不思議の国の不可解殺人

 

3.

 

「メイベルって、本当に何にも知らないのよ」

 歩きはじめてから二十五分ばかり。アリスは一人でクラスメイトのことをしゃべっています。二人の髪の毛も服も靴も、すっかり乾いてしまいました。

「地理なんて何も知らないの、トスカナはドイツ、フランドルはスペイン、バレンシアはデンマークだなんて、もうめちゃめちゃよ。算数になるともっと酷いわ。2×3は8、3×4は15なんて、もうめちゃくちゃよ」

「へぇー、ほんとに酷いわね」

 とはいえ、赤ずきんも掛け算はあまり得意ではありません。

「ねえ赤ずきん。算数は得意? チョコレートパイの面積の出し方、わかる? 円周率を使うのよ。直径に……」

「あっ、あれは何かしら?」

 赤ずきんは、わざと大発見をしたように叫んで、前方を指さしました。

 森です。と言っても、今、赤ずきんたちは二十五センチぐらいの身長ですから、茂みと言ったほうが正確なのでしょう。その茂みの、ぽっかり空いたところに、赤や青や黄色の丸いものがぴょこぴょこ突き出ているのでした。近づいていくにつれ、赤ずきんはそれがキノコであることがわかりました。

「食べられるかしら?」

 赤ずきんが言うと、

「やめときなさいよ」アリスがたしなめました。「そこらに生えているものを食べたら、お行儀が悪いって叱られるわ。お姉ちゃんって、すぐそういうの告げ口するの。本当にイライラするわ」

 そのうちの、いちばん大きいキノコに誰かが座っています。今の赤ずきんとアリスの顔ぐらいの高さです。その傘は赤ずきんが両手を広げたよりまだ大きく、向かって左側の半分が緑、もう半分がピンク色です。

 傘からは煙が立っていました。

「ねえ、あなた」

 声をかけながら近づいてぎょっとしました。遠目にはわからなかったのですが、それは大きな芋虫だったのです。

 芋虫の脇には、赤ずきんがアラビアで見た道具が置いてありました。水たばこです。

「なんだよ」

 芋虫が、じとっとした目をこちらに向けてきました。

「えーとね、芋虫さん、このおかしな世界から抜け出る方法をしらない?」

 たじろぐ赤ずきんをよそに、アリスが訊ねました。芋虫は眠たそうな顔で二人を見ます。

「〝おかしな〟という言葉の定義は何かね?」

 ぷふぁぁぁ――その口から白い煙が吐き出されました。

「〝おかしな〟は〝おかしな〟よ。まともじゃないってこと!」

「〝まとも〟という言葉の定義は何かね?」

 のらりくらりと芋虫は訊いてきます。

 アリスは馬鹿にされたと思ったのでしょう、ぎりぎりと歯ぎしりをしています。この女の子がけっこう短気なのを、赤ずきんはすでにわかっていましたので、質問をします。

「ねえ芋虫さん、私たち、体が小さくなってしまったの。元に戻す方法はないかしら?」

「〝小さい〟〝大きい〟とは相対的な概念だ。そう思わないかね?」

 ぷふぁぁー。白い煙が宙に漂います。

「君たちの大きさが変わっているとどうして言える? 君たちをとりまく世界のほうが伸びたり縮んだりしているのかもしれんだろう」

 赤ずきんは、それこそ煙に巻かれているようでした。

「私とアリスは、時間差で縮んだわ。それで、同じ大きさの世界を見ているということは、私たちの体のほうが小さくなっているっていうことにならない?」

「ふむ」芋虫は、ぱ、ぱと、小さな煙の塊を吐き出します。「よかろう、君はなかなか頭がいい」

「あんた、よくあんな偏屈な芋虫とまともに話せるわね」

 アリスが小声で言いましたが、芋虫に気にする様子はありません。

「私が今乗っているこのキノコの傘。私から見て右側の緑っぽい部分を食べると、君たちの体は大きくなる。逆に、左側のピンクっぽい部分を食べると、小さくなる。食べる量を調節すれば、大きさも調節できる。両方いっぺんに食べると、大きくも小さくもならない」

「じゃあ、もらうわ」

 すっかり芋虫が嫌いになったらしいアリスが不愛想に言って、緑っぽいほうのキノコをつかみました。まるでスポンジケーキでできているかのように、ぼろりともぎ取ることができました。それを見た赤ずきんは、同じようにもぎ取られた跡があるのに気づきました。

「ねえ、前にも誰かがこのキノコを取っていったの?」

「〝前〟の定義は何かね?」

 ぷふぁぁぁー。白い煙。

「もううんざりよ、赤ずきん。さっさとこれを食べて大きくなっちゃいましょう」

 アリスのいらいらは、もう止めようがないようです。

「ちょっと待ってね芋虫さん。一応、こっちももらっておくわね」

 赤ずきんは、ピンク色の、体が小さくなるほうのキノコももぎ取って、ポケットに入れました。

「さあ、いいわ」

 赤ずきんはアリスから緑のキノコのかけらをもらい、二人で同時にぱくっと食べました。

 ぐぐん、ぐぐん。

 みるみるうちに、目の前の芋虫とキノコが小さくなっていきます。つまり、赤ずきんとアリスの体は大きくなり、ようやく普通の女の子ぐらいに戻ったのでした。

「ああ、よかった。あんなに小さかったら学校で馬鹿にされちゃうもの」

 アリスは胸をなでおろしています。

「エイダみたいに可愛い子になら見下されても仕方ないけど、メイベルにからかわれるのだけは絶対に嫌よ。あんな子、地理と文法の点数を足したって、私の算数の点数に届かないんだから」

 その横で赤ずきんはポケットの中を調べました。さっきのキノコが、相当量の大きさで入っています。

「私たちが携帯しているものは、同じように大きさが変化するらしいわね」

 つぶやきながらも、考えてみれば当たり前だわ、と赤ずきんは思っていました。だって、体の大きさだけが変化するのだったら、小さくなったときに洋服はそのままに裸んぼうで小さくなっていたはずだからです。

「わああ、わああ!」

「大変だ、わああ!」

 どこかから、慌てふためく声がしました。

 それは、わずか十メートルほど前方からでした。さっきまで身長がかなり低かったのでぜんぜん見えなかったのですが、今や膝丈ほどになった茂みの向こうに、テーブルセットがあります。テーブルの上にはティーポットやカップにお菓子が並んでいて、今まさにティーパーティーが開かれていたようなのですが、様子がおかしいのでした。

 パーティーの参加者は三人のようです。

 一人は、オレンジ色の蝶ネクタイを付けた灰色のうさぎ。一人は、クッションのようにふかふかした見た目の、リスのような茶色い小動物。そして、騒ぎ立てるその二人に挟まれて座っているのは、明らかに頭のサイズに合っていない大きなシルクハットをかぶった男性でした。

 一目見て赤ずきんは、その男性の異変に気付きました。目を閉じ、真っ青で、微動だにしないのです。それはまるで……

「死体?」

 赤ずきんがつぶやくと同時に、

「死んじまった、死んじまった!」

 真っ赤な目をぐるぐる回しながら、うさぎが叫びました。

「帽子屋が! 今の今まで生きていたのに!」

 小動物のほうは、両前足で目をこすりながら叫びます。

「さあさ、大変だねえ」

 ドッジソン教授の声が聞こえてきました。見れば、テーブルから三メートルほど離れた木の枝に太った猫がいて、くふくふ笑っているのでした。

「三月うさぎにヤマネに帽子屋と言えば、ここらじゃ有名なパーティー仲間だ。その一人の帽子屋が殺された。誰がどうやったんだろうね。くふ。くふ。くふふふ」

 太った猫はそう言いながら、消えていきます。

 いったいなんなのよ、と赤ずきんはため息をつきたくなります。

「ああ、いったい誰が帽子屋を殺したんだ!」

「ああ、死体だ、事件だ!」

 三月うさぎとヤマネという風変わりな動物たちは叫んでいます。猫の姿はもうなく、空中に〝くふくふ〟だけが残っていました。

「誰かこの事件の」

「謎を解いてくれないかなあ!」

 くふ、くふ、くふくふくふ……。

「わかったわよ!」

 赤ずきんはどすんと足を踏み鳴らし、テーブルに向かっていきました。

 

4.

 

「こんにちは。私は赤ずきん」

「はっ?」

 三月うさぎとヤマネはそろって赤ずきんのほうを見ました。

「そしてここにいるのは、助手のアリスよ」

「ちょっと赤ずきん。どうしてあたしが助手なの?」

「居合わせたんだから、そうなのよ」

「えー、助手、やだなあ」

「いいじゃない。どうせこれは夢よ。だけどきっと解決しなきゃ、元の世界に戻れない」

 アリスは渋っていましたが、「ま、いいか」と言いました。

「ラッキーだったわね赤ずきん。あたしみたいな賢い子が一緒で。メイベルだったら助手は務まらないわ。あの子、カラスと九官鳥の区別すらつかないのよ」

「『カラスと机』だっ!」

 三月うさぎが叫びました。

「何よ、それ?」

 赤ずきんは訊ねます。

「帽子屋のやつの捻じ曲がったなぞなぞさ。あいつ、このお茶会では私たちになぞなぞを出すのが常だった。今日のなぞなぞは『カラスと机が似ているのはなぜだ?』という問題だったんだ」

「そんなの簡単よ」アリスが手を上げます。「両方、魚ではない」

 自慢げに胸を張りますが、三月うさぎとヤマネの反応は白けたものでした。

「そんなの僕だって考えたよーだ」

 ヤマネが目をこすりこすり言いました。

「でも帽子屋は間違いと言った」

 赤ずきんにはこのなぞなぞが何なのかわかりません。というか、まともななぞなぞとは思えません。やっぱりここは夢の世界のような気がします。

「ねえ、三月うさぎさんにヤマネさん。誰が帽子屋を殺したのか、私が突き止めてあげるわ。だから、何があったのか、できるだけ詳しく話してもらえる?」

「詳しくって言ったってな」と三月うさぎは首を傾げながら、懐中時計を取り出します。「私たちは今日、いつも通りの時間にここに集まってティーパーティーを始めた。十二時七十三分きっかりだ」

「ちがうよ三月うさぎ。十一時百三十三分きっかりだよ」

 ヤマネが訂正しますが、どちらも違うように赤ずきんには思えます。

「あんまり賢くないみたいね二人とも」アリスがしたり顔で口をはさみました。「〝分〟っていうのは六十個たまったら〝時間〟になるのよ。だから、十二時七十三分きっかりも、十一時百三十三分きっかりも、『十三時十三分きっかり』というのよ。『午後一時十三分きっかり』とも言うけどね」

 そもそも「きっかり」の使い方が間違っているように赤ずきんには思えましたが、つっかかるのはやめておきます。

 三月うさぎがぱん、と手を叩き、話を元に戻しました。

「とにかくその時刻からここでパーティーを始めた。私はここ、ヤマネはここ、そして帽子屋は今座っているそこに座った」

 テーブルは長方形で、長い辺に三つずつ、短い辺に一つずつ、合計八つの椅子に囲まれていました。帽子屋はそのうち、長い辺の真ん中の椅子に、彼から向かって右斜め前に三月うさぎ、左斜め前にヤマネが腰掛けたようです。

「私たちはお茶を飲みながら雑談をした」

「どんな話?」

「雑な談だ。とても丁寧とは言えない」

 赤い目をぐるぐると回しながら三月うさぎが言います。

「しばらくすると帽子屋が例のなぞなぞを出した」

 ――カラスと机が似ているのはなぜだ?

「私とヤマネは考えた。うーん、うーんと考えた」

「うーん、うーん」

 三月うさぎとヤマネは腕を組み、空を見上げ、そのときのことを再現します。

「帽子屋のやつは私たちの悩む姿を、お茶を飲みながら見ていたに違いない」

「あ、いや、違うな」

 ヤマネが三月うさぎの証言を遮りました。

「スコーンを食べようとして、でも、僕が塗ったときにはあったバターナイフがなくなってしまったんだって。バターが塗れないバターが塗れないと、呪文のように繰り返していた」

「バターナイフのことなんか知るか。落としたんだろう」

 三月うさぎが目を吊り上げます。

「僕は音には敏感なんだ。落としたら気づくよ。どこに行っちゃったんだろう」

「知るかって言うんだよ」

「そうだね。知るかって言うんだよね。まあとにかく、帽子屋はしょうがなく、クッキーを食べていた」

 三月うさぎは興味なさそうに、ふん、と鼻を鳴らします。

「クッキーを食いながらあいつ、私たちが悩むのを楽しんでいたんだ。ところが! 突然あいつは叫んだ!」

 長い耳をふさぐようにして、あーっ、と三月うさぎは大声を上げます。

「どうしたんだ、どうしたんだと私たちは訊ねたが、帽子屋は苦しがるばかり。やがて目を閉じ、ぐったりと背もたれに体を預け、動かなくなった。十二時百三十三分きっかりだ」

 それはつまり、午後二時十三分ということです。帽子屋の時計を見ると、三時三十三分でした。

「もう一時間二十分も経っているじゃない。そんなに長い間何をしていたの?」

「騒いでいたのさ」

 あっけらかんと、三月うさぎは言いました。赤ずきんは呆れながら、

「犯人の姿は見ていないのね?」

「見ていない」

「ふーん」

 赤ずきんは死体に近づき、調べます。死因は明らかにお腹のど真ん中の刺し傷でした。白いシャツのその部分が破けて、血に染まっています。

 テーブルクロスをめくってテーブルの下を覗くと、大人が一人隠れるにはじゅうぶんの広さがあります。

「ティーパーティーが始まったときにはすでに、ここに犯人が潜んでいたんじゃないかしら?」

「それは、ない!」

 ヤマネが目を見開きました。さっきまで眠そうだったのに、耳が震えるぐらいの大声でした。

「パーティーが始まったとき、僕は靴下を履き替えたんだ。もちろんこうやって」

 ヤマネは椅子の下に降り、身をかがめます。

「このとき、テーブルの下を見たよ。誰もいなかった」

「それは確かなの?」

「確かさ」

 赤ずきんは頬に手を当て、考えます。だったら犯人はどこから来て、どこへ行ったというのでしょうか。

「ねえ、あたしもスコーン食べていい?」

 考えていると、アリスが言いました。

「アリス、まじめに捜査をしなさいよ」

「そんなことを言ったって、おなかがすいちゃったんだからしょうがないでしょ。キノコだってそんなに簡単に食べるわけにはいかないんだし」

 しょうがないわね。私はもう一度、テーブルの下を調べてみましょう、と赤ずきんが思っていたら……

「こらお前たち!」

「何をしている!」

 どこからか声がしました。

 テーブルのすぐそばに、いつの間にか二人の人影がありました。

 二人? いや、二枚と言ったほうがいいかもしれません。そこに立っていたのは、大きな二枚のトランプでした。「♡の8」と「♢の4」です。二枚とも、薄っぺらい頭と手足が生えていて、薄っぺらい槍を携えています。

「あっ、女王様の兵隊さん」

 三月うさぎがぺこりと頭を下げました。

「本日、♡の女王のお城の庭に集まらなければならないのは知っているな? クロッケー大会だ」

「そ、そりゃもちろん」

「そろそろ出発しないと間に合わないぞ。お前たち、まさか欠席するつもりではないだろうな」

「め、滅相もございません。ティーパーティーが終わったら行くつもりです。しかし、帽子屋はもう出席できません」

「なんだと? 欠席したら首を刎ねると女王陛下は仰せだぞ」

「しかし、帽子屋は死んでしまいました」

 三月うさぎは事情を話しはじめました。

「ねえねえ、♡の女王って誰?」

 アリスが小声で、ヤマネに訊ねています。

「この国の支配者。今日は午後三時百三十三分から、女王陛下の庭に集まってお話を聞かなきゃいけないんだ」

 午後五時十三分ということでしょう。ヤマネが答えるのを横で聞きながら、時間をいちいち直すのが大変だわと、赤ずきんは不満を覚えていました。

「それでは帽子屋の首を刎ねることになるぞ!」

「しかし、不可抗力です、兵隊さん」三月うさぎは悲痛な声を上げました。「あんまりです。帽子屋は殺されました」

「それなら殺した者の首を刎ねる」

「殺した者が誰かはわかりません。今、赤ずきんが突き止めようとしているところです」

「それなら、突き止められぬ者の首を刎ねる。赤ずきん、来い!」

 二本の槍が赤ずきんに向けられました。ペラペラかと思ったら、先端はけっこう鋭利です。

「なんでそうなるのよ」

「首を!」「刎ねる!」

 びゅん、びゅんと突き出された槍をすんでのところで避けると、赤ずきんはアリスの手をさっと握りました。これ以上、こんな野蛮なトランプの相手などしてられません。

「行くわよアリス!」

「ああ、私のスコーン!」

 名残惜しそうなアリスを強引に引っ張り、赤ずきんは駆け出しました。

「待て!」「待て!」

 トランプ兵たちは追いかけてきます。

「しつこいわね。どこかに隠れられるところは……あっ!」

 赤ずきんは何かにつまずきました。都合の悪いことに、目の前は草のまばらな下り坂になっていました。

「あああ~っ! 何度目よ~っ!」

 赤ずきんとアリスは転げ落ちていきます。

 

(つづく)