不思議の国の不可解殺人

 

7.

 

 赤と白のタイルが互い違いになった、見ているだけで目がチカチカしそうな広場です。その広場の中央に、トランプのマークの模様があしらわれた木製の証言台があり、赤ずきんとアリスはそこに立たせられているのでした。

 目の前には赤と白の縞模様の法壇があり、ずらりとトランプのK、Q、Jが並んでいます。中央に座っているのは、黄色い髪をひっつめて、カボチャのような頭の目つきが鋭いおばさんでした。背はあまり高くなさそうですが、顔がやたら大きく、♡をあしらった王冠が、まるでヒヨコのようにちょこんと載っているように見えます。

 正面以外のぐるりには柵が巡らされていて、三月うさぎやヤマネ、きのこの芋虫に、アヒルに蟹にグリフィン……この世界にやってきてから出会った動物たちや、初めて見る動物たちがかたずをのんで赤ずきんとアリスを見守っています。トカゲのビルは頭に包帯を巻いて、なぜか裸足でした。擦り切れたオーバーオールの膝に付いている黄色い汚れは、ペンキでしょうか。

 そのビルの頭上に、くふくふと笑う太った猫が座っているのを、赤ずきんは見つけました。

「……大変なことになったねえ、アリスちゃん、カップケーキちゃん」

 猫はやっぱり、ドッジソン教授の声で話しかけてきます。

「うるさいわ、ボケじじいのボケ猫!」

「くふふ。そんなことを言っていると、首を刎ねられちゃうよ」

「私が、そんなことはさせないわ」

 赤ずきんは猫を睨みつけます。

「……威勢がいいねえ、カップケーキちゃん。本当に、バターを塗って食べてしまいたいくらいさ」

「それは、ヒントのつもりなの?」

 赤ずきんが言うと、猫はおどけたように「くふくふ」と笑い、その姿を薄れさせていきました。やっぱり、猫の姿は消えても、〝くふくふ〟だけが残っています。

「おい、何を話しておる? 女王様の前であるぞっ!」

 法壇の上から♢のJが叫びました。とたんに傍聴席のあいだから、ひらひらとトランプ兵たちが飛び出してきて、赤ずきんたちに武器を向けます。

「待つがよい!」

 壊れたシンバルのような大声で、女王様が言いました。

「首を刎ねるのは、こやつらの罪を裁判で暴いてからじゃ」

 トランプ兵たちは武器を引っ込め、恭しく女王様に頭を下げます。

「お前たち、名を名乗るがよい」

 女王様は、赤ずきんたちを睨みつけ、言いました。

「赤ずきんよ」「アリスよ」

「♠のAよ、こやつらにかけられている嫌疑を発表するがよい!」

「はっ!」控えていた、口ひげのトランプがノートを取り出しました。

「まず第一に、こやつらは帽子屋を殺害しました。第二に、海亀もどきを殺害しました。第三に、♠の8と♧の9を殺害しました」

「四人も!」女王様が目を剥いて、法壇をばちんと叩きます。「お前たちの首を刎ねる!」

「待ちなさいよ、このカボチャ頭!」

 アリスが言い返しました。

「あたしたちは殺してないわ。殺した犯人を捕まえられなかっただけ」

「何?」

 女王陛下は、その鋭い視線を♠のAに向けます。

「こやつらはそう申しているが?」

「ええ。正確にはそういうことであります。第一に、こやつらは帽子屋殺害犯を見つけられませんでした。第二に、海亀もどき殺害犯を見つけられませんでした。第三に、♠の8と♧の9の殺害犯を見つけられませんでした」

「罪状が変わった。当然、刑も変更じゃ」♡の女王は赤ずきんとアリスのほうを見ます。「少しばかりためらいながら、お前たちの首を刎ねる!」

「なんなのよ、それっ」

 アリスは地団太を踏んで叫びました。おお、おお、と傍聴席の動物たちが騒ぎます。

「めちゃくちゃだわ。どっちにしたって首を刎ねられるじゃない。赤ずきんも何とか言ってよ」

「ちょっといいかしら、女王様」

 赤ずきんは落ち着き払って言いました。

「私たちがこの場で、帽子屋と海亀もどきとトランプ兵を殺した者を明らかにできたら、首を刎ねるのをやめてくれる?」

 傍聴席がざわめきました。女王様の両脇に並んでいるK、Q、Jの面々も顔を見合わせ、ひそひそと話をしています。

「♠のAよ」♡の女王が言いました。「その場合、我が国の法律ではどうなっている?」

「はっ。『殺人犯を見つけられなかった』という罪状がなくなりますので、無罪です」

「なるほど。面白い」

 女王は再びばちんと法壇を叩きました。

「聞かせてみるがよい、赤ずきんとやら」

「大丈夫?」

 アリスが心配そうに訊きました。赤ずきんは答える代わりに、にこりと笑いました。

 法廷での、謎解きがはじまります。

 

8.

 

「まず、誰が犯人かを明らかにする前に、この不思議なキノコを見てほしいの」

 赤ずきんはポケットから、すっかり小さくなってしまったキノコのかけらを二つ、取り出します。

「このキノコは、ピンク色のほうを食べると、小さくなるわ。アリス」

「えっ?」

 振り向いたアリスの口に、赤ずきんはむぎゅっとキノコを押し込みます。

「何するのよ、あぁぁぁ」

 アリスの体は小さくなり、K、Q、Jが声をそろえて驚きました。

「ご心配なく。緑のほうを食べたら戻れるわ。アリス、自分で戻ってきて」

 アリスはポケットからキノコを取り出し、ぱくりと食べます。すぐに、元の大きさに戻りました。

「いきなり食べさせないでくれる?」

「調節するの、なれてきたじゃない、アリス」

「私は呑み込みが早いの。メイベルとは違うわ」

「女王様。見てのとおり、食べる量をうまく調節すると、どんなに小さくもなれるし、どんなに大きくもなれるわ。同時に食べたら、大きくも小さくもならないんですって。そして、ぜひ覚えておいてほしいことなんだけど、そのとき身に着けたり手に持っているものも、同じように大きくなったり小さくなったりするのよ」

「ふむむ。面白い。覚えておこう」

 女王様は素直に言いました。

「さて次に、これを見て。私がさっき、女王様のバラ園で拾ったものよ」

 赤ずきんは隠し持っていたバターナイフを高く掲げます。

「傍聴席のみなさん、よく見て。このバターナイフに見覚えがあったら声を上げて」

「私たちのだ!」

 ぱん、ぱん。手を叩き、赤い目をくるくるさせながら、三月うさぎが言いました。

「なあおい、そうだよな」

 そばにいるヤマネに確認しますが、ヤマネはぐっすり眠っています。三月うさぎがそのお尻をボカッと蹴り飛ばすと、「ひい」とヤマネは目を覚ましました。

「あ、僕たちのバターナイフ。だけど今日、僕がスコーンにバターを塗ったあと、どこかに消えちゃったんだよ」

「重要な証言よ。ありがとう」

 赤ずきんは満足して、再び♡の女王のほうを向きます。

「このバターナイフは手元まで血で真っ赤。これが帽子屋を殺した凶器であることは間違いないわ」

「なるほどね!」

 ぽん、と手を打ったのはアリスでした。

「犯人はキノコで小さくなって、テーブルによじ上ったのよ。そして、バターナイフを盗んで、再びテーブルの下に隠れた。その後、バターナイフごと大きくなって帽子屋をぐさり。そしてまた小さくなって逃げだしたのね?」

「なるほど……」

 口ひげの♠のAは納得した様子です。しかし、

「それは、おかしいな!」

 三月うさぎがわめきました。

「バターナイフは私たちのすぐ目の届くところにあった。誰かがバターナイフを落としたなら、そいつがいかに小さかったとて、私たちが気づくはずさ。それに、ヤマネは音には敏感だ。眠っていても、誰かがバターナイフを落とそうものなら、音でわかる」

「そうね」

 赤ずきんは同意します。

「それに、その方法なら、手元までこんなに血まみれになることはないわ。犯人は、もっと奇想天外な方法で帽子屋を殺したのよ」

 アリスは腕を組み、難しそうな顔をしています。

「赤ずきんよ、それはいったいどんな方法だというのだ?」

 ♡の女王はいらいらした様子で、ばしばしと法壇を叩いています。

「小さくなってテーブルによじ上ったところまでは、アリスの推理であっているわ。そのあと、犯人はバターナイフに抱きついてピンクのキノコを食べ、バターナイフごとさらに小さくなったのよ」

 傍聴席がえええ、とざわめきました。赤ずきんは愉快になりながら先を続けます。

「すっごく小さくなった犯人は、バターナイフを携えてクッキーの裏側に潜んだの。あのティーパーティーでクッキーを食べるのは帽子屋だけ。こうしてまんまと、帽子屋のお腹の中に潜り込んだんだわ

「なんとっ!」

 ♡の女王はのけぞり、そのまま頭の重みでずでんと後ろにひっくり返りました。♡のKと♡のJに両脇を抱えられながら、また法壇に戻ってきます。赤ずきんはそれを待ってから「もうわかるわね?」と言いました。

「ピンクのキノコと緑のキノコは同時に食べると、大きくも小さくもならない。帽子屋の大きさは変わらないわ。そして、犯人は帽子屋のお腹の中で、バターナイフを持ったまま、今度は緑のキノコを食べる。ぱくぱくぱくと」

 どういう状況になるかがわかったと見え、傍聴席からはおおお、おおお、と低い声が上がります。

バターナイフはどんどん大きくなって帽子屋のお腹を内側から突き破るわ。そしてできた穴から、犯人は抜け出し、素早くピンクのキノコを食べてバターナイフごと小さくなり、逃げたのよ」

「な、な、なんてことだ。それで凶器が見つからなかったのか。ああ、バターナイフは手元まで血まみれになるさ!」

 三月うさぎは頭を抱え、そこらを走り回っています。ヤマネはまた眠っていました。

「待って待って」

 アリスが言いました。

「バターナイフが血まみれなら、犯人もまた血まみれよ。そんな姿を見られたら、犯人とわかっちゃう」

「そう。だから犯人はすぐに血を洗い流そうとした。そして井戸のある場所へと急いだ。ところが、井戸は涸れていたの」

 ガガア、と傍聴席でガチョウが鳴きました。

「おいらが悲しみを洗い流し損ねた井戸だ」

「犯人はそれより先に、血を洗い流し損ねていたってわけ。困っていたところで、そばの建物の中から私たちの声が聞こえたんでしょう」

「えっ?」

「犯人はそこですごい悪知恵が浮かんだ。私たちの涙をあふれさせて、自分の体についた血を洗い流そうってね」

「えっ、えっ、ええー? 壁の向こうから聞こえた声、あれが犯人の声だったのお?」

「よくわからぬ。説明せよ、赤ずきん!」

 つばを飛ばす♡の女王に向かい、赤ずきんは、白いうさぎを追いかけたことや、本棚に囲まれた部屋から抜け出した方法を説明しました。

「私たちはその謎の声の助言どおりに『悲しいほどつまらない話』でぼろぼろ泣いて、大粒の涙をあふれさせ、あの部屋から出られた。同時に、ざざーんとあふれ出た涙で、犯人は血を洗い流したのよ」

「ということは、あのとき一緒に流れ出たと思っていたびしょ濡れの動物たちの中に、実ははじめから外にいた犯人がいるというのね」

 アリスは傍聴席を見回します。

「誰よ、出てきなさい!」

「そんなに怖い顔をして迫らなくても、犯人はわかりそうよ」

 赤ずきんは♡の女王の顔を見ます。

「この計画には何しろ、芋虫さんのキノコが必要だもの。私とアリスが芋虫さんからキノコをもらったとき、すでに誰かがキノコを取っていった跡があった。誰が取っていったのか、芋虫さんに訊いたらわかるじゃない」

「芋虫はおるか」

 傍聴席の芋虫は返事をする代わり、すぱーっとひときわ大きな煙を吐き出しました。♡の女王は芋虫に話しかけました。

「証言者として召喚する。……いや、その場でよい。赤ずきんとアリスの前に、お前のキノコを取っていったのは誰なのじゃ?」

 すぱー。すぱぱぱぱー。芋虫は水たばこをふかしながらしばらく考えていましたが、

「わからんね」

「わからんだと?」

「ああ。この場合の〝わからん〟の定義はわかるだろうね。〝認識していない〟という意味だがね」

「わかっておる」♡の女王は目を吊り上げます。「なぜわからんのじゃ」

「私はこうして水たばこを終始ふかしておるもんでね。話しかけられなかったら、煙で周囲が見えん。もとより、注意を払うつもりもない。だから、わからんのだ」

 すぱーと煙を吐き出す芋虫の横に、くふくふ猫の顔が現れました。

「まったく役に立たない証人だわ!」

 アリスが忌々しげに言い放ちますが、赤ずきんとしては想定内でした。

「大丈夫よ。犯人は、第二の殺人を吟味することで明らかになるわ」

「海亀もどきの件か」

「そうよ」

 赤ずきんは♡の女王に答え、傍聴席のグリフィンのほうを向きます。

「あなたは午後三時ぴったりに灯台に来るよう、海亀もどきに言われていた。だけど約束の時間に行ったら内側から鍵がかけられていた。それで思い切り体当たりをして、開けたところ、海亀もどきが転落死していた。間違いないわね?」

「う、うん、間違いない……」

 法廷の雰囲気に萎縮しているのか、グリフィンの声は震えていました。

「でも、海亀もどきは絶対に、あの階段は上らないんだ」

「足が短いものね。これは重要な証言よ」

 赤ずきんは人差し指を立てます。

「絶対に階段を上らない海亀もどきがどうして転落死したのか。犯人がこの不思議なキノコを持っているとわかっていたら、答えは簡単よ。まず、犯人は、灯台の壁をよじ上って、てっぺんの窓から中に侵入した」

 窓にはガラスがはまっていませんでした。大きさの問題さえクリアすれば中に入るのは簡単です。

「そこで緑のほうのキノコを食べ、急に大きくなったのよ。海亀もどきはびっくりして逃げようとしたけれど、犯人の敏捷さのほうが勝っていた。犯人は海亀もどきをさっと持ち上げ、天井近くの高さから落としたのよ」

 おお……と傍聴席から嘆きの声が上がりました。グリフィンは特に悲しそうな顔をしています。

「なるほどなるほど」

 ♡の女王は満足そうです。

「でも赤ずきん、それで犯人は特定できなくない?」

 疑問を口にしたのはアリスでした。

「緑色のキノコを食べれば、誰でも灯台のてっぺんに届くぐらいの身長になれるわ」

「そうじゃなかったでしょアリス。あの灯台は、鉛筆みたいに細長いわ。もし私やあなたが、あの灯台の下からてっぺんぐらいの大きさになったら、横幅もまた大きくなって、窮屈でしょうがない」

「ああ、そうね」

「犯人は、ずいぶんひょろ長い体型をしているのよ」

「わあ、悔しい。こんなの、メイベルでもわかるくらい簡単なことじゃない」

 傍聴席の面々の目が、一点に注がれました。そこにいたのは、トカゲのビルです。赤ずきんは、目を丸くしてきょろきょろしているビルに近づいていきます。

「ねえビル、あなたはどうして、頭をけがしているの?」

「え、煙突掃除をしていてぶつけたのさ」

 たじろぎながら、ビルは答えました。

「ねえビル、あなたはどうして、靴をはいていないの?」

「泥だらけになってしまってね、洗って干したのさ」

「じゃあ」赤ずきんはビルの顔をびしっと指さします。「あなたの犯罪計画は、どうしてそんなに杜撰なの?」

「…………」

「帽子屋に海亀もどき、そして二枚のトランプ兵を殺したのはあなたね、ビル?」

 ビルはますますきょろきょろとしましたが、不意に逃げようとしました。

「待て」「よくないな、ガガア」

 その細長い体が、三月うさぎとアヒルによってがっちりと捕らえられました。

「灯台の天井に、何かが激しく当たった跡があったわ。大きくなるときにキノコの量を見誤って、ぶつけてしまったんでしょう。頭の包帯はその傷を隠すためね?」

「違う、違う!」

「興味深いことはまだあるわ、ビル。あなたは大きくなるにつれ、鱗が落ちると言っていた。頭をぶつけた瞬間、あなたの頭からうろこが一枚剥がれ落ちたのよ。あなたの体は大きくなっていたから、当然、鱗も大きい。灯台のてっぺんに、それが落ちていたわ」

「あ、これだね」

 グリフィンが例の透明の板を見せました。

「持ってきてくれていたのね、ありがとう」

「違う、知らない、そんなものは!」

 ビルが暴れます。

「まだ言いたいことはあるわ。床に落とされた海亀もどきの死体は血まみれだった。当然、血が飛び散って、床はその血で花の絵が描かれたようだったわ。ところがその花の絵の一部が欠けていたの。血が、犯人の足にかかったと見るべきよね。小さくなって灯台から抜け出したあなたはそれに気づいた。だけど、靴に付いた血は洗っても取れなかった。それでやむなく、靴を捨てたのでしょう」

「そんなことは、ないっ!」

「トランプ兵に私たちが追いかけられているのを知ったあなたは、私たちに罪をなすりつけることにした。帽子屋殺しの捜査中に逃げ出した私たちを見て、罪をなすりつけられると思い、他のトランプ兵の見ている前で、追手の二人の首を切ることにしたのよ。そのために、わざと抜け道の看板を作り、岩の割れ目に誘ったのね。その服についている黄色いペンキは、あの看板を作ったときについたものでしょう?」

「知らないっ!」

「あの割れ目は、私たちぐらいの大きさならかがんで通るのが普通。だけど薄っぺらなトランプ兵たちなら、かがんで通るより、体を横にして首を岩の上に出すようにして通るほうが都合がいい。それを見越したあなたは、バラを切るのに使うはさみを一本盗み、大きくなってはさみを岩の上において構えていたの。ところが大きくなる直前、ひとつミスをした。帽子屋を殺したときに使ったバターナイフを落としてしまったことよ」

「うう……」

「あの岩のすぐ脇はうっそうとした森になっていたわ。身を隠すには十分だった。頃合いを見計らって、ちょきん!」

 哀れ、二枚のトランプ兵の首は、体から離れてしまったということなのでした。

「知らない知らない知らないってば! ああああああ」

 ビルはその手をポケットに入れています。そこから取り出されたのは――緑のキノコ!

「危ないわ、そのキノコを奪って!」

 赤ずきんの叫びがビルの周りの動物たちに届く前に、ビルはキノコをぱくりぱくりと食べていきます。とたんに、ビルの体はぐぐんと巨大化し、三月うさぎやアヒルは弾き飛ばされました。ねずみやモグラや蟹やドードーはぎゃあぎゃあ叫んで逃げ惑い、芋虫はすぱすぱすぱーと煙をふかし、ヤマネはぐっすり眠っています。

「さぁー、大変だ、くふふ」

 いつの間にか、証言台に太った猫がいました。

「どうするんだい。アリス、カップケーキちゃん?」

「冗談じゃ、ないっての!」

 アリスが緑のキノコを取り出し、同じようにぱくぱくと食べます。ぐんぐん、ぐぐんと大きくなり、ビルに立ち向かっていきました。

「大人しく、捕まりなさい」

「いやだ、いやだ、いやだーっ」

 大きくなったアリスとビルが取っ組み合いを演じますが、二人の足に踏みつぶされまいと、動物たちはあっちこっちへ逃げ惑うばかり。

「小さくなれ、無礼者! 首を刎ねてやるぞ!」

 ♡の女王が声を張り上げます。その声はアリスとビルには届いていません。

「おい、こやつらの首を刎ねろ、私の兵隊ども!」

 トランプの兵隊たちが向かっていきますが、大きくなった二人はお構いなしにののしりあっています。

 赤ずきんはさっさと安全なところへ逃れ、このはちゃめちゃな法廷を眺めていました。

 トランプの兵隊たちは無残に、蹴散らされ、ひらひらと空を舞っています。

 くふくふ。くふくふ。

 それを見ていると、赤ずきんはなんだか眠くなってきました。

 ――私の推理は、筋が通っていたかしら。それに、動機は? ビルは帽子屋や海亀もどきに恨みがあったの? いいわ、どうせこれは、夢なんだし。

 ひらひら、ひらひら。

 まどろむ赤ずきんの視界が、ぼんやりしていきます。

 

9.

 

「……ちゃん? カップケーキちゃん?」

 ドッジソン教授の声がして、赤ずきんは目を開けました。

「ああ、気が付いたね、カップケーキちゃん」

「その呼び名、やめてくれる?」

 文句を言いながら赤ずきんが体を起こすと、体中からぱらぱらとトランプが床に落ちました。

 芝生の庭園はどこにもなく、黒い床に黒い壁に黒い天井、そして古ぼけた机と黒板があるだけでした。

 見ればすぐ隣に、アリスが仰向けに寝ています。二人の周りには、トランプの他、アヒルやトカゲ、芋虫やうさぎやヤマネのおもちゃが散らばっているのでした。

「アリス、アリス」

 肩を揺すると、彼女もぱっと目を覚ましました。

「あれ、赤ずきん? あんた、夢じゃなかったの?」

「そうだよ。二人とも私の研究室の大事なお客さんだよ。くふ。くふ。くふふ」

 指をくいくい動かしながら、ドッジソン教授がにこにこ笑っています。

「今のは私の数学的な研究なんだ。グラフ理論とカタストロフ理論を、確率的な見地から検証したのさ。私の作った仮の空間で、点Aと点Bがロジカルに動くことでどんな作用が生じるかとね。……くふ。くふふ。アリスにカップケーキちゃん。望んだ以上の成果が出たよ」

 訳の分からないことを言いながら、ドッジソン教授はカツカツと黒板に数式を書き連ねていきます。

「なんだかわからないけど、ドッジソン教授!」

 赤ずきんはその背中をぽんぽんと叩きました。

「協力してあげたんだから、虹の霧について教えて。私をおうちに帰してよ」

「ん? あ、ああ、いいともさ。虹の霧が出る日付とタイミングを、あとで教えてあげようねえ。ただ、ちょっと待って。忘れないうちに、検証結果を検算して記録しておかねばね」

 カツカツ、カツカツカツ……。チョークの音が響きます。

「くそじじい。数学ばかりやりやがって」

 アリスが腕を組んで小声で毒づきます。

 突然、ばたんと勢いよくドアが開き、二人の男性が入ってきました。

「ドッジソン教授だな?」

「悪いが、逮捕させてもらう」

 突然のことに反応もできずにいるドッジソン教授。その手に手錠をかけた男性と、背後に控える男性の顔を、赤ずきんは知っていました。

「ニール警部にグレゴリー巡査じゃない」

「ん? あ、赤ずきんじゃないか」

 ニール警部は目を丸くしています。

「どうしてここにいるの?」

「通報があったんだ」グレゴリー巡査が答えます。「この建物の一室で、ヘレナ・ヘンダーソンという女性が死んでいるとな。首吊りのようだが、わがスコットランドヤードの優秀な検視官が、巧妙に細工された他殺体だと見破った。ヘレナに恨みを持つ者がいないか捜査をした結果、この男の名が挙がったというわけだ」

「そうだ。我々はこの男をスコットランドヤードに連れていく。取り調べだ」

 ドッジソン教授は「ひー、くふっ、くふっ」と変な咳をするばかり。まるで否定しません。これでは本当に連れていかれてしまいます。

「待って待って」

 赤ずきんはニール警部たちを引き止めました。

「私は、虹の霧に入らなきゃお家に帰れない。ドッジソン教授だけが頼みの綱なのよ。連れていかれてしまったら、私はどうやって家に帰ればいいの?」

「そんなのは、自力で頼む」

「待ちなさいって」

 強引に教授を引っ張っていこうとするニール警部の前に、赤ずきんは立ちはだかります。

「ヘレナっていうのは、入口を入ってすぐの部屋で死んでいた人のことね?」

「ああ」

「彼女を殺害したのは、ドッジソン教授じゃないわ」

「赤ずきん、何を根拠に……」

「私、知ってるのよ。犯人を」

 ニール警部とグレゴリー巡査は顔を見合わせます。

「そんなこと言って、大丈夫なの?」

 アリスが他人事とでも言いたげに肩をすくめました。

 

 ……やれやれ。赤ずきんったら、せっかく不思議の国から帰ってこられたというのに、また推理をするようです。本当に死体に縁のある女の子ですね。

 

(つづく)