前回まで、老い方の行程表を作るための“私なりのゴール”を探究した。
そして得たのは、ミス・マープルのような好奇心と洞察力を備え、銭婆のように自然に囲まれた土地でハイカラなゆったりライフをエンジョイしつつ、篠田桃紅氏のように一本筋の通った気構えを持って生ききる、という結論だった。
あら素敵。
理想は理想、素敵じゃないと意味ないですものね。
こうして無事、ロールモデルは出揃った。けれども、物事にはなんでも裏表がある。モデルについて考え終えたのなら、反面教師にも目配りすべきだろう。
では、老いの反面教師とはどんな人物だろう。
ちょっと考えた末、第一候補として我が脳裏に浮かんできたのは、文豪・永井荷風だった。
永井荷風は裕福な家庭の長男として明治12年(1879)に生まれ、境遇と才能に恵まれながらも偏屈な己を貫き、時代にも左右されず、昭和34年(1959)に79歳で死去した。今だと享年79はさして驚くほどの長寿ではないが、当時男性の平均寿命は65歳程度。今の平均寿命に+14歳すると百歳近い年齢になるので、当時のセンテナリアン的存在といっていいだろう。
大正時代にはすでに文名を揚げ、飄逸とした作風から孤高の文学者とみなされていた彼は、65歳で敗戦の日を迎えた。戦禍の中、なんとか命だけは拾った。だが、理想通りに建てた自宅「偏奇館」を東京大空襲で焼かれ、膨大な蔵書や書画骨董のすべてを失っていた。
荷風の老いは、喪失から始まったのだ。
普通ならここでガックリきて、命が短くなってもおかしくない。だが、自由奔放に生きた明治一代男は強かった。ほぼ着の身着のままの状態からもう一度筆一本で立ち直ったのである。そして最後まで好きなように生き、一人で死んでいった。
と、こんな風に説明すると、「なんで反面教師? むしろロールモデルなんじゃないの?」と思われるかもしれない。
私も半ば、ロールモデルにしたい気持ちもある。特に、死の前日まで近所の飲食店でカツ丼を食べていたという事実。これなんかはもう本当に見習いたい。80歳を前にしてトンカツを食べていたい。
しかし、である。
荷風晩年の暮らしは、手本にはならない点がいくつかあるのだ。
その最たるものはセルフ・ネグレクトだろう。
最晩年の荷風は千葉県市川市に平屋の一軒家を建て、そこに独居した。身の回りの世話は、一応通いの家政婦にまかせていた。
けれども、部屋の状態はひどかった。
まず、煮炊きは台所ではなく、畳の部屋に七輪を持ち込んでやっていた。衛生面や防災面を考えれば、普通はしない。ほぼ奇行である。七輪を燃やすんだから、部屋の畳はそりゃ無惨なことになっていた。
また、寝起きする布団もひどかった。枕は頭皮の脂でテカって見るから不潔な状態だったらしい。
昔は男やもめに蛆がわき、女やもめに花が咲くなんて言ったもんだが、それそのまんまだったようだ。
ただこれだけなら家政婦は仕事をしていなかったのか? って話になってしまうが、おそらくそうではない。何が起こっていたかはだいたい想像がつく。頑固な荷風が、手出しをさせなかったのだ。
あなたの周りにもいませんか? こういうご老人。やってあげようって手を差し伸べても、キーッ! ってなって邪険に振り払う人。
荷風はもともと生活全般にこだわりが強く、なんでも決めた通りにやらないと気が済まなかった。その言動をつぶさに追っていくと、発達障害に近い特性があったように見受けられる。もっとも当時そんな概念はないので、単に“極めて偏屈な奇人”とみなされていた。
他人と同居できる性格でもなかった。親の言いつけで結婚した最初の妻はひどい仕打ちをして追い出しているし、相思相愛で一緒になったはずの二番目の妻には早々に愛想尽かしをされた。その後も何度か妾をこさえては同居しているが、長続きすることはなかった。たぶん、荷風のこだわりに誰もついていけなかったのだ。
こうした性向は老化するにつれ丸くなって収まるどころか、余計にひどくなっていった。
戦後、家を手に入れるまでは支援者や縁者などの家で厄介になったのだが、みんな最後は音を上げて「出ていってくれ」と頼むほど協調性も常識もなかった。部屋の窓から小用をたしたっていうんだから、そりゃ一緒に住む方はたまったものじゃない。
前回、篠田桃紅は自分をわがままと評していたと書いたが、彼女のわがままとは大人のわがまま、つまり自己決定の言い換えだ。一方、荷風の傍若無人さは、子供のわがままであり、とてもじゃないがお手本にはできない。
死に方も微妙である。彼は「ぽっくり死にますぜ」と宣言していた通り、病みつかずにある日ぽっくり逝ってしまったのだが、家の中で背広姿のまま正座した状態で血まみれになって死んでいたというので、殺人事件を疑われて大騒ぎになった。検死の結果、持病の胃潰瘍が悪化して大量吐血をし、そのショックで心臓発作を起こした自然死とされたのだが。
吐血するほどの胃潰瘍というのだから、前々から自覚症状はあったはずだ。しかし、医者にかからず、養生もせず(だってカツ丼食べてるのよ)、まんまと突然死した。この死に方の良し悪しについては、ひとまず置いておこう(気になる方は拙著『文豪の死に様』を御覧じろ)。
死の当日まで食事も散歩もできる体力を保ったままぽっくり逝けたのは、うらやましくもなくはない。
けれども、家の不潔さといい、不養生を重ねたところといい、晩年の荷風がいわゆるセルフ・ネグレクトだったことは想像に難くない。
セルフ・ネグレクトとは自己放任、辞書では「成人が通常の生活を維持するために必要な行為を行う意欲・能力を喪失し、自己の健康・安全を損なうこと。必要な食事をとらず、医療を拒否し、不衛生な環境で生活を続け、家族や周囲から孤立し、孤独死に至る場合がある。」と定義されている(「デジタル大辞泉」)。
荷風の場合、この定義にはまだらに当てはまる。医療拒否、不衛生な生活はあてはまるが、社会的に孤立はしていなかった。親族とは疎遠だったものの、熱烈な信奉者が何かと気にかけて世話をしていたのだ。
だから、もし本人にその気があればもっとまともな生活を送れたはずだ。資金だって十分にあった。とてもお金持ちだったから。けれども、頑なに改善しようとしなかった(認知や精神状態に若干の問題を抱えていたような気配もある)。
心のままに過ごせたといえばその通りで、その点だけ見れば彼は老いのロールモデルになりうる。
しかし、私はやっぱりきちんと自己管理しながら、普通の生活をしたい。だから、やっぱり荷風をモデルにはしたくない。
これは私の持論なのだが、人の暮らしで何より優先されるべきは安全と清潔だと思っている。それらが担保された上で、はじめて利便性や快適性を付け足していけるのだ。
乱雑で不潔な環境は人の精神を削る。「いや、わしはその方が居心地がよい」と強弁する人もいるが、いざ快適な環境を与えられたらそこから出ないことがほとんどなのだそうな。
そんなわけで、荷風はロールモデルではなく反面教師枠に入れざるを得ない。
けれども、一点だけ見習いたいところがある。
それは、人に迷惑をかけても平気の平左な人間だったところだ。
この強さ、ちょっとだけ見習いたい。
え? 人に迷惑をかけるのを見習いたい? 何いってんのあんた?
と思われたかもしれない。
そうでしょう、そうでしょう。
近ごろの日本人にとって、「人に迷惑をかけたくない」はすでに信仰ですものね。
かく言う私も、自己責任世代であるがゆえに「人に迷惑をかけたくない」教のライトな信者だ。しかし、教義には年々懐疑的になりつつある。
己を律するために「人に迷惑をかけない」を心がけるのはいい。滑らかな社会生活を送る上では重要だと思う。荷風ばりの馬耳東風は、現代日本人としては失格だ。
しかし、「迷惑をかけない」が行動の第一規範、金科玉条にまでなってしまったら、かえって弊害が生まれやしないだろうか。
というのも、現実を無視して、「迷惑かけない教を堅信している限り、私は誰にも迷惑をかけていない」と錯覚しちゃっているんじゃないかって人が増えているような気がするのだ。
錯覚? なにそれどういうこと?
こういうことです。
むかしむかし、私がまだピチピチのOLだった頃(最近はOLって言わないけど)の話。
当時、私は主任以下三人が所属するチームで仕事をしていた。チームメンバーは、みなとてもいい人で、しかも有能だった。だから、同僚としてほぼ不満はなかった、のだが。
ひとつだけ、強烈に迷惑をしていたことがあった。
お二人、むちゃくちゃ真面目で働き者であったがゆえに、雨が降ろうが槍が降ろうが仕事を休まないのだ。
それの何が迷惑なの? と思ったあなた。
そう思いますよね。
でもね、これが「風邪をひこうがインフルエンザに罹ろうが」だったら、どうです?
彼らは、仕事に穴を開けて迷惑をかけるわけにはいかない、その一心で多少の体調不良はおして出社してくるわけですが、いかんせん感染症の有病者がずっと同じ部屋にいるとどうなるか。
コロナ禍を経た今、もう皆さんおわかりのことかと思います。
その二人を発信源とするクラスタが発生するわけです。
そして、一番被害に遭うのは隣にいるこのワタクシ。二人から何度風邪をもらったことか。
「仕事を代行するより、伝染されるほうがかなわないので、どうか休んでください。オフィスに来ないでください」と何度懇願したことか。
しかし、二人には通じなかった。なにせ「仕事を休むと迷惑をかけてしまう」が骨の髄まで染み込んでいるタイプだからだ。逆に言えば、仕事を休まない限りは迷惑をかけていないことになる。
私としては病気で苦しむぐらいなら、残業が増える方がよほどいい。だから「お願いだから、来ないで」と訴えた。でも全然聞く耳を持ってくれない。彼らにとって「仕事を休む」は迷惑だが、「病気を伝染す」は迷惑と認識できない。たぶん風邪を伝染されるかどうかは自己管理の範疇と考えていたのだろう。「伝染す私が悪いのではなく、伝染されるお前が悪い」のだ。
迷惑をかけない教信者は、得てしてこうなりがちだ。自分が「迷惑」と認定していること以外は迷惑にカウントできない。
人間の脳というのはかなり勝手にできていて、自分が認識したくないものはスルーできるようにできているそうだ。
「人に迷惑をかけていない」を人生の第一義にする人が心穏やかに過ごすいちばん簡単な方法は、実際にはかけている迷惑を迷惑とカウントしないことだ。意識的か無意識か、それはわからないが、とにかく「迷惑をかけている」と認識さえしなければ「自分は人に迷惑をかけずに生きている人間」と思い込むことができる。
けれども、これが欺瞞であることは言うまでもない。
そもそも、現代人なんてのは普通の生活をするだけで地球に迷惑をかけている。いや、古代人だって農耕を始めた時点で環境に負荷をかけ、あまたの動植物を絶滅に追い込んだのだ。その後の歴史は言うまでもない。
人類は存在そのものが「迷惑」なのだ。
話を身近なところに寄せたって、人様にかけている迷惑なんて山ほど出てくる。
時間を指定したら9割はその通りに来る宅配便。3分遅れただけで「お急ぎのところ遅れまして申し訳ございません」と謝罪する公共交通機関。24時間いつ行っても商品が豊富に並ぶコンビニエンスストア。
私たちが当たり前のように享受する便利な生活を支えるためには、多くの人が無理をしている。それが仕事なんだから、で終わらせるならそれもよろしかろう。
しかし、現実はそれがブラックな労働の根源となり、働く人たちの心身を削ることになる。過労死や労働災害が起こるのは、なにも現場ばかりの責任ではない。利益至上主義や消費者の過剰要求が巡り巡った結果だ。
極論すれば、私たちは現代生活を普通に営んでいれば誰もが誰かに「迷惑」をかけている。
人に迷惑をかけずに生きている人間なんて、誰一人いない。
だから、私は思う。
人に迷惑をかけずに生きるのは無理ってことを、恐れずに自覚しよう、と。
そして、せめてもの償いとして、自分のできることはきちんとやろう、と。
今回の老い方の探究だって「自分のできることをやる」の一環である。
老いや、その先にある死について、誰しも漠然とした不安を抱えていると思う。けれども、忙しい毎日を過ごす中で問題に向き合ったり、考えたりする時間を十分持つことは難しい。まして調査なんてできたものじゃない。
でも、私はたまたまそれができる立場にいる。だから、代行して恥を忍んで駄文を綴り、公表するのだ。もちろん、一番の動機は「自分が安心したい」だが、結果を共有することで他人様のお役に立てるのであれば何よりと感じるのも嘘ではない。
私は生きているだけでどうしようもなく迷惑をかけてしまう存在。
それを自覚して、迷惑の穴埋ができるように生きていく。
それで良いのではなかろうか。
老いが進むにつれ、社会や身近な人々に迷惑をかけることは間違いなく増えていく。老いが衰えとセットである以上、これはもう仕方ない。仕方ないんだから、迷惑をかけないようにするより、かけるけれども、その分どこかでお返しするほうが建設的だ。もちろん、将来的に建設的なことは何一つできなくなるかもしれない。ならばまだできるうちに前払いしておけばいい。
積極的に迷惑をかけていきましょう、と言いたいわけではない。現役老人による老い方指南系の本にはそう提言をしているのもあったが、まだまだ老いの嬰児たる年代の私としては素直に「それはあかんやろ」と思ったものだ。やっぱり自分でやっておけることはきちんと準備して、人にお願いすることは最小限にしたい。
また、迷惑を「迷惑」と思うのはやめましょう、みたいな言い方もあんまり好きではない。自分の心をごまかしたってしょうがないもの。
迷惑は迷惑。でもそれは避けられないもの。だったら何かでお返しすればいい。
そのぐらいでいいんじゃないだろうか。
私には与えるものなんて何一つない、と思う人もいるかもしれない。でも、ちょっとした親切や和らいだ言葉、明るい笑顔だけで救われる人はたくさんいる。かわいいおばあちゃんのキュートな笑顔なんて、それだけで御飯三杯は食べられるじゃないですか。
なんか妙に大上段に構えた話になってしまった気がしないでもないが、これが最近の実感なので堪忍してほしい。自分が暮らしやすく老いていくための心構えとして、何より必要だと強く感じているのだ。
そんなわけで、ここまではふわふわとした理想を追ってきた。
ロールモデルとして上げた三人は女傑揃いだ。理想として完璧ではあるが、私がそうなれるかどうかはかなり心許ない。ていうか、なんか最初から負けが決まっている気がする。
でもいいの。目指すだけでも無駄じゃないと思うから!(スポ根的発想)
そして究極、にっこり微笑んだだけで他人様に御飯三杯食べてもらえるような老女に、私はなりたい。