私に悠悠自適の年金生活などやってこない。
 年金では足りない生活費を補うために死ぬまで馬車馬のごとく働かなければならない。
 それはよくわかった。
 マスコミなどでは「日本の高齢者は就労意欲が高い=つまり意識が高い」とまるで美談のように喧伝されることも多い。
 だが、ではなぜ就労したいのか訳を尋ねると「収入が欲しいから」という超現実的な理由が51パーセントでぶっちぎりのトップになっている(「令和3年版高齢社会白書(全体版)」より)。2位以下は「老化予防」が23パーセント、「仕事が好き」が16パーセント、「仲間探し」が7パーセントと続く。
 働き者集団であるはずのジャパンにおいて、「仕事が好き」だから働く高齢者はなんと2割に満たないのだ。実のところ、「働かなきゃしょうがないから働いている」だけであり、それが就労意欲高止まりの正体だった。経済的不安を抱えているだけで、勤勉だからではない。美談でもなんでもなかった。
 余談だが、同じ調査をしたアメリカ、ドイツ、スウェーデンの場合はいずれも「仕事が好き」派がトップで「収入がほしい」派は30パーセント前後にとどまる。
 彼我ひがの差をどう解釈するか。
 ……まあ、それはここでは不問に付すことにしよう。自分が直面する現実のほうが重要だ。
 もう一度言おう。
 私に悠悠自適の年金生活などやってこない。
 つらいが、認めるしかない。
 しかないが、でもなんだかやっぱり夢を捨てられない。
 生涯現役! 死ぬまで社会貢献! みたいな気合いの入った人たちがたくさんいるのは承知している。その心意気は素晴らしいと思う。けれども、私はそっち側じゃない。
 せっかく日本という美しい国土に生まれたのだ。老後ぐらい花鳥風月をでながらのほほんと暮らしたい。
 たとえば、こんな風に。

 朝、私を起こすのは野鳥の喧しいさえずりだけれども、今朝は鶯の声が混じっていた。今年の初音だ。まだ若い鳥なのだろう。なんだか頼りない、腰の座らぬ「ホーホケキョ」に、布団の中でつい笑いが漏れる。
 私が海辺に建つ有料老人ホームに入居したのは75歳の時だった。施設に入るなんて早すぎるという人もあったが、1DKの居室はセパレートの風呂トイレが付いた完全個室だし、専有バルコニーもついている。普通のマンションとほとんど同じだ。プライバシーが保証されている以上、私のような集合住宅暮らしに慣れた人間にはなんの違和感もない。 
 あえて違いを探すなら、自室も共用施設も徹底したバリアフリーになっていること、そして万が一に備える通報機器が作り付けになっていることぐらいだろうか。当然ながら、どちらも住まいを選択する上でのマイナス要素にはなりえない。
 ベッドサイドの時計を見ると、時間は6時半。あと半時間もすれば共同食堂で朝食の提供が始まる。食堂は居住棟の隣の棟にあるが、屋根も壁もある渡り廊下で繋がっているのでお天気関係なく快適に移動できる。廊下ももちろんバリアフリー。杖でも車椅子でも安心だ。
 さて、今朝はどうしようか。夕食は前日までの事前予約制だが、朝食はビュッフェ形式なのでその日の気分次第で利用するかどうかを選べる。一般的な介護施設と違い、自立している入居者は生活のほぼすべてを好きにできる。食事や入浴の時間も自由。行事やクラブ活動への参加も自由。レストランや大浴場は利用時間が決まっているけれども、そんなのは当然だろう。そもそも部屋にキッチンも風呂もあるので何も問題ない。
 そうそう、昨日、高取さんから銀座で買ってきたというアンパンをもらったのだった。じゃあ、今朝はそれと牛乳で済ませてしまおう。
 高取さん、入居当時は老人性鬱になってしまって傍から見ていても心配な状態だったけど、スタッフの適切なサポートを受けられたおかげでもうすっかり回復なさった。月に二度も銀座にお出かけするなんて、私よりもお元気なぐらい。もう89歳でいらっしゃるのに。
 この施設は隣接する総合医療センターと経営母体が同じなので、入居者は健康状態を一元管理してもらえる。入所の決め手となった理由のひとつだ。管理栄養士さんや保健師さんが常駐していて、いつでもアドバイスをもらえるし、健康不安があったら介護棟の看護師さんに相談ができる。お医者様も24時間体制で対応してくださるから、私のような動脈瘤持ちにはもってこいなのだ。
 とはいえ、私がこの施設をついの棲家に決めた一番の理由は環境の良さだった。
 冬は温暖、夏は涼しい海辺の町に立地し、緑豊かな広々とした敷地に建っている。居住棟は全室南向きのオーシャンビューで、晴れた日などは絶景だ。都心から遠く離れているので空気も水もおいしい。
 田舎町だけあって施設の周辺にはまともな店はない。けれども、施設内にコンビニエンスストアのほか、ちょっとした図書室もあるし、ショッピングをしたければ毎日玄関から定時運行している送迎バスを使って最寄りの街に行けばいい。街まではおよそ20分。そこでだいたいの用は足せる。もっとも今どきは通販でなんでも揃うが。
 コンサートやお芝居が見たいときは東京まで出ることにしている。電車で一時間半ほどだ。最寄り駅の送迎バスは最終便が夜8時と少し早いが、夜遊びをした若い頃ならともかく、11時には就寝するのが常の今の生活では何ひとつ不便に感じることはない。終演が夜遅くなる公演のときは、東京のホテルに外泊することもある。年に数度あるかないかだが、それもまた生活上のよい刺激になっている。
 私が住んでいる棟には下は65歳から上は100歳を超えた方までいる。私などはまだ若い方だ。80や90を超えた方には要介護の人たちもいるが、彼らも長年住んだ部屋でそのまま介護を受けている。もし入院が必要になっても、退院後は元の部屋に戻ることができる。住み慣れた居室で介護を受けることができるのも大きな安心材料だ。
 私がいくつで死ぬか。それはわからない。でも、ここに住んでいる限りなにがあっても安心という事実が心の支えになっている。精神が安定しているからか、体調もすこぶる良い。人間、結局は身心一如なのだ。
 最期の日まで、私はこの場所で星を数え、月を詠み、鳥の歌を聴きながら花を眺めて生きてゆきたい。

 なーんてね。
 若い頃は「自然」なんてどうでもよかったけれど、実際に自然が豊かな土地に住んでみると、もうコンクリート・ジャングルに戻る気がしなくなった。
 だから、老後も、今住んでいる横須賀のような“ちょうどよい田舎”に住みたい。そして、基本自由なんだけど、状態が悪くなったら段階に応じて面倒を見てくれる誰かがいる老人施設に入って安閑と暮らすのだ。
 安閑。
 ボケないためには、これが一番大事。
 安閑とは刺激がないことではない。不安や心配がないことだ。ストレスは万病の元というが、認知症もまた例外ではないらしい。
 ストレス過多の状態は血流を悪くする。
 血流が悪くなると、必要な酸素や血液の供給が減って脳が萎縮する。
 脳が萎縮すると、ボケやすくなる。
 恐怖の3ステップだ。ストレスが元で発症する鬱病もまた、認知症を呼ぶ。
 ボケ対策の第一は安定した心なのだ。刺激は二の次である。
 日本では何もかも自前でできる老人が称揚されがちで、また誰もがそれを望む。だが、実際問題として、高齢になればなるほどやれることは減っていく。昨日はできていたことが、今日はできなくなる。老化とは、心身が成長とは逆のベクトルに勝手に進んでいくことだ。
 世に数多あまた出版されている先輩老人たちの日記を読んでいると、一人暮らしで自立した生活をしている人ほどこの現実に直面し、ストレスをためていく。
 一方、「できないことをやってくれる誰か」が側にいる人は、気楽に安心して暮らしている。よしんばやってもらうことに申し訳なさからのストレスを感じていたとしても、頼れる者が不在のストレスよりはずいぶん軽いらしい。
 私は、もうあまりに一人暮らしが長すぎて、今更だれかと同居したいとは思わない。たぶん、今のこの快適な生活に他人が入ってきたらストレスで死ぬ。大げさでなく、死ぬ。
 けれども、さっき妄想した老人ホームのように居室が完全に独立していて、生活の裁量も任されているなら話は別だ。
 今でも、お手伝いサービスなど、一過性である分には人が家に入ってきたってなんのストレスも感じない。誰かが家事をやってくれるっていうなら大歓迎である。用事が終われば帰るんだから、なんの問題があろう。
 ほらぁ、あたしぃい、貴族気質だからぁ(はぁと)みたいな?
 身の程知らずここに極まれりだが、これが本音なのだ。仕方あるまい。
 ずっと一人暮らしをしてきたってことは、生活の何もかもを自力で片付けてきたということである。老後ぐらい、任せるところは人に任せる生活に入ったっていいじゃない。
 あー、ほんと、こうならないかなあ、と金長まんじゅうをかじりながらお茶を飲んでぼーっとしていたら、またあいつが出てきた。
 招かざる客、ゲオコである。
「あ~もしもし? また愚にもつかない妄想をしているところまことに恐縮なのですが、あなたの希望している老人施設、入居に一体いくらかかるかご存知?」
 そう、妄想施設には実はモデルがあったのだ。知る人ぞ知る高級有料老人ホームである。
「“高級”。ふっ。あなたにはもっとも遠い言葉ですわね」
 うわ、鼻で笑いやがった。マジむかつくコイツ。
「こうした施設、入居には最低でも2500万円は必要です。さらに利用料が毎月25万円ほどかかります。これには食事や共有スペースの利用料が含まれていますが、エキストラ料金や自分のお小遣いは入っていません。つまり、あなたがさっき妄想していたような生活をしたければ月30万円は必要ってことになります。そんなお金、どこにあるというのでしょう?」
 ……。わかっている。わかっているが他愛もない想像で心を慰めているだけではないか。
「あらあら。そんな余裕があるなら、現実を確認されたらどうかしら? あなた、今も賃貸暮らしでしょ。高齢になればなるほど借りられる家は減っていきましてよ?」
 そんなことは先刻承知だ、引っ込んでろい、このスットコドッコイ! と江戸っ子ミオコに啖呵を切ってもらいたいところなのだが、まあゲオコの言うことも間違ってはいない。
 確かに高齢者の住宅事情は調べておくべきだろう。こんなヤツの口車に乗せられるのは極めて不本意だが、致し方あるまい。
 そんなわけで、調査を始めたモンガミオコ氏だったが、調べが進むほど前回以上にうんざりする現実が見えてきたのだ。ディストピアチックなその光景は次回、みなさんにシェアしたい。

 

(第17回へつづく)