マザーグース捜査線

 

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6.

 

 北西の塔の五階の小部屋に収められていたライオンの王冠の片割れについてもまた、「こりゃ本物だよ」とガチョウおばさんは言いました。

 残る一つは、ガイーン病院です。赤ずきんたちを乗せた馬車はまず、ロンドン橋へ向かいました。

 石畳の道は岸のぎりぎりですっぱり終わり、その先はテムズ川です。濁った水面の下に沈んでいる橋の大きな影がわずかに見え、その周囲に五、六艘の小舟が浮かんで、警官たちが捜査をしているのでした。

「ニール警部っ!」

 ホレイショー警部補が大声を上げると、一艘の小舟が近づいてきました。コートを着た五十歳ぐらいの警官と、三十歳ぐらいの長身の警官が乗っています。ニール警部とその部下のグレゴリー巡査だと、ホレイショー警部補は紹介してくれました。

「君、朝、死体で見つからなかったか?」

 ニール警部もまた、赤ずきんの顔を見て言いました。

「生きていたみたいなんですよ。申し訳ないことをしました」

 ホレイショー警部補はばつが悪そうに言い、

「それよりニール警部。今、我々はライオンとユニコーンの王冠について捜査中なのです。北岸の三つの王冠は従来通り安置されている確認がとれまして、残る一つを確認するためにガイーン病院に行かなければなりません。私たちを向こう岸に渡してください」

「わかった。乗りなさい」

 ニール警部は快く、ホレイショー警部補と赤ずきんを舟に乗せてくれました。ガチョウおばさんはガチョウのミルに乗って川を渡ります。

 川を渡っていく最中、舟の上に置くには似つかわしくないものがありました。藻のこびりついた寸胴鍋でした。

「ニール警部、スープでも作るの?」

 赤ずきんが訊ねると、「連続殺人鬼が残していったものなんだ」と警部は顔をしかめました。

 ここのところ、ピンクチャペルという教会の周辺で、若い女性ばかりが殺される連続殺人事件が起きているというのです。犯人は「ジャック・ザ・ディッパー」というふざけた名を使って、警察を挑発するような手紙をスコットランドヤードに送り付けているそうです。

「ジャック・ザ・ディッパーは、殺した女性の遺体を逆さに吊り下げ、その頭をスープの中に突っ込ませるんだ」

「どうしてそんなことをするの?」

「それがわからんから、我々も困っている。だがやつは、確実に我々の近くにいるはずだ」

 今朝、ロンドン橋が落ちたという報せを受けて現場に駆け付けると、沈んだロンドン橋の近くに、寸胴鍋と死体が浮いていた。死体というのはつまり……」

「私のことね?」

「そうだ」ニール警部がうなずきます。「そばに寸胴鍋が浮いていたことから、君もまたジャック・ザ・ディッパーの被害者ではないかと疑ったんだ。今回はロンドン橋の上に死体を放置したが、不測の事態でロンドン橋が落ちてしまい、スープもまた流されてしまったのではないかと」

「それは勘違いよ」

 赤ずきんは再び、自分がロンドンに落ちたいきさつを話しました。

「ティンカーベル……知らない妖精だ。まだまだ不可解なことがこの世の中にはたくさんあるようだ」

 ロンドンの人たちも同じくらい不思議だわ、と赤ずきんは思いましたが口には出しませんでした。

 南岸について舟を降り、五分ぐらいあるいたところが、目的のガイーン病院です。

 中に入っていくと、そこかしこに患者がいて、体の不具合を訴えています。

「わああん、足を怪我しちゃったんだ、うわあん」

 膝をすりむいて泣いている男の子の前で、女性の看護師さんが瓶の中にピンセットを差し込んでいます。取り出されたのはなんと、カタツムリでした。

「これを塗っておきましょうね」

 傷口にカタツムリをべちゃっ、と押し付けます。

「こんなんじゃ、治らないよ、うわあん」

「治るわよ。男の子って、カエルにカタツムリに犬のしっぽ、そんなものでできているのですからね」

「すみません」ホレイショー警部補が、話しかけます。「フローリィ院長はどちらでしょうか」

「院長ならこの先の病室にいますよ。おそらく今日、息を引き取る患者さんの病室です」

 にっこり笑いながら、看護師さんは不吉なことを言うのでした。

 教えられた病室に入っていくと、一人の老人が横たわるベッドの横に、白衣を着た賢そうな女性と、花柄の服を着た若い女性がいました。

「ソロモン! ソロモン! 目を開けて!」

 若い女性が老人の体を揺さぶります。老人はよろよろと右手を上げました。がちっと、女の人はその手を握りました。

「ソロモン、まだ私たち、結婚したばかりじゃないの。いいえ、あなたはむしろ、生まれたばかりなのよ」

 涙をぼろぼろ流しながら、彼女は叫んでいます。

「ソロモン・グランディ、あなたは月曜に生まれて、火曜に洗礼を受けて、水曜に私と結婚したわ。それなのに、木曜に病気にかかって、金曜に危篤だなんて……!」

 老人の手から力が抜け、ばたりと布団の上に落ちます。

「ソロモン? ソロモン!」

「土曜日にご臨終です」

「うわああっ」

 泣き伏す女性を横目に、「すみません、フローリィ院長」とホレイショー警部補が白衣の女性に話しかけました。

「未明にロンドン橋が落ちた事件について調査しております」

 いきさつを話すと、彼女はすぐに事情を理解したようです。

「そうですか。他の三か所の王冠に異常がないということは、うちの王冠に何かあった可能性が高いと。わかりました。ご案内しましょう」

 さっそうと、老人のベッドから離れます。

「ねえ、放っておいていいの?」

 泣いている女性のほうを振り返りながら赤ずきんは訊ねますが、フローリィ院長の反応は冷淡なものでした。

「日曜日にはお墓に入ります。さあ、行きましょう」

 スタスタと歩いていくフローリィ院長。

 やはりこの病院でも、王冠は盗まれたりしないように地上より高いところに収められていました。薬臭い階段を五階まで上って着いたのは、黒い鉄扉の前です。取っ手には数字を合わせて解錠するタイプの錠がかけられていますが、その数字が十五桁分必要なようでした。

「この錠は、私と双子のトゥイードルダムとトゥイードルデイが五桁ずつ、知っているのです」

 そう言いながらフローリィ院長は初めの五桁を合わせました。

「双子って、どこにいるの?」

 赤ずきんが訊ねると、フローリィ院長は白目を剥き、ぐるりと首を回しました。

「やあ、僕はトゥイードルダム。双子の兄さ」

 赤ずきんの背筋がぞわりとしました。そこにいるのは女性のフローリィ院長なのに、声も表情もまるで男の子なのです。その手でカチャカチャと六桁目から十桁目までの数字を合わせ、また白目になってぐるりと首を回します。

「ごきげんよう。僕はトゥイードルデイ。双子の弟だよ」

 さっきとは違う男の子の声色でした。

「院長は三重人格なのさ」

 訳知り顔で、ガチョウおばさんが言いました。十五桁目の数まで入れてがちゃりと錠が外れるや否や、白目で首をぐるり。

「入りましょう」

 フローリィ院長に戻ったようでした。

 そこは、今までの三つの王冠の保管部屋よりもさらに小さな部屋です。小さなクッションがあり、その上に、半分になった王冠があります。

「どうですか?」

 クッションのそばにしゃがみ、まじまじと王冠を観察しているガチョウおばさんにホレイショー警部補が訊ねました。

 ガチョウおばさんはくるりと一同を振り向き、

「まいったね」

 とつぶやきました。

「これも間違いなく、百年前に見た本物さ」

 ホレイショー警部補の落胆の声。赤ずきんはふと思い立って、部屋の奥へと進みます。小さな窓があり、その向こうにテムズ川が見えました。

 高い位置から見下ろすと、テムズ川の水が汚れているのがよくわかります。まるで巨大な怪物のように、その水の下に沈むロンドン橋の影。スコットランドヤードの小舟が、あめんぼのように行き交っています。

「……あれ」

 赤ずきんはそのとき初めて、その妙なこと(、、、、)に気づいたのでした。

 

7.

 

「卵、卵、卵はいらんかねー」

 ガイーン病院の近くの、周囲を塀に囲まれた小さな公園です。

 その塀の上に、ずんぐりした体型の男が立って、卵を売っているのでした。塀の下の荷車には、たくさんの卵が入った木箱が積んであるのです。

「ハンプティ・ダンプティの新鮮な卵だよ! 今日中に食わないと、ひよこになっちまうよう!」

 それはどこか、悲痛な叫びにも聞こえました。

「可哀想に……。北岸に持って行って売るはずだったんだろう」

 ホレイショー警部補が言いました。

「テムズ川より北は農業には向いていない。だから、野菜も卵も肉も、全部南岸から運んでいかなきゃいけない。ロンドン橋が落ちた今、北岸の食べ物の心配もしなければならなくなってくるな」

「舟で運べないの?」

「運べるが、今、スコットランドヤードが捜査をしているためにすべて行き来は禁止になっている。メアリーとジョンの結婚式が行われないのもそのためだろう」

 早くしないと食料の供給も滞ってしまうというのです。これは大変です。

「はやくロンドン橋を元に戻しましょう。ガチョウおばさん、魔法線について、基本的なことを訊きたいの」

「なんだい?」

 赤ずきんは小石を二つ、拾い上げます。

「この小石を浮かせてくれる?」

「お安い御用さ。ミル、魔法線だ」

 ガチョウおばさんとミルはスコットランドヤードの食堂でやったように、魔法線を交差させ、その交差する位置に小石を浮かせます。

「わからんな赤ずきん、これはさっき見ただろう。基本的なことってなんだい?」

 不思議そうに訊ねるホレイショー警部補の前で、赤ずきんはもう一つの小石を浮いている小石より少し下に持っていき、ぱっと放しました。小石は地面に落ちていきます。

「交差点の下では、小石は浮かないのね」

「当たり前だろうに。それじゃあ魔法線には引っかからない」

 笑うガチョウおばさんの顔をしっかり見据え、赤ずきんは言いました。

「だとしたら、ロンドン橋を宙に浮かせておくのは無理じゃない?」

「あんた、何を言ってるんだい?」

「スコットランドヤード、ホワイトポール聖堂、ロンドン塔刑務所、ガイーン病院、すべての場所の王冠は、地上五階の高さに収められていたわ」

「はっ!」

 ガチョウおばさんとホレイショー警部補は顔を合わせます。

「たしかに。ロンドン橋は川面より少し上、道路と同じ高さでなければならないはず」

「あんな高いところに王冠を置いておいても、無意味じゃないかね!」

「今日見た四つの王冠は、全部、ニセモノよ」

「しかしだね」ガチョウおばさんは首を振り振り言います。「王冠は、全部本物だった。百年前にすべての建物に置かれる儀式が開かれたとき、はっきりこの目で見たのと同じだよ」

「その儀式で見せられたものが、そもそも、ニセモノだったのだと思うわ」

 赤ずきんは強気に言います。

「なんだって?」

「ライオンとユニコーンは大々的に儀式を行って、王冠が四つの建物の上にあることをロンドン市民に印象付けた。もし盗もうとする者が現れたら、上の階を目指すようにね。だけど実際には、それぞれの建物の地下に収められたのよ」

 あぜんとしているホレイショー警部補とガチョウおばさんに、赤ずきんは続けました。

「犯人はきっとどこかで、本物の王冠のありかの情報を得た。そして、そのうちの一つを盗み出したのよ。……ロンドン橋を落としたかった理由はわからないけどね」

「本物の王冠のありか……そういう記録がどこかに残されていた? 王立図書館か?」

「いや、王立図書館は八十年前に大火事で蔵書が燃えちまったよ」

 ガチョウおばさんがあごに手を当てます。

「記録が残っている可能性があるとしたら、どこかの教会じゃないか……とにかく、こうしちゃいられないよ!」

 ガチョウおばさんはすぐにミルにまたがりました。

「王冠さがしの再開だよっ、ほら!」

 ぐいっと首をつかまれ、ミルはグエエエッ!と聞いたこともない叫び声をあげました。

「うわっ、うわっ……!」

 その声に驚いたのか、塀の上に座っていたずんぐり体型の卵売りがバランスを崩します。

「うわあ、うわあ、うわあー!」

 卵売りは塀から落ち、ぐしゃっ、と音を立てました。頭が割れ、どろりとした黄色い液体が流れ出します。

「大変、あの人……」

「あきらめな。ああなったら、王様の馬と家来が全部かかっても直せない。行くよ!」

 バタバタと羽音を立てて、ガチョウおばさんを乗せたミルは飛び立っていきます。赤ずきんは、動かなくなったずんぐり男を見て思いました。いったいこの旅で、いくつの死体と出会えばいいのでしょう。

 

8.

 

 一時間ばかりの再捜査のあと、どこの王冠が盗まれたのかがはっきりしました。

「おお、全知全能なる主よ」

 ボイル司祭はその小さな部屋で、天を見上げて嘆きます。

「このホワイトポール聖堂に私の知らない部屋があり、そこからロンドンにとって大切なものが盗まれるなど。おお、主よ、お答えください」

「うるさいね、少しお黙りよ」

 ガチョウおばさんは、いらいらしている様子でした。

 

 公園を出た三人はまず、いちばん近くのガイーン病院を訪れました。フローリィ院長は「地下には霊安室しかありませんよ」と三人を霊安室に連れて行きました。一週間で死んだソロモン・グランディのそばでは相変わらず奥さんが嘆いていましたが、その声の反響がおかしいとホレイショー警部補が言い出し、部屋の隅に隠し扉を見つけたのです。開けると小さな台座があり、半分に割れた金ぴかの王冠がありました。

「なんてすごいんだ。魔法の力が雷のようにほとばしって、目が痛いくらいさ」

 それを見るなり、ガチョウおばさんが叫びました。赤ずきんにはわかりませんが、魔法使いにだけわかる力があるようです。

「これこそ、本物に違いないよ。あたしは百年も騙されていたのかい……」

 どうせロンドン橋は落ちてしまっているのでと、そのユニコーンの王冠を借りて北岸に戻りました。時間短縮のために手分けをすることになり、赤ずきんはガチョウおばさんと共にロンドン塔刑務所に行きました。ゲイル所長は相変わらずどこの教会の鐘が鳴ったかを気にしていましたが、地下を案内してくれ、やはりすぐに見つかった隠し扉の向こうに、本物の王冠の半分が見つかったのです。

 一方ホレイショー警部補は、スコットランドヤードの地下にある死体置き場のすぐ脇に隠し部屋を発見し、本物の王冠を見つけていました。そして三人は再び合流し、ホワイトポール聖堂へ来たというわけでした。

「地下室など、聞いたことありませんね」

 ボイル司祭は首をひねりましたが、一緒に建物の外を捜索すると、大きな穴が見つかりました。それは聖堂の下の小さな部屋につながっており、すでに扉が壊されていました。

 中にはクッションのようなものがありましたが、王冠はありません。そのクッションを地上に出してみると、何かが置かれていた跡が確認できました。すでにガイーン病院で発見された本物のユニコーンの王冠の片割れを跡に当ててみると、大きさがぴったりだったのです!

「間違いないわ。誰かがこれを盗んだに違いない」

 赤ずきんの言葉に、ホレイショー警部補が信じられなそうな反応を見せます。

「こんなところに本物の王冠が収められているなんて、どうしてわかったんだ?」

「ああ……」

 そのとき、嘆くようにボイル司祭が天を仰ぎました。

「どうしたんだい、ボイル司祭?」

 ガチョウおばさんが訊ねます。

「私はこの地下室のことは、主に誓って知りません。ですが、たった今、思い出したことがあります」

「なんだい?」

「十日前、聖堂の一階の文書保管室が荒らされてしまいました。何かの文書が盗まれたのは確実なのですが、目録が欠損しておりまして、何が盗まれたのかどうか、わからない状況でした」

「間違いないじゃないか! それが本物の王冠に関する記録だよ! 賊だ。賊を捕まえるんだ」

 ガチョウおばさんの焦りと興奮が伝わったのでしょう、ばさばさっ、とミルが翼を羽ばたかせ、羽がそこらに舞います。

「しかし賊と言ったって、誰を当たればいいのか」ホレイショー警部補です。「ロンドンは犯罪者であふれている」

「地下に潜ってまで盗みを働くやつがいるもんかね」

 そのとき、赤ずきんの目には、垢だらけの少年の顔が浮かびました。

「……オリバーだわ」

「誰だって?」

「ホレイショー警部補、私、話していないことがあったの。死体置き場から通気口を使って出られたのは、ある男の子の入れ知恵があったからよ」

 そして、死体置き場でのできごとを赤ずきんは話しました。

「オリバーは何かを盗みたそうだった。きっと、本物の王冠のかけらだったんじゃない?」

「なるほど。オリバーに親分はいないのかい?」

「いるって言ってたわ。たしか名前は、フェイギン」

「フェイギンだって!?」

 ホレイショー警部補は叫びました。

「知ってるの?」

「悪名高い窃盗団の親分だ。彼には五十人もの手下がいる。しかし、やつがどこにいるのかは誰も知らない。……俺の力だけではもう無理な事件になってしまった。捜査一課のニール警部に協力を要請するしかない!」

 

(つづく)