オオカミ少年ゲーム
4.
「ロリヒはもともと、ここから北へずーっと行ったところにある集落の、羊飼いの家に生まれたそうだ」
ポースは声を潜め、赤ずきんに言いました。メインテーブルがじゅうぶんうかがえる距離の、白いテーブルに二人は差し向いに座っているのです。赤ずきんはシャリシャリとドクロ梨をかじりながら、彼の話を聞いています。
「ガキの頃、その集落で彼は、羊の番を任されていた」
「羊の番?」
「牧場のそばにある森には獰猛な狼が棲んでいて、常日頃、羊たちを狙っている。羊たちは牧草地で草を食うんだけど、もし狼がやってきたら根こそぎ食われちまう。羊飼いのうちの誰かが見張ってりゃいいんだが、とても牧羊だけじゃ暮らしていけないから、みんな家で内職をしているんだ。それで、内職のできない子どもが番を任されるわけだな」
羊の番は森の中から狼が出てきたら、渡されている笛を吹き、「狼が来たぞ!」と叫んで知らせるのだそうです。
「ところがまあ、その実、狼なんてそんなに出てくるもんじゃない。毎日暇を持て余しているうち、ロリヒはよからぬことを考えたんだ。狼なんて来てないのに、笛を吹いて、『狼が来たぞ!』と騒ぎ立てるのさ」
ポースが、グケッ、グケッと笑います。
「慌てて家から出てきた大人たちを見てロリヒは大笑い。かつがれたと知って大人たちは怒って家に帰っていく。で、しばらくするとまた、『狼が来たぞ!』だ」
「ひどいわね」赤ずきんは首を振りました。「そんなことをしたらいつしか、信用されなくなるわ」
「そのとおりだ。毎日そんなことを繰り返しているうち、大人たちはロリヒが騒ぐのを聞いても『どうせ嘘だ』と家から出なくなった。ところがだ」
ポースは人差し指を立てました。
「ある日、とんでもないことが起きた。狼が、本当に森から出てきたんだ。しかも一匹じゃない。十匹以上の群れで」
「まさか」
赤ずきんは背筋が寒くなりました。
「そうさ。ロリヒはもちろん笛を吹き、ありったけの声で『狼が来たぞ!』と叫んだ。だが大人たちは信じない。慌てるロリヒの前で、羊たちは次々と狼たちに食い殺されていった。牧草地は羊たちの鮮血で真っ赤さ。グケッ、グケッ」
なんということでしょう。凄惨な光景が、赤ずきんの頭の中に展開されます。
「大人たちが事態に気づいたときは狼はすでに去っていた。血にまみれた羊たちの死骸の真ん中で、ロリヒはぎゃあぎゃあ泣き叫んでいた。ロリヒは裁判にかけられ、病院送りになった」
「心を壊してしまったのね。悲惨なことだわ」
しゃりっとドクロ梨をかじると、口の中に大きな種が残りました。
「そうさ。その後ロリヒは十年間、病院に収容された。ところが、やつが十九歳になったある夜、おかしなことが起こるのさ。ロリヒによれば、枕元に狼の神様が現れて啓示を与えたというんだな」
「啓示ですって?」
種を口の中で転がしながら、赤ずきんは訊ねます。
「曰く──お前は我ら狼を飢えから救う行為をしたのだ。賞賛に値するぞ。私は報酬として、お前に『オオカミ少年ゲーム』のアイディアを授けようぞ。このゲームによって、富を手にするのだ──ロリヒはさっそく病院を抜け出し、酒場に入ってならず者にそのゲームをふっかけた。ゲームには中毒性があり、ロリヒはすぐに金を巻き上げることができた。そうやってあちこちで財産を増やし、ついに流れ着いたのが、ここ、リリュコスの地下鍾乳洞だ」
コトリと音を立てて壺をテーブルに置き、ポースは両手を広げて天井を見上げました。鍾乳石のあちこちに取り付けられたランプが、色とりどりの光を放っています。
「彼はここに『オオカミ少年ゲーム』の楽園を作った。ゲームを楽しむものには飯も酒もただで提供する。だが、他言は無用。ゲームに勝ったものは富を手にし、負けた者は地獄を見る。ゲームを愛する者の楽園さ」
要するに、ギャンブル漬けの人間のたまり場じゃないの。赤ずきんは文句を言うようにぺっ、と種を吐き出しました。種は思いのほか飛んでいき、メインテーブルでロリヒの勝負を見守っている青いチョッキの子分が腰にぶら下げた小袋に、すぽっ、と入ってしまいました。
「グケッ、何やってんだ。シャビースは喧嘩っ早いから、バレたら殺されるぞ」
「誰も見てやしないわ」赤ずきんは肩をすくめます。「それより、ギャンブルは不実じゃないの? イソップに目をつけられてもおかしくないけれど」
その言葉に、やはりポースはびくりと身を震わせ、辺りをきょろきょろ見回しました。
「お前、怖いもの知らずだな……。イソップさんと呼べよ。……そのイソップさんは、どういうわけかここには一度も現れたことがないんだ。地上で不良どもがやられたときにも、ここに逃げたやつらは助かった。かく言う俺もな」
手を胸に当て、はは、と引きつった笑いをします。
「もし現れても、柵の向こう、鍾乳洞はかなり広くひろがっていて、地下の河川沿いに一キロも行けば外に出られる。グケッ。みんな、すぐに逃げられる準備はしているはずだ」
それより、とポースはポケットから包みを取り出しました。包みにはカードが五枚と小袋が一つ入っています。
「赤ずきん、お前もここに来たからにはゲームをやる必要があるぜ」
「そうなの? でも私、賭けるものなんて何も持ってないわ」
「そのずきんについている鳥の羽はどうだ?」ポースは目ざとく言いました。「鶴のポースと呼ばれているだけあってな、鳥の羽にはうるさいんだ。それ、イーリス鳥のだろ。身に着けてりゃ、知らない言葉がわかるようになる不思議な羽だ。賭けの対象にはじゅうぶんだぜ」
「さすがね。でも、これを取られたら困っちゃうの」
「『オオカミ少年ゲーム』っていうのは、プレイヤー二人が『オオカミ』と『羊飼い』に分かれてやるゲームだ」
聞く耳をもたないと言わんばかりに、ポースは人差し指を立てます。
「『羊飼い』は牧場から牧舎にできるだけ多くの羊を帰そうとし、『オオカミ』はできるだけ多くの羊を食おうとする。まずは赤ずきん、お前が『オオカミ』をやれ」
強引ね、と赤ずきんは肩をすくめます。
「『オオカミ』には五枚のカードが与えられ、『羊飼い』には十匹の羊の形をした石の入った小袋が与えられる」
ポースは言いながら、自分の前に小袋を置き、赤ずきんの前に五枚のカードを並べます。赤、青、黄、緑、白──。
「五枚とも、裏表には、何も書いていないな?」
赤ずきんはカードをめくってそれを確かめ、「ええ」と答えます。するとポースは赤ずきんの前に、ペンを一本置きました。
「カードのうち二枚の裏に、『羊飼い』に見られないように×の印を描く。それが、【オオカミ】カードだ。残り三枚は【嘘つき】カードだな」
赤ずきんはカードをテーブルの下の膝に置き、青と緑のカードの裏に×を描きました。
「描いたわ」
「そしたら『オオカミが来たぞ!』と言いながら、『オオカミ』はカードを一枚伏せて出す。×を描いたものでもいいし、描いていないものでもいい」
「オオカミが、来たぞ」
四枚のカードを膝に残し、赤いカードを、赤ずきんはテーブルの上に出します。
「そうしたら『羊飼い』はカードの真偽を見極める。そして羊形の石を小袋から出すんだ」
ポースは小袋に手を突っ込み、中から何か黒くて小さいものを三つ、テーブルの上に出します。石でできた羊でした。
「羊は全部で十匹。一回のチャレンジで小袋から出せるのは三匹まで。『フィックス』と立会人が言うまでは羊の数は変えられる。『フィックス』が宣言されたら『オオカミ』はカードをめくる」
フィックス、とポースが言い、赤ずきんはカードをめくります。当然、何も書かれていません。
「グケッ。【嘘つき】だった」ポースはかたり、とくちばしを鳴らしました。「というわけで、この三匹は無事牧舎に帰宅だ。グケッ、グケッ」
「なーるほど」
赤ずきんはぱちんと手を叩きました。
「もしこれが本当に【オオカミ】カードだったら、私がその羊を食べることができたというわけね?」
「そういうことだ」
『オオカミ』がカードを伏せ、『羊飼い』が羊を出し、結果を見る。ここまでを「チャレンジ」と呼び、第五チャレンジまで終えることを「セット」と呼ぶ、とポースは説明しました。
「一セット終わったら、『オオカミ』と『羊飼い』を交換してもう一セット。より多くの羊を帰宅させたほうが勝者だ。もし羊の数が同じなら、引き分けでもう一勝負ってわけだな」
「質問していい?」
赤ずきんは言いました。
「何なりと」
「第五チャレンジまで終わった時点で、小袋にまだ羊が残っていたらどうなるの?」
「その羊は、自動的に『オオカミ』の餌食とカウントされる」
「ということは、『羊飼い』のプレイヤーは第五チャレンジまでに全部の羊を必ず出すことになるわね」
「馬鹿じゃなかったらな」
「羊は全部で十匹。一度に小袋から出せるのは三匹までで【嘘つき】カードは三枚しかない。……ってことは、どんなにうまくやっても一匹は食べられちゃうことにならない?」
「ほう!」
ポースは目を見開きます。
「なかなか鋭いじゃないか。その一匹の犠牲の使い方がこのゲームのポイントでもある。勝負が進んでくると、『オオカミ』の出したカードが【嘘つき】か【オオカミ】か判断しかねるとき、一匹だけ出すという作戦が『羊飼い』にとって有効になることがあるのさ。【嘘つき】だったときのゲインは少ないがゼロじゃない。一方【オオカミ】でも、どうせ食われてしまう一匹が食われただけだし、【嘘つき】カードはまだ残されているから被害はゼロ、と考えるわけだな」
なるほど……
たしかに、酔っぱらいの頭にも理解できそうなほど単純でありながら、心理的な駆け引きがかなり要されるゲームのように思えました。
「さあ、練習は終わりだ。いよいよ本番。俺は有り金の百ドラクールを賭けよう」
じゃらん、と、ポケットから取り出した麻袋をテーブルの上に置くポース。
「お前が賭けるのはイーリス鳥の羽でいいな?」
「ちょっと待ってよ。これを失ったら私、グリース国の人とお話しできなくなっちゃうんだって」
「勝てばいいんだよ、お前が。勝てば」
こういう強引な物言いをする人間は苦手です。どうしようかと思っていたそのとき、
「おおおおおおっ!」
大きな咆哮が地下空間に響きました。メインテーブルの前で、デンドロが頭を抱え、泣き叫んでいるのでした。
「なんだなんだ?」
ポースもそちらを見ます。しめたわ、と赤ずきんは思いました。
「ちょっと様子を見てこなきゃ」
テーブルを離れました。
デンドロは頭を抱え、うおおうおおと体を左右に振っているのです。テーブルの上には、散らばったカードと、石の羊たち──。
「がーはははは、しょうがねえな、こいつは。よっぽどおいらから借金をするのが好きと見える。用意した金をすっちまったばかりか、さらに二百も借金を増やすなんてな」
「もも、もう一回。もう一回……」
目にたっぷり涙を浮かべ、デンドロは人差し指を立て、ロリヒに訴えました。
「あー? もう一回? 俺は別にいいけどよお」ロリヒはううう、と唸りながら伸びをします。「これ以上、借金を背負わせてもなあ。それに俺はもっと強いやつとやりてえぜ」
「もも、もう一回!」
ロリヒにすがるデンドロを、「お頭に触るんじゃねえ!」と、シャビースという青いチョッキの男が鞭で叩きつけました。
「そんなに勝負がしたきゃ、第一子分の俺、シャビース様がやってやる。千ドラクール賭けてやるよ!」
「せ、千……」デンドロの顔は一瞬明るくなりましたが、すぐに不安の影が差しました。「で、でも俺は何を賭ければ」
「決まってんだろ、その命だ」
ニヤリとシャビースは笑いました。絶句するデンドロの顔を見て、ロリヒが笑います。
「悪趣味だなシャビース。命を賭けるだなんて」
「このグリース国は今や、老いも若きも教訓、教訓と窮屈なことばかり。スリルと悪事にどっぷりつかって育った俺には、ちょいとばかり刺激が足りねえんです。お頭が作ったこのスタジアムはまさに楽園だ。どんな不実なことをしても許される。たまには、ゲームに負けて命を取られるやつだっていてもいいでしょう?」
ひゅー、ひゅー、と群衆から同意の口笛が上がります。
「こんなことを言っているが、どうする、デンドロ?」
デンドロは口をつぐんだまま、汗をかいています。
「お前が勝ったら特別に、俺からも千ドラクール出そう」
ロリヒの申し出に、えっ、とデンドロの表情が変わりました。ややあって、
「やらせてください」
デンドロはつぶやきました。わああ、と歓声があがります。
「馬鹿なことを……」赤ずきんの背後で、ポースがつぶやきました。「シャビースは誰よりも強い。やつが負けるのを見たことがねえ、グケッ」
5.
テーブルで向かい合う、デンドロとシャビース。デンドロから見て右側に、立会人を務めるロリヒと、恋人然としたカサンドラが座ります。そして左側には、ディーラー役のギッピスが座っています。
「初めは、デンドロが『オオカミ』、シャビースが『羊飼い』だ」
ロリヒが神託のように告げ、ギッピスがデンドロの前にしゃっしゃっと五枚のカードを滑らせ、ペンを投げました。対するシャビースの前には、羊の石が入った小袋が置かれます。
デンドロはカードをすべて机の下に下げ、ペンを取り、インクにつけました。彼の椅子には左右と背後を囲うように布の幕が一時的に張られ、どの二枚に×を描いたのか、誰にも見られないようになっています。
「描きました」
デンドロはペンを置きます。
「では、ゲームスタートだ」
ロリヒが言うと、デンドロは膝に目を落とし、ぐらぐらと体を揺すりました。どのカードを出すのか迷っているのです。額には、汗がびっしょりと浮かんでいます。この勝負に負ければ命を奪われる……恐怖がプレッシャーとなって、わけがわからなくなっているのでしょう。
まずいんじゃない? 赤ずきんは思いました。
これでデンドロが負けたら、ピリーウスで船乗りを紹介してくれる人がいなくなってしまいます。そうなると、うちに帰れません!
まともな判断ができなそうなデンドロは、震える指で赤いカードを取ります。
「オ、オ、オオカミが……」
「待って!」
赤ずきんは叫びながらテーブルに飛び乗りました。一同がきょとんとするのがわかりました。
「な、何だお前?」
「デンドロの友だちよ。赤ずきんっていうの」
ロリヒが、へっと笑いました。
「その友だちが何の用なんだ?」
「私にやらせてくれない? 今、デンドロは調子が悪そうだから」
「お前が代わるっていうのか? ルールは知っているんだろうな」
「さっき教わったわ。鶴のポースに」
振り返ると、ポースはこっちに話を振るんじゃないと言いたげに首を振り、群衆の中に紛れていきます。
「デンドロはどうなんだ? 赤ずきんに代わるのか?」ロリヒが問いました。
「あ、いや、あの……」
「いいでしょ。ほら、どいてどいて」
赤ずきんはデンドロをどかし、無理やり椅子に座ります。受け取ったカードを見ると、緑と赤に×がつけられていました。
「それじゃあ、やるわね」
ふう、と息をつきます。
さて、どうしたものでしょう。カードを出すのはわずかに五回。初めにオオカミを出すべきでしょうか。「初回からオオカミを出さないだろう」とシャビースが予想して、たくさんの羊を袋から出してくれればいいのですが、その逆の予想をされては、せっかくのオオカミカードは台無しです。ここはやはり、何も書かれていないカードで行くべきでしょう。
赤ずきんは青いカードを取り、叩きつけるようにテーブルに伏せます。
「オオカミが、来たぞ!」
シャビースは青いカードをじっと見つめています。ぱたぱたとギッピスが扇子を扇ぐ音だけがします。緊張感を和らげるかのように、カサンドラが額を掻きました。
シャビースは小袋に手を突っ込みました。ばらり、と羊の石を三つ出しました。
まずいわ、と思ったけれど、顔に出すのは癪です。
「どうした赤ずきん? こんなに羊を出されちゃまずい事情でもあるのか?」
「いいえ」
相手に付け入る隙を与えてはいけません。ここからは駆け引き。腕の見せどころでしょう。
「あなたこそ今なら袋に羊たちを戻してもいいわ。もしこれが【オオカミ】だったら、三匹丸ごと食べられちゃうのよ」
「三匹だ」
有無を言わさず、シャビースは答えます。
「第一チャレンジ、フィックス!」
ロリヒが言いました。
「カードをめくれ、赤ずきん!」
赤ずきんはカードをめくります。何も書かれていません。
ひゃーっひゃひゃっひゃ! シャビースは唾を飛ばして笑い、羊たちを安全ゾーンらしき白い丸の中へ移動させました。
「完全に読まれてるぜ赤ずきん。羊、三匹、無事帰還だ」
「たった一回成功しただけで、ずいぶん喜ぶのね、シャビースさん」本当は悔しくてしょうがありませんが、赤ずきんは度胸が据わっているふりをしました。「怖くてしょうがなかったんでしょう? だからまぐれ当たりに舞い上がっているのよ」
「なんだと、コラ!」
「オオカミが、来たぞ!」
ばん、と赤ずきんはカードを叩きつけます。シャビースは赤ずきんの顔をじっと見つめたまましばらく黙っていました。ですがやがて、
「ゼロだ」
と言いました。
「今回は羊は出さない」
「いいんだな。これでカードに何も書かれていない場合、せっかくのチャンスを無駄にしたことになるぞ」
ロリヒの問いに「けっこう」と答えるシャビース。
「第二チャレンジ、フィックス。カードをめくれ、赤ずきん」
カードは赤。そこには×の印がありました。
おおーっと群衆がどよめき、またシャビースは笑います。
「お前の心はすべて読んでるんだよ、赤ずきん」
自分の額にじっとりと汗が浮かぶのが、赤ずきんにはわかりました。
その後もゲームはシャビースのペースで進み、五枚のカードを出し終えたとき、帰宅した羊は八匹、『オオカミ』が食べることのできた羊はわずかに二匹でした。
「それでは今度は『オオカミ』と『羊飼い』を交代する……が、赤ずきん、わかっているだろうな?」
ロリヒが赤ずきんに顔をぐっと近づけてきました。汗と獣臭さが混じり合ったような臭いがします。
「このゲーム、一セットで帰宅させられる羊の最大の数は九匹だ。つまり、そこの借金まみれのきこりが助かる望みは二つ。お前が九匹帰宅させるか、八匹帰宅させて引き分けに持ち込むかだ」
デンドロは傍らの粗末な椅子に腰かけ、ただただ膝を震わせているだけでした。不敵な笑みを浮かべるシャビース。ギッピスはぱたぱたと扇子を扇いで薄笑いを浮かべ、カサンドラはどこかへ行ったまま帰ってきません。
「引き分けになった場合は、もうひと勝負するということね?」
「そうだ。決着がつくまで何度もやる」
ロリヒが説明する横で、シャビースは羊たちが入った小袋を赤ずきんのほうへ放ってよこしました。シャビースの前には五枚のカードが置かれます。
「さあ、始めようぜ」
シャビースが印を描き終え、ペンをテーブルの上に転がした、そのときです。
「大変だああ~っ!」
入口のほうで叫び声がしました。
「イソップさんだ! イソップさんにここが見つかった! 早く、早く逃げるんだあぁ~!」
「なんだと!」
「イソップさんが、来たぞっ!」
皆、どたどたと駆けだします。一同の向かう先は、仕立て屋の店に通じる階段ではなく、柵のほう。まるで大きな波のように群衆は柵をなぎたおし、暗い鍾乳洞の奥へと、我先に逃げていくのです。
「こうしている場合じゃねえ。俺たちも行くぞ」
ロリヒがシャビースの肩をつかみます。
「しかしお頭。勝負は?」
「いったん俺が預かる。いいな赤ずきん。次のセットは、イソップさんをやりすごしてからだ!」
赤ずきんが同意するより早く、ロリヒは子分たちと走り去っていったのです。