ネバーランドに消ゆ
6.
「あれは去年の十二月だった!」
肉の丸焼きを手に、ピーターは勇ましい表情で言い放ちます。
「いや、おととしの三月じゃなかった?」
ロストボーイズの1番が言うと、
「三年前の九月だったと思う」
「いや、五年前の四月さ」
双子の3番4番が好き勝手なことを口にしました。
「何年前の何月だって変わりゃしないさ。俺たちは何年たっても子どものまんまなんだから!」
ケタケタケタとピーターが笑います。ジョンやマイケルを含むロストボーイズの面々も笑い、その場にいるピカニニ族のあいだにも笑顔がこぼれます。
海賊船から戻って一時間ばかり。赤ずきんたちは今、ピカニニ族の集落にて、歓待の儀式を受けているのでした。
みんなでパチパチと燃える火を囲んでいます。その火で焼かれたのは鹿の肉。丸焼きにされた肉を、係の者たちがとりわけて運んできます。
ピカニニ族の人たちは、お話をするのが苦手なのか、歓待の儀式と言っても静かなものでした。賑やかなのが好きなピーターはそれに我慢できなくなったらしく、「時計ワニの誕生についてしゃべってやる!」と火の前に出てきたのでした。
「あの日、フック船長が俺に因縁をつけてきたんだ。――お前の吐き出したスイカの種が、わが誇り高き海賊船、ジョリー・ロジャー号の旗のドクロの鼻に傷をつけたぞ、どうしてくれる?」
ピーターはフック船長の声真似をしました。
「だから俺は言いかえしてやったんだ。『お前を殺して、お前のドクロを代わりに掲げて置いてやる。その金ぴかの腕時計も一緒にな!』って。……フック船長はその頃、左手は鉤じゃなくって、手首に金ぴかの腕時計をつけていたのさ」
はっは、と笑い、ピーターはくるりとまた宙返りをしました。
「『無礼者!』フック船長は剣を抜いた。俺もさ。そのときはこのナイフよりもっと長い剣を持っていたから。これくらいのね」
足元に落ちていた枝を拾い、剣に見立てます。
「俺たちは斬りあった。えいっ、とおっ!――フック船長はそのとき調子がよくって、俺は海賊船の舳先まで追い詰められた。だけどすんでのところで、さっと身をひるがえし、立ち位置が逆転さ。そこですかさず俺は剣を船長の左手に振り下ろした。切り落とされた左手は時計ごと海に真っ逆さまさ」
ピーターは、あーっと、左手が落ちていくのを追いかけるようにしておどけます。
「ちょうど船の下では、ワニが口を開けていて、船長の左手をパクリ」
聴衆が盛り上がります。
「ワニは喜んで尻尾をばちんばちんと海面に叩きつけた。『もっとくれ、もっとくれ』ってね。腹の中からは、チックタックって腕時計の音が響いていたよ。フック船長は真っ青さ。『勝負はお預けだ』と泣きべそをかきながら船室に逃げ込んでいった。俺は勝利の高笑い」
はーっははは、はーっははは。ピーターと一緒に、ロストボーイズも笑いました。ピカニニ族の若い男性たちは立ち上がり、楽しげに踊りはじめます。手のひらを口につけたり離したりしながら、おーぽぽぽぽ、と甲高い声を出しています。
「それ以来、フック船長はあの時計の音を聞くと、ビビって逃げちまうのさ。あー、愉快、愉快」
おーぽぽぽぽ、とロストボーイズの面々もまた、手の平を口につけて離し、踊るのでした。
「盛り上がってきたら、こうなっちゃうのよ」
ティンクは膝にオレンジの切れ端を載せ、しかめ面をしています。
「ウェンディが大変だっていうのに、しょうがないわね」
ウェンディの弟のマイケルまで一緒になって踊っているのですから、本当に男の子っていうのはしょうがない生き物です。ジョンは一人だけ、白けたようにみんなを見ながら食事を続けていました。
歓待の儀式がお開きになったのはそれから一時間ほどしてから。炎はなく、薪がくすぶっています。
「あー、楽しかった。じゃあそろそろ丘の上のねぐらに戻ろうか」
「ねえちょっと! ウェンディは? ジュークスの死体を探しましょうよ」
赤ずきんが言うと、ピーターははははと笑いました。
「もちろん、助けに行くよ。今からねぐらに戻って作戦会議だ!」
「死体捜索の?」
「いや、海賊船を襲う作戦さ。赤ずきん、君の役もあるから頼むよ。さっきの海賊船でのフック船長との堂々たるやりとりは度胸が据わっていたよ。そのあとの闘いっぷりもさ」
「あなた、何を見ていたの? 私はマストにしがみついていただけよ」
「よし、君を斬り込み隊長に任命しよう」
「違うでしょ。私は死体消失の謎を解くために呼ばれたんでしょ」
「そうと決まったら!」
赤ずきんの話などまったく聞く様子もなく、ピーターが丘に向かって飛んでいきます。ロストボーイズの面々もめいめい、飛んでいきます。
「待ってよ」
丘の上に戻ると、木の家の前にあるテーブル代わりの切り株を囲み、さっそくピーターによる作戦会議が始まりました。
「誰か。フック船長や海賊を襲う面白い方法を思いつかないかい?」
さっ、と手を挙げたのはいちばん小さいマイケルです。
「卵でしゅ。卵を、頭になげつけてしまいましゅ」
「そりゃいい!」
ピーターがおなかを抱えてきゃきゃきゃっと笑います。ジョンだけは薄笑いを浮かべただけですが、他のロストボーイズは、マイケルを含め、大喜び。
「マイケル、君はそんな小さいのに、イタズラの天才だ。さっそく今から、卵を取りに行こう。島の北に、海鳥がたくさん集まって巣を作っているところがある!」
おーっ!と一同は腕を突きあげました。ピーターはすぐにぴゅーっと飛びたち、ロストボーイズも続きます。
「待ちなさいよ」
ティンクもまた、追っていきました。
今、帰ってきたと思ったら、すぐにまた別のところへ飛んでいく。男の子って本当に、落ち着きがありません――と思ったら、
「やれやれ」
ピーターたちについていかず、岩に腰掛けてハンカチで額を拭いている男の子がいます。
首にラッパを下げた少年、ジョンでした。
「みんなと一緒に行かないの?」
「行かないさ。卵なんかで海賊がやっつけられるもんか」
やはり一人だけ、大人びています。赤ずきんも彼の正面の岩に腰を下ろし、少し考えることにしました。
「……いったい、死体はどこにあるのかしら。そして、誰が死体を動かし、服を着せた人形をトーテムポールに?」
「さあね」
「何のためよ? 理由が全くわからないわ」
「僕もだよ」
大人びていても、推理に付き合ってくれるつもりはなさそうです。それならそれで一人で考えるからいいのですが。
不可解な事象が起きたときの推理の鉄則。それは、『その事象が起きなかったらどうなっていたか』を考えるのです。もしトーテムポールにジュークスの服を着た人形がぶら下げられていなかったら……いつもの日常が流れていただけです。
ダメだ、これじゃあ何も考えていないのと一緒だわ、と赤ずきんは足元を見ました。
「ん?」
地面に筋がついています。
「ねえジョン。これ、何かしら? 何か重いものを引きずった跡のようにも見えるけど」
「えっ?」
ジョンは甲高い声で反応しました。興味をひかれたのかと思いきや、
「……知らないなあ」
やはりつれない返事です。跡の一方は島の西にあるピカニニ族の集落へ通じる道へ。もう一方は南の人魚の入り江に通じる道へ延びています。さらによーく観察すると、削られた土の状態から、ピカニニ族の集落からこの丘を経由して入り江に向かって引きずられていったことがわかりました。
「ちょっと見てくるわね」
赤ずきんは立ち上がり、跡をたどっていきます。
人魚の入り江までやってきました。海が近づくと岩場になっているので跡は消えましたが、何か残っているかもしれないと、注意深く岩場を観察していきます。
すぐに岩と岩のあいだに、木の屑がたくさん散らばっているのを見つけました。その一つを摘み上げてみると、黒い樹皮でした。明らかに刃物で削られたもので、栗色の髪の毛がまとわりついていました。
「どうしたんだい?」
振り返ると、ジョンが立っています。心配して、ついてきてくれたのでしょうか。
「ジョン、これを見て。虚無の木だと思うの」
眼鏡に手を添え、ジョンはそれを観察しますが、何も言いません。
「知っているでしょう? ティンクが持っている黒い木の枝。樹皮は触れても大丈夫だけれど、削った内側はクレヨンみたいになっていて、それで丸を描くと、囲んでしまわれた部分は何もなくなってしまうのよ」
「……聞いたことがないな」
あれ、と赤ずきんは思いました。この島に長くいて、そんなことがあるでしょうか。
「そんなところにいると危ないわ」
海のほうから声が聞こえました。
すぐそばの海面に、一人の人魚が顔を出していました。目の下にクマのある、なんとなく陰気な人魚。メアです。
「イタズラ好きの仲間に、海に引きずり込まれてしまうわよ」
小さな声で言います。
「人魚って、岸に上がってこられるの?」
赤ずきんの質問を聞くが早いか、彼女は岩を両手でつかみ、ざばあと上がってきました。
「ほら、こうやって上がってこられるわ」
魚になっている下半身には、うろこがきらきら光っています。絵本で見る限りでは美しいイメージがありましたが、こうやってすぐそばで見ると、巨大な魚のようで不気味なものがありました。メアは赤ずきんのことを両手でつかめそうな位置までずりずりと迫ってきます。もし彼女に海に引きずり込まれてしまったら、ひとたまりもありません。
赤ずきんの心中を悟ったのか、メアはふふ、と薄く笑い、ぼちゃんと海に飛び込んでいきました。
「あんまりからかうなよ、メア」
ジョンが文句を言いました。ジョンとメアは仲がいいと、ロストボーイズの1番が言っていたのを赤ずきんは思い出します。
「ごめんなさい。でも、人間に好意的でない仲間もいるって忠告しとかないと」
「そうね。ありがとう」
少しむっとはしましたが、赤ずきんは一応、お礼を言いました。そして、海の中にあるものを見つけたのです。
「ねえメア。そこに沈んでいるオレンジ色のものは何?」
「えっ? どれよ?」
「それ。海藻に引っかかっているのかしら?」
メアはとぼけたように、どれ、どれと言っていましたが、赤ずきんがあまりにしつこく言うもので、海に潜ってそれを引っ張り上げてきました。古びた、大人の男物のブーツでした。左足です。
「ジュークスのじゃないの?」
「どうかしら」
メアがかすかに動揺している様子です。ジョンは何も言いません。
「そうよ!」
ティンクの声でした。ぱたぱたっと、ブーツの前まで来て、まじまじと観察しています。
「それはジュークスのブーツ。間違いないわ!」
「ティンク。あなた、みんなと一緒に卵を取りに行ったんじゃないの?」
「そうなんだけど……うーん、うーん。どういうことなのかしら? さっぱりわからない」
頭を抱えながら、ばたばたとあたりを飛び回ります。
「落ち着いて。順番通りに話せばいいのよ」
「そうね。私たち、卵を取りに島の北に行ったの。北の崖のところは海鳥がたくさん巣を作っているんだけど、その巣の真ん中に枯れ木が一本あって、その枯れ木に、帽子を被った男が一人、凭れていたわ」
「まさか、ジュークス?」
「私もそう思って近づいていったら、凭れていたのは大人ぐらいの背の高さの丸太だったことがわかったの。帽子を被らされて、白い布を服のように纏わされて、右足に当たる部分にブーツが片方だけ。遠くから見たら人に見えるのよ」
どこかで聞いたような話です。
「そのうち、1番が『これはジュークスの帽子だ!』って言い出したの。たしかに私も見たことがあったわ。そして、置いてあったのは、あなたが持っているのと同じオレンジ色のブーツ」
「ジュークスの帽子とブーツ?」
「赤ずきん。あなた、これがどういうことかわかる? シャツとズボンは島の西、帽子と片方のブーツは島の北。そして今、島の南でもう片方のブーツが見つかった。いったい誰が、ジュークスの着ていたものを島のあちこちに散らかして回っているのかしら。そして、肝心のジュークスの死体はどこにあるの?」
うーん、うーんと頭を抱えながら飛び回るティンク。
赤ずきんもわかりません。しかし、この入り江を改めて調べてわかったことが、新たな事件の輪郭を頭の中に描きはじめています。ジョンもまた考えているのか腕を組み、メアはいつの間にか海に潜っていってしまいました。
「ピーターなんてまったく頼りにならないのよ」
興奮冷めやらぬティンクは一人、しゃべり続けています。
「『フック船長に教えてやろう!』って、海賊船を探して飛んでいったわ。またジュークスの死体が見つかったって嘘をついて挑発する気なのよ。放っておきましょう」
海賊船は今、島の北西あたりでしょうか。そこへピーターが飛んでいき、海賊船はジュークスの死体を回収しに島の北へ――。
「ちょっと待って」
その光景を頭に思い描き、赤ずきんには、見えました。
「えっ、えっ? まさか……」
事件に隠された、本当の恐ろしい目的。
しかし、いったい誰がそんなことをするというのでしょう。
「赤ずきん」
ジョンが話しかけてきます。
「行かなくていいの? 島の北に。君の調べたいものはそこにあるんじゃないのかい」
眼鏡のレンズの向こうの二つの瞳が、赤ずきんを捉えていました。
「北を調べに行く必要はないわ」赤ずきんは答えました。「私が興味あるのは、東の磯よ」
「あそこいつも沖合に海賊船が浮かんでいる、海賊の根城だよ」
「今、海賊船と海賊たちはお留守でしょう? このチャンスに調べなきゃ。ティンクもジョンも一緒に来てくれない?」
「いや、でもなあ……」
「いずれ、行くことになるんだから」
赤ずきんの言葉にジョンのまぶたがぴくっと動きました。
「どういう意味?」ティンクが不安そうに訊ねます。
「行けばわかるわ。チェッコが金貨を拾いながら歩いてきたっていう獣道を逆に行きましょう」
赤ずきんは二人を率いて歩き出します。
いつの間にか、日は傾きかけています。永遠の子どもたちが住むこの世界にも、夜はやってくるのでした。
獣道は、今までの赤ずきんの旅の中でも最も木の生い茂った、歩きにくい道でした。しかしすぐにその道は開け、目の前には岩がちな海岸が広がってきたのです。
「宝の隠し場所ってどこかしらね」
「さあ、わからないな」
ジョンがそっけなく答えます。
「まあいいわ、きっとすぐに見つかるところにあるだろうから」
「赤ずきん、さっきから何を言っているのかわからないわ」
ティンクが訊ねたそのとき、赤ずきんは見つけました。
「あれを見て!」
波打ち際の近くに、うつぶせに倒れている人が見えます。
「あれは!」
ティンクがいち早く飛んでいきます。赤ずきんとジョンは遅れて近づきます。
四十ばかりの、髭だらけの男でした。身に着けているのは、下着だけ。目をかっと見開いて、口も開いたまま。その口の中から、海藻がちょろりと顔をのぞかせていました。
「ジュークスよ」
ティンクが低い声で言います。赤ずきんはうなずきます。
「やっと出会えたわね、ジュークスさん」
「僕たちが海賊と戦闘中、アクシデントで海に落ちちゃったんだろう」ジョンが眼鏡に手を添えます。「それが、潮に流されてここに打ち上げられた」
赤ずきんは死体のそばにしゃがみ、足に触れてみました。
「何をしているの、赤ずきん?」
「ティンク、ジョン、触ってみて。濡れているわ。全身、びしょ濡れよ」
「触らなくても見ればわかるわ」
「そうだよ」
「じゃあ覚えておいてね。とても重要なことよ」
するとティンクはパタパタと、赤ずきんの顔の前までやってきました。
「あなたの言っていることはまったくわからない。赤ずきん、何かが見えたというの?」
「何もかもよ。さあ、行きましょう」
「どこへよ?」
赤ずきんはにこりと笑って答えました。
「ちょっと、海賊船まで、事件の解決に」