老い方探しの旅に出ることにした私、まずは旅の行程表を作ることにした。
 両手ブラリ戦法でとにかく一歩踏み出す系の無謀な挑戦は、若さ溢るるお年頃なら胸躍る冒険になることだろう。
 だが、こちとら押しも押されもしない堂々たる中高年である。無計画のまま一朝事あれば、そのままコケる。長年培った笑顔と知恵で乗り切ろうとしても体力がついてこない。リカバリ力がトータルで低下しつつあるのは、極めて遺憾ながら、認めざるをえないのだ。ドラクエの勇者のようにひのきの棒と布の服の初期装備だけでフィールドに出ようものなら、次の町に着く前に死ぬ。
 目標をきちんと定め、準備万端遺漏なく整え、なんなら保険をかけておく。中高年の旅はこれぐらいで丁度なのだ。
 よろしゅうございますか?
 年を取ったら計画大事。
 声に出して読みたい日本語ナンバーワンである。
 ま、そんなわけで本題、行程表。
 行程を組むなら、目的地が明確でなければならない。
 今回の旅は「老い方探し」が主目的なのでどんな「老い」が理想なのか、まずはそこをはっきりさせておくべきだろう。「老い」の先にある「死」については拙著『死に方がわからない』に書いておりますのでどうぞそちらをご参照ください(宣伝)。
 さて、理想の老いの探究とは即ち「どんな年寄りになりたいか」の追求であろう。
 私の場合、これは比較的はっきりしている。ロールモデルが複数いるのだ。
 第一のモデルはミス・ジェーン・マープルだ。ミステリーの女王アガサ・クリスティが生んだ史上最強の老女探偵である。日本では同じくクリスティ作品の探偵なら気取り屋のちょび髭ベルギー人エルキュール・ポアロの方が有名だが、世界的には互角の人気を誇る。
 敬称がミスであることからもわかるように、彼女は未婚のまま年老いた。なんでも若い頃、親に結婚を反対され、生涯独身を通す決心をしたそうな。純粋かつ意志堅固な人だ。
 小説での描写によると彼女は「雪白の髪をいつも高々と結い上げ、年寄りらしい、薄青いやさしそうな目」をしている。年齢が明示される場面はないが、小出しにされるプロフィールを組み立てると初登場時の彼女は古稀前後だろう。身なりは地味で簡素だが、いつもきちんと整えられている。何もなければ櫛も通さないボサボサ頭のままアイロンをあてていない服で日がな一日過ごす私とは大違いだ。
 自宅はロンドン郊外の村に建つ庭付きの古風な家で、一日の大半を庭いじりや編み物に費やす。読書も好きなようだ。本人は近代教育を受けていない無学な人間と謙遜するが、実のところなかなかの教養を持つ。とはいえ、それをひけらかすことは滅多にない。
 容姿といい、ライフスタイルといい、鋭い頭脳以外はごく普通のおばあちゃんとして市井の片隅で生きる彼女。だが、ごく一部――知人や村人、そして警察上層部には熱烈な信奉者がいる。彼らと同じぐらいミス・マープルに心酔する私がその愛を語り始めると自分でもめんどくさいぐらいなので説明はこのあたりで止めておくが、彼女が老いのロールモデルとなりうるのは、その人格および言動にある。
 探偵としての彼女の武器は、長い人生で培った経験値と年老いても衰えない洞察力、そして観察眼だ。派手な捜査や科学的プロファイリングなどせずとも、ただ人の話に静かに耳を傾けるだけで事件の核を的確に探り当てる。事件の核とはすなわち「事件を起こした人間の心理」だ。偶発的な事件も計画的な犯行も、すべて人間によって引き起こされる。よって、人間分析こそ事件解決の要なのだ。そこで、過去の見聞に照らし合わせ、類似の事例を鑑みてもっとも合理的かつ妥当な結論を導き出すのが彼女の手法だ。
 これにより常に誰よりも早く真犯人と犯行方法にたどり着くけれども、謎解きの目的は功名心ではない。持ち前の好奇心と被害者への同情心が動機である。よって、手柄はすべて 警察に引き渡し、ゆえに刑事たちも素直に感謝と尊敬の念を寄せる(ウザがる様子を見せるのもいるけれども、これはまあお約束)。
 だが、人が良いだけではない。第一印象だけで彼女を愚かな老いぼれと侮る連中(主に男性と若者)に対しては、その侮蔑を逆手にとるぐらいの強かさを持っている。平凡で無害な老女然した姿を捜査に利用するあたり、なかなかのものだ。
 また、人の邪さや愚かさを知り尽くした彼女の人間観はなかなか辛辣である。たとえば、初登場作「火曜クラブ」では、作家の甥に向かってこんなことを言う。
「私から見ると、たいていの人は悪人でも善人でもないわ。でも、ごく単純に、とても思慮に欠けているんですよ」
 これ、「あ~わかる~」ってなりませんか? いや、もちろん私は思慮に欠ける側なんだけど、たしかに人に道を誤らせるのは悪の心ではなく、愚かさだというのはストンと腑に落ちる。どれだけ賢いと評判の人でも、ふとした瞬間に心が愚かさに支配され、やらかしてしまうものだ。人が人であるかぎり、これは逃れようがない。
ミス・マープルはそんな「人の悲しさ」を熟知しているから、惑わされないし、騙されない。そして、時には被害者だけでなく犯人にも同情を寄せるだけの度量の大きさを持つ。これらが総合的に働いた結果、おのずと名探偵になるのだ。それもこれも、年の功を上手に活かす術を知っているからだろう。
“長い人生”そのものに物言わす老女探偵。
 ああ、なんてかっこいいんでしょう。モンガミオコもかくありたい。
 ミス・マープル愛を思うさまに語って気が済んだので、ここで彼女から学ぶべき点を整理しておこう。
・人生で得た知見を血肉にして活かす
・人間へのあたたかな同情と冷徹な視点を併せて持つ
・好奇心を失わない
・軽侮にはツノ立てて怒るのではなく、受け流し利用して最終的に相手を制する(合気道?)
 なお、類似の「かっこいい老女」には、ドロシー・ギルマン作「おばちゃまは飛び入りスパイ」シリーズのミセス・ポリファックスやテレビドラマ「ジェシカおばさんの事件簿」のジェシカ・フレッチャーなどがいる。この二人はミス・マープルよりかなりアクティブだが、老女ならではの観察眼と経験値を最大限活用するという点で同じだ。大いに参考になる。ぜひ作品に触れてみてほしい。

 さて、ロールモデル二番手。これもまたフィクション上の老女だが、ジャンルは代わり、アニメの世界の住人である。名を銭婆(ぜにーば)という。名前はあんまり知られていないかもしれないが、湯婆婆みたいなもうひとりの魔女、というと「あ、あのおばあちゃんか!」と思い当たる向きも多いのではないだろうか。
 彼女が登場する「千と千尋の神隠し」は文句なしの国民的作品なので今更言葉を費やすこともないだろう。けれど、銭婆はちょっと要説明かもしれない。
 銭婆は湯婆婆の姉であり、湯婆婆と同じく魔女である。実力は妹に勝り、恐ろしい存在として大いに名を轟かせている。実際、見かけは湯婆婆とほぼ同じなので迫力満点だ。だから彼女を老いぼれとなめてかかるような愚か者はいない。
 しかし、本当は穏やかでバランスの取れた人格の持ち主だったりする。湯婆婆と違って誰彼構わず脅しつけるような真似はしない。ある目的のために訪ねてきた千尋を優しく迎え入れ、助言し、手助けするほど親切な女性である。最初はかなりビビっていた千尋も最後には「おばあちゃん」と親しげに呼ぶようになるほど、よい人なのだ。
 こういう銭婆のあり方は老い方の参考になるが、私がより注目するのは彼女のライフスタイルである。
 銭婆は森の奥の一軒家でひとり静かに住んでいる。身の回りの細々としたことは魔法で動く道具にまかせているらしい。でも、お茶を入れたり、編み物をしたり、生活を楽しむ手仕事は自分でやる。暮らしぶりは欧州風のおしゃれな自然派。いわゆる「ていねいな暮らし」である。
 私はもともと「ていねいな暮らし? けっ」と嘲笑うようなひねくれ者だったが、大都会・東京から神奈川県横須賀市という小田舎に移住してからは三浦半島の神の導きによって回心し、めっきり「ていねいな暮らし」派になった。庭付きの一軒家(ただし築60年の年季が入りまくった貸家)で暮らし始めて、ナチュラルライフの快適さに開眼したのだ。とはいえ、「なんちゃって」レベルだが。
 本当の「ていねいな暮らし」なら、生活のすべては心を込めた手作業で行われるべきなのだろう。だが「なんちゃっていねい暮らし」では、機械や業者に任せられることは自分でしない。床掃除はお掃除ロボット、洗濯は全自動洗濯機、時間管理と音楽演奏はアレクサに委任している。銭婆のような魔法は使えない以上、代わりに電気と技術をフル活用するのだ。そのためには新テクノロジーのチェックは欠かせない。よさげな新製品があればしっかり覚えておく。ただしすぐには飛びつかない。ある程度有用性が証明され、お値段もリーズナブルになってから、はじめて生活に取り入れる。賢い消費者様なのである。えっへん。
 それではナチュラルライフとはいえないではないかとお怒りの向きもあろうが、せっかく21世紀の文明社会に生まれてきたのだ。環境には配慮しつつも、文明の利器は使えるだけ使わないとつまらない。それで生まれた余暇を「趣味的ていねい」に費やすのが人間一番幸せだ。あえて苦行を選ぶようなマゾ気質は持ち合わせていないので。
 油屋の経営者たる湯婆婆は日々多忙で心労も絶えないようだが、銭婆はやりたくないこと、めんどうなことは魔法に任せて優雅な生活を送っている。世俗にどっぷりの湯婆婆と付かず離れずの銭婆。同じ「老いてからの生活」なら、後者のが断然いいに決まっている。
 そんなわけで銭婆から学ぶべき点を整理しよう。
・機械や他人に任せられることは自分でやらない。
・世間には怖いババアと思われているぐらいが自衛のためにもちょうどいい。
・自然に囲まれた静かな家で心の閑けさと豊かさをゲット。
 さて、この二つのモデルに共通するのは「老いの賢さ」といえるだろう。ユング心理学(ヘボいライターはだいたいユングとか引きたがる)でいうところの元型「老賢者」の女性版だ。男性社会だった学術の世界では「賢さ」はもっぱら男性の専売扱いだったが、民話などにはしばしば魔女や仙女として女性賢者が描かれ、存在感も大きい。私は、子供の頃から、そうした存在に憧れてきた。おとぎ話だって、お姫様より魔女が好きだった。
 これは、老いる定めにあるヒューマン・ビーイングたる私にとっては大変有利な性癖だ。ばあさんがお姫様にはなれなかろうが、魔女ならいける。幼き頃から心に宿す理想像の追求を、加齢が阻むどころか、むしろプラスに働くわけだ。素晴らしいではないか。
 よし。これで老いの人格、老いの生活環境のロールモデルが揃った。後は老いの心構えだが、こちらのロールモデルももちろんいる。誰だって? それは次回のお楽しみ。

 

(第3回へつづく)