ジャック・ザ・ディッパーを追え

 

7.

 

 ニール警部はまず、グレゴリー巡査を市役所に走らせました。ロンドンでおたまを扱っている金物屋や雑貨屋がどこにあるのかを調べさせるためです。

「我々は、手近なところに行こう」

 みたび辻馬車に揺られながら、ニール警部は言いました。

「手近なところ?」

「スコットランドヤードのすぐ脇にある金物屋だ。スコットランドヤードの警官たちがかぶるヘルメットはすべて、その店から仕入れている。ヘルメットの他、鍋、釜、鍬、鉄製の看板など、金物はなんでも扱っているんだ」

 そういえば今朝、隣に金物屋があるとかなんとか、グレゴリー巡査が言っていたような気がします。

「儲かっているんだろうね、その金物屋」

 赤ずきんの隣に座っているオリバーが鼻をすすりました。

「何で君までついてくるんだ?」

 ニール警部は不満そうです。

「いいじゃない。もし狭いところに入らなきゃいけないことがあったら、オリバーがやってくれるわ」

「人使いが荒いなあ」

 まんざらでもなさそうに笑うオリバーです。彼も連れていきたいとニール警部に直談判したのは、赤ずきんでした。垢のこびりついた髪の毛や、土だらけの服……身なりはとても汚いのですが、相談役としてはとても優れているのを感じたのです。

 やがて、馬のひづめの音が止み、馬車は止まりました。

「着いたようだ……が、どういうことだ?」

 窓の外を見て、ニール警部が言いました。がやがやと、女性たちが集まっている声が聞こえます。何を言っているのかはっきりとはわかりませんが、怒鳴り声が聞こえます。

 ニール警部が先に降りていき、赤ずきんとオリバーも続きました。

 目の前には、見覚えのあるスコットランドヤードの堅牢な塀がそびえています。その塀と、道を隔てて建てられているオレンジ色の建物の周囲に、百人ぐらいの女性が集まって騒いでいるのでした。

「おたまをよこしなさい!」「私たちの命がどうなってもいいというの?」「ジャック・ザ・ディッパーに殺されたら、この店に取り憑いてやるから!」

 おたまを売ってもらえなかったようです。

 ピーッ!

 ニール警部は呼子を吹きましたが、

「はやくおたまを!」「ぴかぴかの!」「おたまを!」「お、た、ま! お、た、ま!」

 女性たちの耳には届いていないようでした。

「すみません! スコットランドヤードです、通して、通して!」

 三人は、荒波の中を泳いでいくように女性たちの中を進んでいき、ようやくオレンジ色の建物の前にたどり着くことができました。ニール警部がドアノブを握って回しますが、開きません。大人の男性の目の高さに小さなブリキの蓋がありますが、こちらも開かないようです。

「閉まっているのか? トニー! おい、トニー! 俺だ、ニールだ。開けてくれ!」

 どんどんと黒い扉をニール警部が叩き続けていると、ブリキの蓋が開いて、太い眉とぎょろりとした両目が現れました。

「なんだ、ニール警部か?」

「トニー。重要な話がある。中に入れてくれ」

 ちっ、とトニーは舌打ちをしました。

「いいが、女どもが入ってこられないように、素早く入ってこい」

「わ、わかった」

 施錠が解かれ、ドアがこちらに開きます。

「開いたわ!」「おたまを!」「お、た、ま! お、た、ま!」

 押し寄せる女性の波から逃れるように、三人は扉の隙間に体を滑り込ませました。店主のトニーが急いで扉を閉め、カギをがちゃりと掛けます。どんどん、どんどんと激しく扉を叩く音。怒号はまるで熊の咆哮のようでした。

「朝から女が次から次へとおたまを買っていくんだ。二階の在庫を全部出しちまって、十時にはすっかり売り切れた。それを伝えたら、あの始末さ。ジュディーなんて怖がって、二階の作業場で小さくなって震えてるぜ」

 赤ずきんは店内を見回しました。ニール警部の言っていた通り、鍋や釜、刃物に看板、金物ならなんでもそろっています。料理道具の棚の近くに空のかごがあります。きっとおたまはあそこに入っていたのでしょう。

「あそこから二階に上がれるんだね?」

 オリバーが店の奥のハシゴを指さしました。

「ああ、そうだが、お前は誰だ?」

「私の相棒よ」赤ずきんは胸を張ります。

「そうか、あんたの相棒か……で、あんたは誰だ?」

「赤ずきん。旅の途中で、スコットランドヤードのお手伝いをすることになったの」

「はあ?」

 トニーは怪訝な表情を浮かべます。無理もありません。

 ニール警部がこれまでの経緯を説明し、ようやくトニーを納得させました。

「ねえトニーさん。上の倉庫におたまの在庫があったのね?」

「そうだ。それも全部売れちまった」

「倉庫を見に行ってもいい?」

「いいが、うちの娘のジュディーが怖がっている。刺激しないでやってくれ」

 赤ずきんはオリバーと一緒にハシゴを上っていきます。

 箱がたくさん並べられています。商品はたくさんあり、壁にはフックが取り付けられ、フライ返しやトング、料理に使うものがずらりとかけられていました。

 その山のような在庫商品に囲まれて、金色の髪を一つにまとめた女性がいます。

 女性は二十歳くらいで、机に向かって書き物をしていましたが、さっ、と書いていたものを机の下に隠しました。

「誰?」

 彼女は赤ずきんとオリバーのことを、怯えたような顔で見ています。

「こんにちは、ジュディーさんね。私は赤ずきん。彼は相棒のオリバーよ」

「もうおたまはないわ」声を震わせ、ジュディーは言いました。「午前中の早いうちに売れてしまったもの。本当にないのよ」

「私たちはおたまを買いに来たんじゃないの。ジャック・ザ・ディッパー事件の捜査で来たのよ」

 赤ずきんはこれまでのことを手短に説明します。そのあいだ、オリバーは部屋の中を注意深く観察していました。

「ジュディーさん」

 赤ずきんの話が終わったのと同時に、オリバーが話しかけました。

「ここにも何かがかかっていたように見えるけれど」

 彼が立ち止まっているのは、小窓の前でした。この部屋には四方に窓があるのですが、その窓だけずいぶん小さいのです。透明なガラスがはまっていますが、開け閉めはできない作りです。

 オリバーが注目しているのはその小窓です。窓枠のすぐ上にフックが三つ、並べて取り付けられているのです。

「おたまの在庫がかけられていたの。十本ずつ、全部で三十本よ。でもそれが……」

「午前中に売り切れてしまったんだね」

 赤ずきんはオリバーのそばに近づき、窓の外を見て「やっぱり」と思いました。見上げたスコットランドヤードの建物の三階の窓の向こうに、昨晩泊まった部屋のカーテンが見えたからです。朝、見たときにはここにたくさんのおたまがかかっていたのです。

 赤ずきんはふと、スコットランドヤードの二階の窓が気になりました。ガラスの容器の並んだ実験室のような部屋になっているようです。

「あの部屋は何かしらね?」

 赤ずきんが訊ねるとオリバーはすぐに答えました。

「犯罪が起きたときに、遺留品を分析する部屋があると聞いたことがあるな。ああいう実験器具を使いそうだ」

「オリバー、あんたなんでそんなことを知っているの? 泥棒にはまったく価値のなさそうな部屋だけど」

「ここにおたまがかけられていたら、この小窓は塞がれてしまうと思うけど?」

 オリバーが赤ずきんにくるりと背を向け、ジュディーに質問します。

「在庫の置き場に困っていたのよ」

 ジュディーは答えます。

「これだけの商品があるだけで大変なのに、二か月前にお父さんがおたまの発注の数を間違えてしまったの。返品したかったのに、問屋さんが取りあってくれなくて……それでしかたなく、店に置いておけないぶんを吊るすことにしたのよ」

「見たところ、ジュディーさんの仕事はその机での在庫管理かしら。明かりが遮られちゃうんじゃないの?」

「明かりなら、そっちの窓から光が入ってくるから問題ないわ。その小窓のほうは、どうせスコットランドヤードの建物で光が遮られちゃっているから、潰しても構わないの」

 光――ジュディーの答えを聞きながら、赤ずきんは一つ、思い出したことがありました。

「ジュディーさん、いつも仕事をしているときと同じように座ってみて」

「え? こうだけど」

 机に両手をつくジュディー。小窓はその背中のすぐ後ろにあります。

「そういうこと……」

「どうしたんだい、赤ずきん?」

 オリバーが興味深そうに訊いてきました。赤ずきんはジュディーに聞こえないように、オリバーに小声であることを教えました。

 ひゅう、とオリバーは愉快そうに口笛を吹きます。

「重要な情報だ。すばらしいね、赤ずきん。さっそく、ニール警部に報告しようよ」

 オリバーが、すぐにハシゴを下りていきます。その後ろ姿を見て、赤ずきんはやはり「おかしいわ」と思いました。見た目は間違いなく、このあいだスコットランドヤードの死体置き場で会った泥棒少年のオリバーです。でも、動きは機敏だし、頭の回転が速すぎるような気がします。それにあの、自信満々の態度は何なのでしょう?

「あの」

 か細い声が背後からしました。振り返ると、椅子に座ったジュディーが不安げな目をこちらに向けています。膝の上に、ハートが描かれた封筒が見えました。

「ジャック・ザ・ディッパーは捕まるかしら?」

「そうね。優秀な探偵と、優秀な助手がいるもの。それより……」

 膝の上の手紙を指さします。

「恋人?」

「あっ……」

 ジュディーは封筒に目を落とし、恥ずかしそうに笑いました。

「ブライアン・ハドソンっていう素敵な人なの。ベイカー街に不動産を持っていて、将来は私に下宿のおばさんをやってほしいって」

 嬉しそうに微笑みます。

「それはいいわね。お幸せに」

 恋人たちの幸せは守らなければならないわ。そう心に誓いながら、赤ずきんも一階に下りていきました。

 

8.

 

 準備が整うまでに、二時間ばかりかかりました。

 赤ずきん、オリバー、ニール警部、そして、市役所から戻ってきたグレゴリー巡査。四人はそろって、スコットランドヤードの長い廊下を歩いていきます。

「ここだ」

 ニール警部が立ち止まったのは、見るからに冷たくて重そうな鉄の扉の前でした。ドアノブを握り、引くと、キーッという耳障りな音がしました。

 意外と広い部屋ですが、机にも、壁際の棚にも、ガラス製の容器やよくわからない薬が所狭しと並び、リンゴの腐ったようなにおいが充満しています。

「ん?」

 目的の相手は、窓際の椅子に座って窓枠に手を置いていましたが、さっ、と何かを着ている白衣のポケットにしまいました。

「どうしたんですか、おそろいで……ん?」

 卵型の顔が不思議そうな表情を浮かべます。

「赤ずきんさんは知ってるが、その小汚い子どもは誰です?」

「オリバーだ。今回の捜査には特別に参加してもらっている」

「へぇー。いいけど坊や、汚い手でそこらの物を触らんでください。科学というのは清潔さが命なんですからな」

「こんなに整理されていない部屋で仕事をしていてよく言うわ」

 赤ずきんの言葉に、サム技官は肩をすくめただけでした。

「サム」ニール警部が話しかけます。「新品のおたまを持った女性がジャック・ザ・ディッパーの襲撃から守られたという記事が新聞に載ったおかげで、おたまが売れに売れているらしい」

 サム技官はどこか訝しそうに「そうですか」と言って、また作業に戻ります。

「知らなかったの?」

 赤ずきんは、窓に近づきながら言いました。

「この窓から、隣の金物屋が見えるでしょ」

「本当だな」ニール警部も同意します。「以前来たとき小窓の向こうにたくさんぶら下がってカーテンのようになっていたおたまが、売れてしまって一切なくなった」

 ニール警部の言うとおり、さっきまでいたトニーの金物屋の二階に、机に向かっているジュディーの背中が見えました。

「あれは、おたまだったのですか」興味がなさそうに、サム技官が言いました。「それで、用件はいったい何なんですかな? まさかそれを伝えに来たわけじゃあるまいし」

「サムさん」

 赤ずきんは彼の前に一歩、近づきます。

「あなたはどうして、ジャック・ザ・ディッパーのことが新聞に載るのを楽しみにしていたの?」

「自分の関わる仕事が新聞に載るのは、不謹慎だが嬉しいことなんですな」

「では、あなたはどうして窓際に椅子を置いているの?」

「おてんとさまの光の下のほうが仕事がしやすいんですな」

「それじゃあ」赤ずきんはその鼻先に人差し指を突き付けました。「あなたの犯罪計画は、どうしてそんなに杜撰なの?」

「……なんですって?」

「ロンドンの若い女性を何人も殺し、逆さ吊りにしてスープに浸した連続殺人鬼、ジャック・ザ・ディッパーは、あなたね?」

 ふ、ふ、ふふふふ、とサム技官は笑いだしました。

「何を言うのかと思ったら、濡れに濡れし赤き服の者――とんだポンコツ探偵ですな」

 ひとしきり笑った後で、サム技官は真面目な顔になりました。

「どうして私が、女たちを殺さなければならなかったんです?」

「すべては、ジュディーのためよ」

 サム技官の頬に赤みが差したのを、赤ずきんは見逃しませんでした。

「このお部屋には、金属のものがたくさんあるわね。この針も、ナイフも、この……挟むやつも」

「ピンセットというんですよ」

 その道具を机から摘み上げ、サム技官がふんと鼻を鳴らします。

「こういう金属は当然、隣のトニーの金物屋から買っているんでしょ?」

「そりゃそうです。わざわざ遠くまで行く意味がありませんからな」

「あなたは足しげく金物屋に通ううち、ジュディーという女性と知り合った。そしてあなたは、ジュディーに思いを寄せるようになったのね」

「……まさか」

 ふふ、とその顔に悲しい笑顔が浮かびました。

「私はもう四十をすぎてしまった。独身のまま一生を終えることに決めているんですな」

「そう思っていたあなただったけれど、どうしてもジュディーへの思いを断ち切れなかった。そこで、最後の望みを、それに託すことにしたのよ」

 赤ずきんは、サム技官のポケットを指さしたのです。

「中身を見せてくれない?」

「私個人のものですな」

 だん! ニール警部がいきなり両手で机を叩きました。びくっ、とサム技官が身を震わせたすきに、オリバーが彼に近づき、白衣のポケットからそれをすっと掠め取りました。

「あっ、返して、それは……」

 オリバーが放り投げてきたそれを、赤ずきんはキャッチします。きれいな三角形に加工された、青い宝石でした。

「グレゴリー巡査、お願い!」

 赤ずきんの合図とともに、グレゴリー巡査が扉を開けました。そこには、一人の男性――グリニッジ天文大学から連れてこられたドッジソン教授の姿がありました。

「ドッジソン教授、これに見覚えはない?」

「んー?」

 ドッジソン教授は両手の指をイソギンチャクのようにして、腰を曲げながら赤ずきんに近づいてきます。青い宝石を見て叫びました。

「これはまさに、二か月前に失くした、〝パックのイタズラ〟だよ!」

「それはどういう宝石だっけ?」

「くふ。くふふ、太陽の光を通すと青い光が出る。それを意中の相手に毎日一時間当て続けると、三か月から半年ぐらいで相手は自分に想いを寄せるようになる。恋の妖精パックの魔法が込められているんだよ、カップケーキちゃん」

「その〝パックのイタズラ〟を、どうしてあなたが持っているの? サムさん」

「知らん、知らんですな。これは……」

 額に手を当て、サム技官はよろめいています。

「あの窓は西向きよね、ニール警部」

 大きな窓を指さして訊ねると、ニール警部は「いかにも」とうなずきました。

「今のような午後の時間だと、窓から日が差し込んでいるわ。ドッジソン教授、こうするのかしら?」

 赤ずきんが日の光に〝パックのイタズラ〟をかざすと、

「やめなさい!」

 サム技官が飛び掛かってきました。咄嗟にグレゴリー巡査があいだに入り、羽交い締めにします。

 赤ずきんの手の中で〝パックのイタズラ〟を透過した光は青い筋となりました。オリバーが角度を変えると、その光は窓を抜け、向かい側にある金物屋の小窓に入っていきます。

「ドッジソン教授が〝パックのイタズラ〟を持っていることを知っていたあなたは、教授からこれを盗み出し、こうやって、意中のジュディーが自分に振り向くよう仕組んだのよ。初めの一か月はうまくいっていたけれど、二か月前にとんでもないハプニングがあった。金物屋のトニーさんがおたまを発注しすぎて、在庫を置くところがなくなってしまったの」

 返品が出来ずに困ったトニーは、壁にフックを取り付け、小窓を塞ぐ形で三十個ものおたまを吊り下げたのでした。

「あなたは悶絶したでしょうね。これじゃあ〝パックのイタズラ〟の光が遮られて計画が台無しよ」

 ギリギリと、サム技官が悔しそうに歯ぎしりをしています。赤ずきんは続けました。

「考えに考えたあなたは、とんでもなく奇妙な計画をひねり出した。おたまをなくすには、おたまが爆発的に売れる状況を作ればいい。年がら年中死体の検視をしているあなたはすぐに、『新品のおたまがあれば命の危険から免れられる状況』を作ろうという発想に至った。そして、ジャック・ザ・ディッパーなんていう、異様なまでにおたまにこだわる連続殺人犯を作り上げたのよ」

 若い女性を殺害してスープに頭が浸された状態で放置するという、衝撃的な連続殺人犯は、サム技官の思惑どおり、すぐにロンドンを恐怖に陥れました。四人殺害し、その恐怖がピークに達したところで、サム技官はいよいよ決定的な行動に出たのです。

「あなたは、トニーさんの店ではない金物屋の近くに住んでいる若い女性の家に忍び込み、おたまの先端を削って壊れやすくした。そして、彼女の家の近くに潜み、彼女がおたまを買いに外に出てくるのを待ったの。まんまと彼女はおたまを買いに金物屋へ行ったので、その帰りに彼女を襲い、『お前はそんなにピカピカのおたまを持っているのだから、与えてやる必要はないな』と言い残して去る。この話がスコットランドヤードを通して新聞記者に伝わったらもう、あなたの計画は完成だわ」

 おたまは飛ぶように売れ、在庫はすべてなくなる。おたまのカーテンに遮られることなく、再び、〝パックのイタズラ〟の光をジュディーに当てられるようになるというわけです。

「馬鹿なこと。馬鹿なことですな。その宝石が何でここにあるのかなど知らん。いつのまにか白衣のポケットに入っていただけですな」

「この部屋を、捜索させてもらっても? サム技官」

 出しぬけに、グレゴリー巡査が部屋の中をきょろきょろと見回します。

「ライリさんの証言によれば、襲い掛かってきたジャック・ザ・ディッパーは高身長だった。ただし、足元はよたよたとおぼつかなかったようにも見えたと。上げ底のブーツを履いていた可能性があります。この整理されていない部屋のどこかから、黒いマントや覆面、上げ底のブーツが発見されないとも限りませんので」

「グレゴリー。君まで私を疑うのですかな。なりません。部外者が勝手にこの神聖なる研究室を荒らすなど」

「見て!」

 赤ずきんはすかさず、窓の外を指さします。

「小窓には可愛らしいカーテンを敷いたらどうかしらって、私、さっき、ジュディーさんにアドバイスしたのよ」

「えっ、えっ!」

 金物屋の二階の小窓の向こうでは、ジュディーが花柄のカーテンを取り付けようとしているところでした。

「布地は分厚く、できれば裏側に金物の板でも張り付けたほうがいいと言ってきたわ」

「ああ、ああ、あああ……」

 サム技官が頭を抱えてしゃがみこみます。ドッジソン教授が近づき、その背中にぽんと手を置きました。

「気持ちはわかるよ。くふくふふ。若い女の子というのは、尊いものだね」

「触るなっ!」

 サム技官は飛び上がり、ドッジソン教授を突き飛ばします。

「ハッ! ハッ! 私は殺人事件のプロですな。殺人において、失敗するはずはないのですな! ハッ、ハッ!」

「その笑いは……」

 ニール警部の目の色が変わります。

「間抜けですなニール警部。こんなに近くにいながら、私のことに気づかないなんて。ハッ、ハッ! 自分で書いた手紙を見せられて、心の底から笑いそうになりましたな、ハッ、ハッ!」

「自分のくだらない欲のために、五人もの女性の命を……」

「違う!」

 サム技官の顔が、怒りで真っ赤になります。

「五人じゃないですな」

「えっ?」赤ずきんは思わず言いました。「どういうこと?」

「私が殺したのは、四人。ロンドン橋と一緒にテムズ川に落ちた女までですな。今朝、バイドパークで見つかったエリザベスという女は私が殺したのではない。誰かが私の真似をしたのですな。私は許せなかった。だから必ずそいつを突き止めてやると誓った。それなのに、邪魔するなんて、あなたがたのほうがずっと悪ですな」

「たわごとを言うなっ!」

 ニール警部がサム技官の腕を取り、背中に回してひねり上げます。

「いたたっ!」

「残念だよ、サム。君は善良な仲間だと思っていたのに」

 

(つづく)