「体」が終わり、次は「技」。
 ならば問う、「技」とはいかなるぞ。
 答う、其は社会生活を営むスキルと見つけたり。
 重ねて問う、社会生活を営むスキルとは如何いかん
 答う、すなわち読み書きソロバンに家庭技術と保健体育の知識を加えたもの也。
 つまり、「技」とは自立した社会生活をすべらかに営むための知識と実践、と定義した上で話を進めていきたい。
 幸いなことに我が国では何人なんぴとも義務教育において上記諸々を一通り学ぶことができる。ただし、身につくかつかないかは本人次第。私が義務教育を終えたのはもうかれこれ35年も前のことだ。普段使わない部分はすっかり忘れちゃっている……というか脳内に学んだ痕跡すら残っていない。
 よって再び客観的資料に頼ることとする。ただし「読み書き」は省く。なんたって読み書きは我が商売道具である。改めて測定せずともそこそこのレベル以上でできている……はず……たぶん、きっと。
 「ソロバン」は、今の世ではIT技術を指すと考えるべきだろう。パチパチ珠を弾く代わりにキーボードやマウスを操ったり、指先でスワイプ&タップしたりするのだ。
 こいつは学校の科目にはなかったが、社会人になってからがんばって覚えたのでそこそこできている、はずだ。たぶん。
 はず、とか、たぶん、とか曖昧な表現が多いのは、確固たる数値根拠のないまま感覚でものを言っているからである。でもここは開き直ろう。別にいいじゃん、これぐらい。
 とはいえ、心にひっかかるものも多少はあるので、気が変わった時用に客観検証手段を探しておくことにした。
 まずは日本語の読み書き能力。これを測るなら「日本語検定」が好適だ。名前そのまんま、日本語力を試すための検定試験で、対象は日本語を母語とする人。日本語を母語としない人向けの「日本語能力試験」とは別物である。主催は日本語検定委員会というNPO法人だが、文科省後援事業だそうなので一応しっかりした内容と考えてよさそうだ。
 あら、「一応」なんて失礼じゃないの、と思われたかもしれない。だが、こと検定類に関しては、英検や秘書検のような長い歴史と実績で社会に広く受け入れられているもの以外はなかなか実効性を判断しづらい。分野によらず玉石混交気味なので、実施母体をしっかりチェックする必要がある。有名無実の「検定」をでっちあげ、セミナーや教材販売で稼ぐ団体も少なくないのだ。いわゆる検定ビジネスってやつである。
 日本語検定は2007年の開始と比較的新しいものの、受検者は多い。入試や入社試験で参考にされることも増えているので、信用度が高いのだろう。こうしたことから、指標にして可と判断した。
 そんなわけで、ためしに公式サイトに載っている一級の例題を解いてみたところ、結果はパーフェクトだった。えっへん。
 次にソロバン、つまりIT系技能の測定だ。
 21世紀の現在、IT系の技能検定/技術試験は山ほどある。
 もっともスタンダードなのは基本情報技術者試験だろう。だが、これはれっきとした国家資格であり、完全に技術者向け。つまり職能を測るものであって、一般知識とはいえない。よって、もっと生活に近いところ――たとえばスマホやパソコンの利用力を測るものはないかと探したら、あった。
 スマホの方は、Y!mobileが提供する「全国統一スマホデビュー検定」だ。一私企業が提供する無料のネット検定だが、一応東京都や文部科学省の推奨がついている。内容は主にセキュリティ方面の知識を問うもので、簡にして要を得ているようだ。

全国統一スマホデビュー検定
https://www.ymobile.jp/sp/sumaken/

 スマホを使う上でもっとも大事なのがセキュリティに対する意識であることは間違いない。そして、大人になってからスマホを使い始めた世代のほうがかえって知識不足だったりする。大人だから大丈夫、なんて決して言えないのだ。
 この検定はネット環境さえあればいつでも気軽に挑戦できるので、一度挑戦して自分のスマホセキュリティ知識レベルをはかってみてはどうだろうか。
 ちなみに私はほぼ全問正解だった。えっへんえっへん。なぜ「ほぼ」かというと、問題文をよく読まずに、「間違い」を選ぶ設問で「正解」を選んだからである。学校の試験でよくやらかしていたのとまったく同じケアレスミスだ。三つ子の魂すぎる……。
 次にパソコンスキル。こちらも本格的なのから占いレベルのお手軽なのまで、実に種々多様な検定が見つかった。検定ビジネスなんだろうなと感じるものもあった。
 ただ、中身がどうであれ“今の実力”を測るだけなら問題ないだろう。受験しないでも、過去問題集を手に入れて解いてみて自己採点すればいいのだから。目的はあくまで「自分の現在地の確認」だ。
 なお「若い人ならともかく、老いていく一方の人間にITの利用力なんて必要なのかしら?」と疑う向きに、これだけは申し上げておきたい。
 ITを避けて通っていたら、これからどんどん不便や不利が増すだけですよ、と。
 デジタル・デバイド(digital divide)なる言葉を聞いたことはないだろうか。またもやカタカナ語だが、ITを利用できる人とできない人との間で生じる格差のことを意味する。
 例によって言葉の原義を探るとdigitalはもともと「指の/指状の/指で操作する」などを意味する英語だそうだ。ランダムハウス英和大辞典の用例では、digital technique of a pianist「ピアニストの指先のテクニック」、digital socks「指のついたソックス」などが出ていた。指のついたソックスとは足袋たびソックスや五本指ソックスのことだろう。「デジタル」だけだと難しそうだが、足袋ソックスもその一種と思えばなんだか親しみがわくではないか。え? わかない? すみません。
 では足袋ソックスとITにはいかなる関係があるのか。結論から言うと、ほぼない。デジタルという言葉が重なるだけである。
 ならばITにおけるデジタルとはいかなるものか。
 それは「データのあり方」だ。現在、主流の情報機器はすべてのデータをデジタル記号、つまり0と1、言い換えればオンとオフに分解して処理している。あたかも指を折って数えるように。反対語はアナログで、これはデータを連続した波長で表現する方式なのだが、波長とはなにか的な説明をしだすとややこしいので、ひとまずここまで。
 次にデバイドだが、これは「分割する」や「分配する」のほか、「人を空間的に引き裂く」という意味を持つ。
 つまり、デジタル・デバイドとは足袋ソックスが履けるか履けないかで分かたれた世界、ではなく、情報テクノロジーの利用能力差によって人々の生活レベルが引き裂かれる状態を示している。そして、今現在これはもう日常的に発生し、日々拡大している。
 たとえばテレビ。最近は「詳細は公式サイトでご確認ください」などと平気でアナウンスをする。視聴者がデジタル端末を使ってインターネットに接続できることを前提にした番組づくりだ。情報提供のやり方としては極めて不親切と言わざるをえない。インターネットへの接続環境がない人は置き去りになるからだ。20年前にはあり得なかった。けれども、今は当たり前になっているし、クレームを入れたところで無視されるだけだろう。
 民間だけでない。国もあらゆる情報をデジタル化しようとしている。マイナンバーカードはその代表例だ。あのカードは健康保険証と違い、カードに文字で記載されている以上のデータがICチップに格納されているし、ネット経由でさらに多種多様なデータと接続するようになっている。それらのデータは、スマホやパソコンがあれば随時利用できる。だが、なければたんなるプラカードだ。写真入りなら運転免許証と同じ身分証明書ぐらいにはなろうが、写真なしでは靴べらにもならない。
 つまり、ITを敬遠すればするほど不便かつ不利な立場に捨て置かれるよう、国をあげて推進しているのである。健康保険証のようになんの問題もない制度を廃止してまで、IT化しようとしている。それならIT端末とネット回線も無料配布しろよと思うのだが、そこは自己責任らしい。代用手段は用意されているが、大変不便な代物で、むしろデジタル・デバイドを悪用しているように私には思える。
 つまり、自己のIT化は「日本国民に課せられた義務」になりつつあるのだ。今後は「年寄りだからITは苦手」なんて言ったところで「甘え」として切り捨てられるだけだろう。年齢が言い訳にならないわけだ。
 特に現在の60歳以下は、仕事でデジタル機器を利用するのが当たり前になっている世代だ。オフィスワーカーはいわずもがな、最近では第一次産業から第三次産業まで等しくIT化されつつある。避けて通れなくなっているのだ。
 私自身はIT化そのものに対してはなんの抵抗感もない。むしろ、IT/デジタル化する未来を夢見ていた方だ。
 子供の頃はもっぱらドラマやアニメなんかでかっこよくコンピューターを操っている人を見て憧れていた。
 砂の嵐に囲まれたバビルの塔がコンピューターに護られているのってカッケーーーッッと思っていたし、エンタープライズ号のコックピットでオペレーターがキーボードをカチャカチャする姿には猛烈にあこがれたものだった。「攻殻機動隊」のオペレーターレベルになるとちょっと気持ち悪いのだが。そういえば「SF西遊記スタージンガー」のサー・ジョーゴが使っていた電卓サイズの何かって、今のスマホみたいなものですよね。あの時代にスマホの到来を予言していたなんてすごすぎる。
 あ、なんのことかわからない方、わからなくてもミリも問題ないので捨て置いてください。
 とにかく、そういう育ちだったせいか、就職してパソコン操作が必須になった時も抵抗感なく、むしろ進んで習得したものだった。
 今の時点で70代や80代のお年寄りが「コンピューターなんてちょっと触ったら爆発する危険物」ぐらいに感じてもおかしくはない。なにせ身近になかったのだから。だが、少なくとも団塊Jr以降は「年寄りだから」は言い訳として通用しなくなるだろう。
 また、少し前までは社会のデジタル化への抵抗はある種の主張になりえた。だが、今後は単なる時代錯誤あるいは努力不足としかみなされないだろう。
 やりづらい世の中である。だが、人類の歴史は変化の歴史だ。昔は何世代もかけて馴染んでいった社会の変化が、今は一人の一生の中で何度も起こる。人間が常に時代の子である限り、これはもう抗いようがない。
 デジタルを拒否し、不便不利に甘んずるか。
 デジタルを受け入れ、利便性を享受するか。
 正解も誤りもない、単純なる選択の問題だ。納得ずくなら後者を選んでもよいと思う。
 だが、私自身は新しい技術についていけるところまでついていきたい。生まれついての新奇珍奇好きとして、変化をおもしろがっていたい。
 そして立派な「コンピューターおばあちゃん」になっていきたいのだ。
 最後まで人生に退屈しないために。

 

(第10回へつづく)