今回も、前回に引き続いて八代氏のインタビューをお届けする。

 前回はこちらから。

 

──研究者による長寿本を読んでいてもう一つ気になったことがあります。彼らの長寿社会に対する未来予測が総じて楽観的であることです。これらは、彼らが社会的に高い位置にいるのと関係しているのではないかという気もしたのですが……。

八代嘉美(以下=八代):まったく無関係ではないかもしれませんけどね。周囲の状況がポジティブな状況であれば、人って長生きしたいと思うものなのでしょう。そうでないと厭世的な気分が出てくる。それに、どれだけ健康寿命が延伸したところで死ぬ前に衰えるのは間違いないので、誰しも周囲からの支えは絶対に必要になるでしょう。いや、そこを担うのは人間でなくてもいい、人工知能やロボットに任せればよい、というようなことをいう人もあるけど、新技術を使うには一定以上の金銭的余裕が必要です。社会的な相互扶助が整っていれば補えるところではありますが、基本的に収入の多寡で寿命を外的にセレクトさせるのは、やっぱり正しいことだとは個人的には思えません。ならばどうするかについては、自分たちで考えるしかないわけなんですけれど、なかなか社会的合意を形成するのも難しいですよね。個人の選んだ答えを全て支えられる社会であるべき、が誰も傷つけない答えなのでしょうが、それが実現できるかはなかなか……。生命に関わる新たな技術が生まれてきた時に、それを社会がどう受け入れるのか、あるいは拒否するのか。そこを個々がきちんと考えられる社会は作らないといけないとは思います。

──具体的にそういう流れはあるのでしょうか。

八代最近であれば、PPIがあります。これはPatient and Public Involvementの略で、日本語では患者・市民参画と呼ばれるものです。患者や市民が医療研究や医療政策に積極的に関わり、意見を反映させましょう、という取り組みです。従来は医療従事者が医療を主導していたわけですが、そこに患者視点を取り入れることで、より質の高い医療を実現させていくのが目標です。

──自分が病気になった時にお医者さんと一緒に治療方針を決めるとか、そういうことではなく?

八代もっと社会的なことですね。具体的には、研究テーマの選定や研究デザインの検討、倫理審査への参加、さらには結果の解釈や発信など、様々な段階で患者や市民に参画してもらおう、って感じです。近年、欧米を中心に広まっていて、日本でも厚生労働省などが推進しています。これが始まったのは、患者のニーズを満たすような形での医学研究をやっていく必要性があると考えられるようになったからです。最初に導入されたのはガン研究でした。ガンは取り除けばいいかもしれないけど、それでは単純に医学的に改善するだけで、他の生活上や精神上の困り事が発生するかもしれません。また、文化や宗教の文脈で医療にそういう研究をやって欲しくないと考える社会もあるでしょう。そうしたことに研究はきちんと答えられているかが問われるようになってきているんです。社会を巻き込むことによって全体としての意識を高めるのが目的です。また、「責任ある研究イノベーション」という考え方もあります。科学研究は、結局のところ社会がお金を出して支えていて、そこから生まれてくるのが未来なんだから、研究者や政策当事者だけのものじゃない。だから、一般の人たちにきちんと参加してもらって考えないといけないよね、というところです。生命研究や医療の形をどうしていくのかについては、結局のところ社会全体で考えないといけないんです。研究者は判断を社会に丸投げするのかって言われたら「そうです」としか言えませんが、誰か一人が責任を取るべきものではないですよね。やっぱりすべてを一人で解決できる天才科学者や天才政治家はどこにもいないんですよ。そして、決定する過程では、社会の上層部だけで決めるのではなく、すべての層をとりこぼさないようなあり方を考えていかないと、百年を安心して生きられる社会は作れないだろうとは思っています。

──やはり個々が社会に果たすべき役割、という視点は外せないものなのですね。ところで、先生御自身は理想的な老いをどう考えていらっしゃいますか?

八代難しいですね(笑)。僕の両親はまだ健在ですが、70歳を過ぎても現役で働いていました。だから、僕自身も死ぬまで働ければなと思っています。世代交代は必要でしょうけれども、研究者なんて自分の研究テーマに近いところにいて、それでご飯が食べられるなら満足できる生き物なので、そういう状況下で家族が元気な様子を見つつ一生を終えられたらいいな、ぐらいでしょうか。

──生涯現役派でいらっしゃるわけですね。

八代健康寿命がすごく延びている社会であるし、医学の水準も上昇しているので、少なくとも僕らの祖父母世代での70歳よりも心身ともに若いのは確かだと思います。人口が減っている社会では、高齢者も社会の一員として暮らせるのがいいですよね。

──私なんかはどっちかというと早々に楽隠居したい方なんですが……

八代(笑)。そう思っている方がたぶん多数派なんじゃないですか? 心情として全然わかるので、責める気はないんですけれど、現状の話をするならば今の年金受給者はリタイアしてからかなり長い期間年金を受け取っていて、政府もそれを過剰に尊重する政策をとっている気はするので、ある程度の是正は必要になってくるのかなとは思います。ただ、歪に感じるのは、年金受給を遅らせる方針を取りながらも、高齢者が働きやすい体制は作れていないままここまで進んできている点です。本当なら年を取った人でも働きにふさわしい報酬を受け取れる体制を作っていかなくてはならないのでしょう。とはいえ、国が全部を負えるわけではないので、民間における資本を活用する形をとり、なおかつ社会全体を組み替える工夫はしていかないといけないでしょう。そういう意味では、科学的な知見と現状分析を踏まえた社会全体の方向性を考えるべきなんじゃないかな。

 ──この点について、国や地方自治体はどういうふうに舵を取っていきそうでしょうか。八代さんはそうしたところにも提言するお仕事もなさっているかと思うのですが。

八代健康寿命の延伸については、神奈川県が「未病」というコンセプトをすごく強く押し出していますが、これは予防医学的な観点ですね。基本的には老いが原因と考えられる疾患をできるだけ追い出したいわけです。フレイルの啓蒙や歯科の8020運動はこの流れです。結局、国の財政を圧迫させないためには健康でいてもらうのが一番であるわけですし、実際にそれしかないんですよ。老化に対する特効薬はないし、薬が作れたとしても莫大な予算が必要でしょうから。結局のところ、古典的かもしれないけど実効性のある予防医学の手法をブラッシュアップして普及をさせるのが一番です。あと、もうひとつあるとしたら、すでに流通している薬剤の中から、老化の抑制に効くようなものを見つけ出して利用することでしょうか。これはドラッグ・リポジショニングと呼ばれる手法ですけれども、例えばアスピリンのような安価で出回っている薬剤の中にも、老化にポジティブに働くかもしれないものがあります。まあ、アスピリンは長期利用するとガンの要因になる欠点があるのですが。そういったものを見つける研究に注力をするといいのかなとは思います。

──そういうのもあるのですね。やはりまだまだ知らないことが多いのを痛感しました。ところで、最後に一つお聞きしたいのですが、八代さん御自身は「長生きは幸せ」と思われますか?

八代どうだろう。今はやっぱり幸せと幸せじゃない人にわかれちゃうんでしょうね。みんなが幸せであるといいなと思うんですけど。一般的には「死にたくない」が本来ですよね。長生きが幸せに感じられない社会はやっぱり歪んでいるんですよ。だから、みんなが幸せだと思える社会にするべきなんでしょう。教科書通りの答えと思われるかもしれませんが、でもやっぱりそう言い続けていかないといけないんだと思います。

 

 二回にわたり専門家の見解を聞いたわけだが、いかがだっただろうか。
 私としては、老化研究の妥当性のみならず、超高齢化社会を生きていく当事者として、社会との関わりをどうしていくのか、ちょっとそれっぽく言っちゃうと「社会契約の当事者たる自分が合意形成にどう関わっていくのか」を改めて考えさせられることになった。
 しつこいが、私はのほほんと老後を送りたい。できれば働きたくないし、面倒なことは人にまかせてしまいたい。
 だが、それが難しいとあらば、やはり自力でサバイバルしていくしかないのだ。
 社会状況はこれからもどんどん変わっていくだろう。
 20歳の時に私が30年後の現代社会をほとんど予測できなかったように(レンタルビデオショップが無くなることだけは予測していた)、今の私が30年後、つまり80歳になった私の生活を予測するのは困難だ。
 結局のところ、ありとあらゆる可能性を考え、備えておくしかない。ある意味、天災への備えと同じである。いくら万全のつもりでも実際にはな~んにも役に立たなかった、なんてことだって十分あり得るのだ。
 それでもやっておくしかあるまい。
 たとえば10代の私は、一生懸命本を読んでいた。それも「お勉強には役に立たない」本ばかりである。ところが巡り巡ってライターとして独立することになった時、一番力になってくれたのがそういう「お勉強には役に立たない」はずの読書経験だった。
 結局のところ、なにが役に立って、なにが無駄になるかなんて、最後の最後までわからないのだ。
 今、着実に溜め込みつつある脂肪だって、80歳になってうっかり転倒した時に、骨を守るクッションになってくれるかもしれない。坂の多い街で日々ヒーコラ言いながら暮らしているのが、案外フレイル予防になっているのかもしれない。
 今はそれほど感じないが、案外「長生きして幸せ」と思うような老後を送っているかもしれない。逆もまた然り、だが。
 いずれにせよ、先生との対話で見えてきたことははっきりしている。
 なにかあった時にも自己決定できるだけの学びを続け、時代としっかり四つに組んで生きていくこと。
 これが「理想の老い方」ではないだろうか。めんどくさい時代に生まれてきたものだが、これも運命だ。
 老い方を見つける長い旅も終着駅が見え始めた。次回、一度これまでの旅を振り返りつつ、足りないピースがないか確認していきたい。

 

(第28回へつづく)