ワタクシは、大いに困っていた。
 いや、現在進行形で困っている。
 つい3~4年ほど前まで、私は“死に方”がわからなくて困っていた。
 五十路を目前にして“一人っ子配偶者なし子なし”の我が身を振り返った時、「あれ? もしかして今いきなりぽっくり逝ったら、後始末が大変なことになるんじゃね?」と気づいたのだ。
 ここで自己紹介しておこう。
 私、門賀美央子は前述した通り完全無欠の独り者として渡世する昭和46年、西暦にして1971年生まれの女性である。職業はいわゆるフリーライターってやつだ。最近では文筆家と名乗ることも多いが、やっていることは変わらない。ライター業は昭和前期まで売文業と呼ばれていた。個人的にはこっちの方が我が職を端的に表わしていると思う。また、フリーランスの訳語は自由業だが、どうも今一つわかったようなわからないような言葉なので、職業欄の選択肢として強制されない限りあまり使用しない。
 なんにせよ、世間のスタンダードが「会社員、既婚、子供あり」だとしたらどれ一つかすっていない、なかなか堂に入った少数派である。おかげで我が人生/我がライフスタイルにはなかなか「世間の常識」が当てはまらない。死に方も然り。世の中の制度は基本「ケアしてくれる誰か」がいることを前提に設計されているので、私には使えないものばっかりだったのだ。
 そこで一念発起し、死にまつわる古今の名著を読んだり、世の実情を調べたり、死に関わる職業の方々にお話を聞くなどして「いつ死んでも安心」な体制を整えようと決心した。そして、その過程を「死に方がわからない」と題したエッセイに綴り、双葉社のWEB文芸サイト「カラフル」(つまりここ)で連載することになった。
 書いていたのはぼやき漫談のような駄文だったが、うだうだと発表しているうちにそれなりに目鼻がついてきた。途中でコロナ禍に突入、世界が恐慌と混乱の坩堝になったのを後目に、私自身の不安は解消していったのである。
 しかも、だ。エッセイは一冊にまとめられ、2022年9月に出版の運びとなった。大変うれしいことではあったが、小心者であるゆえに発売日から数日は返本の山という幻視に苦しめられ、ハラハラドキドキ心臓だけが大騒ぎしていた。しかし、幸いなことに想像以上の多くの方々に「これおもろいな」と思っていただけたようだ。おかげさまで版を重ね、師走に入った頃には四刷までたどり着くことができた。なんとありがたいことか。拙著の可能性を信じてくれた編集者Hさんにも御恩返しができた。
 私にとってはまさにシンデレラ級の大団円である。「そして私は死ぬまで幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし」でエンドマーク、のはずだったのに。
 まだ、困っているのだ。
 今度は何に困っているというのか。
 それはずばり「老い方」である。
 どうすりゃ上手に年を取っていけるかがわからなくて困っているんである。
 「は? 年なんか勝手に取っていくでしょ? 何を困ることがあるわけ?」
 嗚呼、世間様の呆れ顔が目に浮かぶ。ホラー小説『リング』に登場する「呪いのビデオ」の描写のように、口々に罵っては嘲笑う群衆の顔が脳内をポップアップしては消えてゆく。(マニアックなたとえで恐縮です。でも、このシーン、ホラー小説史上きっての名場面なので、未読の向きはこの機会にぜひ読んでみてください。むっちゃ怖いです)。
 まあ無理もない。普通の感覚なら「老い方がわからない」なんて確かに取り越し苦労でしかない。それに、ほんの少し昔――たとえば昭和40年代ぐらいなら、そんな感覚でいても特に問題なかっただろう。
 当時の平均寿命は70歳前後。平均はあくまで平均なので最頻値とは異なるが、最近の傾向から類推すると+5歳ぐらいが「もっとも多くの人が死ぬ年齢」のようなので、まあだいたい75歳ぐらいまでに亡くなる人が多かったと思われる。75歳なんて今なら「まだお若いのに」と惜しまれる年齢だ。半世紀でずいぶんと様変わりしたものだ。
 では、人生75年時代の「老後」はどうだっただろう。
 定年が55歳としたら、余生はおよそ20年。年金は厚生年金なら男性60歳、女性55歳からもらえた(国民年金は65歳からで今と同じ)。なぜ男女差があるかというと、当時は女性の定年を男性より若くしていた企業が少なからずあったからだ。なんと30代の定年制まであったそうだ。退職金の額にも大差あった。男女差別が制度化されていたのだ。
 男性の場合、定年後5年は受給まで間があったが、退職金制度が今よりしっかりしていたので5年ぐらいは十分持ちこたえられた。なにせ退職金で家を建てた時代である。なんちゅうか、素直にうらやましい。
 また、男性は職業安定所(現在のハローワーク)で職の斡旋を受けることができた。就職活動中は失業手当が出るのでいきなり収入0にはならない。ちなみに女性にも名目上門戸は開かれていたが、実際には蚊帳の外だったそうだ。ほとんどの女性は自力で仕事を探すしかなかったという。そして、現役時代の給料が安いせいで年金の額も男性より低かった。
 一方、退職まで普通に勤め人をしていた男性は暮らすに困らない額があった。さらに、70年代なら軍人恩給や戦争遺族年金を受給していた人もいただろう。また、核家族化が進行中とはいえ、まだまだサザエさん型ファミリーが多かった。もちろん個々の事情はあろうが、社会全体としては、、、、、、、、老いの環境に不安を感じる要素は今より少なかったと思しい。
 だが、21世紀ニッポンは違う。まったく違う。団塊ジュニアにして就職氷河期先鋒グループ所属の私にとって、老後は不安の塊でしかない。だって21世紀ニッポンにおける老いを巡る状況なんて、マイナス要素しかないんですもの。少子化と高齢化が、日本社会を完膚なきまでに変えてしまったんだから。
 20世紀ニッポンを振り返ってみると、大正生まれだった祖父母は日本史上はじめて人生8090時代に突入した世代、団塊の世代である父母は場合によって何十年も親の介護をしなければならなくなった最初の世代、といえる。
 では、私たちの世代はどうか。
 これはもうはっきりしている。
 介護保険サービスがジリ貧一方の環境下、親世代同様に長期間にわたる介護を覚悟しなければならない、けれども自分たちを介護してくれる層がほとんどいない、場合によってはゼロになるのも覚悟しておかなければならない初めての世代、なのだ。
 個々の家族構成はさておき、社会構造の基礎たる人口ピラミッドを見れば日本社会が“21世紀老人”を支えられなくなるのは一目瞭然である。
 下は総務省統計局が2021年度に作成発表した、現時点では最新の人口ピラミッド図だ。

 

*総務省統計局公表データ(https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2021np/index.html

 

 この形、チャイナ帽をかぶった人の横顔が左右対称で並んでいるようにも、ソフトクリームのようにも見える。擬宝珠って答えもありかもしれない。ま、心理テストではないので何に見えたところでどうということはないのだが、データとして見ると浮き上がる現実はひとつしかない。
 私世代、つまり第二次ベビーブーム生まれの下は人口尻すぼみ。出産可能な年齢層に人口のボリュームゾーンがない以上、もはや回復の見込みなし。今、高齢者と呼ばれる人たちはなんとか私たち世代で支えられるが、私たち自身はもう誰からもケアしてもらえないのである。
 そして、一番の問題は、こんな歪な人口ピラミッドを経験した民族は、歴史上未だかつてない、という点だ。経験がない以上、先人の知恵に頼ることはできない。つまり、自分たちで試行錯誤しながら対策を考えるしかないのだ。
 さらに、さらにおっそろしいのは、この問題が当事者世代以外誰もかれも完全に他人事である、という点だ。だって、この問題で困るのは私らだけなのだから。上世代は「わしらはお前らが支えろ。お前らを誰が支えるかは知らん」だし、下世代は「お前らを支えるだけの人口を生み出せなかったのはお前らなんだから、自分たちでなんとかしろ」だろう。
 後続がいない以上、我々がどれほど良案を編み出しても世間的には「一過性のパッチ当て」としか認識されない。試行錯誤の苦しみは忘れ去られ、後世にインパクトを遺すこともないだろう。あるいは中国のように、今後未曾有のアンバランス高齢化社会を迎える国だけがチラ見程度に参照するかもしれないが、お国事情も色々と違うし、そうそう役に立つまい。
 つまり、団塊ジュニアは 老後対策 of the 我々, by the 我々, for the 我々をやっておかなければならず、やらなければ暗黒の未来へまっしぐら、なのだ。
 人生百年時代なんて言葉があるが、それは誰もが百年間幸福に生きられる時代、という意味ではない。命ばかり百年永らえるが人並みの生活ができるかは保証されない時代、である。
 国家による「手厚い老後政策」は、おそらく団塊世代で打ち止めになるだろう。衰退の一途をたどる国家・日本は、たぶん“法の下の平等”なる建前はもう捨てたいのだ。近頃の社会福祉政策を見ていると、平均寿命なんかこれ以上延びてほしくないって本音がにじみ出ている、気がする。特に、十分な蓄えがないのに国民年金しか老後の糧がない私のような人間や、無年金の人間なんて、とっとと死んで欲しいに違いない。なんなら年金を受け取る年代になる前にぽっくり逝ってくれないですかね? と思っているのかも。
 繰下げ受給の上限を現在の70歳から75歳まで5年間延長する政策も「65歳以降も働く人が増えている現状を鑑みて、受給時期を遅らせることで受給額を増やせるようにする」ためだそうだが、私には「75歳までの間にひとりでも多く死んでくんねえかな?」とつぶやくのが聞こえる。
 デフレを理由に下がり続けた受給額は、2023年度にはようやく67歳までが2.1パーセント、68歳からは1.8パーセントあがる見通しなのだそうだが、物価上昇率やらその他諸々の伸びがそれを上回るため、実質目減りとする概算が出ている。
 介護保険サービスもどんどん低下している。サービスが低下すると、働き盛りが介護に手を取られ、フルタイムの仕事はできなくなる局面が増えるだろう。また、最近聞くようになったヤングケアラー、つまり学齢期の子供が家族の介護要員にならざるをえない状況も増加するに違いない。
 どちらのパターンも経済にはマイナス要因だし、介護者の生涯設計が立ちゆかなくなると貧困が増え、ひいては国家負担が増えるだけだと思うが、そんな先のことはもうどうでもいい、って気分にお役人たちはなっているのかもしれない。それとも負担する気なんかハナからないのかもしれない。
 いずれにせよ、このままでは立ちゆかなくなるのは目に見えている。そうした社会で老いていかなくてはならない私が、私のために、、、、、できることは一に自衛、二に自衛である(社会のためにできることは他にもあろうが)。でも、どうやって自衛すればいいというのか。
 今のところ、さっぱりわからないのだ。
 だから、困っている。
 私は昨年五十路に入った。老いのとば口に立ったのだ。
 自慢じゃないが、ここまでの半世紀は計画性もなく成り行き任せの人生だった。それはそれで楽しくって、結構満足している。しかし、いくらこれまでがよくても先行きが悲惨なら目も当てられない。どうせなら最後まで「満足人生」にしたいではないか。
 そんなわけで、新たに老い方探しの旅に出ることにした。今回はどんなジャーニーになることやら。やれやれ、である。

 

(第2回へつづく)