信用できないアリの穴

 

最初から読む

 

2.
 イソップはグリース国の中心地、アテナイで、粉挽きの息子として生まれました。
 学校での成績は中ほどでしたが、生真面目な性格で、遅刻や欠席などは一切しませんでした。それは父親の影響でした。
 地域のパン屋や食堂に頼まれた小麦粉を、期日までに届けなければならない。それは俺の使命なのだ──常々自分に言い聞かせ、時には二日も徹夜して粉を挽き続けることもありました。
 イソップはそんな父の背中を見て育ち、自らは学問で身を立てようと一生懸命勉強しましたが、どんなに勉強しようと成績は中くらいでした。悩んで、教師に相談すると、
「真面目なのがお前のいいところだ。だからこの先も、真面目に勤勉に生きなさい。少しでも不実を働くと、相応の報いを受けるのだから」
 と言われました。教師のその言葉を胸に、イソップはそれからも真面目に勉強したのです。
 イソップが十歳の夏、父親の粉挽き小屋にひとりの若い男が現れました。穀物商だと名乗ったその男は、はるか南方の穀倉地帯から安い小麦をたくさん仕入れることができるので挽いてくれないか、とイソップの父に言ったのです。
「そんなに大量の小麦を仕入れても、すべて挽くことなどできん」
「あんたならできるだろう。町のみんなも、あんたの勤勉さには期待している」
 穀物商の強い言い方に押し切られ、イソップの父は小麦を仕入れることにしました。取引先からお金を集め、その商人に渡したのです。
「おお、すばらしい。秋になったら小麦を届けるから楽しみに待っておけ」
 ところが、収穫の時期を一か月すぎても、小麦が届くことはありませんでした。穀物商からは便りの一つも来ないのです。怒ったのは、金を払った取引先の客たちです。
「あんた、騙されたんだよ!」
「このお人好しめ!」
 さんざん罵られた父は、ぺこぺこと頭を下げるだけでした。
 そしてある冬の日の朝、イソップの両親は、粉挽き小屋で首を吊りました。天井からぶら下がる両親の姿を、イソップは茫然と見つめていました。
 ただ真面目に勤勉に生きてきただけなのに、なぜ……。
 イソップは、孤児院に引き取られました。
 悲しみに耐えながらイソップは一生懸命勉強を続けましたが、孤児院の他の面々から仲間外れにされてしまうのです。イソップのひたむきな真面目さは、他の面々には窮屈に映ったのでした。
 ある日、孤児院の院長の言いつけで商店へ買い物に出たイソップは、前を歩いている太ったおじさんが、何かを落としたのに気づきました。
 拾い上げるとそれは、金貨でした。
 イソップは、すぐにそのおじさんを呼び止めました。
「すみません、お金を落としましたよ」
 おじさんはくるりと振り返りましたが、イソップの差しだした金貨を受け取ろうとせず、ただイソップの顔を睨みつけるだけです。
「お前、汚い身なりをしているな。腹はすいてないのか」
「すいています」
「だったらなぜこの金貨を盗まなかった? これ一枚あれば、パンも肉も、お前の食いたいものが買えるのに」
「え……だってこれは、おじさんの……」
「甘いことを言うなっ!」おじさんの目が吊り上がりました。「金貨を落としたのは俺の失敗だ。拾ったのはお前の幸運だ。自分の幸運を不意にするものは、俺は好かん!」
 イソップは戸惑いました。
「で、でも、この金貨で私の欲しい物を買ってしまうのは、泥棒です。誠実ではない。不実です。私は真面目に勤勉に生きてきたのです」
「不実の何がいかんのだ?」
 おじさんはイソップの顔を見て、せせら笑いました。
「周りを見てみろ、豊かな生活を送っているものがたくさんいるだろう?」
 そこはアテナイの目抜き通り。大きな店や屋敷がたくさん並んでいます。行き交う人々は高そうな服を着て、みな幸せそうに笑っています。
「こいつらはみな、誰かを騙し、出し抜いて金持ちになったんだ。真面目? 勤勉? 誠実? そんな甘い信条を貫いて成功した人間などおらん」
 ぷわっはっはは、とおじさんは唾をまきちらして笑うと、イソップを蔑むような眼をしました。
「そんな金貨、受け取るものか。お前の弱さ、甘さが移ってはいけない。俺はこれからも人を裏切り、出し抜いて成功してやるのさ!」
 くるりと背中を向け、おじさんは去っていきます。
 イソップは手の中の金貨を見つめました。
 真面目、勤勉、誠実、そんな甘い信条を貫いて成功した人間などいない……本当でしょうか。だとしたら今までのことは……
「いや、違う!」
 朝から晩まで粉にまみれて仕事をしていた父親の姿を、イソップは思い出して首を振りました。
「真面目に生きなければいけないんだ。不実な行いをすれば、相応の報いがあるはずなんだ。それが、正しい教訓なんだ。こんな汚れた金貨など、いらない!」
 イソップは金貨を、力任せに地べたに叩きつけました。金貨は勢いあまってころころと転がっていきます。
 店と店の間に小さな祠がありました。誰からも忘れられたような、寂れた祠でした。金貨はそこへころころと入っていきました。
 びゅう、と大風が吹き、イソップの背中が寒くなりました。
「おい、お前」
 自分を呼ぶ声なのだ、とイソップはわかりました。しかし、あたりを見回しても誰もいません。周りにいる人々も不思議そうに声の主を探している様子でした。
「どこを見ている? 上だ、上」
 イソップが頭上を見上げると、そこには白い煙のようなものが浮かんでいます。よく見ればその中に、太い眉毛と丸い鼻を持った、厳めしい男の顔があるのでした。
「あなたは?」
「私は、北風だ。かつて正しき者と名乗る人間と戦い、疲れ、そこの祠で眠っておった」
 周囲の人間が気味悪がってイソップを遠巻きにします。
「先ほどからずっと見ていたぞ。不実な行いをすれば、相応の報いがある。それが、正しい教訓だ──と。なかなか面白い考えだ」
「面白くなどありません」イソップは言いました。「当然の考えです」
「しかし、お前のように生きている人間など、そういないだろう」
「はい」
「そして、不実の応酬を受けているような人間もまた、そんなに多くはない」
「……はい」
「お前はどうして与えぬのだ。不実を働いた人間に報いを与えれば、正しい教訓を求める人間が増えるというのに」
「私にはそんな大それたことは……。力が、ありませんので」
 北風はイソップの頭の上をぐるぐると回っていましたが、やがて言いました。
「力があれば、お前にはできるというのか」
「はい」
「面白い。久しぶりに力を与えるのに適した人間を見つけたようだ。金貨の対価として、私がお前に氷雪嵐の力を授けよう。お前の言う不実の報いを、愚昧な人間どもに与えてやるのだ──!」
 ごごごう、ごごごう! どこからともなく灰色の雲が集まってきたかと思うと、イソップの頭上で渦を巻きはじめました。
 ごごごごごごう! その渦の中から出てきた青白い煙が、ただただ佇むイソップの鼻の中に、するすると入っていったのです。                   


「それ以来、グリース国じゅうに現れては、不実な人間を氷雪風で凍らせて回っているの」
 エプシィは、表情ひとつ変えずに言いました。
「凍らされた者がもとに戻れたという話は、今のところ聞かないわ」
「……恐ろしいわ」
 カムおばさんの作ってくれたオムレツをつつきながら、赤ずきんは言いました。そして、話してくれたエプシィの顔を見つめます。
「でもあなた、どうして見てきたように話すことができるの?」
「本が出ているんだよ」
 厨房から出てきたカムおばさんが、オムレツの横にどさりと本を置きました。文字は読めませんが、表紙に描かれているつば広帽と銀色のコートはまさしく、先日マンダリーノ村で見たあの男でした。本のタイトルを指さし、赤ずきんは訊ねます。
「なんて書いてあるの?」
「『イソップ寓話』だよ」
 皮肉でも言いたげな表情で、カムおばさんは言いました。
「イソップさんが北風の力を手に入れたところを見ていた人間に、徹底的に取材して書いたんだ」
「そういう人がいるのね」
 それにしても、なんておかしな国に来てしまったのでしょう。お母さんの待つ家に帰れる見込みはあるのかしら……と、赤ずきんがため息をついた、そのときでした。
「おい、待て!」「だれかそいつを捕まえろ!」
 男たちの怒号と、足音が響いてきたのです。何かしら、とそちらのほうを見ると、びょーんと緑色の塊が飛び上がりました。
 がしゃんと食器を飛び散らかし、その塊は、赤ずきんたちが囲んでいるテーブルの上にひざを折る形で着地したのです。
「やあみなさん、ごきげんよう」
 それは、一人の男性でした。ところが、この町の人たちとは雰囲気が違います。黒い服ではなく、赤い光沢のあるシャツにベルベットのような緑色のジャケットを羽織っています。細く長い足をぴったりした白いズボンに包み、茶色く長い髪の毛を後ろで一つに束ねています。そして、バイオリンを一挺とそれを弾く弓を一本、革のベルトで背中に括り付けているのでした。
「ジャコモ! なんだい不躾に!」
 カムおばさんが言いました。
 ジャコモ……探していた人が突然目の前に現れ、赤ずきんは驚きました。
 どたどたと、太った男たちが四人走ってきました。
「警察だ! カムよ、そいつを捕まえろ! 殺人の科だ!」
「殺人だって?」
「そーれっ!」
 二人の男たちがジャコモに飛びつこうとしますが、ぴょーん、とジャコモは飛び上がり、隣のテーブルの上にがたん、と着地します。
「そっちに行ったぞ!」「こっちだ!」
 ぴょーん、がたん。ぴょーん、がたん。テーブルや椅子が散乱し、これでは追いかけてきた男たちが店を荒らしているようです。
「いい加減におしよ、あんたたち!」
 カムおばさんが怒鳴りました。
「いったい、ジャコモは誰を殺したっていうんだ?」
「五人姉妹の三女、ガンナだよ」
「うそ……」
 エプシィが口を押さえました。

3.
 地下に広がるアントスの町は13の地区に分かれているそうです。エプシィの住まいは、カムおばさんの食堂がある「2番区」の隣、「3番区」にありました。小さな表札(もちろん赤ずきんには何と書いてあるか読めません)の掛けられた緑色の扉を太った警察官の一人が引くと、きーっと音がしました。警察官三人と縄でしばられたジャコモのうしろにエプシィが続き、赤ずきんは最後です。
 開くときには音が鳴った扉は、閉まるときには何の音もしません。
 緑の扉を入って五、六歩の位置に、天井から赤ずきんの腰のあたりの高さまで、黒い布が垂れ下がっています。その布の向こうは、楕円形の広い部屋になっていました。
 壁も天井も土ですが柱や板であちこち補強されています。五つの椅子に囲まれたテーブルの上には、修理中と思しき一組の靴が置かれていました。奥には流しと調理台が設えてあります。台所のようです。
 正面と左手に、別の部屋へ向かうためと思われる通路が延びています。
「こっちだ、こっち」
 先頭の警察官が進んでいくのは正面の通路で、ぐねぐねと曲がりながら下へ下へと続いていきます。
「本当にアリの巣のようね」
「私たちの両親が作ったのよ」エプシィが赤ずきんに説明します。「もう三年前に、二人とも死んでしまって、今は私たち五人の姉妹で住んでいるんだけど」
 十字路に差し掛かりましたが、警察官はさらにまっすぐのほうへ進んでいきます。やがて左右に通路が延びる突き当りにやってきました。そこを右に行くと、小さなドアがあります。「やあ、連れてきたぞ」
 ドアを開き、中へ入っていく警察官。赤ずきんたちも続きます。
 台所の半分もない広さの部屋でした。黒い服を着た女性が三人、ベッドを囲んで悲しそうに顔を伏せています。
 ベッドの上に横たわっているのは、髪の長い若い女性。白いシャツの上に、胸を隠すぐらいの長さのニットを着ていますが、その腹部に斜めに、ナイフが突き刺さっています。ナイフの柄は、くすんだ緑色をしていました。
「ガンナ姉さん……」
 エプシィがつぶやくと、三人の女性が一斉に顔をあげました。
「エプシィ、あなたどこへ行っていたの?」
 茶色いくせ毛の女性──三人のうちではいちばん年下でしょう──が訊ねました。
「森の猟師さんの家よ。直した手袋を届ける約束だったから十時には出かけたわ。それより、どういうことなの? どうしてガンナ姉さんはこんなことに?」
「発見したのは、あたしだよ」
 野太い、震える声で言ったのは、長女らしき長身の女性です。二十五歳くらいでしょうか。いかり肩で、眉が太く、頬骨が出ていて、どことなく男性的な雰囲気でした。
「一番上のアルファネ姉さんよ」
 エプシィが教えてくれます。
「あれは十一時十分ぐらいだっただろう。靴の底に打つ鋲を知らないかとガンナに訊ねるために部屋を覗いたら、こんな無惨な状態に。それで、シカダさんのところへ走ったんだ」
 シカダさんというのは、太った四人の警察官のリーダーのことでした。
「あんたがやったんでしょ、ジャコモ!」
 アルファネは突然、空気をつんざくように叫び、ジャコモのほうへ飛んできてその襟首をつかみました。
「あんた、ガンナに振られて恨みを持っていたじゃないか」
 するとジャコモは天井を見上げました。
『ああ、麗しきアルファネよ、真正の人よ。
冬の間に育んだ愛。
それはあたかも、はにかむリンゴ。
たとえ終わりが来たとて、
などか、私が彼女を殺めん』
 芝居がかった声で、まるで二千年前からある詩を諳んじるかのようでした。
「見なさいよ、あれを」ガンナの腹部に突き刺さっているナイフを、アルファネは指さします。「あのナイフ、あなたのでしょう?」
 ジャコモは黒目勝ちの目をぱちぱちさせて、また言います。
『空の神に誓っても、
大地の神に誓っても、
そのナイフは我が所有物なり』
「やっぱりそうじゃないの」
『しかし、昨日の夕刻、
我が腰のさやより消え去っていたものなり。
春の光に溶かされた、それはあたかも雪のよう。
朝の光に隠された、それはあたかも星のよう。
我が腰のさやより、ナイフはひそかに消え去りき』
「嘘をつきなさい!」
 と、再びつかみかかろうとする長女アルファネの前に、
「ちょっと待って」
 赤ずきんは両手を広げて立ちはだかったのでした。
「何よ、あなた?」
「私は赤ずきん。エプシィの友だちよ。ね?」
 同意を求めても、エプシィの態度はそっけないものでした。
「私は別に、友だちだとは思っていないわ」
「エプシィの友だちでもなんでもない赤ずきんが、いったい、私に何の用だというの?」
 大きな鼻の穴から突風のような鼻息を吹き出すアルファネの姿はまるで、牛のようです。
「玄関を入ってすぐ、大きな部屋を通ったわ。台所でしょ?」
「そうだけど?」
「テーブルの上に靴とそれを修理する道具があったけれど」
「私の仕事。靴や服やカバンを修理するの。さっきまでそこで仕事をしていたのよ」
「その部屋を通らなければ、この部屋には来られないんじゃないの?」
「えっ?」
 アルファネは虚を衝かれたようでした。
「たしかに、そうですぅ」
 エプシィより少し年上の、茶髪の少女が甘ったるい声で言いました。
「あっ、デルルって言いますぅ。四女で、エプシィの一つ年上ですぅ」
「よろしくね、デルル」
「よろしくお願いしますぅ」
 赤ずきんが頭を下げると、彼女は、壁に貼ってあった紙を剥がし、赤ずきんに見せます。それは五姉妹が住んでいるこの住まいの見取り図のようでした。
「生前、父が描いたものなんですぅ。でも部屋と部屋の位置関係を表しただけで、立体的に正確とはいえないんですぅ」
 こんなアリの巣のような住まいを立体的に紙の上に表現するのなんて到底無理だわ、と赤ずきんは思いました。
「ここが、今いる部屋ね? ここは?」
 などと、それぞれの部屋割りを聞いていきます。さらに、この住まいには、あちこちに食糧貯蔵庫があるとのことです。上から第一、第二、第三、第四と番号が振ってあり、それぞれ、からす麦、小麦、豆、とうもろこしを貯蔵することに決まっているそうです。
「ずいぶんたくさん蓄えるのね」
「冬のあいだはまったく作物が取れないし、地上にも出られませんからねぇ」
「まあ、事件とは関係なさそう。とにかく、台所のアルファネさんに見られずにこの部屋に降りてくるのは無理そうね」
「ちょっとよいか」
 シカダが、赤ずきんの肩をぽんぽんと叩きます。
「さっきから、君はなんなんだね? 赤ずきんとか言っていたが、なぜいつの間にか殺人現場に入ってきて、なぜいつの間にか捜査の中心にいるような顔をしとるんだ?」
「その子はそういう星のもとに生まれているようです」
 ずっと黙っていた女性がいいました。目の下に隈のある、なんとも陰気な女性です。首から下げた木のトレイの上に、石や貝殻やコルクなどをばら撒いて、占いのようなことをしているのでした。
「二番目のベッタ姉さん」
 赤ずきんの耳もとでエプシィがささやきます。
「赤いずきんを被りし者、難解なる紐の結び目を、ほどきたもう……そう出ています」
「ん……まあ、ベッタが言うならそうなのか」
 シカダは納得したようです。その隙をつくように、赤ずきんは言いました。
「ちょっと、事件が発覚する前のことを詳しく整理したいんだけど、誰か、教えてくれないかしら?」
 そこから数分のアルファネ、ベッタ、デルル、エプシィの証言からまとめられたのは、次のようなことでした。

八時半 五人で台所にて朝食。
九時  朝食、終了。アルファネ、靴直しを始める。ガンナ、後片付けを始める。ベッタ、デルル、エプシィ、それぞれの部屋へ。
九時十分 ガンナ、片づけを終え、アルファネと話をする。
九時三十分 ガンナ、部屋へ戻る。
十時 エプシィ、手袋を届けに玄関から出ていく。
十時十五分 デルル、自室にいるところを『十一時に部屋に来るように』とガンナに声をかけられる。
十一時 エプシィ、赤ずきんと会う。
十一時十分 アルファネ、ガンナの部屋へ。ガンナの死体を発見。

「ふぅーん」
 赤ずきんが頭の中で整理していると、
「おい、おい」
 またシカダが話しかけてきました。
「本当にお前みたいな子どもが、事件の真相を暴くことができるのか」
 こんなに話しかけられちゃ、集中できないわと赤ずきんは思いました。
「シカダさん、ジャコモに確認したいことがあるの。二人きりにしてくれないかしら?」

4.
 どうぞ使ってくださいぃ、とデルルが言うので、赤ずきんはジャコモを引き連れてデルルの部屋へ移動しました。
 赤ずきんは、デルルのベッドに腰かけたジャコモの顔を見つめます。
 縄は解かないという条件でしたので、胴はぐるぐる巻きにされたままですが、ジャコモの表情はいくぶん和らいでいました。
「ジャコモ、狐のライラスを知っているわね?」
 赤ずきんの質問が意外だったようで、ジャコモは目をぱちくりさせていましたが、
『おお、マンダリーノ村の友人よ。
その毛並みは小麦畑のごとく、
その速さははやてのごとく、
ずるがしこきこと……』
「ちょっ、ちょっ……」
 赤ずきんは止めました。
「普通にしゃべれないの?」
 ジャコモはふたたびその黒目勝ちな目をぱちぱちとさせましたが、「しゃべれるよ」とあっさり言いました。
「だがこの国で詩人はとても女性に大事にされるんだ。働くことしか頭にない者たちは僕に見向きもしないけれど、芸術を愛する気持ちが欠片でもある女性なら、必ず僕のことを気にしてくれる。それで、去年の冬はやりすごしたもんだからね」
 よくわかりませんが、赤ずきんの好きなタイプではありません。しかし、今は彼を頼りにするほか、ないのです。
 赤ずきんは、今までの自分の冒険譚をかいつまんで話し、助けを必要としているのだと説明しました。
「ふんふん」
 ジャコモはうなずきながら聞いていましたが、
「ライラスはやはり、ずいぶん賢い狐なんだな。そういう相談を持ち掛けるなら、グリース国でもっともうってつけなのは、このキリギリスのジャコモ様だ。生まれ故郷の港町、ピリーウスには、たくさんの貿易商の知り合いがいる。コマルセイユ行きの船だってあったと思う」
 コマルセイユ……聞いたことのある港町です。そこまでいけば、なんとか家に帰れるでしょう。
「確認するけど、あなたは本当に殺してはいないのね?」
 ジャコモはすぐさま天井を見上げ、また詩を口にします。
『おお、われが人を殺めるならば、
などか、自分のナイフを使おうか。
あたかも、われを疑えと、
言わんばかりの所業なり』
 気取った言い方は気に入りませんが、赤ずきんもそう思っていたのでした。
「こうしましょうジャコモ。私が真犯人を突き止めてあなたの無実を証明する。あなたはそのお礼に、私をピリーウスまで連れて行って、コマルセイユ行きの船に乗る手はずを整える」
 ジャコモは眉を顰め、赤ずきんの顔を見ます。そして言いました。
「今、草原の中に宿屋があって、玄関の前に十本のろうそくがあるとする」
「えっ?」
「君はその十本すべてに火をつけ、その宿屋に泊まる。朝になって、何本のろうそくの火がついたままになっているだろうか?」
「なによそれ」
「心理テストさ。君が信用に足る人間か、確かめるためのね」
 こんなことで人を信用できるものかしら。赤ずきんは肩をすくめながら答えます。
「一本もついていないわ。全部、消えてる」
「おっと、これは意外だな。今のは自信と実行力を診断するテストなんだ。火が消えないろうそくが多いほうが、自信と実行力があると判断される。君は口こそ達者だが、まるで自信のない臆病者じゃないか」
 ふふん、と赤ずきんは笑いました。
「『十本すべてのろうそくの火が残っている』なんて答える人は、自信と実行力があっても本質が見えない愚か者よ」
「というと?」
「夜通し火が消えなかったら、すべてのろうそくは燃え尽きるじゃない。だから私は『一本もついてない』と答えたの。そもそも、ろうそくが残っていないんだもの」
 ジャコモは目を見張りましたが、すぐに、タララ、タラララーと歌い出しました。
「君の答えがいちばん正しいようだ。いいだろう。君に僕の運命を託そう」
「じゃあまず、聞かせてね。あなたと五姉妹の関係を」                  

 

(つづく)