老い方の行程表づくりのためにまずはゴール地点、つまり老いの理想像を表裏あわせて検討した。結果、モンガ的理想のおばあちゃん像を確立できた。
 死ぬまで自立して自由に素敵に無敵に生きる。
 なんだ、別に普通じゃんと思うかもしれないが、これを実現するのはたぶん結構難しいはずだ。
 だが、にわか体育会系になった私はなんとしてもやり遂げると決心した。我が過去を振り返るとこの手の初志をまともに貫徹したことはほぼ無いのだが、今度こそやってみせるぞ!
 では、成功を目指して次にするべきは何か。
 ゴールがあるならスタートがある。つまり起点だ。起点の実際を洗い出し、第一歩を踏み出すための足元を固めなければならない。
 では、起点とはいつか。
 それは「今」である。かの有名予備校講師氏も言っているではないか。「今でしょ」と。
 人生百年時代説を真に受けるにしても、2023年現在の平均寿命で考えるにしても、50歳は否が応でも人生後半戦である。つまり確実に老いエリアに足を突っ込んでいる。
 私の場合、2023年4月時点では51歳なので、老いの第一歩を踏み出したばかりといえるだろう。野球で言えば六回表で第一打者がピッチャーに球を投げられたばかり、サッカーで言えば後半戦のホイッスルが鳴って軽くボールを回しているぐらいだろうか。とにかく老いのスタートを切ったばかりなのは間違いない。
 ある意味、老いの一年生……いやさ嬰児だ。老いのバブバブ期だ。
 と、いうことはですよ?
 今のうちにしっかりと計画を立て、着実に自己教育していけば、けっこういい感じに老いていけるんじゃない? だってバブバブ期ですよ? 伸びしろしかないじゃん。
 考えてみれば、私が平均寿命でこの世からおさらばするなら残りあと30年、百歳なんてことになれば50年もある。前半生と同じだけの年月が残存しているのだ。これはつまりもう一度人生を始めるに等しいではないか。流行りの転生をしなくても転生したようなもんだ。
 203040代と私の人生暗かった、というほどでもないものの、試行錯誤が多すぎてもうちょっとうまくやれなかったのかなという反省はある。この手の反省は反省だけに終わるものと思っていたのだが、50歳を人生の再スタート開始年と位置づけたら話は変わってくる。反省を活かして今度こそみっちり実行可能な計画を立て、残りの人生に向けた準備を10年ぐらいかけてやればいいんじゃなかろうか。義務教育だって9年間なんだから、いくら吸収力や記憶力が衰えた中高年といえども10年もあればものになるかもしれない。よしんば早死したところで学びが無駄になることはない。だって、大人の学びは娯楽だもの。
 だが、何をものにすればいいのだろう。
 教育とはすなわち計画であるってどこかの偉い人が言ったなんて話は聞かないけれども、教育学には指導計画という科目があり、研究テーマになるほど重視されている。やっぱり計画が大事なのだ。
 再スタートを切るとしても、もし闇雲に始めるばかりなら前半生の二の舞になろう。
 それだけは嫌だ、ぜったい。
 よし、では「老いの行程表」作成の次フェーズは「老いの自己教育計画づくり」だ。
 なんか気の利いた横文字でもつけて、それを冠にした肩書きでもでっち上げたら仕事になるかも。面倒だからやらないけど。
 兎にも角にも老いの起点に立ったばかりの私、まず現時点の私をシビアに分析して、必要な老い教育を洗い出さねばならない。
 つまり、今の私には何が欠けているかを考えなければならないのだ。
 お前なんぞ欠けてるところだらけじゃねえか、と突っ込んでくる冷央子の声はひとまず聞かなかったことにする。ほんと、こいつは一々うるさい。人のやる気を削ぐことにかけては天才的である。我が人生、こいつの声に負けたことはたびたびあるが、十中八九良い結果にならなかった。よって今度ばかりは黙っていてもらう。私の後半生がかかっているのだ。雑音に気を取られてはおられまい。 
 だが、どのように自己分析をするべきか。太宰治ばりにつらつら述懐するだけでは文学にはなっても実効性は望めない。ここはパシッと、系統立ててやる必要がある。
 そんなことを考えながらぼーっとネットニュースを見ていたら、三月場所のニュースが目に入ってきた。
 相撲中継もすっかり見なくなって久しく、今では名を知る現役力士は片手で数えられるほどなのだが、三月場所には少々思い入れがある。というのも、私が生まれ育った町にはいくつかの相撲部屋の定宿舎があって、毎年三月になると花の香より前に鬢付け油の甘い匂いが春を運んできていたからだ。
 今年もまた巨漢たちがママチャリを虐待しながら商店街やら駅前やらを行き交っているのかなあ、なんてちょっとノスタルジーに浸っていたら、ひらめいた。
 そうだ、心技体を分析ベースにすればいいではないか! と。
 心は精神力や心理状態、技はスポーツだと技術だろうがひとまず知力と解釈して、残りは体力。この三つそれぞれを軸に分析すれば、モンガミオコという物体の座標値がわかるのではなかろうか。名案である。お相撲さん、ありがとう!
 それに心技体は分析だけでなく、今後の計画づくりにも役立ちそうだ。体の計画、技(知)の計画、心の計画と分けてやったらスッキリする。
 大変よろしい。
 だがまずは分析だ。
「体」の分析は比較的容易い。毎年きちんと健診を受けているから、数年分の客観的/科学的に数値化された内科的データはすでにある。
 今年度なんかは自費負担額をプラスしていつもよりちょっとリッチな健診を受けてみた。結果、特に問題はなかった。一つだけ赤文字があったけど誤差範囲なので医者の所見はなし。BMIなんてまだ20を切っているし(風前の灯ではあるが)、血圧は正常、その他各数値も基準内。コレステロールにいたっては善玉が増え、悪玉が減った。あまつさえ背が5ミリも伸びていた。まだ物理で成長しているらしい。すげえな、私。そんなわけで今のところ生活習慣病などの心配はない。
 脳には数年前に発見された動脈瘤のベビィがいて年に一度は様子を見に行くことになっている。この際には必ずCT検査をするので、検査費用はそれなりにかかるのだが、ついでに脳萎縮が起こっていないか、腫瘍ができていないかなんてところも診てもらえる。脳ドッグに入って数万円を支払うことを考えればずいぶんとお得だ。ベビィは今のところ大人しくしているようだし、このまま暴れん坊に育たなければなかなかの孝行者といえる。
 次に体力。これはもう確実に落ちている実感はある。けれども、フレイルとまではいかない。
 え? フレイルってなにさ、って?
 そうですよね。あまり聞き慣れない言葉ですよね。次回、こちらを詳しく説明することにいたします。二週間ほどお待ち下さい。

 

(第6回へつづく)