北風と太陽

 

幕間1.よくばった子犬
 子犬のプルッタスは、ご満悦です。
 今日はご主人様にお使いを命じられたのです。
「いいかいプルッタス。これは大事な薬だ。俺の親父は、胸が悪い。この舶来の薬を飲んだらその痛みがすーっと消えるんだ」
 ご主人様はピリーウスの三番港で少しばかり名の知れた貿易商です。扱っているのは主に衣類と食品ですが、最近は外国の珍しい薬も取り引きしているのです。父親に薬を届けに行きたいのですが、自分は仕事が手いっぱいで行けません。それで、プルッタスにおつかいを頼むのでした。
「旗振り屋敷に持って行って、親父に確実に渡してくるんだ。そうしたらご褒美をくれるだろうさ」
 ご主人様は薬を入れた小箱に紐をつけ、失くさないようにプルッタスの首から下げました。何度も行ったことがあるので勝手はわかっています。通りを渡り、運河にかけられた橋を渡り、魚市場の角を曲がり、くねくねした道を上っていくとやがて、門のところに木の人形の置かれた屋敷が見えてきます。旗を持ったこの人形が、風が吹くと右に左にカクカク揺れるので「旗振り屋敷」と呼ばれているのでした。
 プルッタスは門のところに吊り下がっているベルを頭の先で鳴らしました。すると扉が開いて、料理人が出てきました。
「おお子犬のプルッタス。なんだ? 旦那様に薬を持ってきてくれたのか。そうかそうか」
 料理人はプルッタスの首から薬の小箱を取ると、「ちょっと待ってろよ」と一度屋敷の中に入り、紙に包んだ肉の塊を持って戻ってきたのです。
「これ、ちょっと余ったものなんだけど、塩と胡椒がきいていてうまいぜ。ほら」
 プルッタスはそれをひとかじり。味付けが素晴らしく、焼き加減も抜群で、とても美味しい肉です。ここで食べるより、あとでゆっくり楽しもうと、料理人に別れを告げてご主人様のもとへ戻ります。
 肉をくわえたままくねくねした坂を下り、魚市場の角を曲がり、運河にかけられた橋のど真ん中まで来たとき、ふと、川が気になりました。
 橋から覗いてみると、なんとそこには、自分と同じような顔をしたやつが肉をくわえてこちらを見ているじゃありませんか。
 向こうもじっとこちらを見て、同じように驚いています。
 見ているうちにプルッタスは、相手の肉のほうが大きく、また美味しいように思えてきました。
 ずるいじゃないか。俺はお使いをしてきたっていうのに。こいつの持っている肉を、奪ってやれ。
 相手を威嚇してやろうと思い、大声を上げたのです。
「バウ!」
 その瞬間、口から肉が離れていきました。あっ、と思ったときにはもう手遅れでした。ぽちゃんと水音を立てて、肉は川に消えていってしまいました。そこにいた相手はなんとも残念そうな顔をして、プルッタスの顔を眺めていました。
 ああ、欲張ったために、俺はせっかくのご褒美を失ってしまったんだ。
 プルッタスがそう思ったとき、橋の下から小舟が現れました。その小舟には木箱がたくさん積まれており、蓋の隙間から、黒い玉を三つ握った人の手のようなものが見えたのでした。


幕間2.町のねずみと田舎のねずみ
 ねずみのミュルトスは、目の前に山と積まれたチーズに興奮していました。
「どうだい? 全部食べてもいいんだぜ?」
 自慢げに言うのは、幼なじみのテラートです。灰に汚れた鼻をぴくぴくさせて笑っています。
「全部? そんなの、持ち主にバレないかい?」
「バレるもんか。こんなにあるんだ。それにバレたところで、俺たちみたいなねずみを奴らは相手にしないさ」
 テラートは手近のチーズを一つ取り、出っ歯でかじりました。
「うーん、美味い。どこから運ばれたものかわからないが、今回のは格別だ」
 その様子に、ミュルトスもつやのある黄色いチーズにかじりつきました。食べたことのない濃厚で芳醇な香りが、口の中に広がります。
「美味いなあ。チーズってこんなにしっとりしてるものか?」
「お前ら田舎ものは、外国から運ばれてくるチーズなんて食えないもんなあ」
 顔じゅうをチーズのかすだらけにして、テラートは笑いました。
「ここピリーウスは、都会なだけじゃなくて港町だ。外国からの品々がたくさん入ってくるんだ。この倉庫だって、大金持ちの貿易商のものなんだぜ。チーズだけじゃない。ハムだって、お菓子だって、ワインだって、珍しい食いもんはたくさんあるんだ。……どうだいミュルトス。お前もピリーウスに引っ越してこないか?」
 テラートはもともと、ミュルトスと同じ農村の出身です。子どものころはよく、牛の納屋や家の天井裏や森で一緒に遊んだものですが、あるとき突然、「こんな退屈な暮らしはいやだ!」と言って、農村を飛び出したのです。
 それが一年経った先月、急に農村に戻ってきました。ミュルトスの前に現れたテラートは、顔つきも体つきもどこか洗練された雰囲気で、「やあ」とあいさつをしてきました。
 再会が嬉しくて、ミュルトスは森で採ってきたイモや木の実などでテラートをもてなしました。「こりゃ懐かしい」と一応、喜んでくれたものの、テラートの態度は終始冷ややかでした。そして彼は言ったのです。
「都会はいいぜ、ミュルトス。今度ピリーウスに遊びに来いよ」
 あまりに楽しそうにテラートが言うので、一度は都会を見物しに行ってもいいかと、ミュルトスはついてきたのでした。
「ほら、こっちのチーズも食ってみろよ」
「なんだい、それは。カビが生えているじゃないか」
「これだから田舎者は」
 前歯をカチカチ鳴らし、ひげを震わせ、テラートは笑いました。
「ゴルゴンゾーラっていって、わざとアオカビを生やしてピリッとした味にするのさ。ワインと合うんだぜ」
「ワインなんて僕は飲まないよ。それよりこのビスケット、甘くておいしいなあ。これみたいなお菓子、もっとないのかなあ」
 テラートの言うとおり、ピリーウスには農村と違って、美味しいものがたくさんあります。引っ越してきてもいいかなあ、とミュルトスが思いはじめた、そのときでした。
 扉の向こうから上機嫌な鼻歌が聞こえてきました。
「やばい、貿易商だ! あいつ、今日はここには来ないはずなのに」
「ど、どうするんだよ、こんなところを見つかったら……」
「こっちだよ」
 テラートは木箱の裏に回りました。すると、木の壁に穴があいているのです。ミュルトスとテラートはその穴からさっ、と隣の部屋に逃げました。
「んん? なんだなんだ、チーズが食い散らかされているじゃないか」
 壁越しに、野太い声が聞こえました。
「ねずみの野郎だな、ちくしょう、ちくしょう!」
 どすん、どすんと暴れています。見つかったらどうしようとミュルトスは落ち着きません。
「今度見かけたら、とっつかまえて首の骨をへし折ってやる!」
 野太い声はそう叫んだかと思うと、ばたんと扉を閉める音がしました。
「ああ、やりすごしたやりすごした」
 テラートはそこに積んであった木箱の上でへらへらしています。
「町は危ないなあ。田舎じゃ、ものを食っているときにあんな乱暴な邪魔が入るなんてないもの」
「多少の危険はしょうがないさ」
 そんなに美味しいものを食べられなくてもいいから、やっぱりのんびりした田舎の暮らしのほうがいいや──。ため息をつくミュルトスの目に、ある光景が飛び込んできました。ひゃっ、と思わず叫んで飛び上がります。
「ねえテラート、あれ、見てくれ!」
 山と積まれた木箱。その一つの蓋の隙間から、茶色く細い、人間の手が飛び出ているのです。人間の手は、何か丸い物を三つ握っていました。
「ん?」
 テラートも一瞬びっくりした様子ですが、はは、と笑い、木箱をちょこちょこ登っていってそれを引き出しました。どうやら手に見える木の枝のようでした。
「ハンドスパイスさ」
「何だいそりゃ?」
「香辛料だよ。人間の手に似てるから『ハンドスパイス』っていうんだ」
「美味いのか?」
「このまま食ったんじゃ辛いだけだが、砕いて肉にかけたら美味くなって、保存もきくようになるんだ。しかし、南のあったかい地方じゃなきゃ育たない。だから高値で取引されるんだよ」
 これだけありゃ、船が何艘も買えちまうぜ、とテラートは笑いますが、ミュルトスにとってはどうでもいいことでした。早くこんな危ない町を離れ、気楽な田舎に戻りたいと思うばかりでした……。


1.
「こりゃひどい」
 氷の彫刻になってしまった男の人の前に立ち、木こりのデンドロが嘆きました。ここはピリーウスの船会社。経営者はミンガスというデンドロの古くからの知り合いで、元は船大工だったのですが今は貿易会社から委託を受けて船を運航するこの会社を経営しているのだそうです。赤ずきんは、コマルセイユまで乗せてくれるよう頼むつもりでしたが、これではその願いは叶いません。
「どうせこの様子じゃ、港も全部凍り付いちまって船なんか出せねえよ」
 元オオカミ少年のロリヒが吐き捨てるように言いました。
「そうね。とにかく、誰か無事な人を探しましょう」
 三人は船会社を出て、歩きはじめました。それにしてもなんと恐ろしいのでしょう。グリース国でもっとも繁栄した港町と言われているピリーウス。その町が、家も、木々も、運河も、そして人々も、何もかも凍って真っ白なのです。
「誰かいなーい?」
「おーい」
「返事をしてくれー!」
 三人で大声をあげて応答してくれる町民を求めていますが、どこからも返事がありません。遊びながら、買い物をしながら、洗濯をしながら、人々は凍っていったのでしょう。その体勢のまま、氷の彫刻になってしまっているのです。
「見ろよ、鳩まで凍っちまってるぜ」
 鳥の翼の形をした看板の掲げられたその建物を覗き込み、ロリヒが言いました。
 カウンターの上に、足に紙を結わえ付けられたまま凍った鳩が三匹倒れていて、その奥に作業着姿の従業員が三人と、たくさんの鳥かごがあります。鳥かごの中の鳩もまたみな、凍り付いていました。
「何なの、この建物は」
「伝書鳩オフィスだよ」
 足に結び付けた手紙を遠くの町まで運んでくれる鳩だそうです。グリース国ではいくつかの町にこういうオフィスがあり、人々の手紙のやり取りを助けているとデンドロは言いました。
 もっとも、今や壁際にある三つの籠にある未配達の手紙もすべて、凍ってしまっています。
「いったい、イソップは何を考えているの? 町をまるまる一つ凍らせるなんて……」
 赤ずきんの胸に浮かぶのは、怒りと呆れの入り混じった感情でした。
「しっ」デンドロが人差し指を立てました。「『イソップさん』と言わないと危ないぜ」
「もうそんなの気にする必要なんざないぜ」
 ロリヒが唾を吐きます。
「こんなことをする奴は悪魔だ、出てこい、イソップめ!」
 やがて三人は、町の中央と思しき広場にやってきました。制服を着た男たちが十人、かっちりと整列したまま凍り付いています。
「警察の連中だ」
 デンドロが戦慄したように言うそばで、ロリヒは別のところを見ていました。
「イソップの野郎がこの町を凍らせた時刻ははっきりしそうだぜ」
 彼の視線の先には塔があり、時計が凍り付いているのでした。「1」から「24」までの数字がある二十四時間時計で、小窓には日付も表示されています。それが、「10日・18時」で止まっているのです。
「今日は11日だ。昨日の18時、つまり午後六時にやられたんだね」
 デンドロがつぶやきました。
 赤ずきんは広場の中心の円形台に注目します。一人の痩せた男の銅像が立っています。右腕に、折りたたんだコートをかけているようでした。
「この像は?」
「グリース国に伝わる昔ばなしに出てくる旅人さ」
「どんな話?」
「今、その話をするか?」
 ほとほと疲れた様子で、デンドロは訊き返しましたが、やがて、ふっ、と笑みを浮かべました。
「むかしむかし、コートを着た旅人がこの町へやってきました。それを見ていた北風が……」
「おい!」
 ロリヒが叫びます。
「今、そこの菓子屋の角から女がこっちを覗いていたぞ」
「えっ?」
「待てこの!」
 ロリヒは走り出します。地面の石畳が凍っているので、気を付けなければ滑って転びそうです。赤ずきんとデンドロはついていくのに必死でした。
 菓子屋の角から延びる細い道に入ると、確かに誰かが逃げていくのが見えます。やせた女性でした。鳥の羽で飾りたてたやたら派手なコートを着ています。
「待てって!」
 その鳥の羽コートの女性は、ロリヒの声に飛び上がったかと思うと、細い道をさらに奥に逃げていきます。右手に、黒い建物が立っています。二つ扉が並んでいて、一つは倉庫、もう一つが店舗になっているようでした。その店舗の開いている扉に女性は入っていきました。追いかけるロリヒが店内に飛び込むと、すぐにぎゃあと悲鳴が響きました。
「やめなさい、離しなさい!」
 そこは雑貨屋のようでした。瓶や石鹸やブラシなどが散らばった床で、ロリヒにのしかかられた女性は両手両足をバタバタさせています。
「イソップの手先だな、お前」
「何を言っているの、イソップだなんて。きゃあ、きゃあ」
「やめて、ロリヒ」
 赤ずきんは言いました。
「まずは事情を聞きましょう」
 それでロリヒも落ち着きを取り戻し、彼女を離しました。彼女は立ち上がり、コートをばっさばっさと整えます。黄色、青ときらびやかな鳥の羽が左右対称にとりつけられていますが、右肩にある三つの黒い房飾りが、左側にはついていません。
 年齢は三十歳の手前といった感じでしょうか。黒い髪にも赤や黄色や青の羽の髪飾りをつけていて、目の周りを黒く縁取るような化粧をしています。スリムでスタイルはとてもいいのですが、高慢そうな印象でした。
「こんにちは。私、赤ずきん」
 赤ずきんは自己紹介をし、デンドロとロリヒも紹介しました。彼女は冷ややかな目で赤ずきんを見ていましたが、やがて胸を抑えてあー、あー、と歌う前のような声を出しました。
「私は鳥の女王、メンデスよ」
 その名前を聞き、ロリヒがなぜか、くっくっくと笑い出します。
「どこかで見たことがあると思ったら、かささぎのメンデスか」
「そうよ。何かおかしい?」
「グリース国美人コンテストで、不正を働いて失格になっただろ」
 するとメンデスの顔が、かあっ、と赤くなりました。
 ロリヒが説明したところによりますと、三年ほど前、このピリーウスで、グリース国で一番の美人を決めるコンテストが開かれたそうです。国中から美女が集まったその大会の決勝で、出場者は綺麗な衣装を自分であつらえてくるということになったのでした。当時、鳥の羽を衣服につけるのが流行っていたため、各出場者はこぞって特別な服を用意したのですが、いざ決勝が始まって、いちばん注目を集めたのはメンデスのコートでした。ありとあらゆる美しい鳥の羽があしらわれており、それがキラキラと輝きとてもおしゃれに見えたのです。
「俺も会場で見ていたぜ」
 おかしくてしょうがない、というふうにロリヒは言います。
「文句なしにメンデスが優勝者に選ばれた。ところがその直後、他の出場者が騒ぎ始めたんだ。『これは私の服についているのと同じ羽だ』『こっちのは私のだ』──とな」
 何のことはない、メンデスは事前に、他の出場者の服から羽を少しずつ盗み、それを自分のコートに取り付けていたのでした。
「他の出場者はこの女を取り囲んで殴る蹴るの大騒ぎだ。当然女王の称号は取り上げられ、こいつはこのぼろぼろのコートと共に会場から追い出された。『お前なんか、醜い醜いかささぎだ』と罵られて。はは、こんなところで再会できるとはな」
「ふん」
 あくまでメンデスはすまし顔です。
「私は、私が今でもいちばん綺麗だと思っているわ。私の美しさを正当に評価できない者ばかりだから、ピリーウスは報いを受けたのよ。こんなに凍ってしまって」
「やっぱりお前、イソップと通じているんだろ」
 牙をむき出さんばかりの勢いでロリヒが迫りますが、
「そんなわけないわ」
 メンデスはつんとすましたままです。
「私は昨日、呼ばれてきたのよ、この町に」
「呼ばれた?」
「ええ。私の叔母はここで雑貨店を営む傍ら、船会社の株もいくらか持っている」
「ははあ」ロリヒが顎に手を当てました。納得したような顔です。「呼ばれたなんて嘘だ。わかったぞ、その叔母に金の無心に来たんだろ」
 メンデスは図星をつかれたような表情になりましたが、すぐに言い返します。
「叔母に先行投資してもらおうと思ったのよ。私はこの先、この美貌で億万長者になる女だからすぐに返せるわ」
「叔母さんはどこにいるのよ?」
「きっとその扉の向こうだと思うわ」
 メンデスはカウンターの奥にある扉を指さしました。木製の扉でしょうが、他と同じように凍り付いているのです。
「鍵はついていない扉なのに、押しても引いても開かない」
「開いたところで、叔母さんはきっとカチコチだろうよ」
 ロリヒが言います。
「そうでしょうね」
 メンデスは同意し、先を続けました。
「しょうがないから町を去ろうとしたところ、広場のほうであんたたちの声が聞こえたのよ。凍っていない町の人かと思って行ってみたら、明らかに怪しいじゃない。それで、逃げだしたら追いかけてきて……」
「怪しいとはなんだ!」
「ロリヒ、やめて」
 赤ずきんは止め、メンデスに向き直りました。
「メンデス、私はグリース国の人間ではないわ。この港から出る船でコマルセイユまで行きたいの」
「そりゃお気の毒様。こんなんじゃ、船も乗組員もみんな凍っちゃってるわ」
「みんなを解かしたいわ。イソップがどうして町ごと凍らせたのか、わかる?」
「わかるわけないでしょ」右側の肩にだけつけられた黒い房飾りの形を整えながらメンデスは答えます。
「でもまあ、この町全体が不実なことをしたって判断されたんでしょうね。町のことなら新聞に全部載ってるんじゃない?」
 くいっ、とメンデスが顎で示す先、カウンターの上には新聞が広げてあります。
 記事には浅瀬に乗り上げている船の絵がありますが、赤ずきんに文字はまったく読めません。
「『ビーナス号』だ」デンドロが言いました。「エルゲ海の商船を襲いまくっていた海賊船だが、先週、ピリーウスから七キロの位置にあるサンゴ礁で座礁したらしい。乗組員の海賊は全員捕まり、盗品はもとの持ち主に戻ったが……これ以上は氷が厚くて読めないな」
「関係あるか、その記事?」
 ロリヒが顔をしかめます。
「他のも読んでみろよ」
「読もうにも、凍っちゃってめくれない」
 カウンターにひっついてしまった新聞紙に、ガリガリと爪を立てるデンドロは悔しそうです。
「他の建物の中には、別のページが開かれたまま凍った新聞が残されているかもしれない。探しにいきましょう」
「勝手にしなさい。私はもう町の外に出るから」
 そう言ってメンデスは足元の何かを蹴飛ばします。凍った床につーっと滑っていったそれは、三十センチメートルくらいの魚でした。何という魚かわかりませんが、顔の先がずいぶん尖っているように見えます。
 あれ……赤ずきんの中に小さな違和感が生まれました。と、そのとき、ごごぅ、と外で大きな風が巻き起こりました。
「あれは!」
「やめろ、赤ずきん!」
 ロリヒの呼び止めも聞かず、赤ずきんは外へ飛び出しました。風は広場のほうから吹いています。
 先ほどの、コートを携えた旅人の像が見えます。その前に──いました! 銀色のつば広帽子に、同じく銀色の長い上着をまとったイソップの姿が。
「教訓を! 人生に、正しき教訓を!」
 両手を広げ、天に向かって叫んでいます。赤ずきんの脳裏に、狐のライラスやキリギリスのジャコモなどが凍らされた恐ろしい光景がよみがえります。
 赤ずきんは勇気を振り絞り、彼のもとへ駆け寄っていきました。
「イソップ!」
 すると風はぴたりとやみ、彼は赤ずきんを見下ろします。
「……なんです、あなたは?」
「赤ずきんっていうの。ひょんなことからこのグリース国に迷い込んでしまったけれど、コマルセイユまで帰りたいの。だけど船が凍り付いちゃって大変だわ」
「それはそれは」
「お願い、この氷を解かしてくれない?」
「できませんね」
 気味の悪い銀色の瞳で、赤ずきんを眺めました。
「私はグリース国の国民に正しい教訓を与える任務を負っているのです」
「この町全体が、何を不実なことをしたというの?」
「おい赤ずきん、やめとけ」
「こっちに戻るんだ」
 追ってきたロリヒとデンドロが少し距離を開けて赤ずきんに手招きをしていました。赤ずきんは構うことなく、イソップの顔に人差し指を突きつけました。
「他人の質問に答えないことを、不実とは言わないの?」
 イソップの目が一瞬、見開いたようでした。ややあって、イソップは言いました。
「いいでしょう。お答えします。──ピリーウスのどこかに、盗まれた四十箱のハンドスパイスが隠されているのです」

(つづく)