オオカミ少年ゲーム
6.
「うーん、やっぱりおかしいわ」
ランプの光の下で、赤ずきんは紙を眺め、唸っています。向かい側ではデンドロがワインをぐびぐび飲んでは「ああ、俺の命は終わる、ああ」と嘆き続けているのでした。
「うるせえなお前は」
文句を言うのは鶴のポースです。壺に入れた食事は食べてしまったようでした。
「辛気臭いんだよ。俺がせっかく助けてやったんだから、ちっとは明るい希望を持て」
「希望なんてない。明日が俺の最後の日だ。ああ、俺はあのゲームに命まで取られてしまう」
地下スタジアムでの「イソップさんだ!」という叫び声の主は、ポースだったのです。あまりにデンドロが哀れで、そして赤ずきんの勝負運びがふがいないので、同情したとのことでした。
三人は、人がすっかりいなくなった地下スタジアムの屋台から持てるだけの食事を失敬し、リリュコスの外れにある石造りの小さなデンドロの住まいにやってきたのです。そして、サンドイッチなどを食べながら、ああでもないこうでもないと時間を潰しているうちに夕方になり、夜になってしまったのでした。
「お前も飲むかポース。ああ、飲むがいいさ」
ポースの壺をひったくると、デンドロはボトルから壺にワインを注ぎました。返された壺にくちばしを突っ込み、ぴちゃぴちゃやっていたポースですが、
「こんなふうに注がれても、藁でもなきゃ飲めねえだろうがよ」
どん、とテーブルを手で叩きます。
「そんなことくらいなんだ。今宵が最後のワインになる俺に比べたら、ああ、ああ……」
デンドロが嘆きます。
「うるさいわねっ! 今、今日のゲームを検討しているのよ、静かにして」
赤ずきんは再び、紙に書いたゲームの結果を見ます。
第一チャレンジ 青【嘘つき】 羊・三匹帰宅
第二チャレンジ 赤【オオカミ】 羊・〇匹
第三チャレンジ 黄【嘘つき】 羊・三匹帰宅
第四チャレンジ 白【嘘つき】 羊・二匹帰宅
第五チャレンジ 緑【オオカミ】 羊・二匹餌食
「私が【嘘つき】のカードを出したときに限って、シャビースは多くの羊を小袋から出しているわ。何か、カードを盗み見る方法があるんじゃないかしら」
「そんなのねえよ。デンドロがカードに印を描くときは周りに布が張られて、絶対に見ることができない状況なんだからな」
たしかにそうです。現に、あのときあの場にいた赤ずきんから見ても、デンドロの手の中を覗くのは不可能に思えました。
「それによ、本当にカードをすべて読まれているんだとしたら、ここ、おかしくねえか?」
ポースがこんこんと叩いたのは第四チャレンジの箇所でした。
「【嘘つき】だとわかっているなら、二匹じゃなくて三匹通したほうが得だぜ? これまでそうしてるんだからよ」
「……たしかに。この第四チャレンジのときって、何かおかしいこと、あったかしら?」
「んー」
ポースは天井を見上げました。
「蛾が飛んできて、カサンドラが逃げ出したな」
赤ずきんはそのときのことを思い出しました。
白いカードを伏せてしばらくしたあと、どこからともなく手のひらくらいもある大きな蛾が飛んできてカードの周りをまわったかと思うと、カサンドラのほうにひらひらと向かっていったのです。カサンドラは虫が嫌いなようで、「ひっ!」と叫んでどこかへ逃げ出し、勝負が終わっても戻ってこなかったのです。
「何も関係なさそうだわ」
赤ずきんは両手を頭の後ろに回し、薄汚れた天井を眺めました。
「シャビースとギッピス、それからカサンドラと、ロリヒはどうやって知り合ったのかしら? 随分長い仲のようだけど」
「いや、彼らがロリヒとつるんでいるのは、ここ一年のことだ」
「そうなの?」
赤ずきんはポースのほうを見ました。
「グケッ。突然この町にやってきて、ロリヒに取り入って仲間になった。シャビースはゲームでは負けなしで、荒稼ぎをしている。考案者のロリヒよりずっと強い」
「ロリヒより……」
「そうだ。ロリヒは三割くらいは負ける。だがシャビースが負けるのは、見たことがねえな」
それはおかしな話です。いくら駆け引きが得意とはいえ、常勝できるルールではありません。イカサマでしょう。しかし、いったいどういう……
「ああ、絶望だ」ワインボトルを床に投げ、デンドロが立ち上がります。「いっそのこと、今夜中に自ら命を絶ってやろう。そうだ。あの池がいい」
デンドロは赤ずきんの顔を指さしました。
「俺があの池に身を投げたら、女神は金の俺と銀の俺を出してくる。正直に答えるんじゃないぞ赤ずきん。女神が俺を池に引きずり込むのを見届けてくれ」
錯乱して何を言っているのかよくわかりません。デンドロは赤ずきんの答えも待たず、家を飛び出していきます。
「待ってよ!」
ポースとともに後を追いかけて外へ出ると、デンドロはそこに尻餅をついていました。そしてその前に、岩のような巨体がでーんと立ってるのでした。
「お前だなデンドロ、俺のカサンドラを殺したのは」
地獄の底から響くような、恐ろしい声。ロリヒでした。
「こ、こ、殺した?」
「とぼけるんじゃねえ!」
蜂の羽音のような耳障りな声で、ギッピスが騒ぎ立てます。
「今さっき、飯を食おうと、カサンドラの家にみんなで行ったんだ。そしたら、首を絞められて殺されてるじゃねえかっ!」
なんということでしょう。赤ずきんは混乱しはじめました。
「追い詰められた能無しってのは恐ろしいもんだな」シャビースが吐き捨てます。「お頭じゃかなわねえからって女を狙うとは……ゲスにもほどがあるぜ」
「ちょっと待ってよ!」
赤ずきんは言いました。
「何があったか知らないけど、さっきの地下スタジアムの騒動のあとから、デンドロは私とずっと一緒だったわ。鶴のポースも一緒よ。ねえ?」
「あ、ああ……」
ポースがびくびくしながらうなずきました。「イソップさんが来たぞ」と叫んだのが自分だとバレないか、恐れているのでしょう。ロリヒ一味はそれにはまったく気づく様子はありません。
「お前の言うことなんて信用できるかよ」
「私に現場を見せてくれない?」
すごむシャビースを無視し、赤ずきんはロリヒに直談判します。
「こう見えて私は、今までいろいろ事件を解決してきたの」
「はったりを言うんじゃない」
怒りに震えるロリヒに向かって、赤ずきんはさらに言いました。
「あなた、カサンドラが死んだ報告を受けたとき、椅子に座ってうたた寝してたでしょう。靴を脱いで足を他の椅子に乗せてね。それで報告を受けて靴を履いて出ようとしたけれど、薄暗い中で靴ひもを結んでしまったため、左右の靴の紐が繋がってしまい、転んでひざを打っちゃった」
「な、なんでそれを!」
ロリヒは目を見張りました。
「襟によだれのしみができている。ベッドで横になって眠っていたんじゃ、そこにしみはできない。それからズボンの両方の膝に血がにじんでるわ。両膝を一気に打ち付けるなんて、靴ひもどうしが誤って結ばれていないと起きないでしょ」
「…………」
「お願い。カサンドラの部屋を見せて」
ロリヒはしばらく赤ずきんを見つめたうえで、「ついてこい」と踵を返したのでした。
7.
カサンドラの部屋は、デンドロの住まいから十分ほど歩いたところにありました。白い壁の三階建ての集合住宅で、一階と二階には別の住民が住んでいます。階段を上り、木の扉を開き、ランプで屋内を照らします。倒れた丸テーブルと、床に敷かれた敷物に、うつ伏せになったカサンドラの死体がありました。
自分で現場を見ることを望んだのですが、やはり気持ちのいいものではありません。うんざりした気持ちを押し込めながら、赤ずきんは部屋の中を観察しはじめます。ロリヒ、シャビース、デンドロ、それにポースもランプを持っているので、夜とはいえ部屋はかなり明るくなりました。
台所があるここは、生活空間でしょう。死体の脇、敷物に水のしみができていて、カップが二つばらばらに砕け散り、レモン二切れと、火の消えたろうそくの刺さった燭台が落ちています。壁際には調理台があり、半分に切られたレモンと、ガラスの水差しがありました。水差しの中、水は半分ぐらい減っています。
「確認だけど、デンドロ、あなたはカサンドラと親しくしていたわけじゃないわよね?」
「ま、まさか」
「そんなわけないだろう!」
デンドロの否定にかぶせるように、シャビースが笑います。
「カサンドラはお頭の恋人だぜ? こんな汚いきこりが話していい相手じゃねえ」
赤ずきんはうなずき、燭台を手に取ります。
「カサンドラが殺されたときにはこれに火がついていたらしいわね。だとしたら、薄暗くなってから。たぶん、夕方の五時よりあとでしょう? やっぱりそのときデンドロは、私たちと一緒にいたわ」
「だからお前の言うことなんて信用できねえって……」
「信用しよう」
シャビースの言葉を遮り、ロリヒが言いました。
「ありがとうロリヒさん」悔しそうに口を噤むシャビースを横目に、赤ずきんは続けます。「五時以降、あなた方はみんなで一緒にいたの?」
「いや、鍾乳洞から脱出し、しばらく身を潜めた後で、街に戻ってきたのは四時ごろだったろう」ロリヒは意外にも明確に答えました。「飯を食うので七時に俺の住み家に集まる手はずだった。ギッピスが俺を叩き起こしに来たのがちょうどそのくらいだったな?」
「ええ」ギッピスが答えました。「カサンドラを誘おうとしたら、こんな状態で」
蜂の羽音のような声も、涙で詰まっています。
「そのドアは?」
死体の足のほうにあるドアを指さし、赤ずきんは訊きました。
「寝室だ。衣裳部屋も兼ねている」
「見せてもらうわね」
デンドロからランプを借り、ドアを開くとそこは狭い部屋でした。ベッドと洋服掛けでもういっぱいです。洋服掛けには肌を露出するようなきらびやかな衣装がたくさんかかっていますが、それに隠れるように、木の箱がありました。蓋を開けてみると、中にはたくさんの封筒がしまってあります。
「それは、俺が書いた手紙だ」背後でロリヒが言いました。「カサンドラ、こんなところにしまっていたんだな」
「大事に保管されているわね。カサンドラとは恋人だったの?」
「ああ。会ったときから俺たちは惹かれあった。カサンドラ……」
二人がお互いを思う気持ちは本物だったように赤ずきんには見えました。
と、洋服掛けの端に掛かっている革製のものが、気にかかりました。手に取ってみるとそれはマスクのようですが、鼻の部分に金属が取り付けてあり、それがなんともものものしいのです。なにより、あんなにオシャレなカサンドラがつけるのは変です。
「それは、鼻ふさぎだ」ロリヒが説明します。「カサンドラは人一倍、鼻が利くんだ。だがそれで苦しむことがあった。窓の外を見てみろ」
赤ずきんは窓に目をやりました。隣の建物とのあいだに木が三本あり、黒い実が生っています。
「その実が臭い臭いといって、寝るときには鼻ふさぎを装着するんだ」
「ふーん。寝るときだけね」
そのときダイニングのほうで、シャビースとギッピスが何か相談しているのが見えました。赤ずきんの視線に気づいたのか、シャビースがごまかすように天井を見ます。怪しいわ──赤ずきんは気づかないふりをして元の部屋に戻りました。
うつ伏せになっているカサンドラの死体。髪がアップにされているので首筋が見えます。紐は首に巻かれた状態で、うなじのところで絞め跡が途切れているのを見ると、後ろから絞められたのでしょう。
「カサンドラを仰向けにしてくれないかしら?」
ロリヒは怪訝な表情ですが、すぐにカサンドラの死体をひっくり返しました。その死に顔は、目を見開き苦しそうです。胸元の露わな、真っ赤なドレス。肉感的なこういうドレスもまた、イソップにしてみれば「不実」なのではないでしょうか。
ふと、その胸元に引き寄せられました。ドレスの中に、何か硬い塊が入っているように見えます。
「失礼するわね」
赤ずきんは胸に手を突っ込みます。やはり乳房のあいだに何か硬いものが挟まっています。引っ張り出すとそれは、羊の形をした石でした。
「『オオカミ少年ゲーム』の羊じゃねえか」
シャビースが目を細めました。
「誰の持ち物かしら?」
「どうだろうな」シャビースはとぼけるように言いました。「あのゲームを嗜む者なら、セットで持っていておかしくない。現に俺たちは常に一セット持ち歩き、それぞれの家にも一セット予備を置いてある」
「だが、カサンドラは持っていなかった」
ロリヒが断言しました。
「彼女はゲームそのものに興味を示さなかったんだ」
赤ずきんは、その美女の死体を見下ろして言いました。
「おそらくカサンドラは殺される直前、犯人を示そうと一つかすめ取り、自分の胸の谷間に押し込んだんだわ。そして、薄れゆく意識の中で隠すようにうつ伏せに倒れた。悪いけど、三人とも羊が入った小袋を見せてくれない?」
「俺たちを疑うってのか!」
シャビースはつっかかりますが、ロリヒが率先して腰にぶら下げた小袋を赤ずきんに差し出したので、シャビースとギッピスも渋々といった感じで小袋を出しました。三人の袋の中には、カードが何枚かと、羊の石があり、羊の石はそれぞれ十個ずつちゃんとありました。
「これでわかったか、インチキ女め。デンドロじゃないっていうなら、犯人はスタジアムに出入りしている誰かだろ。カサンドラに横恋慕し、ここに押し入って殺したんだ」
ギッピスの悪態まじりの乱暴推理を聞き流し、赤ずきんはカサンドラの胸の間にあった羊をつまみ、考えました。この感じ、何かに似ています。ぎゅっ、と握って目をつぶり……すぐに閃きました。
ふふ、と思わず笑い声が漏れていました。
「ロリヒさん、これ、証拠品として借りていていいかしら? これを目の前に考えていれば、推理がまとまりそうな気がするの」
「犯人がわかるというのか?」
「犯人がわかっただけでは推理とは言わないわ。羊をあなたに返すときは、事件と、ゲームの真相がすべて明らかになるときよ」
首を傾げるロリヒから、赤ずきんはシャビースに顔を向けました。
「今日は妙な邪魔が入ったわね、シャビース。明日の正午から続きをやりましょう」
シャビースは一瞬きょとんとしましたが、「のぞむところだ」と舌なめずりをしました。
「デンドロの命が尽きるのを、心待ちにしとけ」
「二千ドラクール入ることを心待ちにしてるわ。ごきげんよう」
そして、震え上がっているデンドロと、何も言えず怯えているポースを促し、赤ずきんは現場をあとにしたのでした──。