信用できないアリの穴

 

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 港町ピリーウスで生まれ、陽気に育ったジャコモは、幼なじみが次々と仕事に就くのを横目に、相変わらずバイオリンを弾き、酒を飲み、歌を歌い、ダンスを踊り、自由気ままにすごしていました。鳴き声の美しい虫に自分をなぞらえ、「キリギリスのジャコモ」と名乗って日がな歌ってばかりいるジャコモに、大人たちは「働け、働け」と言いました。
「短い人生を謳歌しなくてどうするんだ」
 ジャコモは取り合わず、町から町への旅に出ることにしたのです。
 行く先々の町でバイオリンを弾いたり、詩のようなものを作ったりして気ままに暮らしていましたが、五年目にアントスの町にたどり着いたときに、事件が起こりました。
 お気に入りの緑のジャケットがほつれてしまったのです。
 修理してくれる人はいないかと人づてに聞き、この町一番の服の修理屋として知り合ったのが、五姉妹の長女、アルファネでした。
 修理代の代わりにバイオリンで歌を聴かせたのが、五姉妹との交流のはじまりでした。
 アントスは働き者ばかりの町。突然外部からやってきて日がなバイオリンを弾いて歌ってばかりのジャコモを五姉妹は警戒しましたが、それでも受け入れたのです。
「そんなに働いてばかりで疲れないかい?」
 ジャコモは畑から畑へとバイオリンを弾いて歩き回りながら、アントスの町の人たちに訊ねました。
「しかし、今のうちに働いて食料を蓄えておかないと、冬がすごせないから」
 決まってこんな声が返ってきました。
『ああ、さんさんと降り注ぐ陽光よ。
こんなに輝かしく暑い日々、
虫は歌い、木々も恩恵を受けるのに、
などか人間だけ働くのだ。
何が悲しくて、遊ばずに働くのだ』
 ジャコモはこんな詩を詠んでは歌い、アントスの町の人々の不興を買ったのでした。初めはジャコモのことを面白がっていた五姉妹も、労働を見下すようなジャコモの態度を見て、避けるようになっていったのです。
 それでもジャコモは歌い続けました。
 冬は、あっという間にやってきました。
 はらはらと天から舞い落ちはじめた雪は、すぐに大降りになり、畑や道、周囲の森を白く覆いつくしました。
 町の人々は地下にこもり、地上に出ることはなくなりました。
 ジャコモも当然、地下の町に入れてもらおうとしたのですが、
「お前はよそ者だ!」「さんざん、労働する俺たちのことを馬鹿にしたくせに!」
 と罵られ、町への出入り口をすべて閉ざされてしまったのでした。これ以上この町にはいられない。雪の降っていない南のほうへ移動しないと……と、焦りはじめたときにはもう遅く、ジャコモは空腹でまったく動けなくなったのです。
 道のど真ん中で倒れ、もうおしまいだ、と天に上る祈りを捧げはじめた、そのときでした。
「ジャコモ」
 話しかけてきたのは、五姉妹の三女、ガンナでした。彼女はジャコモに肩を貸し、町の人たちに内緒でこっそり住まいに招き入れたのです。
「ガンナ、なんでそんな男を!」
 アルファネ以下、他の姉妹はジャコモを助けることを拒否しました。しかし、ガンナはこう言ったのです。
「夏のあいだに遊びすぎて蓄えを怠ると、やがて冬が来たときに困窮することになる──この人は“教訓”を得たのよ。きっとイソップさんを喜ばせることができるわ」
 たしかに、と五女のエプシィが同意し、ジャコモは冬のあいだ、この五姉妹の家に住まわせてもらうことになったのです。
 ジャコモは五姉妹のためにバイオリンを弾き、歌を歌い、すっかり仲が良くなりました。
 しかし春がきたら家を出ていくという約束でした。ジャコモはそれが嫌でした。
 というのも、五姉妹との生活にすっかり居心地がよくなってしまったからです。特に、助けてくれたガンナには恋心を抱くようになっていました。ガンナもまた、ジャコモに好意を抱いたようでした。
 ジャコモは必死で詩を作り、ガンナに送り続けました。ガンナは心を動かされた様子でしたが、その心と相反する態度を取るのでした。
「約束は約束よ。あなたのような遊び人は、この町には不似合いなの。もう雪が解けてから一か月以上になるのだから、あなたは教訓を胸に、この町を出ていくべきだわ」
 あくまで真面目なガンナはそう主張し、ジャコモを拒絶したのです。

「アントスを出ていきなさい──ガンナにそう言われてこの住処を追い出されたが、僕は愛情の裏返しだと思った。それで、アントスに留まったまま、折を見てはガンナに近づこうとしていたんだ」
 ジャコモはしょんぼりして言いました。
「それで、逆恨みしてガンナを殺したと思われてしまったのね」
「そのようだ。でも、そんなことはない」
 はあ、とジャコモはため息をつきます。「ガンナを失ってショックを受けているのは、この僕だって一緒なんだ」
『ああ、美しきガンナよ、
 などか君は、僕の前から去る。
 僕と共に歩んだら、常に世界は春だったのに』
 詩人は憂いとともに生きているのね、と赤ずきんは思いました。
「まあいいわ。あなたがここに滞在していてくれたおかげで、私は家に帰れる希望を手に入れたのだから」
「ああ、前向きな考えだ」
「でも、そのためにはしっかり、真犯人を探さなければならないわね」
「その必要はないようよ」
 二人の会話を遮る声がしました。扉から姿を現したのは、エプシィです。黒いずきんの中の顔。氷のようにクールな目が、赤ずきんとジャコモを見つめていました。
「エプシィ。話を聞いていたの?」
「つい今さっきからね。赤ずきん、せっかくだけど、あなたが捜査に乗り出す前に、真相に気づいてしまったの。この私がね」
 胸に手を当てるエプシィ。
「ガンナ姉さんを殺したのは、その怠け者のバイオリン弾きだわ。説明してあげるから、こっちへ来なさい」
 やっぱり年下とは思えない落ち着きと生意気さを、彼女は漂わせているのでした。


5.
 ガンナの部屋に戻ると、遺体はすでにベッドから降ろされ、布がかけられていました。
 赤ずきんたちを迎えるのは、先ほどと全く同じ顔ぶれ──占い師っぽいベッタだけは目を伏せていますが、長女アルファネ、四女デルル、そしてシカダ以下三人の警察官は鋭い視線をジャコモへ向けています。その疑いが揺るぎないものとなっていることを、赤ずきんはその視線から感じました。
「あれを見て」
 エプシィが指さしたのは、土をくりぬいて作っただけのその部屋の、天井に近い部分でした。腕がすっぽり入るくらいの小さな穴が開いています。
「空気を取り入れるための穴よ」
「ベッタ姉さんの部屋と通じているんですぅ」
 デルルが先ほどの、住処の全体見取り図を見せました。
「同じような空気の穴が、ベッタ姉さんの天井の隅と、その斜め上の台所にもあいているんですぅ」
「この見取り図は、部屋と部屋の繋がり方だけを描いた、いわば“信用できない見取り図”よ」
 エプシィが補足し、紙きれを一枚見せてきました。
「空気穴は、実際には、町の表通りの空気の取り入れ口から斜めの直線でまっすぐ繋がっているの。こんな風にね」
 自分で書いたらしきその図を見て、赤ずきんはエプシィの推理の内容がわかりました。
「玄関を入ることなく、表通りから、ベッドで眠っているガンナめがけて、ナイフを滑らせたというのね?」
「察しがいいわ」
 エプシィは少しも笑わず言いました。赤ずきんは反論します。
「たしかにこの穴はナイフの通り道になりそうだけれど、やっぱりそうはいかないんじゃない? たとえばベッタさんの部屋。天井隅の穴と床の隅の穴まで斜めにナイフを導く道がなければそのトリックは成立しないわ。台所もそうよ」
 エプシィはうろたえる様子など微塵もありません。
「説明してあげるからついてきて。ベッタ姉さん、部屋に入らせてもらうわね」
 ベッタは小さな声で「ええ」と答えます。平素から気分が悪そうなのは、彼女の性質なのでしょう。エプシィの先導で一同は、ベッタの部屋へとやってきました。ランプはついていますが薄暗く、どこか煙くさい部屋でした。その煙の臭いに足元がふらつき、扉のそばの台の上に手をつきます。
「冷たっ!」
 思わず手を引っ込めました。濡れた何かをつかんでしまったのでした。よく見るとそれは、びしょ濡れのシャツでした。
 洗濯物かしら、と思っていると、
「何やってるの、赤ずきん。私が見てほしいのはあれよ」
 エプシィがランプを掲げました。照らされたのは奥の壁でした。天井の空気穴から床の空気穴まで、まっすぐ斜めに白い木材が柱のように設置されているのです。
 さらにエプシィは一同を台所へと先導します。台所の奥の壁にも同じように白い木材が斜めに渡されていて、天井近くと床近くの壁にあけられた空気穴をすべり台のようにつないでいるのでした。
「ナイフが滑るのは一瞬だから、ここで靴直しの作業をしていたアルファネ姉さんも、自室で占いの勉強をしていたベッタ姉さんも、気づかなかったのでしょう」
 勝ち誇った様子もなく、エプシィは告げます。
「本当にナイフが滑るのかしら」赤ずきんはそれでもケチをつけました。「途中で引っ掛かっちゃったら計画は失敗よ」
「実験してみましょう。ナイフはこれでいいわね」
 調理台の上に置いてあったナイフをとり、「今から二百数えたら、表通りの空気穴からナイフを滑らせるわね」と言い残して、玄関へ通じる布をくぐっていきました。ぎーっと扉が開く音が聞こえましたが、やはり閉じる音は聞こえません。
「ガンナの部屋へ戻ろう」
 シカダの号令で、一同は急いで通路を下へと進んでいきます。ガンナの部屋の入口あたりに固まって、空気の穴にじっと注目します。
 しばらくしてどこからかシュルシュルという音が聞こえてきました。
「あわっ!」
 空気穴から勢いよくナイフが滑り込んできて、デルルがのけぞります。すとん、とナイフは、今や誰も横たわっていないベッドに突き刺さったのです。ちょうど、ガンナの腹部にあたるくらいの位置で、角度も同じくらいでした。
「思い出したことがあるわ」
 ナイフの柄をじっと見据えながら、アルファネが鼻息を出します。
「台所の天井が落ちそうだからと言って、木材をあそこに据え付けるようアドバイスしたのは、そのキリギリス野郎だったのよ」
「なんじゃと」
 シカダがアルファネのほうを振り返りました。
「それだけじゃない。ベッタの部屋にも同じように木材を据えつけるように言ったわね」
「おお、ええと……」
 と、詩がひねり出せなかったようで、ジャコモはんん、と咳ばらいをしました。
「あれは本当に、天井が落ちそうな気がしたからで……」
「決まりだな」
 ジャコモの弁明を遮るようにシカダが言い、二人の部下を振り返りました。
「ジャコモを引っ立てるんじゃ!」
『おお、悪魔なる実験よ。
などか、虚なる科を作りたもう。
わが愛する人の命、わが命、
などか、共に消え……いや違う、
などか……』
「などかなどか、うるさいんだっ!」
 ぱしり。シカダに頭をはたかれ、ジャコモはぐいっと引っ張られて行きました。
「ああ、赤ずきん。ああ、赤ずきん」
 連行されるジャコモを見ながら、赤ずきんは考えました。どうしたらいいのでしょう。これではコマルセイユ行きの船に乗ることができません。
 なんとかして、真犯人を見つけないと──。


6.
「こういう風に、花びらの先がとがっていてね……」
 赤ずきんが紙に描いていくジャスミンの花を、デルルは興味深そうにのぞき込んでいましたが、「可愛いですぅ!」と叫んで胸の前で手を合わせました。
「アラビアにはこんな可愛いお花があるんですかぁ?」
「そうね。アコノンという町では、これを鉢植えにしてたくさん育てている人と会ったわ」
「鉢植え! 素敵ですねぇ。お花を育てるのって楽しそうですぅ」
「デルルもやったらいいじゃないの」
「ここは土の中ですよぉ」デルルは顔をしかめました。「お日さまの光が当たんないんじゃ、うまく育たないですぅ」
「それはそうね」
「だから私は、刺繍でお花を再現するんですぅ」
 デルルは布と縫い針を取り、赤ずきんの描いたジャスミンをすいすいと刺繍していきます。その姿を見て、赤ずきんはホッとしました。
 エプシィの推理によって、もう事件は解決した様相を見せてしまいました。となれば、赤ずきんがこれ以上この住まいにいる理由はありません。このままでは追い出されてしまうと思った赤ずきんはすぐさま、無垢そうなデルルに取り入ることにしたのです。
 私、いろんな国を旅してきたから、たくさんのお花を知っているのよ。あなた、刺繍が得意でしょ? 新しいお花の刺繍をやってみたくない? 
 やりたいですぅ──赤ずきんより少しだけ年下らしいこの少女は思ったとおり食らいつき、「お花の図柄を教えるため」という名目で、もう少しだけ赤ずきんはこのアリの巣のような住まいにいられることになったのです。
「ねえ、デルル。あなた方のお姉さんについて訊きたいんだけど、亡くなったガンナお姉さんとアルファネお姉さんは、仲が悪かったということはない?」
 赤ずきんが引っかかっていたのは、先ほどのエプシィのトリックについてです。あのやり方でガンナを殺害できるのは、考えてみれば住まいの外にいる人間だけとは限らないのです。ナイフの道筋のあいだにある台所と、ベッタの部屋からだって、ナイフを滑らせることはできるのですから。つまり、アルファネとベッタも容疑者候補なのです。
「アルファネ姉さんは、おこりんぼですぅ。今朝も私、スープをちょっとテーブルにこぼしただけでこっぴどく怒られましたぁ。ガンナ姉さんもタバコのことでよく、怒られてましたぁ」
「タバコ?」
「今年の冬ですぅ。ジャコモさんが持ってきたタバコを、ガンナ姉さんが吸いはじめちゃってぇ……アルファネ姉さんはああいうのは嫌いだから、箱ごと取り上げて、隠しちゃったんですぅ。ま、第一貯蔵室にあるのはみんな知ってるんですけどぉ、台所ではいつもアルファネ姉さんが見張ってますからねぇ」
「タバコを巡ってアルファネさんとガンナさんがいがみあっていたということは?」
「ないですぅ。アルファネ姉さんは怒りんぼですけど、私たち妹のことをいつも自分より優先させてくれる優しいお姉さんですぅ。ガンナ姉さんが死んで、いちばん悲しんでいるのはアルファネ姉さんだと思いますぅ」
「そう……。じゃあ、ベッタさんはどうかしら? ガンナさんとの関係は?」
「最近はあまり話しているのを見ていませんですぅ。占いばっかりやっていてお仕事の遅いベッタ姉さんにガンナ姉さんは冷たかったですぅ。特に今年いっぱい、ベッタ姉さんは料理当番をやらないということに、すごく反発してたですぅ」
「料理当番をしない?」
「私たちは日替わりで料理当番をするんですけど、ベッタ姉さんは自分の占いの結果で、『今年一年は刃物を使っちゃいけない』っていう結果が出たそうで、それを守るために料理当番をしないんです」
 占い好きのあの次女は、かなりの変わり者のようです。
「じゃあ、ベッタさんとガンナさんは対立していたのね?」
「対立っていうか、一方的にガンナ姉さんが嫌っていたみたいでぇ……ベッタ姉さんが嫌っている、っていうか怖がっているのはむしろ、アルファネ姉さんですぅ。ベッタ姉さんは占いの訓練で瞑想するんだと言って、たまにお香を焚くんですけど、その匂いが、アルファネ姉さんはダメで、怒っていますぅ」
「お香……」
 赤ずきんの頭の中に、ある景色がよみがえります。
「ああー、そういうことね」
 まるで糸がつながっていくように、事件の見えていない部分が見えてきました。
「でも、それだと……」
 ――犯人がいなくなってしまいます。
「赤ずきんさん。独り言ですかぁ?」
 不思議なものでも見るような目で、デルルが赤ずきんを見つめています。藁にもすがる思いで赤ずきんはもう一度、わかっていることを訊くことにしました。
「デルル。あなたが最後にガンナさんに会ったのは、いつだったっけ?」
「今日の、午前十時十五分くらいですぅ。『十一時になったら、私の部屋にきて』って言われたんですぅ」
 この証言があるため、ガンナが殺されたのは十時三十分から十一時のあいだだということになったのです。
「ガンナさんがこの部屋に来たのね?」
「来た……というか、その扉をちょっと開けて、陰から話しかけてきたんですぅ」
 デルルは通路を指さしました。
「陰から? 顔は見ていないの?」
「見ていないですぅ。でも、その扉を開けて入ってくるのなんてガンナ姉さんしかいないですぅ。私もスイカの刺繍に夢中だったからわざわざ出迎えなかったですぅ」
 真犯人がガンナの声色を使ったという可能性はないでしょうか? しかし、だとしたら……やはり、ガンナの部屋へ真犯人がどのように行ったのか、その行き方がわかりません。 
 もう少し。もう少しです。赤ずきんはバスケットを手に、椅子から立ち上がりました。
「あれ、赤ずきんさん、まだ刺繍の途中ですぅ。どこかにいくんですかぁ?」
「ちょっと事件現場まで」
 お辞儀をして、赤ずきんはガンナの部屋を目指しました。


7.
 デルルの部屋からガンナの部屋までは緩やかなカーブを描いた下り坂です。その途中、左手の壁に第四貯蔵庫の入口がありました。
 四つも食糧貯蔵庫があるなんて、と、赤ずきんはまた思いました。冬のあいだ、五人が食べていけるだけの蓄えをするのだから当然なのだけれど。
「本当に、アリみたいな生活ね」
 と独り言をいったそのとき、あることに気づいて、赤ずきんは足を止めました。
 木でできた貯蔵庫の扉の一部がささくれていて、黒いものが引っかかっているのでした。
 指を伸ばしてそれを取ってみると、毛糸のかすでした。
「これ……どこかで見たことがあるような気がするわ」
 赤ずきんはそーっと、扉を押して中を覗いてみます。木箱がいくつか積んであるだけで、がらんとしていました。照明器具はありませんが、廊下のランプの明かりで広さがわかりました。デルルの部屋と同じか、もう少し狭いくらいでしょう。そういえば、見取り図でも、あまり大きく描かれていませんでした。
 赤ずきんは扉を閉め、ガンナの部屋へ向かいました。
 ベッドに机に、小さなチェストとゴミ箱が一つずつ。簡素な作りです。床には、布をかけられたガンナの死体。葬儀の手筈を整えなきゃ、と鼻息を吹きながらも目を赤くしていたアルファネの顔が思い出されました。
 赤ずきんはそっとしゃがみ、顔のあたりの布をめくりました。
 生気を失い、唇は土気色になっていますが、美しい顔立ちをしています。十七歳だったとデルルが言っていました。若くしてこの世を去るのは、どんなに無念でしょう。
「自分がおうちに帰るためでもあるけれど、あなたを殺した犯人をしっかり捕まえなきゃね」
 赤ずきんはさらに布をめくっていきます。肩、胸、腹……そして、赤ずきんははっとしました。
 胸のあたりまでの長さしかない不思議なニット。その一部がほつれているのでした。バスケットの中から、さっき食糧貯蔵庫の扉で見つけた毛糸のかすを取り出します。それはまぎれもなく、ニットの毛糸と同じでした。
「ガンナは貯蔵庫に入るときにニットを引っかけた。それに気づかず、どんどん毛糸がほつれていった……」
 ここまでつぶやいて、おかしいじゃない、と赤ずきんは思いました。
 お腹の部分がすっかりなくなってしまうまで、ニットがほつれてしまうなんてことがあるでしょうか? 
 赤ずきんは思い立って、ゴミ箱へ近づきました。覗き込むと、やっぱりありました。
 拾い上げます。ぐるぐるに巻かれた、ニットの毛糸です。ずいぶん長いそれをよく観察すると、植物の種のようなものがついています。
「これは、からす麦ね」
 腕を組んで記憶の中を探ります。からす麦を保管しておく貯蔵庫はたしか、第一貯蔵庫でした。
「ガンナは第四貯蔵庫のドアのささくれにニットを引っかけ、それに気づかず第一貯蔵庫までいった?」
 いったい、何のために?
 ガンナの口元に鼻を近づけ、くんくんと臭いを嗅ぐと、かすかにタバコの香りがしました。
「タバコを吸ったのね?」
 第四貯蔵庫から第一貯蔵庫までといえば、これだけの長さの毛糸をほつれさせるにはじゅうぶんの距離に思えます。しかしガンナには大きな障壁が一つ立ちはだかっています。それは、台所のアルファネに他なりません。
 見取り図を見て、赤ずきんはまたうーんと唸りました。“信用できない見取り図”よ──エプシィはそんなことを言っていました。
「信用できない……見取り図……」
 赤ずきんは天井を見上げ、この住処に入ってきたときからの圧迫感を思い出していました。土を掘り進めて作った、アリの巣のような町、アントス。土の中の道なんて、慣れないので上下左右の距離の感覚がなくなってきて……
「まさか……本当にそんなことがある?」
 しかし、調べてみる価値はあります。赤ずきんはすぐにガンナの部屋を飛び出し、一気に台所まで駆け上がりました。
「な、なんだ?」
 テーブルに向かって靴直しの作業をしていたアルファネが目を皿のようにして驚きました。
「あんた、まだいたのかい」
「デルルに刺繍のお花を描いてあげていたの」
「ああ、そうだったね。悪いがもうそろそろ出て行ってくれないかい。この靴の直しが終わったら、ガンナの弔いの準備に取り掛からなきゃいけないからね」
「私もそのお手伝いをさせてもらうわ」
「他人に手伝ってもらう筋合いはないね」
「真犯人を捕まえなきゃ、ガンナさんをしっかり弔えないでしょ?」
「なんだって?」
 怪訝そうな顔をするアルファネに、赤ずきんは告げました。
「シカダさんをここへ呼び戻してくれないかしら? もちろん、ジャコモも連れてね」
 アルファネの返事も訊かず、赤ずきんは自分の仮説をたしかめるべく、第一貯蔵庫へ通じる通路へ進んでいったのです。

 

(つづく)