リリパット国転落事件

 

1.

 

 まったく、なんて揺れる船なのかしら!

 赤ずきんは船室の柱のロープに体を結びつけ、バスケットを抱きしめて耐えています。

 ごごごう、ごごごう……巨大な黒い雲から雨が叩きつけるように降ってきています。海は荒れ狂い、帆船アンテロープ号はおもちゃのようにぐらぐらと波に弄ばれているのです。

 右へ左へ、また右へ左へ……

「いつになったら、帰れるのっ!」

 あまりにイライラして、叫んでしまいました。

「まあまあ。航海していたら、こんなことはしょっちゅうですよ」

 赤ずきんの前でゆり椅子に腰かけているのは金髪の男性。どんなに暑くても長そで長ズボン、足にはごてごてした長いブーツを履いているこの人はガリバーといって、このアンテロープ号という帆船の船長なのです。

 ひょんなことからロンドンとかいうおかしな大都市に迷い込んでしまった赤ずきんはなんとか伝手を探し、このガリバーと知り合いました。近々航海に出るアンテロープ号に乗船させてもらうことになり、おうちのあるランベルソの近くの港町まで送り届けてくれるという話だったのですが……出航からわずか数時間にしてこのありさまです。

「どうしてもっと天気のいい日に出航しなかったの?」

「天気は予測するのが、むずかしいですからね」

 ガリバーの座っているゆり椅子が、右から左にずずずぅと移動していきます。船旅に慣れた彼は自分を固定することなく、ゆり椅子ごと揺れに身を任せながら編み物をしているのでした。

「それに、虹の霧に入りたいって言ったのは赤ずきんさんでしょう。虹の霧は出現の日時が限られているのです」

 そうでした。その虹の霧に入らなければ、ランベルソに帰るのにはかなりの日数がかかるそうなのです。

「だからって、こんな揺れには耐えきれそうにない。気持ち悪くなってきたわ。お薬をちょうだい」

「お薬より編み物をすればいいのです。集中していれば船酔いなんて、おーととと」

 左から右へずずずぅ……ガリバーはむしろこの揺れを楽しんでいるようです。

「あなた、前は船医だったんでしょ?」

 どおん! と、左舷に大きな衝撃が走ったのはそのときでした。

「な、な、何?」

「わからないけど、岩礁にぶつかったのかもしれませんね」

 ガリバーもさすがに不安げな表情をしました。

「大変だーっ!」水夫が船室に降りてきました。「船長! クラーケンです。この船は今、クラーケンに襲われています」

「えっ、なにそれ?」

 赤ずきんは訊ねました。

「イカの化け物ですよ」ガリバーが目を大きく開きました。「タコとかクラゲとかいう人もいまして、こんな嵐の日に現れると聞いたことはありますが、まさか……」

「この船は沈みます!」

 水夫は叫びました。

「今のうちに脱出ボートへ! ほら、ロープをほどいて」

 どおん! 再び、左舷に衝撃。みしみしっと、板にひびが入って、ちょろちょろと水が入り込んできました。赤ずきんは急いでロープをほどこうとしましたが、固く結んだためになかなかほどけません。

「助けて!」

「待っていてください」

 ガリバーが腰に付けた袋の中に毛糸と編み棒をしまい、はさみを取り出しました。

「私が切ってあげま……」

 どおおん! バリバリッ! 板が壊れ、水が激しく流れ込んできます。赤ずきんはその瞬間、はっきり見ました。壊れた板のあいだから、大きなイカの足がぬっと入ってきたのを。白くぬらぬらしていて、紫色の気味の悪い吸盤が二列に並んでいます。

「きゃああっ!」

 恐怖のあまり叫ぶ赤ずきんの前を、蛇のような白い足が通り抜けていきます。どおん、どおん!と、その足は向かい側の壁を壊そうとしています。四度ほど叩いたところで、バリバリッ!

 壁は壊れ、こちらからも水がどっと押し寄せてきました。

「終わりだ。もう、終わりだ!」

 さっきまであんなに平然としていたガリバーは頭を抱え、おろおろとしています。

「いいから、ロープを切りなさいよ」

「終わりだ、終わりだ」

 化け物イカの足はもう一方の壁を貫いて……と、船全体がものすごいスピードで動いているような感覚がします。クラーケンが、どこかへ船を運ぶように泳いでいるのかもしれません。

「終わりだ、おわ……ごぼごぼ」

「早くロープ……ごぼごぼ」

 もう水は、二人の口のあたりまできていました。

 たしかに、もう終わりだわ……

 ああ、今までも何度もこんなピンチがありました。だけど、今回は本当の本当に、危機です。絶体絶命、命の、危機――。

「たすけ……ごぼごぼごぼごぼ……」

 冷たい海の水に飲まれ、赤ずきんは気を失ったのでした。

 

2.

 

 頬にチクチクとした痛みを感じます。

 しびれているのでしょうか。

 チクチク、チクチク。

 針のようなもので頬をつつかれているようです。

 クラーケンの足? いや、あの足はぬらぬらしていて、こんなに固くはありません。半分夢のような感覚の中で、赤ずきんは思いました。

 うっすらと目を開けると、まぶしい日の光が瞳を刺しました。

「うう」

 手で光を遮ろうとしたところで、両腕がまったく動かないことに気づきました。同時に、ざわざわとした、複数の人の声が耳に届いてきました。

「私、どうなってるの?」

 体勢は仰向けですが、足もまったく動かないのです。全身の骨が折れてしまったのでしょうか。目をぱちぱちさせて、ようやく赤ずきんは、自分が置かれているなんとも不可解で恐ろしい状況に気づいたのでした。

 海に近い陸地で、顔を横に向けると、向こうに波が見えます。赤ずきんは両手両足をまっすぐ伸ばした「気を付け」の状態ですが、肩から足まで、ロープでがんじがらめにされているのです。体の両側には数十本ずつ杭が打たれ、ロープはその杭にしっかりとつなぎ留められて、体をゆすったぐらいでは緩まりそうにありません。

 赤ずきんの周囲には、たくさんの男の人がいました。

 ところが、みんな、身長が十センチメートルぐらいしかありません。

 兵隊らしき男性が数人、そして、茶色いシャツを着た作業員らしき男性がその十倍ぐらいいます。頬をチクチクしているのは、槍を持った二人の兵隊でした。

「ちょっと、やめてよ」

 赤ずきんが睨みつけると、二人の兵隊はびくりとして槍を落としました。

「リリパット語がわかるのか?」

「ということは、リリパット人か?」

「ばかいえ、こんなにデカいリリパット人がいるものか」

「そうだな。お前の言う通りだ」

 赤ずきんは、かつてアラビアのランプの魔人にもらった「イーリス鳥の羽」という不思議なアイテムをずきんにつけています。おかげで、世界中のどんな言葉の意味もわかりますし、逆に自分の言葉を相手に伝えることができるのです。そんな事情を知らない二人の兵隊は、ぴゅーっと赤ずきんの顔から遠ざかっていきました。

 彼らが去っていく先に、赤ずきんがいつも持ち歩いているバスケットが置いてあります。運よく同じ場所に漂着していたようで、いくらかホッとしましたが、そのバスケットの周囲にもまた兵隊たちが集まって、おっかなびっくり槍でつついていました。

「それ、私の大事なバスケットなの。乱暴しないでくれる?」

 兵隊たちはこちらを向き、恐れおののいたようにバスケットから遠ざかっていきます。

 いったいどうして、こんなところにいるのかしら……。

 赤ずきんは気を失う前のことを思い出します。クラーケンに引っ張り回されているうち、船は崩壊したのでしょう。それで、どこだかわからないこの島に流されたようです。命が助かったのは嬉しいことですが……また、おかしな旅が始まってしまうのね、と気が滅入ってきました。

「こっちだこっちだ」

「早く早く」

 小さくも威勢の良い声が聞こえてきて、帽子ぐらいの大きさの輿が運ばれてきました。赤ずきんの顔のすぐ近くにその輿は降ろされ、中から身なりのいい、口髭をたくわえた小さいおじさんが現れました。

「おい、デカい者よ」

「失礼ね、赤ずきんっていう名前があるの」

「ほほう! 本当にこっちはリリパット語を解するようだな」おじさんは感心したようでした。「デカい赤ずきんよ。お前は私たちの敵か?」

「敵も何も、あなた方のことなんて知らないわ。ここはどこ?」

「天が与えし、偉大なる楽園、リリパット国である」おじさんは胸を張りました。「現在の国王はリリアム14世。リリアム14世は、不世出たる王・リリアム13世の息子であらせられ、天下無比なる王・リリアム12世の孫であらせられ、古今冠絶たる王・リリアム11世のひ孫であらせられ……」

「初代までさかのぼるつもり? あなたは誰?」

「私はリリパット国の内務大臣である」

「名前は?」

「リリパット国では、大臣に選ばれたときに名を捨て、名誉ある役職名で呼び合うことになっておる。だから、内務大臣である」

 誇らしげに口髭を撫でています。

「わかったわ内務大臣さん、このロープをほどいてくれない?」

「ならぬ。主と他の大臣の前に連れていき、解放しても安全であると認めてもらうまではな」

「じゃあ、何か食べさせてくれない? お腹がぺこぺこなの」

「ぺこぺこか……ふうむ。その前に、書類にサインをせねばならぬ。赤ずきんよ。私は内務大臣として、リリパット国の領土に流れ着いた人間らしき生き物を、駆除するか否か判断する使命を負っておる。こうしてリリパット語を話せる者を駆除することはできず、人間として扱うことになるが、異存はあるか?」

「ないわ。人間なら、何かご馳走してくれるでしょう?」

「もちろん寛大なるリリパット国はあらゆる人間を差別せず歓待するものである。しかしもう一つ確認せねばならぬことがある。向こうにとどめ置かれておる、お前よりさらに大きな者もまた、お前の仲間か」

「向こう?」

 赤ずきんは、内務大臣のお付きの者たちがそろって指さす先を見ました。こんもりと生い茂った緑の小さい木の向こうに、ブーツが見えました。

「ガリバーの靴だわ。ガリバー!」

 大声で呼ぶと、「赤ずきんさーん?」と声が返ってきました。

「私の仲間で間違いないわ」

「承知した」内務大臣は書類にささっとサインをすると、そばにいた者に手渡し、「赤ずきん、およびその仲間たるデカい男に、食事を!」と叫んだのです。

 

3.

 

 木でできた台車に寝かされた赤ずきんは、相変わらず体全体をロープで縛られています。小さな馬が数十頭とたくさんの兵隊たちが、その台車をごろごろと運んでいくのです。

「どれぐらいかかるんですか、赤ずきんさん」

 頭上の方向から、同じように縛られて台車に乗せられたガリバーが話しかけてきます。

「わからないわよ」

「知らぬ国の言葉で話すでない、赤ずきんよ」

 すぐ前を行く輿の中から、内務大臣が命令してきます。右を向いても左を向いても森。このリリパットという国は、人間だけではなく、動物や植物もサイズが小さいのでした。

 しかし、サイズが小さいわりに、食べ物はかなり美味しいようでした。

 先ほど、内務大臣の命令があってしばらくしたあと、騎兵隊たちがたくさんのパンや野菜、スープを運んできてくれたのでした。もちろん、リリパット人サイズなので、パンは一つではまったく足りませんが、量はそれなりにあり、百個も食べたら大満足でした。スープもとても美味しく、彼らのバケツで七十杯ぐらいは飲んだでしょう。

 食事が終わると、内務大臣の号令で、赤ずきんたちは台車に移されたのです。赤ずきんの頭の近くには、バスケットもちゃんと置かれています。

「おーい、なんだその技」

「上手いな、新しい技か?」

 わいわいと騒ぐ声がしました。頭をあげて声のほうを見ますと、森が開けたスペースがあり、そこで若い男性たちが何か運動のようなことをしているのです。

「内務大臣さん、ちょっと、止めてくださるかしら?」

 気になりましたので、できるだけ丁寧に聞こえる言葉遣いで赤ずきんは言いました。

「ぜんたーい、止まれーっ!」

 内務大臣の合図で、一行は止まりました。赤ずきんは顔を左に動かし、そこで起きていることを観察します。

 地面に一メートルほどの間隔で打ち込まれた二本の杭のあいだに、白い糸がピンと張られています。高さにしてだいたい五センチメートルほどのその糸の上で、三人の若いリリパット人が綱渡りのようにバランスを取っています。三人は各々のタイミングで「それっ」と飛び上がるのです。周囲で見ている若者たちは両手を拳にして応援していますが、誰もが糸の上に着地したとたんにバランスを崩して落ちてしまいます。

「この人たち、何をやっているの?」

「ふむ、リリパット国伝統の儀式、綱跳びである」

 輿の中から出てきた内務大臣が答えました。

「綱の上で飛び上がり、また綱の上に着地する。飛び上がる高さが高いほうがよい」

「大会でもあるのですか」

 ガリバーが訊ねました。糸競技に夢中になっていた若者たちがこちらを見て、赤ずきんたちの大きさに驚きはじめています。

「大会などという卑俗なものではない。官吏登用試験である」

「えっ?」

「よいか。政治の世界というのは平衡感覚がもっとも大切である。これは誇りあるリリパット国の創設者たるリリアム1世の格言だ」

 内務大臣が糸に向かっていくと、「大臣さん、ごきげんよう」と言いながら、若者たちが道をあけます。

 内務大臣は糸の上にぴょんと飛び乗ると両手を広げ、片足を振りあげるとその場でくるくると回ります。おお、と若者たちが声を上げました。さらに内務大臣はぴょんと飛び上がり、あざやかに糸の上に着地すると、両手を広げお辞儀をしたのです。若者たちは拍手喝采でした。

「うまいものだわ」

 両手が自由だったら、赤ずきんも拍手を送りたいぐらいでした。

「俺もやります」「何を、俺こそ!」

 二人の若者が現れ、大臣の両脇にぴょんと飛び乗りました。

「右がタップ、左がヤルセン」赤ずきんの顔のそばにいる、騎兵隊長を名乗る兵隊が小声で言いました。「今回の登用試験の有望株で、ライバルどうしなんですよ。今回の合格者は一名しかいないので、お互い闘志を燃やしているんです」

 ぴょん、ぴょんと二人は大臣を挟んで飛んでいます。大臣を含む三人を見ていて、赤ずきんはあることに気づきました。

「ねえ騎兵隊長さん、タップと内務大臣はかかとの低い靴を履いているけれど、ヤルセンの靴はずいぶんかかとが高くない?」

「鋭いですな」騎兵隊長はさらに声を潜めました。「この国の政界では、ハイヒール党とローヒール党という二つの党が張り合っているのです。前者が高い靴を履き、後者が低い靴を履くことで区別しています」

「内務大臣とタップはローヒール党で、ヤルセンはハイヒール党ということね? 当然、ローヒール党たる内務大臣はタップのほうを応援しているんでしょう?」

「内務大臣は穏健で公正なお方。どちらかに肩入れするということはございません」

 それにしても、綱跳びが得意な大臣です。今度はぴょーんと、自分の身長より高く飛び上がり、空中でくるりと一回転して糸の上に着地しました。その衝撃で、「おっととと」とタップがバランスを崩して落ちそうになります。

「よっ、よっ。落ちないよ、これくらいじゃ。玉乗りで鍛えてるからね」

 そう言いつつ、タップはバランスをとりました。

「ふん。玉乗りって言ったってたかがしれてらあ。この技をやってみろよ」

 ハイヒール党のヤルセンがぴょんと飛び上がり、両手をぱちぱちぱちと叩いて着地します。

「そんな簡単なのでいいのかい?」

 乗せられやすい性格らしく、タップもまたぴょんと飛びあがり、ヤルセンよりたくさん拍手をして糸に戻りました。

「あまり人を挑発するものではないぞ、ヤルセン」

 と内務大臣が諭すように言いました。

「余計なお世話ですよ。ご老体はあんまりはしゃがないでください。そのうち、俺がその大臣の座、代わってやりますよ」

「内務大臣にあんな言い方ってある?」

 赤ずきんが言うと、騎兵隊長はうなずきました。

「ハイヒール党の連中は、ああいう性格の者が多いのです。閣僚の中では財務大臣と海軍大臣がハイヒール党です。どうぞお気を付けを」

 

 

 都に到着したのは、それから十五分も運ばれたあとでした。

 石造りの立派な建物や、噴水が吹き上がる泉、色とりどりの野菜や果物が並ぶ商店など、赤ずきんがこれまで旅の中で訪れた町と比べても賑やかなほうです。

 ただやはり、すべてが小さいのでした。

 集合住宅らしき建物も、教会も、学校も、みんなお人形遊びのおもちゃのようです。実際、住んでいる人たちが赤ずきんにとってはお人形ぐらいの大きさしかないのだから仕方がありません。

 その、お人形のような人々が沿道に立ち、台車に乗せられて運ばれていく赤ずきんとガリバーに注目しているのです。ある者は笑い、ある者は感心し、ある者は気味悪がり……その反応はまちまちですが、赤ずきんは、自分が珍しい動物にでもなった気がして、だいぶ居心地悪く感じました。

 やがて、荘厳な扉を持つ高い塀の前にやってきました。

「さあ、ここから先が宮殿だ。赤ずきんにガリバーよ。くれぐれも失礼のない態度で臨むのだぞ」

 赤ずきんとガリバーが返事をする前に、ぎぎぎい、と重い音がして、扉が開きました。台車はずんずん、その敷地内に入っていきます。

 おお、とざわめきがおきました。

「議員たちです」

 騎兵隊長が赤ずきんに小声で言いました。

「このあと、前のステージに、閣僚と王様が出てきます」

 周囲の建造物は、運ばれてきた通りの建物よりもずっと高くそびえていました。仰向けにされた状態なのではっきりとは言えませんが、赤ずきんの身長よりも高く、塔の形から壁の模様まで、見事に左右対称なのでした。頭を左右に動かしてみれば、そこはかなり広い中庭で、床の模様もまた、左右対称です。

「リリアム14世国王陛下、ならびに、大臣の皆さまです!」

 誰かが声をあげると、ラッパの音が鳴り響きます。赤ずきんの足元のほうにステージが設えられていますが、そこに、何人かの男女が現れました。内務大臣の姿もあります。

「王様、おなりっ」

 声を合図に大臣たちが道を開け、出てきたのは、一人の少年です。

 ファー付きのガウンを着こみ、頭に冠を載せていました。

「王様って、子どもなの?」

「しっ!」騎兵隊長が小声で言います。「父王が早世され、十歳で王位を継がれたのです。今年、十四歳になります」

 そうこうしているうち、ラッパの音がやみました。

 しばらく沈黙が続きましたが、ピロピロピロロ――王様が、鳥の形をした笛を吹きました。

「これさあ、買ってもらったときにはもっと大きい音が出たんだよ。誰か直せない?」

「王様」そばにいた、太った白髪頭の閣僚が言いました。「そんなことより、この大きな人間らしき動物について、内務大臣の報告を聞きましょう」

「大きな人間らしき……えっ? えっえっ、えええっ!」

 王様はそのとき、初めて赤ずきんたちに気づいた様子でした。

「なんなの、こいつら。すっご。でっか。ちょっとお腹に乗ってもいい?」

「王様、内務大臣の報告を」

「ああ、そう? じゃあ内務大臣、短くね」

 内務大臣は王様の前に歩み出て、深々とお辞儀をしました。

「本日朝、東の浜に住む臣民より、大きい人間の男のような生き物、ならびに、大きい人間の少女のような生き物が漂着せしとの報を受けました。まずは現地に騎兵隊と有志の者たちを急行させ、暴れないようにロープで縛りつけてから尋問をいたしました。男のほうはまったく言葉がわかりませんが、少女のほうはリリパット語を明快に理解し、話すことができます。ちなみに名は赤ずきん」

 その場の人たちがざわめきました。

「静粛に願います。少女の証言ではリリパット語を解さない男も仲間であるとのこと。よって、駆除する選択肢を放棄し、連れてきたものであります!」

「ふうーん。法務大臣、これ、特に問題ないよね?」

 王様の問いに、四十歳ぐらいの女性の大臣が出てきました。金縁眼鏡をかけ、やたら分厚い本を手にしています。その本のページをぱらぱらとめくったあとで、

「問題ないと、リリパットの法律は判断します」

 顔をあげました。

 すとん、と法務大臣が開いている本の真ん中にナイフが刺さりました。

「きゃっ」

 法務大臣があとずさりすると、軍服姿の男性が出てきました。太い眉のあいだに深いしわができた、恐ろしい顔つきです。右足を包帯でぐるぐる巻きにしており、かかとの高い靴を引きずるようにして歩いています。

「法律が判断しても、俺は自分の耳で聞かないかぎり信じねえぞ」

 ガラガラ声で言って、太い眉を吊り上げました。ナイフを投げたのはこの人のようです。

「おい、赤いずきんのデカい女。リリパット語を使えるだと? 話してみろ」

「『おい』じゃないわ。私、赤ずきんっていうの」

「お、本当に、しゃべった」

 軍服男は目を見張りました。

「だから本当だと申し上げたのだ、海軍大臣。私はこの耳で、彼女が食事の感想を言うのも聞いた」

 内務大臣は、浜の住民に協力してもらって、腹ペコの赤ずきんとガリバーのためにたくさんの食料を与えたことを話しました。

「へぇー、そんなに食べるんだ」

 少年王はにこにこと笑っていますが、その背後から、今度はお腹の突き出た白髪の男性が出てきました。

「聞き捨てなりませんぞ、内務大臣。このように大きな者どもに、我が国の食物を勝手に与えれば、穀類も野菜も肉もどんどん食いつくし、飢餓をもたらしますぞ」

 海軍大臣同様、靴のかかとが高く、右手に持った小さなそろばんをぱちぱちと弾いています。

「赤ずきんとやらの身長は大体我らの十二倍。つまり体積となると一七二八倍。直感的な計算になるが、食事もまた、一度に我々の一七二八日分を平らげるのでしょうぞ」

「さすが財務大臣、明快かつ正確な分析力である。女のほうでそれほどなのだから、さらに大きい男のほうはもっと食料が必要になり、予算もひっ迫するだろう。さすが常日頃からこの国の財政を考えている男だ」

「いやいやそれほどでも、海軍大臣」

 かかとの高い靴を履いた者どうし、褒め合っています。するとそのあいだを縫って、かかとの低い大臣が前に出てきました。

「それくらいの食事なら、わけはありませんわ」

 緑色のマントをひらりとなびかせ、長い髪を整えます。声の低さから男性だとわかりますが、目元に化粧をしていて女性っぽくしている印象でした。

「穀物、野菜、畜産、水産、我がリリパットの恵まれた国土では食料は臣民全体の食欲を満たしてなお、あまりあるほど生産されております。この二人を養うのは十分であろうと、農政大臣として自信を持って言えますわ」

「しかしだな農政大臣」財務大臣が大きな腹をさすりながら顔をしかめました。「いつまでも続くというわけにはいかんだろう」

「おかしな計算よ、財務大臣。むしろ予算を削減すべきは軍備費用じゃないかしら?」

 農政大臣は涼しい顔をして言い返します。

「隣国ブレフスキュとの戦争はずいぶん長引いているわね、武器や火薬の費用がかさんでいるのでは? 今すぐ戦をやめることこそ、臣民を守る第一の方法ではないの?」

 すとん、すとん!

 今度は農政大臣の左右の足元に一本ずつ、海軍大臣の投げたナイフが刺さりました。どうやらこの人は、ナイフを狙った位置に正確に投げることができるようです。

「話をすり替えるな、農政大臣。今、戦争のことは関係ないだろうが」

「先に予算の話を持ち出したのはあなたのほうよ、海軍大臣」

「なにを、戦の厳しさを知らぬ甘ったれが」

「農業がなければ、海軍の兵隊たちもお腹がすいて動けないわ」

 言い争いが始まってしまいました。どうでもいいから早くこのロープを解いてよと赤ずきんは思い、君主たる王様のほうを見ますが、王様は鳥の形の笛をピロピロピロピロと吹いているだけです。

「静粛に!」内務大臣が声を張り上げました。「隣国との戦争がなくなれば、この者たちに食事を提供できる、そういうことでよろしいか?」

「だから、戦争をなくすなんてことは……」

「できる」

 海軍大臣の言葉を遮り、内務大臣は赤ずきんたちを指さしました。

「この者たち自身にやってもらうのだ」

「なんだと?」

 海軍大臣の顔がこわばります。赤ずきんも、何を言っているのかしら、と思いました。

「現在、ブレフスキュ国の東岸に、軍艦が集結している。間違いないですな、海軍大臣」

「そうだ。近日中にやつらはリリパットに攻めてくるかもしれんのだ」

「こちらから先制攻撃をしてやればよいのです。赤ずきんとガリバーなら、海を渡るのもなんのその。敵の軍艦など、かたっぱしから沈めてくれましょうぞ」

「ねえちょっと、何を言ってるの?」

 赤ずきんは焦りますが、ピロピロピロロ!と笛の音がひときわ大きく響き渡りました。

「いいねっ!」

 少年王リリアム14世が、陽気に小躍りしていました。

「やってきてよ。要塞近くの塔の展望台でさ、望遠鏡で見てるから」

「お待ちください、王様。それはこの海軍大臣が認めません」

「俺は認めるって言ってるんだ! 法務大臣。この場合は?」

 法務大臣は分厚い本をペラペラめくり、「はい、ありました」と告げました。

「リリパット行政法第二十四条。『王と大臣が意見をことにした場合、臣民の生命、生活、名誉に害を与えない限りは、王の意見が優先される』とあります。赤ずきんとガリバーはブレフスキュの軍艦を沈めにいくのがよろしい。リリパットの法律はそう判断します」

「待って待って、よくないわ。ガリバー、あなたからもなんか言って」

 赤ずきんはガリバーのほうに顔を向けますが、

「……いや、さっきからみんな、何を言っているのか」

 そういえば、ガリバーはリリパット語がわからないのでした。赤ずきんが手短に説明すると、

「いいじゃないですか」

 ガリバーは平然としたものでした。

「その代わり、僕たちが島を出ていけるよう、ボートを作ってほしいとお願いするのはどうですか。それを交換条件としましょうよ」

 なんだかおかしなことになってしまいました。

 

(つづく)