナイフを振り上げて問いました。小さなナイフですが、かなり鋭く研がれているようです。命中したらひとたまりもないでしょう。

「危ないからそれ、しまってよ、海軍大臣。ガリバーはやっていないって言ってるわ」

 今ガリバーが言ったことを、赤ずきんは通訳しました。

「ふん、そんな馬鹿な」

 海軍大臣が鼻で笑う横で、「たしかに」と法務大臣が金縁眼鏡をずり上げます。

「二人は明らかに首の骨を折っています。出血の量から見ても、転落死であることは間違いありません」

 そして彼女は、天を見上げます。

「しかしここは、だだっ広い広場。飛び降りたら首が折れるほどの高い建造物も樹木も、見当たりません。とても巨大な人間が、彼らをつまみあげて、頭を下にして落とした、と考えるのが自然です。リリパットの法律はそう判断します」

「法務大臣がそう言うなら、この国ではそうだろうっ!」

 海軍大臣がここぞとばかりに声を張り上げました。なんて耳障りな声なのかしら。赤ずきんはいらいらしてきました。左足の裏のかゆみが余計にいらいらに拍車をかけます。

「ちょっと待ってよ」

 靴を脱ぎ、左足の裏を靴下ごと掻きながら赤ずきんは言いました。

「巨大な人間なら、もう一人いるわ。私よ。自分で言うのも変だけど、私だって犯人候補でしょ?」

「それはありませんぞ」

 しわがれた声がしました。財務大臣です。

「騎兵隊長よ、ガリバーをここへ案内したときには、遺体はなかったのだな?」

「はっ! 何もありませんでした」

 騎兵隊長は姿勢を正して答えました。

「ということは、犯行時刻は深夜から夜明けまでのあいだでありますぞ。そのあいだ、あなたは私と歴史の勉強をしていたでしょう」

 そうだったわ、と赤ずきんはあくびをしました。ついさっきのことも忘れてしまうぐらいに頭がぼんやりしているし、相変わらず足の裏はかゆいのです。

「やっぱり、ガリバーしか犯人はおりませんぞ。法務大臣、ガリバーの罪と罰は?」

「罪は殺人罪、罰は死刑。リリパットの法律はそう判断します」

「待って待って」

 赤ずきんは靴を履き、つま先を地面にとんとんとさせました。そんなつもりはありませんでしたが、地面が揺れて、大臣たちはよろけてしまいました。

「ごめんなさいね。ところで、みんな聞いて。不審な点が多すぎると思うの。まず、動機は何? ガリバーがどうしてこの二人を殺さなければならないというの?」

 法務大臣は頬に手を当て、「うーん」と唸り始めました。「リリパットの法律では判断しかねます」

「この島に流れ着いたばかりのガリバーが、亡くなった二人の住まいを知っていたとは思えないわ。ということは、この二人は自らここへやってきた。ライバル同士の二人が、深夜にここへやってきたのは、なぜ?」

「それも、リリパットの法律では判断しかねます」

「だとしたらやっぱり、捜査が必要だと思うの。私にやらせてくれない?」

「馬鹿を言うな!」海軍大臣が叫びました。「お前はガリバーの仲間だ。ガリバーに有利な捜査をするに決まっている」

「だったら、私が怪しい動きをしないように、誰か見張りをつけてよ」

「何い? お前みたいな大きいやつにつく見張りがいるか。この二人みたいにつまみあげられて落とされたら……」

 ピロピロピロロ! 笛の音が響きました。

「はーい。はい、はいっ! 俺がやる」

 リリアム14世が手をあげてぴょんぴょん飛び跳ねていました。

「王様、それはいけませんぞ。王様が見張りなどという卑しいことを」

 財務大臣がたしなめます。

「見張りじゃないよ。助手だよ。赤ずきんは事件の捜査、つまり探偵をするんだ。そうだろう?」

 赤ずきんは、こんな海の果ての小さな人の国にまで、探偵だの助手だのという言葉があるのかと驚きましたが、閣僚たちはそんなことはおかまいなしでした。

「じょ、じょ、助手?」財務大臣が目を剥きます。「ありえない。王様が助手などと!」

「俺はありえると思う。だってやりたいんだもん。法務大臣、この場合はどうなるんだっけ?」

「『王と大臣が意見を異にした場合、臣民の生命、生活、名誉に害を与えない限りは、王の意見が優先される』。したがって、王は探偵の助手ができる。リリパットの法律はそう判断します」

「ひゃっほーう。法律さいこーう! 助手だ助手だ!」

 ピロピロピロロ……。なんでこんなに助手をやってみたいのか、赤ずきんには理解できませんでしたが、とにかく捜査はできることになりました。

 大臣たちは困った王様だとでも言いたげにお互いの顔を見合わせています。容疑者であるガリバーだけ、何の話をしているのかわからないまま、ぼんやりと赤ずきんたちを見ていました。

 

9.

 

 まず、赤ずきんが向かったのは、都の南に広がる森の中です。昨日、若者たちが綱跳びの練習をしていたあの場所でした。

 赤ずきんが近づいていくと、すでに綱跳びに興じていた若者たちは険しい顔をしました。

「昨日のデカい奴がきたぞ」

「なんでも、ブレフスキュの軍艦を根こそぎ持って帰ってきたそうだ」

「ひえー、怖い」

 こそこそ噂話をはじめます。

「おーい、あのさ、みんな注目してくれ」

 リリアム14世の声が響いたので、若者たちは驚いてあたりを見回しています。赤ずきんは持っていたバスケットを足元に置きました。その中からひょっこりとリリアム14世が顔を出します。

「王様!?」

「王様、なぜこんなところに?」

 靴のかかとの高さにかかわらず、若者たちはその場に並んで背筋を伸ばしました。

「今日は赤ずきんの助手なんだよ。ねえ?」

「そうね」赤ずきんは肩をすくめました。「みなさんのお友だちのタップとヤルセンが、この先の広場で亡くなっているのが見つかったの」

「えっ?」

 一同はまだその事実を知らなかったと見え、心底驚いている様子でした。赤ずきんは早口で、発見されたいきさつと、ガリバーが疑われていることを話しました。

「もう一人の、デカい男かっ、くそっ!」

 かかとの低い靴を履いた若者が悔しそうに叫びます。

「おいあんた! どう責任を取ってくれるんだ? タップは俺たちの中ではいちばん綱跳びが上手かった。今回の登用試験のトップ合格者の候補だったんだ。やつが合格すれば、俺たちの税金は安くなったかもしれないのに!」

「それを言ったらヤルセンだってだ。あいつは口は悪いし性格もひんまがっていたが、王宮の贅沢な暮らしを改めてやるって言っていたんだ。王様や大臣たちの衣服にかかる金を、もっと医療費や教育費に回すと約束をしていた」

「ちょっとちょっと」

 赤ずきんは慌てました。

「あなたたち、わかってるの? 王様が聞いてるのよ?」

「あっ、そうだった!」

「つい口が滑った!」

 軽率な若者たちは口元を押さえましたが、リリアム14世は気にしていない様子で、笛をピロピロ吹いています。

「どんな善政を敷いたって、王が贅沢してると文句を言う臣民はいるもんだ。親父はそう言ってたよ。でもさ、俺はおもちゃなんて買ってもらったことがないんだ。唯一、親父が与えてくれた遊び道具がこれでさ」

 ピロピロピロロ……笛の音が寂しそうに響きます。

「『王は遊びになんてかまけてちゃいけない』って。本当はもっと大きい音が出たんだけど、すっかり古くなっちまったよ」

「王様の教育ってけっこう厳しいのね」

 赤ずきんは感心しました。若者たちはばつの悪そうな顔をしています。

「まあ、今さらそれを恨むでもないよ。探偵の助手なんて面白いことができるわけだからね。さあみんな、赤ずきんの質問に答えるんだ」

 赤ずきんは若者たちのほうを向きました。

「タップとヤルセンのどちらでもいいわ。この中で、最後に会ったのは誰かしら?」

 ローヒール党とハイヒール党がそれぞれ集まり、相談をはじめます。

「タップは、俺だと思う」

 まず声をあげたのは、ローヒール党の一人でした。

「昨日の夕方、日が落ちる頃に、ここで最後まで練習していたんだ。それで別れを告げ、あいつは家に帰った」

 タップは一人で暮らしているので、そのあと誰かと会っていてもわからないとのことでした。そのあとハイヒール党からヤルセンに最後にあったという者が名乗り出ましたが、証言はだいたい似たようなものでした。

「タップとヤルセンが、夜に二人で会っていたという可能性はあるかしら?」

「どうだろうな。あの二人はライバルだから」

 ハイヒール党の若者は腕を組んで考えましたが、

「ヤルセンがタップをそそのかして引っ張り出したという可能性ならありそうだ」

 ローヒール党の一人が言い出します。

「あいつ、よくタップを挑発していたからな。タップもほうっておけばいいのに、いちいち反応するんだ。だからヤルセンも面白かったんだろうよ、ガキが」

「なんだと? 挑発に乗るほうがガキじゃねえか」

「先にちょっかいをだしてくるほうが幼いのさ」

 二つの陣営がお互いをののしりあう醜い言い合いが始まってしまいます。

 ピロピロピロロ! 若者たちの騒ぎを止めるのは、リリアム14世の笛の音です。

「あんまり喧嘩をするなよ。俺は議員や大臣たちが議場で喧嘩をするのを見るとうんざりするんだ」

「申しわけありません、王様」

「わかればいいんだ……。赤ずきん、もう訊きたいことはないか?」

 赤ずきんは考えました。考えるたびに、左足の裏がかゆくなります。

「事件とは関係ないけれど、誰か、かゆみにきく薬を持っていない? 夜更けぐらいから足の裏がかゆくてたまらないのよ」

「虫にでも刺されたのか?」若者の一人が言いました。「牛飼いなら、かゆみ止めの薬を持っているはずだぜ」

「牛飼い?」

「採血のあとのかゆみ止めに軟膏を塗るんだよ。ちょうどこの先で、マーベリンという牛飼いが牧場をやってるよ」

 十字路の、北へ向かう道を、彼は指さしたのでした。

 

10.

 

「王様、こんな汚い牧場へわざわざ……もったいないことです」

 顔中泥にまみれた牛飼いのマーベリンは、目にうっすら涙を浮かべて赤ずきんたちを迎えました。

「いいよ、そんな畏まらなくて。今日は探偵の助手なんだから」

 リリアム14世は柵に凭れます。

「それより、赤ずきんの足の裏がかゆいんだって。牛に塗るかゆみ止めの薬をあげてくれないか?」

「これでよろしいですか」

 マーベリンは肩にかけた袋から小さな瓶を出すと、人さし指で中身を掬い取りました。バターのような、白く粘り気のある薬です。赤ずきんは靴と靴下を脱ぎ、左足の裏をマーベリンに向けます。

「私のような大きさの足にも効き目がある?」

「あるでしょうよ。牛に針を刺したときと似た傷ですからな。ほら」

 マーベリンは瓶の中の薬をほとんど全部、塗ってくれました。すると、あら不思議。あんなに悩ましかったかゆみがたちどころに消えたのです。

「すごい薬ね」

「牛ってのは放っておくと病気になるもんです。病気になりそうな牛は血が赤黒くなるんで、半年ごとに注射で血を採って検査するんですよ。その針が、刺すとかゆくなるみたいで、それでこれを塗るんです」

「へぇー。知らなかった」

 そう言って、リリアム14世はピロピロと笛を吹きました。

「面白そうだなあ。どんな道具で血を採るんだい?」

「注射器です、王様」

「見せてよ」

「それなら、ただいまお持ちします」

 リリアム14世は、いろんなことに興味が湧いてしまうらしいのでした。まだ少年だからしょうがないのね、と思いながら、赤ずきんは靴下と靴を履きます。そうこうしているうちに、マーベリンが注射器を抱えるようにして持ってきました。

「こんなに大きいの?」

 リリアム14世が目を丸くします。たしかにリリパット人にとっては大きいのでしょうが、赤ずきんにとってはペン先程度のものでした。

「これで、そこに転がってるバケツ二杯ぶんぐらいの血を採って検査するんですよ」

「そんなにっ?」

 リリアム14世がのけぞります。転がっているバケツは赤ずきんの親指が入るか入らないかぐらいの大きさでした。

 ふと、赤ずきんはあることを思いつきました。

 もし、この仮説が正しかったとすると……

「マーベリンさん。夜のあいだ、牛はどこにいるの?」

「牛舎の中ですよ。外からは誰も入れないよう、厳重に戸締りをしてます」

「他の牛飼いの家は?」

「この国にはおいらの他に十四軒ありますが、どこも同じようにしています」

 赤ずきんは、リリアム14世のほうを見ました。

「ねえ、探偵から助手にお願いしていいかしら?」

「もちろん」

「国じゅうの牛飼いのところに行って、牛に注射の痕があるかどうか確認してほしいの。もちろん一人でやれなんて無茶は言わないわ。あなたが命令すれば、簡単なことでしょう?」

「よし。騎兵隊に任せよう」

 

(つづく)