長く生きていたら、出会うこともなかったはずのお方とひょんな縁がつながることもある。私にとって、八代やしろ嘉美よしみさんはまさにその好例ともいえる方だ。
 八代さんは幹細胞生物学、再生医療、科学技術社会論を専門とする研究者で、特にiPS細胞をはじめとする幹細胞技術の倫理/社会問題に関する研究を続けてこられた。文系世界の底辺でモゾモゾやってきた我が人生において、本来なら遠い世界のお人のはずだが、2014年に米国テキサス州サン・アントニオで開催されたSFワールドコンでお目にかかったことで御縁ができた。つまり、そちら方面にも造形深い文理両道の人物なのである。
 近年は再生医療の実用化に向けた政策提言や社会対話促進にも力を注ぎ、一般社会に向けた科学技術コミュニケーションに積極的に取り組んでおられる。今回、お話を伺うのにこれほど適した方もいない。
 そんなわけで、いきなり「すみません、長寿本がホントか嘘か教えてください」とお願いしたのだ。以下はお忙しい研究者に図々しくも初歩的な質問を投げかけた、厚顔無恥の記録である。

 

──雑駁ざつぱくな聞き方で恐縮ですが、研究者による長寿本に書かれているような老化治療は本当に今後一般的になっていくものなのでしょうか。

八代嘉美(以下=八代):少々もやっとした回答になりますが、ああした本に書かれていることが今後全て実現可能かというと、そうではないでしょう、というしかありません。あれらはあくまで実験段階のデータを元に書かれています。よしんば有効な何かが見つかったとして、それを人間に対して投与するならば、実用に至るまでに細胞レベルや動物レベルでの実験がまず行われるし、それらをクリアしても、広く使えるようになるまでは臨床試験といった多くの段階を踏む必要があります。ですので、近々一足飛びに普及すると読んでしまうのは危ないところです。ただ、「いかにも手が届きそう」というふうに読めるから本がヒットしたところもあるのでしょう。研究者が一般社会を対象にするコミュニケーションで気をつけないといけないのは、基礎研究でうまくいったからといってすべてが成果を出せるわけではなく、鳴り物入りで始まっても途中で消えていくものはたくさんありますよ、という話を大前提にしておかないといけない点ですね。

──消えていく、とはどういうことですか?

八代:例えば、化学物質の構造から、特定の疾患に効くことが予測できる、薬になりそうな候補物質が見つかったとしましょう。しかし、それが実際に薬として完成されるまで多段階の実験を重ねていくと、ほとんどがどこかで脱落し、最終的には三万分の一ぐらいの確率でしか新薬にはならないのです。遺伝子治療も同じです。動物実験ですごく効いたと報道されても、その後うまくいくかどうかはわかりません。もし、新発見がすぐに治療に役立つんだったら人間の病気はもっと減っていることでしょう。でも、そうはなっていませんよね。動物のレベルで効果が認められたとしても、実験用マウスと人間では生きるための仕組みは概ね一緒とはいえ、やはり細かいところは違います。効いたとしても、安全性に問題があったとすれば使えません。たとえば、サリドマイドという鎮静剤はマウスでは無害でしたが、人間の妊婦が服用すると、お腹の中の子供に奇形が生じました。有効性や安全性を検証していくと、最終地点までたどり着けるものは極めて少ないんです。

──なるほど、やはりそううまくはいかないのですね。あと、もう一つピンとこなかったのが、iPS細胞と老化防止の関係でした。iPS細胞は八代さん御専門の分野だと思うので、少し解説していただけるとうれしいのですが。

八代:まず、iPS細胞は皮膚細胞などから作られる人工多能性幹細胞で、あらゆる細胞に分化できる能力を持ちます。すでに分化してしまった体細胞をリプログラミング、日本語に訳すと初期化して未分化な状態にするのですね。
 現在、老化研究の中で着目されているのがパーシャル・リプログラミング、日本語だと「部分的な初期化」研究です。細胞は完璧に初期化をしてしまうと、受精卵のような状態になります。それを体の中に移植をしたりすると不規則的に増殖したり、分化したりってことが起こってしまいます。要するに、iPS細胞をそのまま体内に移植すると、移植された細胞がガン化するということです。そこで今着目されているのは、完璧な初期化をするところまで持っていかずに、部分的に留めるという手法です。外界から受けた影響をリセットする仕組みを使って、リセットしたいところだけリセットしようということですね。一概にこうと言い切れないところがあるのですが、細胞が増殖をするタイミングで変異が起こる部分をリセットすることができれば、病気ではない細胞の方が増えてくれるわけなので、たとえばパーキンソン病とかアルツハイマーなど、加齢に伴う疾患を持つ患者さんの神経細胞を初期化することで、疾患を食い止めよう、治療しようという考え方です。

──手術して細胞を入れ替えるとか、ですか???

八代:必ずしも手術が必要ということでもありません。薬物なのか遺伝子なのか、選択肢はいくつか考えられますが、遺伝子の状態をリセットするために必要なものを目標とする組織に送り届けることさえできれば、その中でリセットされた細胞が増えてきてくれるイメージです。ですので、細胞の中に遺伝子を送り届ける技術が成熟してくれば、うまくいくかもしれません。

──mRNAワクチンみたいなものでしょうか?

八代:COVID-19のmRNAワクチンは筋肉注射で投与して、免疫系細胞に発現させてとりあえず効かせる、という感じで、もともとの体にある免疫系の仕組みを利用したものです。ただ、同じような形で外部から注射をしても、必ずしも目的の臓器に届くとは限りません。つまり、目標まで特異的に送り届けることができれば、精度があがります。だからいろいろな領域で研究がされていて、mRNAワクチンはその中のひとつですし、あとはリポゾームって言う、ごく小さな油膜で包まれた液体みたいなものを使って細胞に取り込ませようとする方法もあります。これはドラッグ・デリバリー・システムと言い、昔からガンなどいろんな治療の領域で研究をされている手法ですけれども、それを老化防止に応用しようとしているんですね。

──つまり、研究における若返りっていうのは、『ふしぎなメルモ』の赤いキャンディー青いキャンディーのように、見た目からもう明らかに若がえるようなものではないんですね。当然といえば当然なのでしょうが。

八代:そうですね。もちろんそうしたものも一つの理想ですが、整形外科手術的に見た目がすごく若くなるとかいうようなことではなく、臓器の若返りであったり、皮膚が老化しないようリセットしたりなど、生命活動を維持するシステムのサビ落とし、というところをやっていくのだと思います。

──老化というと、近頃さかんに「フレイル」の概念が喧伝されていますが、フレイル治療の研究は進んでいるのでしょうか?

八代:フレイルも実は多様なんです。一般的には筋肉系や運動器系の衰えからくる障害をイメージすると思いますが、身体だけではなく精神的にも健康な状態と要介護状態の中間の段階とされていて、様々な状態を含んでいます。昔はフレイルという概念自体がありませんでしたが、今では広く着目されるようになりました。そのおかげで、フレイルの仕組みそのものが研究されるようになり、結果としてこれまでよりも知識が増えていくことになるでしょう。そうなるとどこを勘所として押さえたら防げるのかを見出せると思います。しかし、やっぱり一足飛びに治療ができるとするのは、今の段階ではちょっと言い過ぎになりますね。今は、遺伝的な背景と紐づけて、こういう生活をしている、こういう状況の人がフレイルになりやすいとか、こういうことをやめると改善するというようなことを、疫学的な統計で見ることは盛んになっています。

──つまり、分野の知の集積が始まっている段階と考えてよろしいですか。

八代:ようやくそういうところです。フレイルにも色々な診断基準があります。一般的にフレイルは五要素、体重の減少、疲労、活動の減少、歩行速度の低下、筋力の低下が診断基準ですよね。それに加え、精神的/心理的なフレイルや社会的なフレイルがあり、この三つで老化が構成されるんだと最近は言われるようになりました。

──ところで、今回いろいろと調べるうちに国立長寿医療研究センターというものがあるのを知ったのですが、わざわざ冠に長寿とつける研究センターができるぐらい、国家的に大きなトピックにはなっているのでしょうか。

八代:あそこは大昔、国立療養所として感染症などを中心にした長期療養所だったのですが、2000年代の頭ぐらいに長寿医療を研究する国立の研究機関になりました。日本は世界に先駆けて高齢化が進展しているからです。東京にも東京都健康長寿医療センターという同様の研究所があります。東京都のほうは昨年度まで私も少しお手伝いをしていましたが、長寿研究は世界的にも注目される分野だと思います。

──そうした医療機関なり研究機関が目指しているのは、やはり健康寿命を延ばすことなのですか?

八代:基本的には加齢に伴う疾患を予防・治療に関する機関なのですが、裏返せば健康寿命を延伸するのが一番の目標ともいえますね。ご存知の通り、平均寿命はずっと延び続けています。明治の頭ぐらい、日本で最初に国勢調査が行われた時は平均寿命は40歳代だったけど、百数十年でそれが倍になりました。健康寿命もこの20年ぐらいで2、3歳は延びているはずです。基本的には、栄養状態や衛生状態が改善すると、あるいは医療水準が全般的に向上すると寿命自体が延びます。それに加え、健康診断技術の発達や普及によって医学の技術も向上した結果、健康寿命が伸びました。しかし、高齢化が進む未来を見据えると、かつては他の死因で亡くなるはずだった人たちが新たな疾患をもつことになる。これまでの知識だけでは足りないのではというので出てきているのがアンチ・エイジング、つまり老い自体をターゲットにした改善なのかなとは思います。

──私のような独り者として老いていかねばならない人間にとって、一番怖いのは認知症なのですが、認知症が抑制されるようになるまでにはどれぐらいかかりそうでしょうか。

八代:認知症は他の老化治療とは少し事情が異なります。確かに老化による認知の低下はありますが、いわゆる「認知症」とされる症状の原因は現在タウ仮説(注1とβアミロイド仮説(注2の二つが主な仮説として考えられていて、このどちらかに介入すれば症状を抑えることができるとされます。一方、老化研究がターゲットにするのはもう少し器質的なところ、たとえば臓器自体の衰えとか、そういうレベルですね。

──ちょっと意味合いが違うわけですね。

八代:ただ、老化研究については何を以て成功とするべきなのかがはっきりしていません。人によって物差しが異なるからです。さらにいえば、社会によっても、評価者によっても違います。万人が「これは老化研究の成果だ」と納得するような物差しが、今のところあまりないんですよ。社会は「活動性」を老化の物差しにするでしょう。一方、器質的なところで評価するなら老化に伴って落ちる酵素の働きを物差しにすることもできます。認知症も老化に伴って起こってくるものではあるので、それを抑制できれば成功だとする考え方もあるでしょう。他方、アポトーシス(注3)の抑制ができても、トータルとして別の機能が落ちてたら駄目なんじゃないの? とも言えます。

──なるほど。

八代:病気の多くは、ある特定の臓器のこういう働きが落ちるから全体症状としてこれが起こります、という因果関係が整理されているので、そこを食い止めればいい。だけど、細胞の老化に伴って起こっているとされているものが、本当に老化が引き金になっているのかどうかはわかりません。たとえば、老化に悪影響を及ぼすとされる活性酸素だって、活性酸素自体は結果であって原因ではないのでは? という説もあります。よく研究者の話はわかりづらいと批判されるのですが、別の可能性や、曖昧あいまいな部分が残っていることを知っているから断言できないんです。老化を戻したとか抑制したと明確に言えるのはみんなで基準を決めてからのことになるのでしょう。そうでないと、多分うまくいきません。

──一般読者はそういうところを短絡しがちですが、断片的な情報に惑わされない方法はありますか?

八代:身も蓋もないことを言ってしまうと科学的リテラシーを高めましょう、に尽きます。老化研究の場合だと、大前提として何か薬を飲んだらたちまち若返りますよ、なんていううまい話はないってことです。たとえば、テロメア(注4を短くしたマウスは確かに「生きている時間」が短くなるけれども、一方で動脈硬化のような老化に伴って起こるとされる症状が起こるかというとそうじゃないんです。つまり、テロメアが短くなったから老衰という症状が現れるわけではない。でも、この事実をきちんと結びつけて考えられるかどうかというと、専門知識がない限り難しいでしょう。そのため、知っている知識をつなげて「テロメアを長いままにできれば老化しないんだ」と判断をしてしまいがちです。

──結局、今のところは古臭い養生訓的なものでしか健康寿命を延ばす手はないと思っておいてよろしいですか?

八代:そうですね。養生訓のような「健康的な生活」はトータルで考えると間違っていないんです。化学物質で作られている薬は切れ味も鋭いし、効くときにはすごく効くけれども、効かない人もいます。効く蓋然性が高いだけです。年々、あらゆる病気で新しい治療法がどんどん増えていますが、それだって効く人には高い効果が出るけれども、百パーセントの効果は保証されない。おまけに金銭的に高価だったり、副作用もあったりします。一方、養生訓のようなものは多くの人にとって害はないですし、継続的にちゃんとやっていると統計的に寿命が延びる人の方が多い、という経験則があります。そうであれば、そちらの方法を採るのが自然です。この部分で科学ができることは、なぜ腹八分目でよく運動する人の方がより寿命が長くなるのか理由を調べ、その特徴を取り出してくることでしょう。デビッド・シンクレアのようなアンチ・エイジングの研究者がやっているのは、そうやって得たデータを物理的なものに還元して、原因と結果を直結させようっていうことなんです。ですが、繰り返しになるけれども、化学物質に頼るとどうしても「効く人」と「効かない人」の問題が出てきます。やっぱり、基本的にうまい話はないですよというのは頭においた方がいいでしょうね。

──なるほど、やはり短絡してはダメですね。

 

 もっとも顔では「なるほど」とか言いつつ、ほんとはどこまでわかっているのか実に怪しい聞き手ではあるが、お話はまだ続く。待て、次回。

 

注1 タウ仮説……異常なリン酸化を受けたタウ蛋白質が神経細胞内に蓄積し、神経細胞死やシナプス損失を引き起こすことで認知機能障害が生じると考える仮説。アルツハイマー病だけでなく、前頭側頭型認知症など他の神経変性疾患にも共通する病態メカニズムとして注目されている。

2 βアミロイド仮説……脳内に蓄積したアミロイドβ蛋白質が神経細胞に毒性を発揮し、神経細胞死やシナプス損失を引き起こすことで認知機能障害が生じると考える仮説。アルツハイマー病の主要な原因仮説として長年研究されている。

3 アポトーシス……細胞が遺伝子プログラムに従って自発的に死滅する過程。不要になった細胞や老化した細胞を効率的に除去するために起こり、組織の恒常性維持や形態形成に重要な役割を果たす。細胞死の形態としては、細胞膜の崩壊、核の断片化、細胞質の凝縮などが特徴である。

4 テロメア……染色体の末端にあるDNAの繰り返し配列で、細胞分裂ごとに短くなる。短縮限界に達すると細胞は老化・死滅し、これが老化や寿命と関係する。ストレスや喫煙は短縮を促進し、運動や睡眠は抑制する

 

(第27回へつづく)