心技体のうち、技のレベル確認として生活能力/知識を客観的指標で計るため、中学の技術家庭科ドリルをやってみることにしたモンガミオコ氏。
 蓋を開けたら何が飛び出しただろうか。
 もったいぶらず、結論から言おう。
 成績は概ね悪くはなかった。たぶん、生活者としては問題なさそうだ。
 けれど、今まで見えていなかった落とし穴を発見した。
 技術科領域に、顕著な知識不足が見られたのだ。家庭科領域に比べると、平均点になんと20点近い差がついたほどだ。
 家庭科、つまり家事や育児の知識は全領域で80点以上が取れたし100点も稀ではなかった。一方、技術科はIT系の技術知識以外では60点前後が続出。中でも作物栽培の知識は惨憺たるもので、50点以上取れたページが皆無だったのだ。予想以上のポンコツぶりだった。うちで育てられている植物たち、可哀想過ぎる。
 だが、この差はまったく予想できないものではなかった。
 なぜなら、私たち世代の女子は、技術家庭科のうち、家庭科しか受けられなかったからだ。男子は逆。技術科のみだった。共修になったのは1990年なので、今の四十代半ば以上はみな私と同じ状態のはずだ。
 当時の教育関係者は、まさかこれが後の禍根になるとは思わなかっただろう。
 なんの禍根だって?
 男女の寿命差だ。家庭科教育を受けられなかったのが、男性の平均寿命を女性より有意に低くしている一因になっているんじゃあないか、という気がするのだ。
 なんだよ、その風が吹けば桶屋が儲かる的な話は、と思われたかもしれない。だが、的外れではないと私は確信……とまではいかずとも、まあまあ当たってるはずと睨んでいる。
 というのも、前著『死に方がわからない』を書いていた時にしみじみ思ったのだ。
 平均寿命、女の方が長いのって必然だよなあ、と。
 日本では……いや、世界的に見ても総じて女性より男性の方が早死する傾向がある。
 そうなる理由は複数あげられているが、生物学的には女性が女性ホルモンの一種であるエストロゲンによって高血圧や動脈硬化などの心疾患から守られているから、と理由付けられる。
 だが、女性でも閉経後はエストロゲンが減少する。つまり、更年期に入れば性由来の生物的ボーナスは失せてなくなるわけだ。であるからには、歳を重ねれば重ねるほど差が縮んでいかなくてはおかしい。
 しかし、現実は逆だ。データでは、高齢者人口における女性の割合が有意に高く、しかも年齢が高くなればなるほど差は広がる。
 周囲を見渡したって、夫婦の場合なら妻が残る場合が多い。夫が年上であるケースが多いのを考慮に入れても、妻は年の差を超えて長生きする。「お前百までわしゃ九十九まで」どころか「お前八十までわしゃ九十九まで」なのだ。
 エストロゲンの恩恵が無くなったところで女性の方が長生きする。ならば、生物学的理由以外の要因がより強く影響していると考える方が自然というもの。
 では、「以外の要因」とはなにか。
 答えは一つ。
 生活に必要な一般知識の有無だ。
 自分の心身を健やかに保つ生活技術や知識を知っているかどうかが命運を分けているのである。
 今の若い人たちはそうでもないようだが、少なくとも私と同世代より上の男性たちは家事やセルフケアを免除されて生きてきた。その部分は母や妻、時には娘に頼りっぱなしで生きてこられたのだ。もちろん、個々を見れば例外はあろうが、大方がそうであるのは誰も否定できないだろう。
 たとえば、亡父は台所のガスコンロの点火方法すら知らなかった。昔ながらのつまみを押して捻るタイプなら使えるが、平成以降に普及したボタン式は駄目。つまり、少なくとも10年以上は一度も使ったことがなかったのだ。母の留守中にカップ麺を食べようとしてお湯を沸かせず、薬缶片手に呆然とコンロの前に佇んでいたあの姿が忘れられない。他も推して知るべし。一事が万事で、父は家事能力0のまま一生を終えた。
 おそらく、彼と同じような男性は少なくなかろう。
 家事能力0は、セルフケア能力0とほぼイコールである。
 なぜなら家事とは生活の質を一定に保つ技術だからだ。
 支障のない日常生活を送るには、必要最低限のラインとして自宅環境を安全かつ清潔に保つ必要がある。だが、その必要最低限ができない高齢男性がいかに多いことか。
 今、世に数多あるお元気御長寿本の著者のほとんどが女性であるわけだが、彼女たちは立派にひとり暮らしをしている。ところが、まれにいる男性著者の場合、だいたい家族と同居している。自立できないのだ。
 自立の仕方がわからないから。
 お世話してもらうのが当たり前と本人も思っているから。
 しかし、男性はアプリオリに家事能力がない、というわけでもなかろう。やっている人はきちんとやっている。結局のところ、やり方を知らないから、というのが大きいはずだ。
 もし、彼らがきちんとした家庭科教育を受けていたら、きっと事態はもう少し変わっただろう。「性別による役割分担」なんてのはカップルで生きることを前提にした話であって、独り者にはアダになるだけなのだ。
 婚姻を前提にジェンダー分けしていた過去の学校教育なんてクソだったのである。是正されたこと、まことにめでたい。
 「いや、学校教育関係なくね? 習ったことなんかどうせ全部忘れるじゃん?」みたいな反論もあるだろう。
 だが、私はやっぱり学校教育はおおいに関係すると思う。
 なにか証拠があるのか、って?
 ある。
 というわけで、ここで話が最初に戻る。
 今回ドリルをやってみて、技術科の点数が家庭科より明らかに低かったのは前述した通り。だが、その技術科の中でも明らかな差があった。木工関係はそこそこの点数を取れたのだ。
 実は、私が通っていた中学はいわゆる教育実験校だった。
 そのため、女子も少しだけ技術科の授業を受ける機会があったのだ。
 そして、それは木製棚の制作だった。たぶん、この時に基礎的な木工知識を学んだのだろう。だろう、とか言うぐらいだから授業内容の記憶はほとんど残っていないのだが、それでも学習効果自体は残存していたから今回の結果に繋がったと推測できる。あるいは、いつもの調子で先生の話を聞かずにテキストばかり読んでいて、自然に覚えたのかもしれないが。
 同じことは家庭科領域でもいえる。私は子がいないし、弟妹もいないので、子育てらしい子育てをしたことはない。それでも育児関係の設問の8割方は正解できた。
 学校教育、特に義務教育で学んだことは、おそらく自分で思っている以上に血肉になっているものなのだ。
 よって、90年以降に義務教育を受けた男女は幸いである、高きQOLは彼らのものである。それを活かすためにも、社会人になったらとっとと家を出て独立して生活スキルに磨きをかけ、結婚後も性別問わず続けるのが得策だ。間違っても誰かに頼りっきりではいけない。また、本人のためにも頼らせてはいけない。
 では、89年以前に義務教育を終えた子羊たちはどうすればいいのか。天の国の扉は閉ざされているのだろうか。
 いや、そんなことはないはずだ。
 神様だって言っている。
 狭き門より入れ、と。
 とはいえ、ただ祈ったところで神様は何も教えてなんかくれない。
 結局、生活人としての己の欠損を自覚し、自習するしかない。
 しかし、ただ学べ習え、と言われても何から手を出せばいいかわからないだろう。
 そこでドリル、なんですよ。知識の欠落箇所を自己チェックするのに、これほど簡便な手段はない。実際やってみた私が言うんだから保証付きだ。
 それに利点はもう一つあった。
 今どきの学習過程は、私たちのようなロートルにとっては目新しい情報が満載なのだ。
 たとえば家庭科だとバリアフリーやユニバーサルデザインといった概念が紹介されているし、クーリングオフ制度やフェアトレードといった消費者として知っておくべき情報も盛り込まれている。
 技術科にはIT技術の基礎知識から情報化社会の新技術への言及もある。近ごろ流行りのSDGs──持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)だってバッチリだ。読めば単なるスローライフ推奨運動ではなく、人類活動への広範にわたる政治的提言であることがたちどころに理解できるだろう。本来のSDGsはゆるふわマーケ用語ではないんである。
 また、昔から存在していた分野も、新知識に更新できる。
 身近なところだと洗濯表示なんかが好例だ。昭和世代は日本工業規格(JIS L 0217)で定められた洗濯表示で長らく生きてきたが、これが平成28年(2016年)12月から新しい洗濯表示(JIS L 0001)に変わった。なんでも、前のは日本の独自規格で、国際規格にはあっていなかったのを是正したんだそうな。
 今回、ドリルをやって新知識を得たおかげで、表示を見ても「なんだこりゃ?」だった日々に終止符を打つことが出来た。ネットで調べればいいのだろうが、それもなんだか面倒でやってなかった。でも、ようやく知識をアップデートできた。そして、気づくことができた。お気に入りのワンピース、買ってからずっと間違った洗い方をしていたことに。なんというか、ほんますまんかった、ワンピース。
 保健体育の知識も同様だ。
 体育に関しては今後のスポーツ観戦に役立つかなあ程度だったが、保健領域はQOLの維持に欠かせない知識が数多く載っていた。疾病の発生要因やストレスの健康への影響、制御された食生活や運動・休養の重要性といった自己管理に役立つものから、医薬品の正しい使い方や自然災害への対処方法といった後半人生で必ず持っておかねばならない知識まで網羅されていた。
 みんな大好き性教育についても、おしべとめしべ的なところはともかく、「異性の尊重と性情報への対処」なんて単元は今の中高年こそもう一度しっかり確認しておくべきだと強く思った。本当に思った。
 他の副教科、美術や音楽に関しては、雑学クイズ感覚で楽しめた。現役時代に比べて暇になる後半生、教養にかかわる知識がないとつまらなくなる一方だろう。
 そういうわけで、中学副教科系ドリルを一通りやったことで、私の生活者としての実力を表す散布図のようなものを脳内にセットすることができた。
 できることとできないこと、あるいは知識のある分野とない分野を明確にして、自覚する。
 後半生のプランニングをするにおいて、この作業は想像以上に重要だ。
 特に、私のようにカツカツの老後生活が確実な者にとっては。
 ほとんどの人は、老いるに従い収入が減っていく。
 だが、もし「自分でできること」が少なければ、外注せざるを得なくなる。それはつまり、生活コストが余計にかかる、ということだ。
 また、知識がないせいでQOLに甚だしい影響が出ることもあるだろう。
 たとえば、心疾患にかかったとして、基礎的な栄養知識がなければ、病気を悪化させないための食生活を送ることすらできない。
 その辺りの管理は、専門家に外注すれば知識ゼロでもなんとかなるかもしれない。だけど、それにはお金がかかる。金がなければ自分でやるしかない。できなければ死ぬまで不快な日々が続くだけだ。それでもいいっていう人は好きにすればよかろうが、私は嫌だ。死ぬまで快適に過ごしたい。
 なので、今回わかったことをベースにして、後半生の“技”計画を立てていく。
 さあ、どこから手を付けようか。まずは作物栽培を学ぶ辺りからかしら。これがあれば将来食料危機が起きた時にいいかもしれないし。このご時世、なにがあるかわかりませんからね。今からでもやれること/できることを増やしておくにこしたことはない。
 プランニング大好きな私には、こんなのをあれこれ計画するのも亦た楽しからずや、なのだ(ただし、実行するとは言っていない)。
 
 さて、そんなこんなで生活人としての私のチェックは終了した。
 次は社会人として、ちゃんとしているかのチェックである。
 まず「社会人」とはなにか、というところだが、今は「職業を持ち、法による支配を受け入れ、社会の一員として何らかの役割を果たしている成人」と定義しておきたい。
 たとえば私の場合、フリーランスの文筆業という職業を持ち、法による支配を受け入れ、社会に対して有権者および納税者としての役割を果たしている。
 こういう人間が最低限持っておくべき知識は、学校教育の「公民」の授業で提供される。
 だがしかし。
 公民の授業って、社会科の他の分野に比べるとなんだか影が薄い、気がする。私が歴史の授業を偏愛していたせいかもしれないが、地理や歴史の授業が中学入学時から始まるのに対し、公民は中三になって初めて登場するのも一つの理由だろう。
 けれど、学習内容には法と人権、政治体制、経済の仕組み、国際問題など現代社会に生きるための土台となる知識が含まれる。どれ一つ、まともな社会人ならば「知らない」ではすまされない。
 しかし、SNSを見ていると、たまに「あなた、本当にオトナ?」と聞きたくなるぐらい、基礎的なところが抜け落ちている人を見かける。法治や人権など、立憲民主主義社会を成立させるのに不可欠な理念、国際社会にコミットする意義などへの根本的な無理解がまかり通っている。
 これはとってもまずいし、こわい。
 私は死ぬまで平和な民主主義国家で穏やかな暮らしを謳歌したい。
 独裁国家も管理国家も覇権主義国家もまっぴらごめんである。
 経済だってそう。日本経済は斜陽になって久しく、一億総中流なんてもう夢また夢の世界だ。それでも最貧困国ではないのも確かで、ならばせめてこのラインだけは未来永劫守りたい。
 けれど、21世紀になって、なんだか世界がおかしなことになってきていて、この先どうなるかまったくわからない。一九四五年の夏よもう一度、になってもおかしくないのかもしれない。
 だからこそ、今一度、立憲民主主義国家に生きる人間が最低限持っておくべき知識を確認しておこうと思ったのだ。
 で、半日ほどかけてドリルをやった結果、ほぼ全問解答できた。若干怪しかったのは国連の諸機関の略称で、WHOやUNICEFなんかは大丈夫だったけど、FAOとかITUなんかは「そんなのありました?」レベルだったせいで、私の中にいる中学生に「オトナのくせにそんなことも知らないの?」」と鼻で笑われる始末だった。
 社会人として大いに反省した。
 反省、した。
 ……よし、反省したからこれでよし。
 これでもまあまあ忙しいオトナなので、さすがにテスト前の学生のようにカードをペラペラめくりながら暗記するわけにもいかない。
 でも、「私は公民分野では、国際公的機関に弱いんだ」という自覚ができたので、今後ニュースなどを見聞きする際に他よりしっかり聞くようにできる。同時に「わたしのかんがえ」が狭く不十分なものである蓋然性が高いと、予断を持つことができる。
 自分の弱点を自覚する。
 これが「自分の現在地確認作業」最大の目的だった。なので、オールオッケーだ。
 ざっくりまとめると、モンガミオコ51歳の「技」は概ね平均点をクリア、木工以外の技術科分野の知識と国際機関の略称記憶に弱点あり、という結果だった。まあそれほど悪くない、かな?
 これにて「技」のチェックはミッション・コンプリート。
 いよいよ「心」に入っていかなければなるまい。

 

(第12回へつづく)