信用できないアリの穴
8.
三十分後、事件の関係者は集められていました。場所は、次女ベッタの部屋です。
「いったいなんだね、私を呼び戻すなんて」
明らかに不機嫌な様子で、シカダが言いました。
「もちろん、ガンナさんを殺した真犯人を教えてあげるためよ」
「はっ!」シカダは笑い飛ばし、すぐ脇に立たせているジャコモの頭をぱしんと叩きました。「真犯人はこのキリギリス野郎だとさっき決まっただろう」
「そうよ、時間の無駄だわ」
黒いずきんのエプシィが口を開きました。相変わらず、まったく表情を変えません。
「ジャコモには無理だったの。それを証明してくれるのは、ベッタさんだわ」
急に自分の名前を呼ばれた本人は「ひゃっ、えっ、えっ?」とそわそわしはじめました。
「なんでベッタが出てくるんだい?」
太い眉を吊り上げ、アルファネが迫ってきました。
「今朝のことをおさらいさせてもらうわね。朝食をみんなで取り終わったのが九時。ガンナさんは後片付けをし、ベッタさん、デルルさん、エプシィの三人はすぐに自室に戻り、アルファネさんはここで靴直しをはじめた。ガンナさんは後片付けを終えた後も残ってアルファネさんと話をし、自室へ戻っていったのは九時半ごろだった。間違いないわね?」
「間違いないよ」
吐き捨てるようにアルファネは言いました。
「エプシィの推理で、ジャコモが外からナイフを滑らせたのは当然、九時半以降ということになる。そうね?」
「当たり前でしょ」
と、クールにエプシィは答えます。
「さて、ではここでベッタさんに質問。あなたは、九時に自分の部屋に戻ってから、何をしていたの?」
「え、え、えええと……」ベッタは明らかに挙動不審になり、ちらちらとアルファネのほうを見ています。「ここで、占いの勉強を」
「このお部屋、どうも特徴的なにおいがするわ」
くんくん、くんくん。赤ずきんが大げさに鼻をひくつかせると、
「わああ、違う、違います」
ベッタはごまかすように手でそこらじゅうを仰ぎました。
「ベッタ、あんたまさか」アルファネがそんな妹に厳しい目を向けました。「あのお香を焚いたのかい」
「ひゃひっ」ベッタは飛び上がり、髪を振り乱しました。「ごめんなさい。あれを焚いて瞑想することで、占いの精度を向上させることができるの。どうしても、必要なのよう」
「おかしいですぅ」
右手の人差し指を口元に当て、小首を傾げたのは、四女デルルでした。
「前にお香を焚いたときには匂いがたちこめて、アルファネ姉さんはぷんぷんでした。今日は匂いは漏れなかったんですかぁ?」
「その謎を解くカギは、それよ」
赤ずきんが指さしたのは、シカダのすぐわきにあるテーブルです。白い布切れが置いてありました。
「なんじゃこれは、シャツじゃないか。なんか、湿っておるぞ。洗濯ものか?」
「さっきこの部屋に来たときにはもっと濡れていたわ。それに、土がついていない?」
「たしかに。なぜ土が……」
「ああっ」デルルがぱちんと、両手を頬に当てました。「ひょっとしてぇ、空気穴をふさいだんですかぁ?」
ぶしゅ、とベッタの口から息が漏れました。
「正解のようね。アルファネさんが作業をしている台所にお香の匂いが漏れないように、空気穴をふさいだんだわ。さて、重要な質問よ、ベッタさん。あなたが空気穴にシャツを詰め込んだのは、いつのこと?」
「こ、ここに戻ってすぐのことです……」
観念したように、ベッタはうつむきました。
「九時より少しあとということね? そのときにはまだ、ガンナさんは生きていたはずだわ」
「はい。空気穴の向こうから、ガンナの声がしていました」
「シャツを穴から抜いたのはいつ?」
「アルファネ姉さんの悲鳴がガンナの部屋のほうから聞こえたときです。お香の香りはすでに薄れていましたが、焚いた形跡を少しでもなくそうと思って……」
「聞いたわね?」
赤ずきんは一同の顔を見回しました。
「九時から十一時十分のあいだ、この空気穴はふさがっていた。もし外部からナイフを滑らそうものなら、シャツに刺さって止まっていたはずよ」
「ああ、聡明なる野の花よ!」
ジャコモが明るい顔で叫びます。
『わが、実なき疑いを晴らしたもう。
などか、我がナイフがガンナの体を貫かんや。
などか、我が恋が……』
「うるさいのだ!」
ぱしん、とシカダはその頭をはたき、赤ずきんのほうを見ました。
「外からナイフを滑らせてガンナを殺すのが無理なことは認めよう。しかし、それなら犯人はどうやって、ガンナを殺害したのだ?」
赤ずきんはさっ、と、ある人物のほうを向き直ります。その相手は、エプシィでした。
「エプシィ、あなたはどうして今日、森の中で私に声をかけたの?」
「毒のあるイチゴを食べようとしていたからよ。親切心だわ」
「エプシィ、あなたはどうしてすぐに、空気穴を使ったトリックを思いついたの?」
「常日頃、気になっていたからよ」
「じゃあ」
赤ずきんは、その無表情な目をしっかり見据えました。
「あなたの犯罪計画は、どうしてそんなに杜撰なの?」
アルファネやベッタ、デルルが、えっ、と声を揃えました。
「ガンナさんを殺したのは、あなたね?」
無表情を貫くエプシィ。言葉を選ぶ沈黙が少しあった後で、
「違うわ」
シンプルな否定の言葉を、エプシィは口にしました。
「私は十時に、玄関を出ている。そうだったわね、アルファネ姉さん?」
「ああ、そうだね」アルファネの声には、少し戸惑いの色が混じっていました。
「デルル。あなたは十時十五分に、ガンナ姉さんに声をかけられた。そうだったわね?」
「間違いないですぅ」
「十時に外に出た私が、十時十五分に生きていたガンナ姉さんを殺せるわけはない。明白だわ。そういえば、あなたと森の中で出会ったのは十一時よね。その事実も、私に犯行が不可能なことを裏付けていると思うけど」
「いいえ」赤ずきんは首を振ります。「アリバイを補強したつもりかもしれないけれど、十時より少しあとにガンナさんを殺して、すぐにこの住処を出て走れば、十一時に森の中で私に会うことはできるんじゃなかしら」
「だから私は十時には……」
「トリックは、看破したわ。みんな、来てくれる?」
赤ずきんは通路に出て、一同を引き連れて下へと向かいます。ガンナの部屋の前を通りすぎ、立ち止まったのは、第四貯蔵庫の扉の前でした。扉のすぐ脇の壁には、ガンナの部屋から持ってきておいた住処の見取り図が貼られています。
「これを見て」
赤ずきんはバスケットの中から、毛糸のかすを取り出しました。
「ガンナの部屋のゴミ箱の中にあったのよ。なんだと思う?」
「ガンナのニットじゃないか」アルファネが言いました。「そういえば、あの子が着ていたニットは、腹の部分が全部ほつれていたね」
「そう。どうやら、ここに引っ掛けてしまったようなの」
貯蔵庫の扉のささくれ部分を、赤ずきんは指さしました。
「ニットがほどけていくことに気づかず、ガンナさんはどんどん進んでいった」
「変ですぅ」デルルが言う。「こんなに長いあいだニットがほつれているのに、どうしてガンナ姉さんは気づかなかったんですかぁ?」
「進んでいったのが、暗いところだったからよ」
赤ずきんは扉を開きました。ふん、とアルファネの笑い声が聞こえました。
「こんな狭いところ、入って戻ってくるのに時間はかからないだろうに」
「やっぱり知らないのね」
「知らない? 何をだい?」
「すべての勘違いのもとはこの、“信用できない見取り図”よ。部屋の位置関係だけを表すならこれで十分だけれど、現実のこの住処とは違うもの」
ランプを掲げたまま、赤ずきんは貯蔵庫の中に入っていきます。一番奥の壁は、木の板で覆われているように見えました。その板を、とんとん、と赤ずきんは叩きます。
「どう? 向こうが空洞のような音じゃない?」
「たしかに」
シカダが近づいてきて、板を両手でつかみます。がたがたと少し揺らすと、その板はぱかりと外れました。
「こ、こ、これは、秘密の部屋ですか?」
ベッタが言いました。向こうの部屋は赤ずきんの腰ぐらいの高さに床があります。
「ついてきて」
赤ずきんはいたずらをするときのように笑いながら奥の部屋へよじのぼっていきます。やがて、みながそれに続きました。
「ここは……」
「お豆ですぅ」
デルルの言う通り、足元には豆粒が転がっています。
「豆といえば、第三貯蔵庫だね」
「そのとおりよ」と、赤ずきんはアルファネに答えました。
「なんてことだい。第四貯蔵庫と第三貯蔵庫がつながっていたなんて」
「驚くのはまだ早いわ」
赤ずきんは、第四貯蔵庫とつながっていた壁の向かい側に進み、ランプを置いて一枚の板に手をかけます。がたりと音がして、再び、床の高い奥の部屋が現れます。
「ついてきて」
同じようによじ登り、みなも続きます。
「小麦ですぅ」
「ということは、第二貯蔵庫か」
デルルとアルファネは顔を見合わせ、「まさか……」とつぶやき、さらに奥の板壁に目をやります。
「自分たちで確かめてみたら?」
赤ずきんがいうと、二人はわれ先に板壁に飛びつき、がたりと板をはずしました。そして、赤ずきんより先に、その部屋に上がっていったのです。
そこは、冬にはからす麦を貯めておく場となる、第一貯蔵庫でした。
「どうかしら?」唖然としている一同の顔に、ランプの光を掲げて赤ずきんは見回しました。「四つの貯蔵庫はつながっていて、いわば秘密の通路になっているのよ。この住処を作ったご両親は、それを黙ったまま亡くなってしまった。ところが、ガンナさんはそれを知っていたの」
「ガンナはこの貯蔵庫の通路を通っていたというのかい?」アルファネが言いました。「いったいなぜ?」
「これのためでしょう」
赤ずきんは、古びた台の上に置かれた、小さな木箱を手に取ります。書かれている文字はわかりませんが、中身は臭いを嗅げばわかりました。
「タバコ?」
「そう。アルファネさんがガンナさんからとりあげてここに置いたタバコよ。アルファネさんは日がな台所で仕事をすることでガンナさんが第一貯蔵庫に入らないよう見張っているつもりだったろうけど、ガンナさんは一枚上手で、第四貯蔵庫から秘密の通路を通ってここへ入り、こっそり吸っていたの。ちなみにガンナさんの遺体の口元を嗅いでみたら、タバコの香りがしたわ」
みんなが自分の話をしっかり聞いているのに満足しながら、赤ずきんは続けました。
「今日も朝食後、いつものとおりにタバコを吸おうと第四貯蔵庫に入り、そのときに扉のささくれにニットを引っかけた。それに気づかずに上り続けているうちにニットはほつれていった。部屋に戻ったときにそれに気づいて、ほどけてしまった毛糸を手繰り寄せ、ぐちゃぐちゃにまとめてゴミ箱に捨てたのよ。その証拠に、ここにほら、からす麦の粒が」
毛糸に絡まっているからす麦に、赤ずきんはランプを近づけました。
「……それはわかったんだがな。犯人がエプシィというのはどういうわけだ?」
シカダが訊ねます。
「エプシィもまた、この通路の秘密を知っていたのでしょう?」
「知らないわ」
エプシィは表情を変えません。
「そのわりに、びっくりしてないけど」
「びっくりするのは苦手なの」
赤ずきんから目をそらし、エプシィは部屋をぐるりと見回します。
「赤ずきん。表通りから台所を通らずにこの貯蔵庫に入れる道はあるの? 板壁の他は、土の壁で、そんな通路はなさそうだけど」
「ないわよ」
「何度も言うけれど、私は十時には玄関から外に出たのよ。その後、この秘密の通路を使うのは無理だわ」
「無理じゃないの。どうぞ、こちらへ」
赤ずきんはみんなを引き連れ、台所へ出ます。ずっと貯蔵庫の中を通ってきたので、だいぶ明るく感じられました。
「まず確認しておきたいのは、玄関の戸の特徴よ」
赤ずきんはカーテンをくぐって、玄関の戸を押し開けます。きーっ、と音がしました。
「こういうふうに、開くときには音がするけれど、閉まるときには音がしないのよ。アルファネさん、靴を直しているときと同じ位置に座ってくれる?」
「ああ」
アルファネはぶっきらぼうに言って、椅子に腰かけます。彼女の位置から玄関は斜め前に見えるはずでした。
「その場でちょっと見ていてね」
赤ずきんはカーテンの隙間から手を振ると、再びドアをきーっ、と開き、靴を脱いで扉の下に噛ませ、開いた状態で止めました。そして、四つん這いになると、カーテンの下の隙間から部屋に入り、見守っているみなに「しずかに」と合図を送り、そのまま第一貯蔵庫へ通じる通路の中に入ります。
「アルファネさん」
通路の陰から顔を出すと、アルファネは「わっ」とのけぞりました。
赤ずきんは、自分が移動したしくみを説明すると、
「なんだい。いったん外に出て行ったと見せかけ、テーブルで見えない死角を通って戻ったと、ただそれだけのことかい?」
「そういうことよ。エプシィはこうやってガンナさんの部屋まで行き、何か言ってベッドに横たわらせ、ナイフをそのお腹に突き立てたの。もちろん、ジャコモの仕業に見せかけるために角度に気をつけてね」
ガンナを殺害後、エプシィはすぐにデルルの部屋のすぐそばまで行き、ガンナの声色を使ってデルルに話しかけ、再び通路を通って台所へいき、床を這うようにして玄関から外へ出て扉を閉め、森へ向かったというわけです。
みなは唖然としてエプシィを見つめています。エプシィはこの期に及んでも、眉ひとつ動かしません。
「今のやり方は、私以外にも外部から侵入してガンナ姉さんを殺すことができたことの証明に他ならない。どうかしら?」
「苦しいと思うわ。だって、外部からの侵入者は、あなたが玄関の扉を開けたままにしておくなんて予測できないもの。玄関の戸を開くときには必ず音が鳴ってしまって、アルファネさんに気づかれてしまう」
エプシィは赤ずきんの顔を、たっぷり十秒ほど眺めていましたが、やがてわずかに口角を上げました。
「──あなたが正しいようね」
赤ずきんが経験した中で、もっとも落ち着いた、真犯人の告白でした。
「エ、エ、エプシィがガンナを、ここ、殺し……ど、ど、どうして……」
うろたえているのはむしろ、次女のベッタでした。
「占いでもわからないのね、ベッタ姉さん。私の思い人に」
「思い人?」アルファネは首を傾げたあとで、「まさか!」とジャコモのほうを見ました。エプシィは軽くうつむき、ジャコモはわけがわからなそうにキョロキョロしています。
「この人の詠む詩を知っているでしょ? 私にはまるでない感性。私には使えない言葉たち。この人の詩を聞くたびに胸の中に火が灯ったようになった。私はそんなジャコモとひかれあっているガンナ姉さんがうらやましかった。だけどどう? ガンナ姉さんは春が来たら、約束だからとジャコモを追い払おうとした」
無表情は変わりませんが、エプシィの声は震えていました。
「ぜいたくなのよ、ガンナ姉さんは。私の中に言い知れぬ怒りがこみあげた。ガンナ姉さんもジャコモも、二人同時に私の人生から葬ることにしたの。……うまい計画だと思ったけれど、最後にミスをしたわ」
エプシィは赤ずきんのほうに顔を向けました。
「キイチゴの見分けもつかない愚か者と思って話しかけたのに、とんでもない名探偵だったわね」
その目は、真っ赤でした。
9.
「ひゃひゃーーっ。まだ日が残っていてよかった」
小麦畑の中を跳ねるように歩きながら、ジャコモは上機嫌です。
「あんた、よくそんなに開放的に言えるわね」
「当たり前だ。ずーっと縛られていたんだからな……」
『ああ、風よ、空気よ、世界よ、愛よ。
僕らは今、自由に泳いでいる。
それはあたかも、恋するツバメ。
などか、僕を止められん』
意味不明だわ、こんな男に恋をするなんて、とあらためてエプシィの感覚がわからなくなりました。冬をすごすための土の下の町。それは生きるための知恵なのでしょうけれど、やっぱり、世界が狭くなる気がします。
「危なくたって、外に出て世界を見なきゃね」
「おお、いいことを言うね」
ジャコモはバイオリンをあごにあて、楽しげな旋律を奏ではじめました。赤ずきんの足取りも軽くなります。
「ああ、風よ~ 空気よ~ 世界よ~ 愛よ~」
さっき作ったばかりの自分の詩に即興でメロディをつけているようでした。いけ好かないところもありますが、ピリーウスまでの道のりは飽きずにすみそうです。
「それはあたかも~ 恋するツバメ~ などか……いたっ!」
小石のような物が飛んできて、ジャコモの額に当たりました。何かしら、と飛んできた畑の向こうを見て、赤ずきんはゾッとしました。
銀色に光るつば広帽子に、コート。
「い……イソップさん……」
ジャコモの額はすでに白くなっていました。
イソップは滑るように、畑の上をこちらに近づいてきます。
「キリギリスのジャコモですね」
「え、ええ、ああ」
ジャコモは声にならない声を上げています。
「テサロニで一人の女性に求婚したにもかかわらず、カサロニでも一人の女性に求婚しましたね」
「いや、あ、あれは」
「一人の女性に愛を告げながら、別の女性にも愛をささやく。不実です」
「不実……」
「人生には正しい教訓が必要です。不実なものには、報いを!」
両手を高く上げるイソップ。もくもくと、黒い雲がその頭上に立ち込めます。
「待って!」赤ずきんは叫びました。「私はこの人を頼らなければ、おうちに帰れないの!」
びゅん、と両手を下ろすイソップ。突風が吹いて、赤ずきんは小麦畑の中に飛ばされました。
「きゃああ!」
右手で体を支えて起き上がります。麦と麦のあいだから見ると、すでにジャコモに大きな雪の塊が襲い掛かり、その体は真っ白に凍り付いていました。
びゅん、と再び冷たい風が吹き、雪が飛んできました。
「仕方がないわ……」
とばっちりを受けて凍り付いてしまったら身も蓋もありません。赤ずきんは青々とした小麦の中を隠れるようにがさがさと這い、イソップから遠ざかったのでした。