前回までで心技体チェックは完了した。
 総体としては悪くなかったし、長年の疑惑が晴れてスッキリするというおまけまでついてきた。
 大変よろしい。
 さて、次は後半生=心身の下降線人生に入っていくにあたり、心技体および生活環境をどのように維持管理していくか、がテーマになる。
 そのためにはまず、老後の生活をシミュレーションしていかなければならないわけだが、これがなかなか難しい。
 だって、未来の可能性は無限大ですもの!
 良くも悪くも。
 現実的には「悪く」に流れる方が高確率なのだが、かといって人間希望を失ってはいけない。あまりに現実的に考えすぎて夢も希望も失うのは精神衛生上よろしくない。
 かのキング牧師だって「私たちは有限の失望は受け入れなければならない。しかし無限の希望を失ってはならない」とおっしゃった。
 そんなわけで、私の老後の希望って何かな~とぼんやり考えてみたところ、ふと思い出したのが、随分昔に外国のドキュメンタリー番組かなにかで見た老女のことだった。
 彼女は白人女性で、たしか八十歳近い年齢だったはず。先立った夫が遺した膨大な遺産のほとんどを現金化し、余生を豪華客船上で送っていた。
 部屋は最高級スイートでこそなかったものの、一等船室の中でもかなりグレードの高い部屋だったように記憶している。そこにずーっと住んでいられるのだから、相当な資産家なのだろう。
 世界一周クルーズに何度も何度も途切れなく乗って、寄港地に着いても上陸することは稀。どの船員よりも──下手をすれば船長よりも乗船期間が長かった。完全なる名物おばあちゃんである。
 彼女はこう言っていた。
「船のお客さんとスタッフが、私の家族なの」と。
 食事は食べたい時に好きなものを食べ、退屈すれば四六時中開催されているイベントに参加し、運動不足と思えばジムに行き、華やかな気分に浸りたければダンスルームで殿方と社交ダンスに興じる。疲れたらデッキでも自室でも好きな場所で昼寝すればいい。
 名物おばあちゃんなので、船中どこに行っても人気の的。航海中に何度かは船長とのディナーに招待され、豪華な美食を楽しみながら世界中のセレブリティと交流する。
 こんな冗談みたいな生活を送っている人が、この世に本当に存在したのだ。
 はあ、なんてうらやましい……。一体どれだけ徳を積めば、こんな老後を送ることができるのだろう。これが単なるホテル暮らしなら、さほどうらやましくもない。「豪華客船」だからいいのだ。旅が大好き、なんなら一生旅の中で暮らしてもいい私にとって「朝起きたら違う土地」が毎日繰り返される日常はもう憧れのさらに上、気持ちを表現するにふさわしい日本語が見つけられないほどうらやましい。
 しかも、この生活にはもうひとつ大きなメリットがある。
 私がもっとも恐れる「死後、長時間発見されないまま腐ってしまう」状況、つまり孤立死を避けることができるのだ。だって、一日一度は必ずハウスキーパーが部屋に入ってくるんだから、どれだけ長くとも24時間以上死体が見つからないなんてことはない。さらにさらに、葬儀だって、法律やら手続きやらを諸々クリアしておけば水葬してもらえるかもしれない。これで墓の問題すら解決だ。
 もう最高ではないか。
 想像すればするほどうっとりする。

 ……レースのカーテン越しに差し込む太陽の光で目を覚ました。
 もう朝のようだ。昨夜は深夜までナイトクラブでカクテルを楽しんでいたので少し寝不足だが、目覚めは悪くない。
 身支度をしたらルームサービスに連絡し、コンチネンタル形式のブレックファーストを運んでもらう。船室のバルコニーから太平洋の紺碧を眺めながら食べる朝食は今日も美味だ。パンはもちろん焼き立て、添えられたシシリー産のレモンマーマレードとフランス産高級バターがおいしさをさらに引き立ててくれる。温かいミルクティーの茶葉はルフナ。普通はアッサムだが、一度ルフナが一番好きと伝えたら、以降は何も言わずとも出してくれるようになった。
 ひと口飲み、いつもの香りを楽しんだ後、トレイに添えられている「本日の予定表」を取り上げた。ざっと目を通したところ、10時から最上階のデッキでヨガのクラスが予定されているらしい。
 今日の午前中はジムで軽く汗を流すつもりだったけれど、こちらに変更しようかしら。だって、今回乗船したヨガ講師はとても親切で気持ちいい人なんだもの。
 ヨガが終わったらランチはビュッフェで簡単に済ませて、その後はシアターで映画を観ましょう。今日から一週間は東欧映画特集ですって。イルディコー・エニェディ監督の作品もラインナップされてる。この船会社のカルチャー担当スタッフは本当にセンスがいい。
 あ、そうそう、映画の前にはモールに行って、ハウスキーパーのチョーイさんへのお誕生日プレゼントを買わなければ。いつもよくしてくれているから、一年に一度ぐらいきちんとしたものを差し上げないと。……あら、スマホに船長からのメッセージが入っているわ。ふむ、夕食のお誘いね。おやおや、今回初乗船の日本人の方がいるのね。紹介してくれるみたい。じゃあ久しぶりにお着物でも着ましょう。今はハワイ航路だから夏着物がいいわね。ドレスコードはスマートカジュアル、ということはごく気楽な会食。だったら、宮古上布と紅型の名古屋帯がぴったりだわ。
 その後は……まあ、今夜は流星群が見られるのね。でも極大は夜というより明け方だわ。じゃあ少し早めに寝て、夜明け前に起きることにしましょう。昨夜図書室から借りてきたダヴィッド・ディオプの新作は明日読めばいいわね。
 やれやれ、今日も忙しくなりそう。
 
 な~んてね。ほんと、こんな老後過ごしたいよなあ。無理なのはわかってるけど、夢想するだけならタダだもんな~など思いつつ、2メートルぐらい先の中空を見ながらボーっと白昼夢にふけっていたら、脳内で何やら話しかけてくるものがいた。
 モンガ内現実派最右翼のゲオコ氏である。
「しょーもない想像をお楽しみのところ申し訳ありませんが、そんな豪華な暮らしは言わずもがな、あなたが老人になった頃には今と同程度の暮らしをするだけでも難しいのだというのは理解しています? 大丈夫ですか?」
 せっかくのいい気分に水をさされてムッとしながら「わかってらい」とだけ答える私。だがゲオコ氏は退散しない。それどころかなにやら資料の束を取り出してきた。
「よろしゅうございますか? そもそも今後の日本は国力の衰退が既定路線で……」となにやら長広舌が始まった。どうやら、以下のようなことを言いたいらしい。

 将来、日本はいくつかの画期を迎える。
 最初が2025年。つまり再来年だが、この年を境に依然として最大の人口ボリュームゾーンを形成している団塊世代が全員75歳以上の後期高齢者になる。これにより、後期高齢者の人数は2200万人に膨れ上がる。
 さらに2040年には、団塊ジュニア世代のワタシタチが65歳から70歳に達する。この時点で、65歳以上の高齢者人口がピークになると見られている。実に人口の35パーセント、なんと3人に1人は高齢者という未曾有の高齢化社会になるのだ。
 さらに2054年には団塊ジュニアが全員後期高齢者になる。この頃になるとさすがに団塊世代はかなり数を減らしているが、それでも75歳以上は2500万人になると予測されている。人口の4分の1が“後期”高齢者なのだ。
 現状、日本人の健康寿命は女性が76歳、男性が73歳だ。健康寿命は「心身ともに自立し、健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」と定義されているので、もし健康寿命が延びないままだとしたら、2500万人のうちの少なくない人たちが寿命を迎えるその日までを「健康上の問題で日常生活が制限される」老人として過ごすことになる。もちろん、全員が全員寝たきりになるわけではないし、病院や施設に入らなければならないほど衰えるわけではない。けれども、なんらかの医療や介護が必要なのは間違いない。必然的に医療費や介護費がかさむことになる。その費用を賄うために就労したくとも、お手伝い程度ならともかく、フルタイム勤務は難しいだろう。
 しかし、「健康上の問題で日常生活が制限される」老人になっても、現在のような手厚い医療制度が続く前提なら百歳まで生きる可能性は十分にある。2050年には百歳以上が50万人を超えると試算されている。けれども、百歳を過ぎて矍鑠としている人は極めて稀だろう。白いカラスの方がまだ見つけやすそうだ。何にせよ「稼ぐことはできない状態で生活する」期間が想像以上に長くなるはずだ。
 一方、生産人口と呼ばれる現役世代は2040年で5978 万人、2054年には4700万人程度になると予測されている。
 つまり、私たち団塊ジュニアが「支えが必要な老人集団」になった時、支え手は一人につき二人もいない状況になっている。
 さらに、生産人口が減る以上は生産力も衰える。日本は労働集約型産業──事業活動の主要な部分を人間の労働力に頼る産業が主力なので、働き手がいなかったら自然と衰退していくしかない。
 よしんば知識集約型産業や資本集約型産業にうまく転換できたとしても、最終的には人間がやらなければならない仕事は残る。それらの仕事の多くは下流工程と呼ばれるものだ。よって、往々にして賃金が安い。キャリア形成に向かない職であることも多い。であるからには、老い先短い人がこれらの職に就くことが期待されるだろう。現役時代と同じ職種で働く、なんてことは期待してはならないのだ。
 また、現役世代の縮小はそのまま市場の縮小でもある。内需に期待できなくなれば外需に頼るしかないが、外需を喚起できる製品やサービスを今後も提供できるかは未知数だ。
 どれだけ構造改革をしたところで、人口減少はシンプルに国力の衰退につながるのである。
 さて、私は前著『死に方がわからない』を書いた時に、本川達雄氏の著作『人間にとって寿命とはなにか』を読んで、現代人の長生きは技術とエネルギーをお金で買うことで実現している、という事実を知った。
 日本という国は、(今のところ)技術はあるがエネルギーには乏しい。多くを輸入に頼っている。けれど、今後国力が衰退したらどうなるか。多国間競争で買い負けするようになり、必要量を購入できなくなっていく。というか、今現在すでにそうなりつつある。経済紙のバックナンバーを「買い負け」をキーワードにして検索すると、エネルギーや工業製品から食料品や医薬品に至るまで、ありとあらゆる分野の記事が出てくる。物不足……正確には「これまでと同じ生活をしたいならこれまでにない高コストを払う必要がある」状況はもう始まっているのだ。
 これはつまり、私が高齢者となる2036年の日本で、私が──いや、ここは主語を大きくしてもいいだろう──日本人庶民の多くが今と同じレベルの生活を維持できる保証はどこにもないことを意味している。
 さきほどの夢のような話は最初から箸にも棒にもかからないが、今の通り暮らせると思っているならそれはそれで甘すぎる。
 自分だけでなく、国自体も老いていくのが、私たちの“老後”なのだ。それを自覚した上で、老後計画を立てられたい。

 以上がゲオコ氏の主張である。
 ……ああ、うざい。
 はいはい、そんなことは重々わかっています。おっしゃる通り、その通りです。私は衰退国で老衰していかなきゃいけないんです。
 でも、だからって、個人にできる対策なんてたかが知れているじゃないか。
 私にできることといえば、せいぜい寿命ギリギリまで健康でいて、死ぬ寸前まで働き続け、病気になったら長患いせずにとっとと逝くことぐらいだ。
 ふてくされる私を見て、ゲオコは鼻で笑い、見下すようにこう命じた。
「開き直っている暇があれば、今、国がどんな政策を取ろうとしているのか調べたらどうです?」
 はあ? 国ぃい? 国になんかするつもり、あるんですかねえぇぇえ? とハナホジ気分になりつつ、しかしゲオコの言い分には一理ある。一国民として、たしかにそこは押さえておきたいポイントだ。あんな偉そうなやつの言うことを聞くのは癪に触るが、ここはひとつ従うことにしよう。心に堪忍ある時は事を調ととのう、だ。
 老人問題なら厚生労働省の管轄だろう。でも、経済対策なら経済産業省?
 縦割り行政わかんねえなあなどと思いつつ、それぞれの公式サイトを検索してみた。
 すると、ドンピシャの情報が見つかったのだ。
 どんな情報だったかって? それは次回のお楽しみ。

 

(第15回へつづく)