信用できないアリの穴

 

1.


「まっずい!」
 赤ずきんは、かみ砕いたどんぐりを口から吐き出しました。
「やっぱり、どんぐりなんて食べるもんじゃないわ」
 ぐーっ、とお腹が鳴ります。もう午前十一時になるでしょうか。マンダリーノ村をあとにして三日。何もお腹に溜まるものを食べていないのです。
「私の旅って、いっつも空腹と隣り合わせよね。早く、アントスの町に着かないかしら」
 狐のライラスの言っていた方向へ行けども行けども、森と草原ばかり。町などまったく見えてこないのでした。立ち止まっていてもしようがありません。とぼとぼと、再び歩きはじめたそのとき、茂みの中に赤い実がいくつも生っているのに気づきました。
「キイチゴだわ!」
 赤ずきんはとびつきます。よく見れば、赤ずきんの知っているキイチゴとはちょっと形が違いました。でも、食べられないこともないでしょう。
 さっそく、一つつまんで口にしようとした——そのとき、
「ダメッ!」
 鋭い声が響いて、赤ずきんはその実を落としてしまいました。
 振り返るとそこに、黒いずきんを被った女の子がいました。背は低く、髪の毛はシルバー。年齢は十二歳ぐらいだろうに、細い眉をきりりとさせて、厳しい顔をしているのでした。
「それはキイチゴにとても似ているけれど違うのよ。そんなことも知らないの?」
 カチンとくる物言いでしたが、年下相手に怒ってもしょうがないわと赤ずきんは気持ちを抑えました。
「ひょっとしてフクロウイチゴ?」
「それとも別よ。形が全然違うじゃないの」黒ずきんの女の子はその赤い実を拾って、赤ずきんに見せます。「悪魔のイチゴと言われていて、食べたら必ずお腹がいたくなってしまうの」
「ひえー」
 と赤ずきんが慄いたそのとき、ぐうう、とお腹が鳴りました。
「人前でお腹を鳴らすなんて、はしたないわ」
 黒ずきんのひと言に、生意気な、と思いますが、ぐっと抑えて赤ずきんはいいます。
「私は赤ずきんよ。あなたの名前を教えてくれない?」
「エプシィよ。……赤ずきんって、名前なの? あなたが被っているそれのことじゃないの?」
「これを被っているから、『赤ずきん』って呼ばれているの」
「ふーん」エプシィはじろじろと赤ずきんのことを眺め、肩をすくめました。
「エプシィ、私は旅の途中でとてもお腹がすいているの」
「お弁当は持っていないの?」
「持っていないわ」
「お弁当も持たずに旅に出ようなんて、なんて愚かなの?」
 いちいちトゲのある言い方をする女の子です。蔑んだような目で赤ずきんのことを見ていましたが、「いいわ」と大人びた声でつぶやきました。
「困っている愚か者を助けたらいいことがある——そういう教訓を得られるかもしれない」
 また“教訓”です。このグリース国の人たちはいったいどうなっているのでしょう? そしてあの、イソップさんという謎の男は……?
「とりあえず、これでも食べながら、カムおばさんのお店に行きましょう」
 エプシィは茂みの中からキイチゴをいくつか摘み取って、赤ずきんに差し出します。
「これ、毒なんでしょ?」
「はあ? さっきのはこの実で、今度のはこの実。色も形も全然違うじゃないの。わからないの?」
「……わからないわ」
「愚かな人」
 再び肩をすくめ、エプシィはそのイチゴを自分の口に放り込んだのです。              



 これまでの旅の事情をすっかり話し終える頃、赤ずきんとエプシィは森を抜け、畑の中の道を歩いていました。右は大麦、左は小麦、黒い服を着た人たちが、せっせと働いています。
「そう。マンダリーノ村にイソップさんが」
 エプシィのいちばんの興味は、アラビアでも指輪の魔人でもなく、やはりあのイソップさんという銀色の男のようでした。
「ねえ、イソップさんって何者なの? どうしてこの国の人たちはみな、教訓にこだわるの?」
「正しい人生を送るには、正しい教訓が必要だからよ」
 イソップさんが言っていたようなことをそっくりそのまま言うので、赤ずきんの頭は混乱するばかりです。ぐうう、と鳴るお腹。空腹だと頭が回りません。
「……ん?」
 頭が回らないなりに、赤ずきんは自分を囲んでいる景色に違和感を覚えました。
「エプシィ、アントスの町はまだなの?」
「愚かな質問ばかりするのね、赤ずきん」
 彼女はすぐに、赤ずきんのことを見下します。
「ここはもうアントスよ」
「でも、畑ばかりで建物が全然ないじゃない」
「このあたりは冬になると毎日毎日雪が降るの。外なんて出歩けたものじゃないわ」
 ますます、建物が必要に思えるけど……と思ったそのとき、
「着いたわ」
 エプシィが立ち止まったのは、畑の側にこんもりと盛られた小山の前でした。エプシィはその小山をぐるりと回っていきます。すると、道から見えないところに、「2」と白く書かれた小さな木戸がつけられているのでした。
 その木戸を開けると、エプシィは赤ずきんを振り返り、少しも笑わずに言いました。
「ようこそ、アントスへ」
 木戸の向こうは、薄暗い下り階段でした。エプシィに言われて木戸を閉め、降りていきます。すると、いくぶん明るいところへ出ました。
「なんて景色なの!」
 赤ずきんは感嘆の声を上げました。土が壁の洞窟ですが、明かり取りの窓があちこちにつけられているし、ところどころにランプが下がっています。
「さあさ、新鮮なリンゴだよ。スイカもオレンジもあるよ!」「自家製のピクルスはいらんかねぇー」
 黒い服を着た商人たちが呼び込みをしていて、地下の町は活気に溢れています。
「地下に市場があるなんて!」
「市場だけじゃないわ」エプシィは果物屋とピクルス屋の間の路地の奥を指さしました。木の扉があります。「あの向こうは住宅が続いている」
「みんな、地下で生活しているの?」
「そう。こうすれば壁材もいらないし、下へ下へと掘り進んでいけば永遠に町を広げることができる。それに、冬は雪の影響を受けずに、快適にすごせるのよ。夏のあいだは農業に精を出し、冬は貯えた食料で悠々と暮らす。他の町の人々は、アントスのことを『平和のアリの町』と呼ぶわ」
 クールに言い放ち、「ついてきて」と、果物屋を背に歩きはじめるエプシィ。赤ずきんがついていくと、一分もしないうちにテーブルと椅子が並んだ食堂らしき店につきました。
「カムおばさーん!」
 エプシィが大声で呼ぶと、店の奥からのそのそと五十歳ぐらいの太ったおばさんが出てきました。額には皺が寄り、小さな目をしょぼしょぼさせ、水仕事をしていたのか、両手が濡れて真っ赤になっています。
「おや、エプシィじゃないか、どうしたんだい?」
「この人、お腹がぺこぺこなんですって」
 エプシィが赤ずきんを見て言います。
「私、赤ずきん。旅をしているんだけど、もう三日も何も食べていないの」
 赤ずきんはお腹に手をやり、思い切り哀れに見える表情を作ります。
「おやまあ、そりゃ大変だ。そこに座って。料理を作ってくるからね」
「私、お金持っていないけど……」
「お金なんていうのはね、物と物との交換の媒介のためのものなんだよ。価値を直接交換できりゃ、そんなものはいらないのさ」
「つまり、おばさんの料理と同じ価値のことを、私が何かすればいいってこと?」
「おやおや、随分物分かりがいいじゃないか。あんたに何ができるかは、お腹いっぱいになったあと、ゆっくり考えればいいことさ。さいわいまだ午前の十一時すぎで昼時じゃないからね、ずるいなんて文句を言う客もいない」
 にこりと笑ってカムおばさんは厨房へ入っていきます。すぐにパンとジャムとバターが出てきました。赤ずきんはガツガツとそれを食べました。
「はしたないわ」
 蔑むようにエプシィは言いました。はしたなくったって、生きるためには食べなければなりません。
「ところで赤ずきん、あなた、イソップさんについて知りたいって言ってたわね?」
「あ、そうよ。できれば家に帰る前に、カチコチになっちゃったマンダリーノ村のみんなをもとに戻してあげたいけれど」
「それは難しいわ」エプシィは言いました。「イソップさんはとてもまじめな人だから」
 そして彼女は、イソップという男の物語を始めたのです。

 

(つづく)