どんな老人になりたいか。
 老人になったらどんな環境を用意すべきか。
 老人になるための心構えは。
 と、いうようなところをざっと追ってきた本連載だが、そろそろ終盤というここらで一度原点に戻りたい。
 
 そもそも「老い」とは何なのか。

 端的にいえば、加齢により心身機能が低下し、死に近づいていく過程が「老い」だろう。生物は常に変化し続けるが、前半生では「成長」や「成熟」と呼ばれる変化が、ある時期を境に「老化」に変質する。
 これは私の体感だが、体は35歳、頭は45歳を過ぎたあたりから生活の中で如実に老いを感じるようになった。五十路の今は「もう若くない」を日々否応なく体感させられている。
 だが、幸いなことに、心はまだ成熟止まりで、老いを感じていない。むしろ前半生で積み上げてきた妙なこだわりや益体もないプライドを捨てられるようになり、荷物を下ろした分、心持ちは軽やかに若返っているような気すらする(若返ったとか言い出すことこそ老化の一里塚、と言われたらぐうの音も出ないが)。
 気持ちだけはForever Youngが叶うのであれば嬉しいことだが、一方で「気持ちばっかり若い」の痛々しさはよく知っているので、そのあたりうまくバランスを取りたいと思っている。
 ……てな話はさておき。
 老いは自然物である人体にとって決して避けることはできず、死とともに絶対的な運命として受け入れなければならないもの。古来、数多あまたの諦めの悪い人たちが不老不死を求めたが、皇帝であっても富豪であっても成し遂げられたものはいない。
 けれども、21世紀になって「老いは治療できる」「不老長寿は可能」とする学者たちが出てきた。
 代表的なのは2019年に出した著書『LIFESPAN』が世界的大ベストセラーになったデビッド・A・シンクレアだろう。
 1969年、オーストラリアのシドニーに生まれた彼は老化生物学の研究者であり、現在米国のハーバード大学医学部で遺伝学の終身教授、そして起業家として活躍している。
 彼の主な研究内容は老化の克服と寿命の延伸だ。老化を「治療可能な病気」として捉え、治療法の開発に取り組んでいるのだ。
 その主張するところによると、老化の原因は、細胞のDNAの損傷と、その損傷を修復する能力の低下にある。そこで、その仕組みに関係するサーチュイン遺伝子や、レスベラトロールなどの老化抑制物質の研究を進めている。
 サーチュイン遺伝子は、長寿遺伝子あるいは抗老化遺伝子とも呼ばれる遺伝子で、これが活性化することにより生物の寿命が延びるという。この遺伝子が合成するサーチュインというタンパク質が、DNAの修復や細胞のストレス耐性向上、エネルギー代謝の調節など、様々な機能を持ち、総合して老化の進行を抑制すると考えられているのだ。この仕組みを使って遺伝的な調節を行うことで、寿命を延ばすことができる、らしい。
 また、レスベラトロールは、葡萄の皮や赤ワインなどに含まれるポリフェノールの一種で、抗酸化作用や抗炎症作用を持っている。ゆえに老化防止や生活習慣病予防に効果がある、と見なされているのだが、さらにサーチュイン遺伝子活性化にもお役立ちの物質なのだとか。血管の老化を抑制し、動脈硬化や心筋梗塞などの予防にも効果があり、さらには抗癌作用や抗菌作用さえあるという。まさしく万病の予防薬だ。
 よし、私、赤ワインをいっぱい飲もう。←研究者に一番怒られるタイプの短絡思考
 私のような単細胞のために、シンクレアは赤ワインに頼らない老化治療薬の開発を研究している。
 結局のところ、彼の定義は「健康寿命を延伸させ、健康寿命=生命としての寿命を一致させる」ことが「不老長寿」であって、若返りの薬があってそれを飲めばたちまちみんな二十歳に戻る、みたいなことではない。至極当然である。そんなことを言うのはマッド・サイエンティストだけだ。しかし、そんなヨタではなく、もっとリアルな老化研究の進歩が、人類の健康と幸福に寄与すると彼は固く信じているのだ。
 もちろん、この手の研究はシンクレアの独壇場ではない。
 同じく老化現象とその対抗手段を模索する本としては他にもニール・バルジライ『SUPERAGERS』やニクラス・ブレンボー『寿命ハック』(原題:Jellyfish Age Backwards: Nature's Secrets to Longevity)など、老いとその防止をテーマにした本は世界中で出版され、ベストセラーになっている。
 米国で長寿遺伝子を研究するニール・バルジライは80代、90代になっても驚異的な記憶力と認知能力を維持する「スーパーエイジャー」と呼ばれる人々について調査した結果を『SUPERAGERS』という著書にまとめ、世間に公表した。
 彼は健康を保ったまま長寿を謳歌している人たちのライフスタイルやライフヒストリーを研究し、共通する特徴を見つけたという。ざっとまとめると次の通り。
 
 ・高い知的好奇心と学習意欲を持ち続けている。
 ・家族や友人との交流が活発で、社会とのつながりが強い。
 ・ストレスをコントロールするのがうまく、ネガティブな感情に囚われない。
 ・適度な運動習慣を持っている。
 ・健康的な食生活を維持している。
 
 特に意外性はない。ないが、自分ができるかどうかとなると話は別だ。なんにせよ、健康長寿はやはり超人の技なのだと納得する材料にはなるけど。
 ブレンボーはこれらさえ気をつければ誰でも健康長寿は難しくないと主張するわけだが、そんなもん毎日8時間勉強すれば誰でも東大に合格できますと言われているようなもので、こんな生活を毎日できるような人はそもそも人間として優等なのだ。誰でもできるわけではない。選ばれた者のみが可能なのである。元から優秀な人は往々にしてそこを忘れがちなものだ。
 もちろん、本の内容はこうした居酒屋の暖簾のれんに書いていそうな教訓話ばかりではない。科学的な知見も盛りだくさんなので、神経科学に興味がある向きには特におすすめする。
 また、1995年生まれという若き分子生物学者であるブレンボーは、著書『寿命ハック』でまず老化の原因についての基礎的な知識をまとめつつ、自然界には老化を遅らせたり、あるいは逆行させたりする、いわば「寿命ハック」ともいうべき技を進化させた生物がいることを紹介する。
 たとえば、クラゲの一種はストレスを受けたり傷ついたりすると、ポリプ――自由遊泳せず石や貝殻にくっついた状態で生きる段階に戻るのだそうだ。これは一種の若返りであるらしい。幼児退行みたいなものか? あるいは引きこもりかもしれいない。とにかく、そうして我が身を癒やすそうなのだが、このプロセスは無限に繰り返すことができるため、条件さえ整えば永遠に生き続けることが理論的には可能なんだそうだ。
 なんだ、引きこもりはやっぱり人生サバイブするためのライフハックなんじゃん。
 他にも250~400年生きると言われているグリーンランドシャークや、キモカワで有名なハダカデバネズミなど、自然界において異例の寿命を誇る生物についても触れ、彼らの長寿の要因を探る。
 これはこれで極めておもしろいのだが、ブレンボーは最後に、これら動物の研究が人間の不老長寿研究に寄与すると論じ、長寿を得るための提案をしている。その提案というのはストレスを減らし、健康的な食事をとり、定期的に運動することって話で、結局はバジルライの言っていることとさほど変わりないのだが、さらに突っ込んで遺伝子編集などの新技術で人間の寿命を延ばす可能性も示唆しているあたりが今どきのお子さん、もとい研究者って感じだ。そして、彼のイメージする不老長寿、あるいは不老不死はただひたすら明るい。若さゆえだろうか。
 私なんぞ『銀河鉄道999』で悪辣な機械化人間たちを見て育ったせいか、いたずらな不老不死は人心を腐敗させ、堕落させるようなネガティブイメージしかないのだが。
 とはいえ、不老不死は無理でもせめて不老長寿は叶えたいと願う気持ちはわからないでもない。私だって若さと食っていけるだけの富が保障されるのであれば、飽きがくるまで生きたい。
 これは人類にとって普遍的な欲望なのだろう。
 そう、欲望。
 問題は、ここなのだ。
 研究者にとって、不老長寿への貢献は崇高な使命かもしれない。
 しかし、不老長寿そのものは崇高でもなんでもない。単なる欲望だ。そして、人は欲に溺れると必ず破滅する。これは普遍的な事実だ。
 ならば、もし、人類がこぞって不老長寿を追い求めたらどうなるのか。
 破滅が待っている、と考えるのは私だけではあるまい。
 人類はすでに持続可能性を問題にしなければならないほど地球を蝕み続けている。その最大の原因は19世紀以降続いている継続的な人口爆発だ。
 私たちは、生まれては死ぬ、というサイクルを繰り返すことで限られた資源を次世代に譲り渡してきた。長寿化はそのサイクルが緩慢になることを示している。では、緩慢になった結果、何が起きるか。
 世代間抗争だ。世界最速で社会の高齢化が進んでいる日本では、すでに勃発している問題である。
 そもそも古来より戦争は資源の奪い合いに端を発してきた。権力闘争とはつまるところより多くの資源を得るためのパワーを巡る闘争である。御褒美のない闘争などするバカはいない。つまり、平和裏に資源が譲り渡されるならば、争いなど起こる余地はないのだ。
 しかし、譲渡のタイミングが遅れると「譲られる」側の苛立ちはどんどん増していく。それが臨界に達すると、破局へのゲートが開かれる。
 もしかしたら、これから先の戦争は国と国ではなく、世代と世代の間で起こるのかもしれない。事実、SNSではすでにその萌芽が見える。杞憂と呼べるほど根拠薄弱な心配ではなさそうだ。
 もちろん、「老化研究」の研究者たちとて、そうしたことを考えていないわけではない。
 シンクレアは著作の一章を割いて、「不老長寿」社会への疑問や不安に答えている。

 そして寿命が長くなった結果として、富める者だけがますます贅沢ぜいたくな暮らしを謳歌し、中流階級が貧困へと転がり始めることのないように、対策も講じなくてはならない。新しい指導者が、公正かつ合法的に古い指導者と入れ替わる仕組みをつくる必要がある。私たちが消費して廃棄するものの量と、世界が耐え得る量のバランスもとる。それも、今だけでなくこれから何世紀にもわたって。(『LIFESPAN』より)

 博士はきちんと起こりうることは認識している。
 その上で、こう言ってしまうのだ。「私たちはもっと人間らしくならねばならない」と。
 もし、寿命延伸による諸問題への解決方法が「もっと人間らしくなる」しかないのであれば。
 シナリオとしては、なかなか絶望的なのではないだろうか。
 私が幼かった頃に教えられていた21世紀は、より進歩する科学と人類の協調によって平和で豊かな社会が約束された時代のはずだった。
 ところが、全然そんなことはなかった。夢の21世紀は本当に夢でしかなかった。
 2024年現在、世界はボロボロである。
 しかもボロボロにしている張本人は20世紀からの生き残りたちだ。もし彼らが退場すれば、世界はもう少しマシになるのかもしれない。
 シンクレアをはじめとする最先端の科学的研究に従事している人々は、当然ながら極めて頭がよい。頭がよい人たちは往々にして人の理性や合理性を信じている。どんな愚か者でも正しく学びさえすれば必ず理解し、身を正す、と。頭のいい人は基本、性善説なのだ。
 しかし、残念ながら人類の大半は不合理で反知性的だ。そして自ら学び選ぼうとする人ばかりではない。易きに流れやすい。私なんか完全にこっちサイドの人間なので、よくわかる。
 もし不老長寿が科学的に実現したところで、その技術を万人の幸せのために分け隔てることなく行き渡らせようと考える人間は僅少だろう。森永チョコボールに入っているという金のエンゼルよりもレアなはずだ(なお、私は金はおろか銀のエンゼルさえ見たことがない)。
 よしんば研究者が善意からその技術を惜しみなく公開したところで、それを搾取手段として利用しようとする有象無象が多数五月蠅さばえなす神のごとく湧いて出てくるだけ。ならばもう、不老長寿の研究なんてやめた方がいいのではないか……と考えて、ふと思った。
 こうした「不老長寿」研究者の書いていることって、どこまで本当なんだろう? と。
 シンクレアの本なんかを読んでいたらもうまもなく誰でも不老長寿を享受できるようになるんじゃないかと錯覚してしまうのだが、最終章は自分たちの研究にもっとお金を出すべき! みたいな主張が出てくる。つまり、もしかしたら本まるまる一冊が自分の研究プレゼンテーションだったのでは疑惑があるのだ(研究者の本はつまるところ全部そうともいえなくはないが)。
 つまり、針小棒大というと失礼かもしれないが、将来展望はある程度誇張しているのかもしれない。そうしたら人類の不老長寿化を懸念する私の心配そのものが取り越し苦労ということになる。
 そこで、私は、彼らの主張にどこまで蓋然性があるのか確かめてみることにした。
 では、どうやって確かめればいいのか。
 ある。手段はある。あるじゃないか! あの人に聞けばいいじゃないか。え、あの人って? それはまた次回!

 

(第26回へつづく)