第1回で「困っている」と独白して以来、老いのロールモデルと反面教師探しから始め、老いの工程表作りを経て自己再教育計画を心技体に分けて考え、体力テストや様々な検定に挑戦して現在地点を確かめた上、理想との乖離かいりをチェックしてきた。
 理想の老後生活を過ごすにふさわしい環境を思い描き、その実現可能性を探っているうちに、背景に潜む21世紀型高齢社会の諸問題が見えてきた。
 2030年には人口の三分の一が「老人」になる日本で行政が目指すのは、自助で生きられる高齢者の育成だ。医療も社会保障制度も、すべてその方向で進んでいる。しかも、コロコロコロコロ西部劇で謎草が転がっていくように制度が変わる。社会状況も刻々変化している。おまけに頼んでもいないIT化がどんどん進められていく。私の場合、今はまだなんとか追いつくことはできているが、果たしていつまでもつことやら。
 そんな中で老いていく私は、どのようにサバイヴしていくのか。
 そう、全方向において老耄ろうもうを許さない21世紀型の老後は「余生」なんていうのどかなものではない。サバイバルなのだ!

 ……な~んて結論、一体誰が望むのだろう。
 少なくとも私は嫌だ。しかし、現実が拒否権を認めてくれない。ならば落とし所を見つける他ない。
 老後問題をややこしくする原因はたった一つ。老後がいつまで続くかわからない、という点だ。身も蓋もなく言うなら、いつ死ぬかわからない、からややこしい。
 死期が1ヶ月後と50年後ではやっておかなければならないことがまるで違う。同じ陸上競技でも短距離走と長距離走では練習内容がまったく異なるが、人生においてはその両方を並行してやらなければならない。そんなん大変に決まっている。
 個別の問題については、一応それなりに対処方法を知ることができた。17回以降はほぼ「約束の地を求めて」が大きなテーマとなったが、いざという時どこに頼ればいいのかはひとまず理解できた。制度的な面や健康面の知識もなんとかなりそうだ。ある程度目処めどはついたと言っていい。
 けれども、“死に方探し”の時と違い、私はまだ安心感を得られないでいる。
 いやむしろ余計に不安になった面がある。
 あれこれ探し回った末に浮き上がってきたのが、老年サバイバルに必要な武器は“人間力”である、という実に凡庸ぼんような結論だったからだ。平たく言えば人に好かれる力とでもいえばよいのだろうか。コミュニティの中で居場所を確保する力とも言えるかも知れない。
 つまり、安閑と暮らしたければ老いてなおコミュニケーション強者たれ、なのである。
 妥当といえば妥当な結論なのかもしれない。しかし、そんな安直な話で探求の旅を終わらせたくない。もう少し突き詰めて考えたい。
 そもそも、人間力とはなんなのだろう?
 世に出ている「人間力」本を眺めると、「一見性格よさげな世渡り上手」を人間力が高い人と定義しているものが散見する。だが、私のようなひねくれ者にとってそれは単に器用な人というだけだ。小器用なタイプ、私はどうも苦手なんである。
 他だと、愛嬌がある人が人間力高し、と評価されているようにも感じる。けれども、愛嬌は生まれついての才能であり、後天的に獲得するのは難しいのではないか。天性を、さも涵養かんよう可能であるような「~力」と定義されては持たざる者としてたまったものではない。
 そこで、最近はやりのAIさんに人間力とはどのようなものかと尋ねてみた。
 そうしたら、こんな風におっしゃるのだ。

「人間力」とは、人間としての深さや強さ、品格や魅力を表す概念です。現代社会においても、「人間力」はますます重要視されるようになっています。単なる専門性や能力だけでは不十分で、状況に合わせて柔軟に対応できる適応力、他者との協調性、創造性などが求められるようになったからです。

 なるほど。ネット上にあふれる情報を引っ張ってきてはまとめるのが得意なAIさんだけあって、凡庸な問いにふさわしい凡庸な答えである。
 だが、しかし。
 前向きに(あるいは都合よく)考えれば、凡庸とはすなわち普遍性であると言い換えられるかもしれない。やはり、世の中にとっての「人間力」とは道徳の教科書に毛が生えた程度の話なのだ。ならば一般論を把握するのも無意味ではなかろう。
 そこで、AIさんが出した答えの中から、私がもっとも苦手な「他者との協調性」を身につける方法を再度AIさんに尋ねてみた。すると、即座にこんな答えが返ってきた。

・まず、相手の話に耳を傾け、自身の言動に気をつけることが大切です。相手の立場に立って考える共感性を養うことも重要です。

・チームワークを意識し、自分の役割を果たしつつ、他のメンバーとも協調して行動する習慣を身につけましょう。状況に応じて適切なリーダーシップを発揮することで、円滑な協調関係が築けます。

・意見の相違や対立が生じても、建設的な対話を通して、win-winの解決策を見出す柔軟な対応力が重要です。

 なーるほど。
 AIさんとの対話でわかったのは、機械学習が秒で出してくることすら自分には難しいという事実だ。
 まず、相手の話に耳を傾ける、については割とちゃんとしているつもりである。しかし、最近流行りの傾聴とやらは、私にはあまりしっくりこない。テクニックとしてこちらが言ったことをオウム返しされようものなら、むしろ不信感がつのる。私は話している時間が対等な、議論に近い対話を好む。でも、好まない人の方が多いのは長年の経験でわかっている。
 その点、仕事でインタビューをするのは楽だ。相手の話を引き出すのが目的だから、問いを重ねながら、時々相手が言葉を見出す手助けを合いの手として入れればいい。
 でも、それは仕事だからできることであって、日常会話でするものではない、と思っている。もし日常会話でもこうやれと言われるなら、都度カウンセリング料としてお金をもらいたいぐらいだ。
 ……あ~、もしかして、こういうところが協調性のなさと判断されるのか? 世間一般ではこれは無料で提供すべき資源なのか? まあ、いい。そこはひとまず判断保留である。
 ついでにいうなら「共感」もあんまり好きではない。正確に言うなら、共感性が評価軸としてやたらと強調されるようになって以来、なんだかアレルギーのようになってしまった。「絆」にうんざりしているのと同様の心理作用であろう。共感は勝手に湧いてくるものであって、無理やりひねり出すものではなかろう? 相手の立場に立つなら、それは感情ではなく理性によって行われるべきだ。
 次、自分の言動について。ここは常に気をつけているつもりだけれども、気をつけるポイントが世間の常識とずれていては意味がない。
 たとえば宴会などでは、それぞれのペースで好きなものを好きなだけ飲み食いしてほしいと私は思うので、取り分けやお酌はしない方がいいと考えている。自分もしてほしくない。だが、(最近は少し変わってきたとはいえ)世の中では取り分けやお酌が気遣いや協調性の表れと受け取られる。
 このようなズレを埋めない限り、私は“人間力”がないと判断されてしまうことになる。なんだかんだあって、今の私は「誰も料理に手を付けなければ開始のみ取り分けはするけれども、お酌はしないし、自分への取り分けやお酌は謝絶する」という方法で落ち着いている。けれども、こうした妥協案を見出せていない部分は多々ある。第一、妥協案がベストでもあるまい。妥協案をやったらやったで文句言われることもあるのだから。世間的価値観とズレが多い人間がこんなことを一々考えていたら、それこそノイローゼになりそうなのだ。この点について、私は大いに自己憐憫れんびんすることにしている。
 「建設的な対話を通してwin-winの解決策を見出す柔軟な対応力」については、私はそこそこできているつもりなのだが、日本ではあまり求められていない力であるように感じる。どちらかというと「上が決めたことに唯々いい諾々だくだくと従う」のが柔軟な対応力と思われてはいないだろうか。
 つまるところ、AIさんのおっしゃるのが「人間力」の正体なのだとしたら、私は死ぬまで身につくことはないだろう。
 なんだ。詰んだじゃん。
 やっぱり私には無理ってわけ?
 ……いや、そこであきらめてはならないな。あきらめたらそこで試合終了って、人気漫画のカーネル・サンダースみたいなコーチも言っていることだし。
 そこで、AIさんに「人間力」の強化を尋ねたところ、前の答えとほぼ同じ内容を繰り返すだけだった。やはり、AIさん任せでなく自分で考えなくてはならないらしい。シンギュラリティ(AIが人間の知性を超える)はもうすぐだと喧伝けんでんされているが、分野によってはまだまだのようだ。
 そもそも、私の正体について質問したらこんな答えを返すようなヤツだもの。

門賀美央子は1987年5月20日生まれの日本の女優。2001年に映画デビューし、以降テレビドラマや映画、舞台で活躍。自然体の演技と可愛らしい容姿で人気を集める。2009年に高校を卒業後は女優業に専念。最近では社会派映画への出演など、幅広いジャンルで活躍中。ファンからは「門賀ちゃん」の愛称で親しまれている。その著作「老い方がわからない」では体の衰えを実感しながらも、精神的には成熟していく経験をする中、表舞台の仕事柄、外見の若々しさが期待されるが、自分の内面の変化に向き合う難しさも感じている心境を書いている。(AIの答えを若干修正加筆)

 どこの門賀美央子やねん、これ。
 とにかく、AIさんの仕事はまだこの程度だ。思考を任すにはまったく至っていない。
 そんなわけで、次回は私が私のために考えた私なりの「老いをサバイヴするための人間力」を披瀝したいと存じ上げる次第である。

 

(第29回へつづく)