十五 足利尊氏
観応二年(西暦一三五一)六月──
夕陽の赤い光が、屋敷の中に差し込んでいる。
黄絹の褥の上に胡坐し、足利尊氏は衝立に描かれた飛龍をじっと見つめていた。
墨で描かれた龍の瞳は、はるか雲の下の虎を見下ろしている。
龍を墜とすためには、いかにするべきか。込み上げてきた苛立ちのままに目をかきむしると、視界がうっすらと赤く滲んだ。
「もう、おらぬのだったな」
そう呟き、尊氏はゆっくりと身体を後ろに倒した。藺草の匂いがわずかに強くなる。
師直を呼べ。
この五カ月ほど、幾度となく口にしかけた言葉を呑み込み、尊氏は静かに目を閉じた。
遠く耳を澄ませば、屋敷の外に広がる京の喧騒が聞こえてくるような気がする。民が右往左往して、その日を生きようと汗を垂らしているのだ。
武士の王となり、天下を鎮めねばならぬ。
若き日、下野国の野で、直義と高師直と三人で誓い合った時の景色は、今も覚えている。狩った兎を焚火で炙り、塩を振って食った。脂で口元を輝かせた直義と師直の笑みを失いたくはない。なにも、直義や師直だけではない。足利家に仕える郎党たちやその家人、足利の庇護の下で暮らす民の笑みを守りたいと、そう願った。
兄の死によって、二十六歳で足利家の当主となった。清和源氏の血を濃く継ぎ、源実朝以来、源氏の血が途絶えていた鎌倉の幕府の中では、北条家に次いで武士たちから仰ぎ見られる一族であった。
力を失った北条一族では、武士は守れない。
衰えた北条家に、幾たびも戦を仕掛けた後醍醐帝を見て、そう強く思ってしまった。
そう、思ってしまったのだ。頂に立つ武士に、力がないと思われてしまえば、世は乱れる。鎌倉に叛旗を翻し、後醍醐帝の戦を助けたのも、頂に立っただけの弱き武士を殺すためだった。
北条の一族に恨みなどは無かった。むしろ、ほとんどの顔見知りは、気のいい男たちだった。彼らの中には、童の頃から、ともに原野を駆けまわった者も多くいる。戦場で向かい合い、討ち死にの報せが届くたびに、胸が張り裂けそうになった。
それでも彼らは、頂に立つだけの力を失っていた。北条家を野放しにすれば、泥沼のような戦が繰り返されて、いずれは尊氏が大事に思う者たちの命すら奪っていく。武士の王となると口にした尊氏を、直義と師直は支えると即答し、そして尊氏を天下人まで押し上げた。
「どこからが、正しく、どこからが違っていたのであろうな」
そう呟き、尊氏は目を開いた。
天井の梁は、生駒山から運ばれてきた黒松が使われているという。荒々しささえ感じる曲線を見つめた。羽虫が三匹、弧を描いて舞っている。
武士の王となったことで、天下は平穏の兆しを感じ始めた。
だが、武士の王であり続けるため、戦に勝ち続けることを自らに課したがゆえ、いつまで経っても戦は終わらず、戦えば戦うほど、かつて守ろうとした者たちは、命を失っていった。
長い戦いの果てに、分かったことがある。
武士の王とは、戦の旗印にしかなりえないのだ。平穏の兆しをもたらすことはできても、平穏を保つことなどできはしない。思えば、百六十年前の源平合戦の折も、戦場で勝ち続けた武士の王は源範頼、義経兄弟であり、平穏をもたらしたのは、二人の兄弟を使った源頼朝だったではないか。
武士の王は、戦の世でなければ存在しえぬ刀なのだ。それを使う者がいて初めて、平穏はもたらされる。刀自らが頂に立ってしまえば、決して戦は已まない。
後の世、同じ過ちを繰り返させないためにも、戦場で無惨に死ぬことを望んだのだ。ゆえに、弟に殺されることを覚悟した。直義であれば、自分を殺してくれると信じていた。
直義の戦は、尊氏の想定を大きく超え、そして大きく下回っていた。
徹底した調略によって、戦は始まる前から終わっていた。戦場に立つことすらなく、尊氏は敗けた。本気になった直義の凄みを、まざまざと見せつけられた形だった。信じていた弟の力は、自分では測ることができぬほど大きなものだったのだと、首だけになった師直を見て思った。同時に、武士の王を殺せなかった直義に、大きく失望した。
弟では、もはや自分を殺すことはできない。
「なぜ、あの場で殺さなかった」
戦場で殺さぬ限り、尊氏を武士の王として期待する者は尽きないのだ。
此度の戦も、敗れたのは高師直であり、尊氏が敗れたのだと思う者は少ない。すでに尊氏の許には、直義を討つべきだと囁き始める武士が多くいた。戦を無くすために起こした戦が、かえって次なる戦を呼び込もうとしている。
怒りが、腹の底に渦巻いていた。期待を裏切られたことへの怒りであり、ただ師直を死なせただけの直義への怒り。そして、尊氏が自ら弟を殺さねばならぬことへの怒りだ。
直義を殺すことこそが、王を殺す武士を舞台に立たせる最後の欠片となってしまった。
「新熊野、残るはお前だけだ」
こぼれた言葉には、希望が滲んでいた。
直義の策があれほどまで見事に全土に広がったのは、九州における新熊野という武士がいたからだ。ほとんど身一つで九州に落ち延びた新熊野は、僅か半年足らずで九州の過半を制し、あまつさえ山陰道と山陽道にまで力を扶植していた。師直からの報せは逐一目を通していたが、どこかで力尽きるだろうと高を括っていた。直義が支えているとはいえ、遠く離れた九州の地だ。路傍の石ころに、それほどの力があるとは思っていなかった。だが、新熊野は常に先陣を切って、その力を西国の武士に示してみせた。
戦ぶりは、まるで若い頃の自分を彷彿とさせるものだった。自分が新熊野の立場だったとして、同じことができるだろうか。そう自問し、肌が粟立つのを感じた。
「……足利直冬か」
路傍のさざれ石が、巌となった。
大きく息を吐きだした時、足音が聞こえた。
畳の上に横たわったまま、視線だけを足音に向けた。障子が左右に動き、剃髪した頭が見える。
「道誉か」
「御意」
嫌な男が来たと思った。その性は狷介にして、何を考えているか分からない。直義のように何手も見通したうえでの謀ではなく、道誉のそれは、どこか享楽に身を任せた賭けのようにも見える。だが、今の尊氏にとって、もっとも使える武士であることも確かだった。
身体を起こすと、道誉が荒々しい音を立てて右手前に胡坐をかいた。
「大塔宮の忘れ形見と言われる綴連王を、吉野にて囲みました」
「捕らえたか」
「いえ、腹に深い傷を負って谷に落ちていきましたゆえ」
睨みつけるように道誉の方に視線を向けると、剃髪した頭を叩いて、道誉が俯いた。
「まあよい。して、南朝方との和議に動きはあったか?」
「今のところ、ありませぬな。やはり和議を望む者は多いようですが、後村上帝を始めとして、殿を討つまで戦を已めるわけにはいかぬと言い張る者も多く」
南朝方の公卿の中でも力を持っている北畠親房や、軍を率いる楠木正儀などは和議に前向きだと言うが、肝心の後村上帝がこの期に及んで戦を望んでいる。頑なな帝を動かすために直義が頼ったのが、帝にとって姪にもあたる綴連王だった。
南朝が吉野を失った時、綴連王がいなければ、そこで皆死に絶えていた。彼女の言葉であれば帝も心を動かすと考えたのだろう。事実、霞と名乗り、西国で動いていた綴連王は、かつての大塔宮を彷彿とさせるほどの力を手にしていた。王家の血を引きながら、武士の心を掴んで離さず、数十艘の戦船を自在に操るという。従う民草は、数千にも及ぶ。
綴連王を捕らえるように命じたのは、尊氏自身だった。
戦は、まだ終わっていない。
終わらせるわけにはいかなかった。
戦場で、武士の王が死ぬ。戦の結末は、それ以外にあり得ないのだ。南朝と和議を結び、平穏が訪れたとしても、兄弟の戦は終わらない。直義を討つならば、はせ参じる。尊氏の許に届けられる全土からの書簡が、それを物語っていた。
「余が動くのは一月後だ」
「七月でございますか」
道誉の言葉に、尊氏は頷いた。
近江の佐々木道誉、播磨の赤松則祐が南朝方に降り、京に攻め上ろうとしている──。
慌ただしい知らせが東西から届いたのは、七月の終わりのことだった。あまりに唐突な報せに、直義のいる錦小路の屋敷が慌ただしく動いていることを、尊氏は手の者からの報せで知った。
「さすがのお主も、予期しきれぬことであったろう」
手綱を握りしめる。夏の強い日差しを背に感じながら、白馬を進める尊氏は、視界の先に見えてきた屋敷を見て呟いた。
直義に敗れてから四月、全ての政務を直義に一任してきた。常人ならば、一つだけでも力及ばぬことだが、戦の論功から日々の裁判、南朝との和議の交渉までの全てを、高い質で裁くことのできる力が直義にはある。
直義にしてみれば、友である師直を殺し、尊氏から天下を奪い取ったという負い目もあったはずだ。尊氏と戦をしているうちに、遅くして生まれた如意丸を死なせた後悔もあったことは間違いない。負の想いを、直義は忙しさに耽溺することで忘れようとした。
直義であればそうすることを分かっていた。ゆえに、自分の動きを見落としたのだ。
「それが、お前の甘さと言うべきなのであろうな」
錦小路殿の門まで二町(約二一八メートル)ほどとなった時、両開きの門の内側から、深緑の直垂を着た直義が、静かに現れた。二つ引きの大紋が左右の胸に染められている。こちらを見つめる直義を、尊氏はじっと見つめ返した。
なぜ、今なのですか。
そう聞こえたような気がした。そして、続けざまに、分かっていますと尊氏の心を見通すような言葉が聞こえた。昔から、誰よりも尊氏の心を見抜いてきた弟だ。尊氏が動き出したわけを考え、瞬きほどの間で答えを見つけたはずだ。
それ以上近づくことを拒むように、左右から尊氏麾下の兵が前に進んだ。応じるように、屋敷からも兵が溢れ出て、直義を守るように広がった。指呼の距離だ。一声、声を上げれば、どちらかが死ぬ。
それをしないのは、直義に最後の機会を与えるためだった。直義が死ねば、西国の直冬を始めとする多くの武士が戦に身を投じることになる。直義は、そのことを分かっているはずだ。それを望まぬならば、お主が本気になるしかないのだ。
「随分と、苦しんだのだな」
遠目に見る直義の顔を見て、尊氏は自然とそう口にしていた。
童の頃から大人びた顔立ちをしていたが、尊氏の天下取りを支え始めた頃から、目尻の皺が深くなっていった。だが、この四カ月という時は、老いというよりも、死を想起させる影を直義に纏わせたようだった。
目元の濃い隈だけではない。頬はこけ、肌はどこか青白いように見える。若い頃、師直と共に戦場を駆け抜けていた頃の精気は、影も形もなかった。
自分を兄として持ってしまったがゆえに、苦しませてしまった。
心の中でそう呟きながらも、腹の底の怒りが鈍らないことに、尊氏は安堵した。弟の顔色ごときに決意が鈍るようでは、武士の王たる資質は無い。
「戦場で答えを出そうか」
尊氏の言葉に、遠くで直義が項垂れた気がした。それを見ないように馬首を返した。
南朝に寝返ったとされる佐々木道誉討伐のため、近江国に出陣した尊氏は、八月二日、瀬田橋で嬉しそうに笑う道誉の歓待を受け、道誉軍含めた二千の全軍を京へと反転させた。同じく播磨国の赤松則祐討伐に出陣した義詮もまた、京へ転進しているはずだ。
「慌てずともよい。どうせ、もはや直義は京にはおらぬ。ゆるりと進むがいい」
そう命じ、京に戻ったのは五日のことだった。
義詮には、伏見野への布陣を命じていた。尊氏を出迎えた義詮は、卯の花威の鎧を身につけている。足利家に代々伝わるものだ。生真面目な顔で頭を下げる我が子を馬上から見下ろし、尊氏は北の連峰を見上げた。
「直義は?」
「すでに京から出て、越前国の金ケ崎城に入られたようです」
義詮の声は、幾分強張っている。色白の肌は、刀を好まぬ義詮の性をよく表していた。物心つかぬ前から、総大将として戦に出ているというのに、戦を好んではいないようだ。平時の王としては、それくらいが丁度いい。麾下からも好かれている。
直冬の母が死んだ戦の総大将が、三歳になったばかりの義詮だったことを思い出し、尊氏は顎の鬚を撫でた。
「やはり、殺しておかねばならぬな」
「御意」
返答してきた義詮は、おそらく直義のことを言ったと勘違いしているのだろうが、正すことはせず頷いた。
「直義に従った者は?」
「斯波高経殿、山名時氏殿、畠山国清殿を始めとして、向かった北陸道では桃井直常殿や上杉憲顕殿が迎え入れる動きを見せております」
敵であっても殿と付けるあたり、やはり義詮は戦に必要な野蛮さを持ち合わせていない。
「義詮。越前の武士を動かし、直義を攻めさせよ」
「大樹は、いかがなされますか?」
「余は、いずれ関東に行くことになる。そのためにも、近江で兵を整える」
「叔父上が北陸から関東に向かうとお考えなのですね」
分かり切ったことを確かめるように聞いてくることも、義詮の癖だった。慎重に慎重を期して、ようやく安心できるのだろう。小さく頷いた。
「鎌倉には基氏がおる。直義が大軍を整える地は、関東以外にあり得ぬ」
「九州ということはありませぬか?」
義詮の言葉に、尊氏は思わず苦笑した。
「直冬が気になるか?」
「大樹が九州の差配を任せた一色殿が容易く敗れました。叔父上が九州に下れば、容易ならざる力となりましょう」
その言葉は、直冬を強く意識していると言っているようなものだ。自分の兄かもしれず、自分よりもはるかに戦の才を持っている直冬に対する妬心も感じさせる。直義が九州に行くことがないというのは、尊氏の勘のようなものだが、確信に近かった。
「案ずるな、義詮」
「されど」
「二度は言わぬ」
馬上から見下ろした尊氏に怯えるように、義詮が俯いた。素直な子だ。
鼻から息を抜き、尊氏は馬首を返した。
再び近江国に入った尊氏は、鏡宿に本陣を置いた。すぐに、伊賀国の仁木義長、美濃国の土岐頼康が兵を率いてきた。高師直が死んだ戦では、微塵も役に立たなかった者たちだ。遠目に一瞥しただけで、二人が恐懼した。
俄かに騒然とし始めた本陣の中で、尊氏はじっと腕を組んで待っていた。
日に一度、黒草衆の忍びが、尊氏の本陣に現れる。黒草衆を動かしている南宗継は、備前にあって全土の報せを事細かに集めている。宗継は高一族であり、当主である師直が死んだことを、己のせいだとでも思っているようで、尊氏の守りも以前よりずっと厚い。
「直義は、時を稼ぐつもりであろうな」
越前から侵入してきた畠山国清と桃井直常率いる一万の兵が、琵琶湖の東にある八相山に布陣したとの報せを受け、尊氏は佐々木道誉を除く全軍の出陣を命じた。
「道誉、お主は伊勢国より攻めてくる石塔頼房を抑えよ。畠山と桃井は、余が行く」
「御武運を」
大した戦にはならぬとは言わず、尊氏は頬に笑みを浮かべるのみにして騎乗した。
直義のいる金ケ崎城から、無数の使者が全土に出されている。今、直義は尊氏と戦うための態勢を模索しているはずだ。近江国での戦は、そのための時を稼ぐためのものに過ぎない。八相山に布陣する直義軍を見て、尊氏は自分の見立てがあながち間違っていないことを確信した。
南北に低い峰が連なる八相山は、率いる二万の兵では包囲しきることは難しい。峰と峰を移動することは容易く、どこかを集中して攻めれば、山上の直義軍はすぐに別の峰に移って撤退することもできる構えだ。
八相山の南に布陣して二日、八月十日に佐々木道誉が石塔軍に敗れていた。裏をかく搦手の戦には強い武将だが、石塔のような猪武者と噛み合わせると、案外に脆い。
「それとも、戦を長引かせぬために、わざと負けたかのう」
八相山を見据える本陣に現れた佐々木軍が、ほとんど無傷であることを見て取って、尊氏はふんと笑った。師直ほどとはいかぬまでも、道誉もまた歴戦であることには変わりない。直義との戦で活躍すれば、次代の将軍である義詮を後見できるという皮算用もあるはずだ。
道誉からすれば、師直も目の上の瘤だったかもしれない。だが、師直の代わりになると言うならば、相応の代償は払ってもらう。
鎧を着こみ、悠然と尊氏の本陣まで歩いてくる道誉を見て、尊氏は立ち上がった。
「石塔にしてやられたようだな」
道誉が自分の頭をぽんと叩き、肩を竦めた。
「突き進むことしか知らぬ者どもにございますからな。大樹よりお預かりしている兵をいたずらに損なうわけにもいかず」
いけしゃあしゃあと口にした言葉に感じた苛立ちを呑み込み、尊氏はにやりと口角を上げた。
「石塔の戦はなかなかのものだ。それを躱す腕は、お主の才気よのう。やはり、鎌倉への先鋒は、お主に任せようか」
すぐに、道誉の顔色が変わった。
鎌倉を中心とした関東は、直義麾下の武士が多い。きっての直義与党と言える上杉憲顕は、鎌倉府にあって関東全域を差配する執事を担っている。直義が鎌倉へ入れば、数万規模の大軍はすぐにでも整うはずだ。
道誉に近づき、尊氏はその肩を軽く叩いた。
「いずれ、直義は鎌倉へ向かう」
「金ケ崎城から、和議の使者が殿の許に向かっているという報せもございますが」
「直義が和議を望むはずもあるまい」
道誉の顔に、怯えが滲んだことで、己の言葉に滲む怒りに気づいた。首を左右に振り、尊氏は顔に笑みを張り付けた。
「南宗継は、備前の守りから外せぬ。道誉。黒草衆を率い、鎌倉までの道を拓いておくがよい。甲斐の武田、駿河の今川、上総の千葉、下野の宇都宮の先導をせよ」
「大樹はいかに?」
「三千の兵で、東海道を下る」
「あまりにも兵が少のうございますが。なるほど。まずは、戦場に引きずり出すおつもりでございますか」
道誉の言葉に、頷いた。
戦わずして敗れた前回のようにならないためには、直義自身を戦場に立たせることが必要だった。直義が京から落ち延びたことで、全土の武士はどちらにつけばいいのか迷い始めているはずだ。
前回の戦では直義派として戦った細川顕氏などは、京を脱した直義を見限り、すでに尊氏の許で戦うことを誓っている。力ある者を望む武士の性を、直義は前回の戦で知ったはずだ。それを、咎めるつもりもなかった。武士の王は、畏れの印であるべきという考えが、むしろ定まったと言っていい。
三千の兵のみを率いて東海道を下れば、直義は動かずとも、その麾下の武士たちは尊氏を討つ好機とばかりに鎌倉を出陣するはずだった。
恐れるべき事態は、直義が鎌倉に腰を据えて、関東と九州の大軍を養うことだ。そうなれば、全土の武士たちは、雪崩のように直義に味方し、またしても戦になる前に尊氏は敗れるだろう。
「それが分かっているならばいい。お主の役目は、道を整えること。そして、綴連王を捜し出すことだ」
「綴連王でございますか」
「足利直冬という武士がおる」
改めて口にした名に違和感を抱いたことに、尊氏は苦笑した。
自分の子ではないと突き放した野良猫が、いまや尊氏が渇望してきた獅子となった。
紀伊を征伐し、鞆での急襲を躱し、身一つで西海道を束ね上げた力は、生涯の中で相対してきた武士たちと比べても頭抜けていると言っていい。
「直冬と綴連王は互いに想いあっていると報せの中にあったな」
「御意。少弐が仲立ちしたようでございます」
「捕らえたのち、東寺にでも放り込んでおくがよい」
「生かしておくのでございますか」
「その方が、直冬も力を尽くして奪い返そうとするであろう」
直冬は、愛に飢えている。屈折した育ちゆえであろうが、直義が注いだ愛情をそのままに受け取ることもできず、それが愛情だったと気づいた時には、もう二度と会えないはずだ。
戦場に立つ強者を、もはや直義に求めることはできない。であるならば、直義には獅子を憤怒させる供物となってもらう。直義を殺すことで、霞と名乗る綴連王との結びつきは、直冬にとって全てを賭してでも取り戻すべきものになる。
怒り狂い、尊氏を殺すためだけに大軍を従える直冬の姿を想像して、尊氏は全身の血が熱くなるのを感じた。そうなるように、直冬を冷遇してきたのではないかとさえ思った。