最初から読む

 

十二 直冬(承前)

 

 茅葺の家が多い中で、一つだけ赤瓦の葺かれた屋敷があった。壁の木も新しいのか、まだ白さを保っている。だが、直冬の目を引いたのは、屋敷の見事さではなく、その前で騎乗する二人の偉丈夫だった。

 王族にしか許されぬ深紫の直衣を身に着け、白馬に跨る男が、懐良親王なのだろう。柔らかな春の日差しを受けて、淡い光を纏っているようにも見える。その隣の武士の鎧は、白の弦走韋に龍が描かれ、兜にも飛竜が拵えられている。直冬よりも、十ほど年上だと言うが、鎧の上からでも、鋼のように鍛え上げられていることが伝わってくる。

「征西将軍宮と、菊池武光殿でございます」

 霞の言葉に頷き、直冬は二人に近づいた。

 十歩の距離になった時、不意に武光が口を開いた。

「なぜ、跪かぬ」

 詰問する様な響きに、直冬はくすりと笑った。

「そのお言葉は、そのままお返ししましょうか、菊池殿。ここにおわすのは、亡き大塔宮の忘れ形見、綴連王にございます。あまりに頭が高いのではございませんかな」

 この会談は、どちらかの傘下に降るという話ではなく、あくまで対等な相手としての話の場だということを、はっきりとさせておきたかった。武光の目が鋭く光り、不意に頬がにやりと歪んだ。精悍な顔つきだと思った。

「畏れるべきものを畏れぬ者は、若くして死ぬ。されど、お主はそもそも武士の王を殺そうとする者であったな」

 呵々と笑い声をあげた武光が、飛びあがるようにして白馬から降り立った。

「御所様はそのまま馬上に。目の前の若武者は、それがしでも押さえきれぬやもしれませぬ」

「ほう。お主に、それほどまでに言わせるか」

 御所様と呼ばれた懐良親王が、にこりと笑い、武光と同じように下馬した。あまりの軽やかな動きに驚いていると、懐良親王が霞の方へと視線を向けた。

「私も綴連と同じく、童の頃は楠木の手によって育てられたのだ。いざとなれば、そこの長門探題は武光、お主が止める。それに、今はまだ互いに敵というわけではなかろう」

 懐良親王の声は、柔らかな薫風のようだと思った。気づかぬうちに身体を包み込み、心地よくする。不意に、右手の袖に微かな力を感じた。霞の手だ。短く息を吸い、直冬は吐き出した。

「ここまでご足労をおかけしました」

「礼ならば、綴連に言うがよい。この会談を開くために、労をとったのは我が姪殿だ」

「霞殿の尽力で、我らと征西府が手を結べるか否かの話ができたことは、承知しております。吉野の帝も、霞殿が南朝方に助力したからこそ、高師直の軍勢から逃げることができたと聞きます。我らがこうして話すことができるのも、ひとえに霞殿のおかげでございますな」

 霞が南朝方の臣であるかのように話す懐良親王に釘を刺す形だった。生まれと育ちが同じとはいえ、霞の心には南朝方への恨みもある。

 気分を害したかと思ったが、懐良親王の顔に浮かんだのは、安堵の笑みだった。

「人の機微が分かる男のようだな。新たな長門探題は。まあ、そうでなくては、綴連がこれほどまで執着するはずもないのう。似合いじゃ。すぐにでも祝言を上げさせてもよいのだが」

「何を」

 慌てるような声を発した霞を、懐良親王が右手を上げて制した。

「まあよい。その話はまた落ち着いた時にでもしようか。此度、蒲池庄まで赴いたのは、お主らの仲を見たかったということもあるが──」

 そう口にした懐良親王の目が、これまでとは打って変わって強烈なものになった。背後に立っている直貞や鴉軍の兵たちが息を呑む音が聞こえた。

「長門探題よ。話を戻すが、お主は、逆賊である足利尊氏を討つことを決めたそうじゃの」

「少しばかり、違います。南朝方にとっては逆賊でありましょうが、私は南朝の臣ではございませぬ。よって、逆賊ゆえに尊氏を討つと決めたわけではありません」

「足利の幕府から見捨てられたお主が、寄る辺を求めて、南朝の門に降るために来たのかと思っておったが」

「私の望みは、戦を望む者を斃すことにございます。そこに南朝方、北朝方の区別はございませぬ」

 懐良親王が目を細めた。

「ほう。後ろ盾もないまま、一人天下を敵に回すと?」

「一人ではございませぬ」

 視線を直冬の背後に向け、懐良親王がくぐもった笑いをこぼした。

「面白い者たちが集まっておるのは知っておる。が、困難な道を征こうとするものよ。まあ、戦を望まぬという心意気は、私も同じだ。長門探題よ。私の望みは、九州という洲の安寧だ。それ以外はいらぬ」

 懐良親王の言葉を聞いて、霞が目を見開いた。大和国の南朝の廷臣たちが聞いたら、飛びあがって驚くような言葉だった。

「右も左も分からぬままに、南朝方の御旗として九州に連れてこられた。この十年、私の許でどれほどの者たちが死んだと思う」

「北朝方を滅ぼすため、御所様が望まれたことでございましょう」

「ふむ。私の望みであれば良かったのであろうがなあ。十歳にも満たぬ童に、左様なことを考えられるはずもあるまい。私は、心の底から戦を憎んでおる。死んだら、もう二度と飯も食えねば、女も抱けぬ。友と笑うこともできぬのだぞ」

 肩を竦めた懐良親王の横では、武光が瞼を閉じてその言葉を聞いている。

「だがのう、戦を望まぬとはいえ、私が元凶となって九州の武士たちの多くが死んだことは事実じゃ。好きと嫌いにかかわらず、これは私が負うべき咎。ゆえに、我が望みは九州を、北朝方も南朝方も手出しのできぬ地となすこと。それが、何もできぬ童を御旗と担いで死んでいった者たちへのせめてもの餞になろう」

 自惚れているわけでもなく、淡々と語る懐良親王からは諦念に近いものすら感じた。自らの夢に巻き込む術に長けている。霞の言葉を思い出した。

「長門探題よ。お主らと手を結ぶことはやぶさかではない。だが、それは九州に巣食う幕府の武士たちを駆逐するためであればこそ。もしも、お主がこの地の者どもを連れて京へ攻め上ろうとするならば、その時は我が敵となると思うがよい」

「京の幕府が、九州を手放すことはありますまい」

「手放すことを納得するだけの力を、我らが蓄えればよいだけじゃ」

 九州を統一し、大陸との交易によってそれを成すことが、懐良親王の中にある一つの軸なのだろう。楠木正行が幕府の大軍に連勝した時、征西府が動かなかったわけが分かった気がした。

 懐良親王が笑いながら、肩を竦めた。

「お主と手を結ぶにしても、お主にそれだけの力があるかどうかはまた別の話。九州探題が兵を集めておることは知っておるな」

 北朝方の一色道猷の号令によって、北部九州の武士たちが博多、大宰府に集結しつつある。彼らの標的は、幕府の敵となった直冬を討つことだ。

「二万の大軍じゃ。率いる将は一色道猷と少弐頼尚。いずれも老獪な歴戦の武士。お主が九州にきて手にした軍は一万に満たぬほど。九州探題を破るか否か。それが、我らの盟約が成るか否かの答えとなろう」

 朗らかにそう言った懐良親王が、手を振り屋敷へと身体を向けた。

 

 開けた筑紫平野を左右に阻むように、土塁が茶色の線となって浮き上がっていた。大宰府までの距離は、およそ四里(十六キロメートル)。一色道猷は、ここで直冬たちを止めるつもりだったのだろう。

 ところどころ穴が開き、人足たちがせわしなく働いていたが、直冬の引き連れてきた軍勢を見て、ひっくり返るようにして散っていった。

「土塁を押さえるように、直貞に伝令を出せ」

 呟くと同時に、伝令が駆け出していく。

 すぐに、直貞率いる二千の徒士が飛び出していった。戦いの気配はなく、半刻も待たずして直貞からは制圧の報せが届いた。

「仁科盛宗、河尻幸俊、阿蘇惟時、詫磨宗直の順で進ませる。鴉軍は最後尾だ」

 直冬の言葉に即応するように、残る五千の全軍が動き始めた。

 半年にわたる調練で磨き上げたのは、指令が伝わる速さと、直冬の命に必ず従うことだった。直貞麾下の二千と合わせた七千が、こちらの全兵力だ。敵する一色道猷二万の大軍に勝つためには、手足のように動く軍が必要だった。

「難しい戦となりますね」

 砂ぼこりを上げて進む軍を見ながら、鴉軍の中に騎乗する霞がそう口にした。黒衣の胴丸を身に着けた霞の姿は、凛々しさで思わず目を細めたくなるほどだ。場違いな感想を口にする前に、直冬は口を結び頷いた。

 九州に上陸して初めての大戦となる。直冬に課せられているのは、圧倒的な勝利だった。

「九州の武士たちは、誰に付くべきか、大いに迷っていることでしょうね」

「理想は、北朝方の武士をこちらに引き入れることだな」

 北朝方の一色道猷か、南朝方の懐良親王か、はたまた新たに現れた直冬か。九州の武士たちを麾下に引き入れるためにも、誰の目に見ても分かりやすい勝利が必要だと考えていた。

 二万の一色軍に、七千の寡兵で戦うことを決めたのも、直冬勢の強さを際立たせるための賭けだ。

「勝てば、そうなりましょう。されど、それが一番の艱難のように思えますが」

「敵方は、大軍だからなあ」

「そんな呑気な口調で言われても」

 苦笑する霞を見て、それほど二万という数に怯えていない自分がいることに気づいた。一色道猷率いる軍勢は二万だが、その実態は、同格の大名が四、五千ずつ率いた連合軍のようなものなのだ。足利尊氏や高師直ほどの神格があるならば、それでも強力な一軍になるのだろうが、一色道猷にそれだけの力はない。所詮は烏合の衆。直冬勢の強さを際立たせるためにも、もう少しばかりの大軍になってくれればとさえ思っていた。

 何より、二万を率いる高師直に対して、死んだ楠木正行は僅か三千の兵で、互角以上の戦いを見せていたのだ。ちらりと霞を見て、決して負けたくないという思いが大きくなるような気がした。

「まあ、なんとかなるさ。勝つための仕込みも、ないことはない」

 九州に上陸した時から、備えすぎるほどの備えはしてきた。九州だけではなく、山陰や山陽にも人を送り込んでいる。直貞が呆れたような顔で、備えすぎですと言葉にした時、思わず苦笑していた。養父である直義も、尊氏にそう言葉をかけられたのだという。

 今ごろ、直義は京の寺で座禅でも組んでいるのだろう。

 直義が見ているものの全てを理解できているとは思わないが、それでも直義麾下の動きを見ていると、その考えていることが透けて見えるような気がしていた。西に直冬を送り、東には基氏を送り込んだ。北陸には、直義麾下の大名たちが多くいる。京を三方向から攻めることのできる配置だった。

 今のところ、直義と尊氏は、北朝の帝によって不戦の命が下っている。直義は、全土で己の策が芽吹くのを待っている。そして、尊氏もまた、己を斃さんとする敵の姿を、見たがっている。その時まで、二人とも動くことはない。

 動くとすれば、尊氏の右腕であり、幕府最強の矛である高師直だ。

 南朝方の行宮を微塵の躊躇なく焼き払った男であれば、尊氏が制止したとしても、直義の力を削ぐ手を打ってくるはずだ。高一族の南宗継率いる黒草衆には、直冬も煮え湯を飲まされている。

 山陰に勢力を誇る益田兼見には、石見国の武士を中心とした軍の編成と、伯耆国(現在の鳥取県)守護の山名時氏との連携を命じていた。山陰道、山陽道で幕府軍を防ぎ、その間に九州を制圧する。

「まあ、まずは一色のお手並みを拝見するとしようかな」

 余裕を含ませて言った言葉に、霞が苦笑したようだ。

 

 筑紫平野を駆け抜け、七千の全軍で大宰府を急襲した直冬は、そのまま大宰府を出て北へと進軍を命じた。

 大宰府は、北から西にかけて四王寺山地が連なり、東には高尾山が聳えている。三方を山に囲まれた大宰府には逃げ場がなく、ここに拠っていた少弐頼尚も、戦いには不向きだと考えたのだろう。三千ほどの兵を引き連れて、大宰府から三里(約十二キロメートル)ほど北、博多に陣を敷く一色道猷の許へ向かっているという。

「鴉軍と阿蘇惟時の騎馬五百のみでいい。少弐の背後を討つ。河尻幸俊は、御笠川を船で下り、少弐勢の横を衝け。御老公は、千を率いて遊撃。残った軍の指揮は、直貞に任せる」

 そう言うや否や、直冬は馬腹を蹴り上げた。駆け出した直冬に縋りつくように、鴉軍が一呼吸遅れて付いてくる。阿蘇勢も、その後ろから必死に駆けていた。長く伸ばした白髪を後ろで束ねた仁科盛宗が、直冬に遅れるなとばかりに徒士を叱咤したのを見て、思わず苦笑した。

 大原山の山頂から、黒々とした狼煙が二条上がった。直貞麾下の忍びによる、敵の位置の報せだ。少弐勢との距離が、一里程度であることを伝えていた。

 四半刻もしないうちに、北上する軍勢の背が見えてきた。

「少弐頼尚め。なかなかに曲者だな」

 逃げると見せかけて、食いついてきた直冬を討つつもりなのだろう。

 慌てて大宰府を飛び出したように見せるためか、着の身着のままといった風で、胴丸を付けている兵は少ない。にもかかわらず、少弐勢の中心にいる兵は、小さく固まっている。よく調練されている証だった。

 馬上から、三千ほどの少弐勢を凝視して、直冬はにやりとした。

「さすが。九州の武士は、戦に慣れているな」

 迫る直冬勢に気づいた少弐勢の足が、わずかに上がった。

 十、数えた瞬間、中央で固まっていた千ほどの少弐勢がいきなり反転した。

 雄叫びを上げる少弐勢の目の前で、直冬は鴉軍と阿蘇勢を左右に駆けさせた。反転してきた少弐勢の左右を駆け抜ける。敵が鴉軍と阿蘇勢によって左右の視界を奪われた直後、御笠川から上陸してきた河尻幸俊率いる五百の兵が、少弐勢にぶつかった。

「囲い込め。徹底的に討ち果たせ!」

 一抱えほどもある樫の棍棒を振り回し、諸肌脱ぎの幸俊が、哄笑しながら突っ込んだ。一振りするたび、少弐勢が身体ごと宙に舞う。霞の麾下とは思えぬほど、豪快な戦い方だった。

 三方向からの挟撃となった。二度、鴉軍を率いて千の敵を断ち割った時、敵が潰走を始めた。先を行く二千の少弐勢が、逃げてくる味方を迎えようと、左右に広がり、包み込む。

「少弐頼尚は、あの中だろうなあ」

 敗勢にあっても、冷静さは失っていない。すぐに態勢を整えた少弐勢が、三段に構えた。一段目の敵の気勢は驚くほど高い。背後、聞こえ始めた地響きは、直貞率いる五千の本軍のものだ。少弐勢の二段目と三段目が、北に向かって駆けだした。

「主君を逃すため、命を捨てるか」

 直冬めがけて、真っ直ぐに迫ってくる一段目の敵を見て、直冬は目を細めた。迫ってくる数は千にも満たない。中央にいる武士のすぐ後ろに、寄懸り目結紋の旗が翻っている。少弐家の一族の者だろう。直冬は、肩越しに振り返ると、そこに戦場を求めて駆ける盛宗を視界に捉えた。

「御老公に伝令。敵将は、生かしたまま捕らえよ。鴉軍、駆けるぞ」

 直冬の言葉とともに、鴉軍が小さくまとまり、次の瞬間、駆けだした。

 二百騎の黒衣。先頭で駆ける直冬を追い越すように、唸る矢が飛んでいく。盛宗の放った矢が、異様な音を立てて敵の兵に突き刺さった。そして一人の胴丸を貫き、その後ろの敵兵の胸でようやく止まった。

 敵に動揺が広がった直後、直冬は先頭で敵中に突っ込んだ。怯えた顔がある。まだ若い。勢いのままに斬り払い、舞った血を置き去りにするように駆け抜けた。呼吸で三つ。敵を両断した直冬は、そのまま北へ向かって駆けた。背後からは阿蘇勢の五百騎がついてくる。

「ほう」

 半里ほど駆けた時、東西に長く延びた土塁が目に入った。数日前に突破した不出来なものとは違い、背は低いが延々と左右に延びている。

 二千ほどに減った少弐勢が土塁の上に立ち、弓を構えた。まだ届く距離ではない。

「七百年も前に造られた砦の跡でございますね」

 隣に馬を寄せてきた霞が、そう口にした。

「天智帝の御代、白村江の戦いに敗れた日本が、大宰府を守るために造ったとされるものでございます」

「水城だったな」

 霞が頷いた。鎌倉の東勝寺で読んだ記紀の中に、出てきた名だ。唐の襲来に備えて造り、時が下って鎌倉幕府の頃、蒙古襲来でも武士が立てこもったという。海の向こう側の敵と戦うための備えだ。

「一応、俺も海の向こう側の敵ということになるのかな」

 おどけたように言うと、霞が深く息を吐いた。

「そうかもしれませんね。それで、いかがなさいますか? 水城には大した備えはありませんが、騎兵で突破することは中々むずかしいように思います」

 霞の言葉に、直冬は東の四王寺山を見上げた。黒色の狼煙が、三つ。博多から、一色道猷率いる一万五千の大軍が進発したことを示していた。水城に着くまで、半日ほどだろう。

「霞、征西府の五百を率いて、四王寺山の大野城の攻囲を任せても?」

 征西将軍宮から五百の兵を借り受けていた。大塔宮(護良親王)の子である霞を守るためだというが、送り込まれてきたのは菊池一族の精鋭だった。敵対しているわけではないが、味方というわけでもない勢力の兵は、本陣からできる限り離しておきたかった。

「大野城に籠もっているのは、少弐配下の三百ほど。直貞麾下の忍びが、搦手を落とす手筈になっている」

「それは良いのですが、二万近い敵と、まことに正面からぶつかるおつもりで?」

 この一戦に大勝できるかどうかが、今後の直冬の命運を決めると言っても過言ではない。あまりにのんびりとした態度の直冬を見て、不安になっているのかもしれない。僅かに視線を空へと向けた。一色軍は船頭の多い船のようなものだった。大友や島津、少弐らの混成軍であり、彼らには道猷と同格であるという意識が強い。

「隙は多い。それに隙を作るための仕込みは、すでに終わっている」

「それは、日足紋の旗のことでしょうか?」

「今ごろ、道猷の本陣で、俺を斃す算段を滔滔と語っている頃だろうな」

 北朝方を率いる道猷は、みずから領地を持っているわけではないため、戦のたびに各地の武士を招集せざるを得ない。その中に、直冬に同心している者を紛れ込ませることは、難しくはなかった。

「多く語らぬことを男ぶりが良いとでも思っているのでしょうが、それは独りよがりと言わざるを得ませんなあ。麾下の者は命がかかっておるのでございますぞ」

 不意に聞こえてきた言葉は、荒い息に紛れて聞き取りづらかった。

 振り返ると、汗にまみれた白粉を馬首に持たれかけさせ、肩を上下させる直貞がいた。白い狩衣が、晴天に眩しい。

「嫌味を言うためだけに、わざわざ一人で駆けてきたのかよ」

 舌打ちした直冬を見て、霞が笑った。息を整えた直貞が、背筋を伸ばす。

「御老公が、少弐頼尚の息子を捕縛しました。生きたまま磔にして、矢の楯にでもしますか?」

 直冬が絶対に命じないと分かって口にしている。霞をちらりと見て、直冬は首を左右に振った。

「しっかりと縄に繋いでおくだけでいい。それよりも、大野城に向かわせた者たちはどうなった」

「すでに、搦手を開く手筈は整っております。霞殿が向かわれるので?」

「ああ。征西府の菊池勢を使う」

 いずれ敵になるかもしれない菊池一族の武士には、なるべく鴉軍の動きや直冬の指揮を見せたくはなかった。直冬の意図を察したように、直貞がにやりとした。

「良き策にございます」

「やかましい」

 吐き捨てて、霞へと視線を戻した。

「怪我はせぬように」

「氷のような深野池に投げ込まれたことは忘れておりませんよ」

 拗ねるような顔をして、霞が笑った。

「大野城を落とせば、戻ります。その時までに、落としきれぬやもしれませんが」

 その言葉で、霞も自分の役を理解していることが伝わってきた。四條畷で、高師直の目を盗んで横鑓を成功させた戦の腕はある。

「頼んだ」

 霞がかすかに頷き、五騎の鴉軍の兵に守られて駆けていった。

「抱きしめなくても……と聞こうかと思いましたが、人前でそんなことができる人ではありませんでしたな」

 おかしそうに笑う直貞を無視して、直冬は戦場となる水城を見つめた。

 

(つづく)