前回までの調査で、老後の心配事のうちで大きな割合を占めていた住居問題は「予断は許さないが、希望はある」という結論に達した。
予め心づもりさえしておけば完全に路頭に迷う心配はなさそうだ。
では、しておくべき心づもりとはなんだろうか。
色々考えた末、まずは「手放せるもの」と「手放せないもの」の選別がスタートだと判断した。
後半人生とは「死」への道程、かっちょよく表現するなら「無」への回帰である。魂の有無のような話はちょっと脇に置いて、人間を社会的/肉体的存在とすると、死は生前のすべてを一気に消し去る暴力だ。百歩譲って死後の世界があったところで、そこに持参できる現世の物理的物品や現世的名誉は何一つない(「地獄の沙汰も金次第」なんてことはない……よね?)
そう考えると、生活のダウンサイジングは後半生の必須作業、なのだろう。ソフトランディングさせたければ、少しずつ準備はしておくべきなのだ。
私の場合、もっともダウンサイジングが必要なのは蔵書である。家財道具の半分は本棚が占めている。こいつらさえいなければ1DK+収納があればなんとかなる程度の物量だ。よって、本丸ははっきりと見えているわけだがそうそう簡単に手放すわけにもいかぬ。なぜなら本は商売道具。なくてはならぬものである。物書きとしてはまだバリバリの現役であり、しかも現役生活を今後少なくとも15年は続けていかないと老後はおぼつかない。
ということは、ダウンサイジングを目指しつつも、実際には思うようにいかない、という膠着状態に陥ること必定なわけである。
はあ、なんともめんどくさい。
もうめんどくさいことはすべて擲ってしまいたい。
そして、隠れ里みたいなところで暮らすのだ。そう、こんな風に。
最寄り駅からバスで1時間、それも日に3便しかないときているような土地だ。
過疎地、限界集落、辺境……呼称はいろいろあるだろうが、とにかく人は少ない。隣家は道に沿って西に600メートルいくと一軒、東に1キロメートルいくと三軒ほどある。前と後ろは幾重にも重なる山々があるばかりだ。一番近い商店は5キロ先なので、買い物は週に一度回ってくる移動販売と通販が頼りである。
学校や工場なども数キロ四方になく、時折思い出したように家の前を通る自動車の排気音のほかは自然が奏でる物音が聞こえてくるだけ。そんな場所だ。
住み始めた頃は、都会とは何もかも違う環境に戸惑い、ひと月ほど軽い適応障害のような状態になった。けれども、住めば都とはよく言ったもので、慣れてしまえば実に快適だ。
我が家は古民家、といえば聞こえはよかろうが、実際には長らく住む人もいなかった平屋のオンボロ住宅である。台所以外は三間しかないけれども縁側があり、建屋を囲む庭があり、納屋があり、井戸がある。そして何より自由な時間と空間がある。風呂に入りながら放歌しても、夜中に大音量で音楽を流しても、誰はばかることない。
だが、そんなのよりもっと素晴らしいのは、本物の花鳥風月があることだ。
庭をぐるりと囲む透垣の内側には、梅や柿などいかにも田舎の農家にふさわしい果樹が並ぶ。花や実をつける老木は野の鳥たちを呼び、お天道さまが顔を見せている間は喧しいことこの上ない。初夏が近づけば納屋の軒先に燕が巣をかけ、雛たちの大合唱まで加わる。空が茜色になりはじめると鴉どもが大騒ぎしながら家路を急ぎ、燕に変わって蝙蝠たちが我が物顔で飛び回る。夏になればそこに虫たちの狂騒が加わる。
しかし、中秋の月を仰ぐ頃にはそれも少しずつ静まってゆき、冬が立てば無音の日も多くなる。真冬には雪が降る。豪雪地帯ではないが、それでも数センチほど積もるのは珍しくない。そうなれば窓外は水墨画だ。しんしんと張り詰めた空気を胸に吸い込みながら、賑やかな季節の訪れに思いを馳せる。
訪れる者はほとんどないが、なに、寂しいことなどない。
日中は近くに借りた小さな畑で野良仕事をするのに忙しい。一週間に一、二度は農の師である隣家の良子おばあちゃんに教えを乞いに行くが、だいたいそこで2時間や3時間は話し込む。そうしていると他の人たちがやって来て、はっと気づけば日が傾きはじめた、なんてこともしばしばだ。
それに、パソコンの前に座れば地球の裏側に住む友とでも話せるし、SNSで顔も知らない人たちと交流することもできる。音楽や映画はサブスクで最新の作品に触れられるし、本や雑誌だって電子書籍ならいつでも買うことができる。
別に天地の人間に非ざる有り
李太白ほどの脱俗ではないが、心閑かで豊かな暮らしが、ここにはある。
……ってな具合にいきたいっすねえ、いーっすねえ、なんてね、とか思うんですケド。
実際、リタイア後、つまり老後の田舎暮らしは人気らしい。都会の人が田舎に第二の故郷を求める、みたいなテレビ番組や本はごまんとある。なんなら専門雑誌さえ発行されている。何度再生産しても需要が切れないキラーコンテンツであるわけだ。
まあ、あこがれる気持ちはわからないでもない。
私は今住んでいる横須賀が生涯でもっとも小さな街、というレベルの都会っ子として生きてきたわけだが(上記夢物語のうち、適応障害云々の部分は我が身に起こった実話である)、たまに山村や海辺の小さな町に旅行したりすると「ああ、もうここに住みたい」と謎の衝動が起きる。
インターネットと物流が整った現在、都市部とそれ以外の差は昭和や平成前期に比べれば格段に縮まった。今や、最先端にはどこにいたって触れられる。青年期ならともかく、十分経験を積み重ねてきた今現在となっては、特段都会の刺激を求めようと思わない。むしろ、田舎での暮らしの方が“未知”であるがゆえに刺激的に感じられるのだ。
だがしかし、である。
「ぼんやりとした憧れ」がいかに危険なものであるか、中高年となった我々はもう知っているではないか。アクティブに、アグレッシブに生きてきた人ほど、ぼやっとした幻影に潜む恐るべき陥穽に一度や二度は足を取られてきたはずだ。
罠にかかった中高年。これは想像するだに恐ろしい。
「人生はいつだってやり直せる」
それは嘘ではなかろう。だが、人生資源の収支が赤字優勢になる後半生では、やり直しもどんどん重労働になっていく。
人生資源ってなに? ですって?
いや、今なんとなく思いついた言葉なんですけど、人生を構築するための建材──人、モノ、金、健康、やる気元気いわきみたいなのをまとめたものと思っていただければよろしいかと。
死ぬまで波乱万丈を選ぶのであればそれはそれでかっこいいし、傍から応援する分にはまったく異存ないが、自分自身の余生はというと陽だまりの猫のように生きたい。よって、あんまりリスクは取りたくないのだ。
そんなわけなので、もし絵に描いたようなプチ仙人暮らしを志向するのであれば、まずやらなければならないのはリスク評価である。ならば、理想と現実の落差を明確にするのが常套手段であろう。
そこで、まずは「理想」の方を、キラキラ田舎暮らしを特集する雑誌やテレビ番組で確認してみた。
なるほど、どいつもこいつもすばらしい生活である。
さきほどの夢物語が現実、そんな人たちもいるわけだ。
いや、それ以上だ。さっきのは、ボロ屋にそのまま住んでいるイメージだったが、キラキラ田舎暮らしでのお家は8割方小洒落たリフォームをしている。築百年の農家が和洋折衷のモダンなコテージになったり、元別荘のログハウスが設備はしっかり21世紀仕様になっていたり。
そして、住んでいる人たちも、社会的成功を収め、十分な人生資源を備えた上で田舎暮らしに入っている。つまり、私のように「年取ったら住むとこあるかどうかすらわからへんわ~」レベルの人間など、ハナからお呼びでない。植木等が5秒に1度は出てくるレベルでお呼びでないのである。
なるほど、こういう人たちなら都会生活を手放しても、充実した生活を手に入れることができるのだろう。
……と、短絡したくなったのだが。
実は「こういう人たち」でさえ逃れられない問題が、「夢の田舎暮らし」にはあったのだ。
それはなにか。
田舎のめんどくさい人間関係?
確かにそれが原因で田舎暮らしに失敗し、都会にUターンしてくるケースはよく聞く。しかし、そこは移住者であることを自覚して、郷に入れば郷に従えをモットーに暮らせばなんとかなるだろう。頻出事例を見る限り、失敗している人の多くは新しい土地で自分流を押し通そうとした結果、夢破れている。裏を返すと柔軟に対応すれば努力次第で解決しうるともいえる。
だが、ここで注目したい問題とは個人の裁量云々の話ではない。
もっと根本的なところ。社会インフラの話だ。
さきほど、「インターネットと物流が整った現在、都市部とそれ以外の差は昭和や平成前期に比べれば格段に縮まった。」と書いた。だが、実は、今急速に都市部と地方で差が広がる領域がある。
医療と介護だ。
老後の生活に欠くことのできないこの分野に、驚くほどの格差があるのだ。そして、この格差は、老人の居住場所を限定する要因になりつつある。
次回から、その薄ら寒い現実を見ていきたい。