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 呼応するように、盛宗率いる二百騎が、左へ駆ける。

 槍兵は、正面からのぶつかり合いには比類なき強さを発揮するが、飛び道具と左右からの攻撃には弱い。投石が敵の槍兵をなぎ倒したのを見て、直冬と盛宗は左右に弧を描くように駆けた。二投目の投石が、菊池軍へ叩きつけられる。肉を打つ鈍い音が、次々に響く。

「さすがだな」

 顔から血を流しながらも、陣列を乱さない菊池兵を見て、直冬は呟いた。

 武光が、千本槍の左右に、五百ずつ兵を進めた。それで止まるものか。そう思った瞬間、左翼を狙う盛宗の正面に布陣した菊池軍の将が、いきなり馬上から崩れ落ちた。盛宗の矢だ。

 右翼の敵中に、微かな動揺が走った。

 見て取った隙に突っ込もうとした直冬は、咄嗟に馬首を翻し、反転した。鴉軍が、わずかな遅れも出さずについてくる。肩越しに振り返りざま、武光の舌打ちが聞こえたような気がした。狙っていた右翼の兵の中から、地面に伏せられていたのであろう槍が、無数に飛び出していた。

 あのまま突っ込んでいれば、馬もろとも串刺しになったはずだ。

 反転して、菊池軍を包囲するように鴉軍を展開した。川を背に布陣する菊池軍を、三方向から囲むような形になる。

「小賢しい」

 そう呟き、いや、と直冬は首を振った。あまりにも勇猛なのだ。

 背後、立ち昇る土煙を見て、直冬は頭を掻いた。背水の陣は、包囲の外に遊撃の軍がいることで初めて真価を発揮する。

「その遊撃を、征西将軍宮自ら率いるとはな」

 土煙を纏って進んでくる千ほどの兵の中央に、見事な白馬がいた。深紫の直垂の上に、よく目立つ白の甲冑。こちらをまっすぐと見据える懐良親王の瞳に、直冬はちらりと菊池軍を見た。武光が、直冬を見据え、首を左右に振った。

「直貞に伝令。武光は任せる」

 そう言い放つやいなや、直冬は鴉軍と共に駆けだした。

 親王率いる兵の士気の高さは、尋常のものではない。駆けながらも小さく密集し、僅かも乱れないのは、兵と将が鍛え抜かれていればこそだ。童の頃に九州に上陸した親王は、三十年近く戦場に立ち続けているのだ。歴戦という点で言えば、直冬の比ではない。

 口角が、思わず吊り上がるのを感じた。

 親王は、真正面からぶつかるつもりだ。馬腹を締めあげた。鴉軍が一気に速くなり、馬蹄が置き去りにされる。正面で、親王が刀を抜いた。親王の周囲には、百ほどの騎馬。その左右に徒歩が広がっている。

 残り、三呼吸の距離。そう思った刹那、親王の周囲にいる徒歩が、弾けるように広がり、円形になった。百の騎馬だけが、直冬めがけて駆けてくる。その先頭には、飛竜の兜の下から、鋭い眼光を送ってくる懐良親王がいる。

 親王の刀が、風を纏っているように見えた。

 すれ違った。刀を斬り上げる。刹那、生じた火花の下で、親王が笑ったような気がした。そのまま駆け抜け、敵の円陣の中に突っ込んだ。

「止まれ」

 敵意の無い敵の徒歩を見て、直冬は鴉軍にそう告げた。円形に広がった親王麾下の徒歩は、内側に槍を向けてはいるが、前に出てこようとはしていない。たとえ、敵意を見せたとしても、鴉軍であれば突破はできる。

 円陣が、余人を排するための包囲ということは明白だった。

 背後で反転し、駆け戻ってくる百騎の音を聞きながら、直冬は馬首を返した。懐良親王が円陣の中に割って入り、並足で近づいてくる。諦念の混じった穏やかな表情は、出会った頃と同じだ。

「九州探題、ではもうなかったな」

 聞き心地の良い柔らかな言葉だ。

「足利直冬。話をしたいという使者が来たがゆえ、私は誰にも邪魔されぬ話の場を用意した。先を見通すことに長けた足利直義の倅であれば、私の意図は分かっておろうな」

「征西将軍宮の御心遣いは、よく分かっております」

 懐良親王と菊池武光は、直冬が九州を去る時を、じっと待っていたのだ。直冬が九州制圧の戦を繰り返す中、征西府は全く動きを見せなかった。出会いの時、九州を一つの国と成すと言った、懐良親王の言葉は本気なのだろう。

「これより先、俺は二度とこの地に戻ることはありますまい」

「京に行くのか」

「武士の王を討ちに」

 懐良親王が目を細め、小さく頷いた。

「わずかな供回りで九州に上陸した境遇は、私とよく似ておる。だが、お主は一年経たずしてこの地を一度はまとめ上げてみせた。見事。そう言っておこうか」

 屈託のない言葉に、むず痒さを感じて、うなじを掻いた。

「しかしながら、砂上の楼閣のようなものでございました。すでに、大友や島津は敵としての旗幟を鮮明にし、大軍を発しております」

「それでもだ。この地の武士は、誰の下にもつかぬことを矜持としておる者が多い。それが一度は、お主を認めた。不承不承であったとしてもな。それに、四方を敵に囲まれたお主に従う武士が、まだこれほどいるではないか」

 笑った懐良親王が、刀を納めた。

「この洲の統一の仕方を、お主から学んだ。ゆえに、これは借りと思わずともよい」

 その言葉が、懐良親王の返答だった。直冬がいなくなった後、直冬に従ってきた武士を、征西府が保護するという言葉であり、同時に九州を統一するという懐良親王の覚悟でもある。

 懐良親王の騎乗する白馬がゆっくりと近づいてきた。手を伸ばせば触れることができるほどの距離だ。

「そして、これは天下を賭けた戦へ征く、お主への餞だ」

 差し出されたのは、一通の書簡だった。

「綴連、いや霞の所在だ」

 書簡を掴んだまま、自分の手が震えるのを感じた。

 懐良親王が目を閉じた。

「ようやく、楠木正儀の手の者が、その所在を突き止めた」

「いずこに」

「京、東寺」

 目を開いた懐良親王が、ゆっくりと頭を下げた。

「私にとっては、兄である大塔宮(護良親王)の忘れ形見。だが、それを信じぬ者も吉野には多く、疎んじられていた。吉野の朝廷が大塔宮を見殺しにしたことを思えば、霞にとっては仇も同然に見えていたであろう。頼ることを知らず、止まり木を知らず、この国全てを敵に回さんとしていた乙女子が、お主だけは受け入れた」

「御所様とは懇意にしていたと霞からも聞きました」

「わずかな間だ。私は物心つく前に、この地へ来たからな」

 束の間、すべてのものを放り出して、京へ向かう己を想像して、直冬は拳を握りしめた。書簡が歪む。それを見てか、懐良親王が微笑んだ。

「霞を任せても?」

 懐良親王の穏やかな言葉に、直冬は頷いた。

「御意。九州のことは、お任せします」

「武光にも伝えておく。いずれ武士の王は死に、すぐに我らの世が来ると」

 そう言うや否や、懐良親王が馬首を返し、駆け出した。背後の鴉軍に待機を命じる。円陣を作っていた懐良親王麾下の徒歩が、親王を追いかけるように駆けていった。

「直貞、盛宗に伝令。負けを装って、大宰府へ退く。二日は、駆け通すぞ」

 漆黒の胴丸を身に着けた鴉軍の兵が二騎、戦場に飛び出していった。

 直貞と盛宗率いる三千の兵が、一斉に退き始めた。その瞬間、菊池武光率いる千の徒歩が槍を構えて突進していく。喊声を上げる菊池勢を見据え、直冬は馬腹を締めあげた。徐々に向かい風が強くなる。直貞の陣から、法螺貝の音が聞こえた。お前も退けという合図だ。

 苦笑し、直冬は刀を地面と水平に構えた。鴉軍は、すぐ後ろにいる。

 正面、騎乗の武光がいる。しょうがないとばかりに苦笑した武光が、朱色の槍を携え、千本槍の半数を直冬に向けてきた。菊池武光が、馬腹を蹴った。刹那、敵兵が左右に割れ、武光までの道ができた。

 腹の底から、雄叫びを上げた。

 馳せ違う。振り切った刀から、全身が痺れる衝撃が伝わった。

「王を、畏れるな」

 そう言って、武光は笑い声を上げた。

 そのまま、左右に分かれた菊池勢の中を駆け抜けた。鴉軍は一騎も欠けていない。何もない広大な平野を、半里駆け続けた時、直冬は馬の足を緩めた。左手、四半里ほどの場所に土煙が立ち昇っている。直貞たちの軍だ。このまま大宰府まで北上することを命じた。

 ふと握りしめたままの刀を見下ろすと、太刀の切っ先が、刃毀れしていた。武光の槍と打ち合った時にできたものだろう。母が、尊氏から預けられた太刀だ。

 刃毀れを撫で、直冬は鞘に納めた。

 

 九月二日、大宰府に入った直冬は、天満宮の西北に位置する浦ノ城に全軍を待機させ、肥前に出陣していた少弐頼尚に帰還を命じた。

 二日に一度、北朝方の一色道猷の呼びかけに応じた武士が、大宰府付近に百から五百程度の兵を率いて現れた。道猷の狙いは、直冬たちを大宰府に釘付けにし、消耗させることだろう。直貞と龍造寺家平が、代わる代わる出陣していくが、止む気配は一向になく、身体から少しずつ血が流れ出ていくような感覚があった。

「殿が征西府との戦に敗れたとの風聞が広がったことが、痛うございましたな」

 秋晴れの中、九月半ばにようやく帰還した頼尚が、浦ノ城の大広間に現れ、入道頭をぴしゃりと叩いた。六旬(還暦)に近い老将だが、常に調子のいい軽口を飛ばす男だ。霞と直冬の間を取り持った時も、酔った頼尚が強引に話を進めた。

「道猷麾下の忍びたちが、嬉々として俺の悪口を流しているようだな。霞がいなくなって泣きじゃくる情けない武士。そこの白粉が、嬉しそうに報せてきた」

「それはそれは」

「真のことだろうと口にしかけたのではあるまいな?」

 にやりとすると、頼尚がもう一度頭を叩いた。

 胡坐をかいて、畳の上に座る頼尚の正面には、白粉姿の直貞が背筋を伸ばして天井を見つめている。頼尚との会話は終わったのかというようにこちらを一瞥し、直貞が畳に広げた地図に視線を落とした。

「すでに島津率いる大軍は肥後国の南に至っており、殿が菊池の戦に敗れて以来、その数は三万から四万にも届く勢いと言われております」

「島津の狙いは、ここ大宰府だな」

 頼尚が大きく頷き、口を開いた。

「そうでしょうなあ。島津の洟たれが南から、大友の莫迦たれと一色の小便たれが、北からでございましょう」

 尊氏に応じた豊後国守護の大友氏泰もまた、二万の兵を発していた。すでに豊前国に入り、国府を落としている。一色道猷も大友軍と合流する気配を見せており、両軍をあわせれば軽く四万を超える。

「山陰、山陽に援兵を求めることはできますまいかのう?」

 頼尚の言葉に、直冬は唸りを返した。

「盛宗をすでに送り込んでいるが、難しいな」

 九州に辿り着いた時から、山陰、山陽の諸国に人を送り込み、味方を増やそうと動いてきた。中でも、益田兼見のいる石見では、兼見と同じ御神本一族の三隅家や周布家などが中心となって国全体に勢力を広げている。だが、その他の国では、いまだ幕府と南朝方に従う者が多く、盛宗を送りこんだ安芸国でも、ようやく毛利一族を味方につけて地ならしが始まったばかりだ。

「頼尚、案ずるな。南から北上してくる島津軍のことは、考えずともいい」

「ほう。止める当てがあると?」

「元は父の部将であった日向国の畠山が、島津の本拠を攻める手筈になっている。あと十日もすれば、何を言っているのか分からぬ難しい言葉で悔しがりながら引き返していくさ」

「ふむ。なるほど。畠山殿は、直義公を慕ってやまぬお人でしたな」

 頷き、直冬は顎に手を当てた。

 島津軍を畠山が止めるとはいえ、北からは四万を率いる一色道猷、大友氏泰が迫っている。直冬の手元にいるのは、少弐勢四千と直冬についてきた三千を合わせた七千のみ。道猷が戦下手とはいえ、氏泰の方は緩急巧みな戦をする。七千で勝てると言えるほど、容易な相手ではない。

「ご老体に、少々無理を強いる」

 口にした言葉に、頼尚が肩を竦めた。

「いまさら何を申される。殿が九州に来てより二年、儂に無理を言わなかった試しはありますまい。肥前に行けと言われたかと思えば、すぐに豊前に駆けさせられ、ようやっと大宰府に帰ったと思えば、はるか南の肥後まで行かされる。この二年で、儂のそれまでに駆けた道よりも長く駆けまわっておりますわ」

 長いため息を吐きながら首を左右に振る頼尚を見て、直冬は苦笑した。

「鴉軍以外の全軍を、ここに置いてゆく」

 直貞が目を開いた。薄く細い。直貞が言葉を発する前に、頼尚が身を乗り出して口を開いた。

「二百騎のみで、敵中を行くと仰せか? これはまた無謀な」

「大宰府に敵を引き付け、その隙を衝く。一月には河尻幸俊と詫磨宗直が有明海から来援する」

 それまで耐えられるか。そう聞こうとして、直冬は首を左右に振った。

「頼尚。お主ならば、できるな」

「大宰府の地形を上手く使えば、二月、三月程度は。それ以上は、心労で髪が抜けてしまいますな」

 剃髪している老人が何を言っている。そう口にしたくなるのを堪えた。

「もう剃髪されておりましょう」

 直冬の心を読んだかのような直貞の言葉に、頼尚がかすれるような笑い声をあげた。

「まあよろしかろう。殿、なれば一つ約を」

 笑いを納めた頼尚が、直垂の袖を握り、両拳を畳に突いた。

「元寇の折、九州の総大将を務めた少弐資能以来の興隆を手にすること。それが我が望みだと、殿に降った時申し上げましたな」

「うむ。資能殿は、少弐家の誇りであったな」

 一色道猷を総大将とする大軍を破った水城の戦の直後、頼尚は直冬に降伏を申し入れてきた。頼尚が要求してきたのは、直冬が天下を取ったあかつきには、九州探題の地位に任ずることだった。

「この二年、まことに楽しゅうございました。若年より戦に明け暮れてまいりましたが、殿のもとで九州を統一する戦の指揮をしたことは、儂の生涯の誇りと申せましょう」

「大げさな」

 むず痒くなるような言葉に顔をしかめると、頼尚が鼻から息を抜いた。

「老人の戯言と思って聞き流してくだされ。初めて殿が九州に逃れてきた時、父に捨てられた若僧が、世を拗ねていたずらに争乱を起こそうとしておると思ったものです。手に負えぬ乱暴者を想像しておりました」

「拗ねた乱暴者というのは、あながち間違ってはおりますまい」

「それは直貞、お前もであろうが」

 直冬の呟きに、頼尚が目尻の皺を深くして笑った。

「されど、殿の許に降った時、あまりに寂しげな瞳に、心を打たれました。それが、実父と養父の間に挟まれながら、天下平静のために実父を討つ覚悟の表れだと分かった時、儂は殿に命を賭けることを決めたのでございます。同時に、我が子同然に若い殿が、愛の言葉一つ口にできぬ無様さを、哀れにも思ったものでございます」

「無様か」

 呟くと、頼尚が小さく頷いた。

「無様で、不器用。大切なものだからこそ、一歩踏み出せぬ。霞様とのかかわりを見ていても、もどかしく思ったものでございます。人は、己の大切なことにこそ、命を賭けられるものでございます。ただし、それもまた一歩踏み出すからこそ、見つけられるものでもございます。ゆえに、少々無理やりではございましたが、霞様との祝言も取り持ちました」

 一つ、咳ばらいをして、頼尚が肩を回した。

「心から願う戦場だからこそ、死んでも悔いはない。儂は今、そう思っております」

 ゆえに、と言葉を区切り、頼尚が頭を下げた。

「殿も、望む戦場に行かれませい。殿は、この老骨がつとめましょう。約していただきたいことは、一つ。生きて、戻られませ」

 頼尚の烏帽子を見つめ、直冬は目を細めた。

「俺も死にたくはないさ。生きて帰って、ゆるりと子と戯れてもみたいが、それは難題だな」

 尊氏に敗れれば、そこで死ぬことになる。勝ったとしても、いつ終わるかもわからぬ戦が始まる。再び九州の地を踏めるかなど、分からなかった。言いよどむ直冬に、頼尚が顔を上げた。

「やはり、殿は正直でございますな」

「少弐殿、殿は正直なのではなく、嘘を吐けぬのでございます」

 直貞が笑った。

「少弐殿がここまで覚悟されているのです。鴉軍二百騎での敵中突破。私も覚悟を決めましょう」

 白い狩衣の皺を伸ばすようにして、直貞が立ち上がった。

 

 十一月十二日、忠隈(現在の福岡県飯塚市)に送り込んでいた頼尚麾下の三百の兵が、一色軍に急襲された。早馬の報せを受け、直冬は大宰府の鴉軍に戦備えを命じた。

 一色軍と大友軍は二万ずつの二軍に分かれ、一色軍は博多津へ向かい、大友軍はそのまま南下して大宰府を狙っている。北と東、二方向から進軍してくるつもりのようだった。

 安芸国に遣わしている仁科盛宗からは、毛利家を主力として、吉川家、児玉家を両翼とした軍の編成を伝えられている。総勢で二千ほど。石見国の益田兼見の許には、五千の兵力が集まっていた。だが、いずれも国内の幕府方、南朝方の国人たちとのにらみ合いが続いており、動けないでいる。

 陽は中天に差しかかっているはずだが、朝日と共に降り始めた雪が、身体の芯まで凍えさせるようだった。浦ノ城の土塁の上で、焚火に当たりながら、直冬は握り飯を焼く直貞に言った。

「もう少し、味噌を焦がしてくれ」

 白い煙の中に見え隠れする握り飯の焦げ目を見てそう言うと、直貞が呆れたように頷いた。

「舌が肥えすぎると、霞殿と再会した時に辛い思いをするのは殿でございますぞ」

「……少しずつ、腕は上がっていただろう」

「まともな味付けになるのに、あとどれほどかかるかは知りませぬぞ」

 直貞が渡してきた箸を手に取り、直冬は火の中から握り飯を掴んだ。

 味噌の甘さが焦げ、香ばしさが鼻の中を通り抜ける。後からくる米の甘みを感じながら、直冬はゆっくりと呑み込んだ。

「一色道猷と大友氏泰は全軍で四万。忠隈が突破されたということは、ここに来るまで十日もかかるまい」

 直貞が頷く。

「大軍の鈍重な動きを考えても、妥当でしょうね。鴉軍二百騎での突破は、敵の意表こそ衝きましょうが、とはいえ敵は大軍でございます。一度でも止まれば、即座に搦めとられ、袋叩きにあいましょうなあ」

 そう言いながら直貞が広げた地図には、無数の小さな黒点と、その横に名が記されている。

「この道だな」

 地図の中、博多津を越えるように一筋の道を指でなぞると、直貞も頷いた。鴉軍二百騎の強みを生かすには、平原を駆け抜けるべきだ。忠隈へ向かうとなると、いくつも山越えしなければならない。山中で大友軍と鉢合わせすれば、まともな戦にもならない。

「道猷は、博多津を狙う」

「また、随分と言い切るものでございますね」

「まあ、そうだな。道猷の人となりは、二年間見極めてきた。博多津はかつて鎮西探題もあった場所だ。博多津を落とし、名実ともに九州探題としての名誉を回復して、道猷は大宰府を攻めようとする」

「なるほど。確かにそのお考えは、私も同様です」

 平野ならともかく、ひとたび大軍が博多の街に進めば、転進することは難しい。その隙を狙って、鴉軍の足で駆け抜ければ、追いつけはしない。

 ただ、と言って直貞が言葉を続けた。

「この二年で、鴉軍の強さと速さは知れ渡っております。道猷がいかに博多津にこだわっていようとも、全軍で街に進むことはありますまい。それに、私が気になっているのは、黒草衆の動きでございます」

「南宗継だな」

 直貞が頷く。直冬の人生の中で、重大な局面で立ちはだかり続けた男だった。直義と尊氏が正面から争っていたこの二年は、備中の守りを固め続けており、九州に現れることはなかった。

「宗継の戦機を読む目は、殿の動きを見極めておりましょう。黒草衆は、必ず現れますぞ」

 潤朱の肩布を付けた黒草衆の姿を思い出し、直冬は箸を焚火の中にくべた。端から赤く光り、すぐに黒く炭となっていく。

「長門国の豊田城に入るまで、来るつもりで動くしかあるまい」

 来れば、返り討ちにするだけだった。鞆では宗継の刀に敗れそうになりもした。雪辱という意味でも、戦場で再び会いたい武士でもある。心中を察したように、直貞がため息を吐いた。

「無茶はされませぬよう。私がずっと傍にいるとも限らないのですから」

「俺も、いつでもお前を助けてやれるわけではないからな。その白粉はすぐに落とせるよう水を持っておけよ」

「白粉を落としたところで、ひどく良い顔立ちでございますからな。目立つのは変わりませぬよ」

 出会ってから八年が経った。出会った当初は警戒していたが、今では気の置けない友となった。同年ということもあるが、今川家を追放された境遇は、直冬とも重なる。九州に落ち延びてから、直貞はぽつりぽつりと昔を語るようになった。霞と自分と直貞。似た境遇の者たちが、天下を揺るがしている。何の偶然かとも思ったが、三人を導いたのは父直義だと思うと、必然だったのだろうとも思った。

「何を笑っているのです」

「いや、父のことを考えた。偉大な父だと思ってな」

 そう呟くと、直貞が得心したように頷いた。

 一色道猷が二万の軍を二つに分け、自ら博多津を攻める傍ら、もう一万の兵を大宰府に向けたのは、それから八日後の二十日のことだった。報せが入った夕暮れ、直冬は鴉軍に騎乗を命じた。浦ノ城にはすでに半年分の糧秣が運び込まれている。

「ご武運を」

 頼尚の言葉に見送られ、直冬は闇に紛れるように搦手から城を出た。

 宝満山を右手に、鴉軍を並足で駆けさせた。疾駆さえしなければ、一日で二十里(約八十キロメートル)は駆けられる。益田兼見が手配した戦船は、十三里先の葦屋(現在の福岡県遠賀郡)で待つことになっていた。

 三日月の前立てをつけた兜が三つ。それぞれが五十騎を率い、残る五十騎を直貞が率いている。新月。黒備えの鴉軍は、闇夜に紛れるには、うってつけだった。ただ、それは黒草衆も同じことだ。嘶きを防ぐため、馬には枚を銜ませた。一里進むごとに、鴉軍の伝令を南へ走らせた。

 山裾沿いを二里ほど駆けた時、地面が濡れていることに気づいた。湿地帯だ。馬蹄が水を叩く音が、暗闇の中に響いている。直貞が顔をしかめているであろうことが、見えずとも分かった。

「案ずるな。堪えよ」

 低く、周囲の兵に笑いかけた。空笑いであることは、兵も分かっている。それでも、兵たちの心が鎮まっていくのを感じた。

「やはり、多々良川で構えていたか」

 北の葦屋に進むにも、赤間関(現在の下関市)に進むにも、大宰府からは多々良川を渡河しなければならない。一町(約百九メートル)おきに並べられた篝火の列を遠目に見て、直冬は呟いた。

「分かれて行きますか?」

 渡河に適した浅瀬は、すでに調べており、頭の中に入っている。束の間考え、直冬は首を振った。

「いや、全軍で駆ける。渡河した後、四手に分かれ、半里先、立花城の南側で合流する」

 多々良川の下流にある多々良浜は、かつて一色道猷が主君である足利尊氏とともに九州へ落ち延びた折、菊池家の大軍と戦い勝利した地だ。父直義もそこにいたことを束の間思い、直冬は馬腹を蹴った。

 凍るような多々良川に乗り入れ、二十数える間に対岸に辿り着いた。

 駆ける音が、遠くから聞こえた。その瞬間、けたたましい鉦の音が闇に響き渡った。

「疾駆」

 凍えた体に負担をかける。騎乗する黒馬の首を、一度撫でた。馬足が一気に上がる。左右の闇の中から、馬蹄が響き始めた。近くに待機していたのだろう。だが、数は多くはない。合図とともに、鴉軍が弾けるように四つに分かれた。直冬の傍には、直貞がいる。

 四半刻経たずして立花城の山麓で合流した。一騎も欠けていないという合図を受け、直冬は北上を命じた。立花城には大友家の一族が入っているが、敵の斥候が駆け込むまでにはまだ時がかかる。

 立花城を抜け、開けた原野に出た時、直冬は暫し休息を命じた。これ以上駆け続ければ、馬が潰れる。木立の中で下馬すると、すぐに直貞が傍に来て、安堵の息を吐いた。

「道猷の包囲の目は、逃れたと考えていいでしょうな。この闇夜、追っ手が我らを見つけることも、至難でございます」

「だとよいが、闇夜に慣れている者の目は、誤魔化せぬぞ」

 直貞も分かっていると言うように頷いた。間違いなく、南宗継は同じ星空を見ている。こちらが油断するのを、息をひそめて待っている。戦場に漂う妙な静けさが、直冬の肌に針を刺すような痛みを感じさせていた。

 馬の呼吸が落ち着いてきたのを見計らって、再び動き出した。雲が出てきた空は、星明りが消え、先ほどよりも暗くなっている。冠城と許斐岳城の谷間を縫うように駆けた。敵とぶつかることも覚悟していた場所だが、敵の影は一つもない。嫌な予感が、徐々に強くなるのを感じた。

 葦屋までは、残り一つ山を越えれば辿り着く。その山裾に広がる蔦ヶ嶽城まで四半里となった時、直冬は予感の正体をはっきりと捉えた。

「これはなんとも、意表を衝いてくれる」

 平原の中央に、浮かぶようにして灯る火があった。それが左右に一つ増え、二つ増えていく。瞬く間に、左右に燃え広がった篝火が、闇夜に埋伏していた敵の姿を露にした。

「長駆して疲れ果てた俺を狙っていたのか」

 篝火に照らされた木瓜紋を戦場で見るのは、三度目だ。

 南宗継率いる黒草衆。闇夜に紛れることを得意とする影の軍が、隠れる気を微塵も見せていない。それどころか、五百ほどの黒草衆が槍を構え、鴉軍を正面から迎える構えだった。広がり続ける篝火の明かりに、直冬は目を凝らした。黒草衆から少し離れたところに、兵の姿があった。左右それぞれに千ほど。

 掲げられた旗には、二つ引き紋が染められている。足利一門の誰かが来ている。ちらりと右横を見た時、直貞が赤鞘から静かに刀を抜く姿が見えた。

「直貞」

「殿、今は前だけを見て駆けられますよう」

 いつもの声とは打って変わって、緊張が滲んでいる。

「南宗継と同等か、それ以上に厄介な男がおりますな。今川貞世。狙いはまあ、私でしょう」

「血縁か」

「今川家始まって以来の麒麟児と呼ばれる男でございます。私のことを、今川の名を汚しているとでも思っているのでしょうな。放っておけばいいものを」

 舌打ちしながら、直貞が鼻から息を抜いた。

 天を見上げた直貞が、次の瞬間、直冬が止める間もなく竹筒の水を被り、顔を拭った。白粉がみるみる剥がれていく。端整な左顔が現れ、同時に右半分に酷い火傷の痕が現れた。

「貞世は、私が止めます」

「恨みでもあるのか」

 そう口にした直後、直貞がにやりとした。

「まさか。恨みなど、とうに消えております。鞆で申し上げたでしょう。私の望みは、殿がどこまで高く翔ぶかを見ることだと。貞世を引き付ける役は、私以外には務まらない。ただそれだけでございます」

 直貞の言葉に反応したかのように、黒草衆の左右に控えていた今川家の軍勢が駆け始めた。駆ける姿だけで、精鋭であることが分かる。直後、背後から法螺貝の音が響いた。囲まれているという宗継の小細工だ。そう思わせて、本当に埋伏しているかもしれない。嫌な手を打ってくる。

 鴉軍の兵が、直冬の号令を待っている。直貞が死ぬつもりだということが分かった。自分でも驚くほど、狼狽えていた。四條畷の初陣でも、紀伊の統一戦でも、わずかな手勢で九州に上陸した時すら、狼狽えはしなかった。

「狼狽えられますな。この先おそらく、私は傍にはおりませぬぞ」

「お前は、いつも不意だ。現れる時も、そうだ」

 直貞の言葉を受け入れられぬまま、そう口にした直冬に、直貞が微笑んだ。

「それこそが、今川直貞でございます。いつぞや、不意に化けて出ても驚かれますな」

 頬をさらに吊り上げ、直貞が刀を振り上げた。

「鴉軍、なんとしても、殿をお連れせよ。百騎、私に続け」

 待てと声を発する前に、直貞の刀が、直冬の黒馬の尻を浅く斬った。高い嘶きが響き、敵のいない方角に尋常ではない速さで駆け始める。

 半数に分かれた鴉軍が、直冬の周りを囲んだ。

「我こそは足利直冬である。道を遮る者は許さぬぞ」

 闇夜に、直貞の大音声が轟いた。

 視界の端で、直貞が右の今川勢に突っ込んでいくのが見えた。敵の徒歩を削るように駆けている。今川勢を突っ切りながら、直貞が黒草衆に突っ込んでいった。左を進んでいた今川勢が、直冬を無視するように、目立つ白い狩衣姿の直貞の方へ駆けていく。馬首を返そうとした直冬のすぐ横で、三日月の兜を身に着けた兵が、首を横に振った。

「白粉殿の命を無駄にされるおつもりか!」

 叱咤の声が響いた時、今川勢の動きに焦った黒草衆の半数が、直冬の方へ動き始めた。すぐ隣にいる三日月の下の表情が笑みに変わった。直後、五十騎が弾けるように右に逸れ、黒草衆の方へ駆けていく。馬蹄の響きが遠ざかり、喚声に変わった。

 肩越しに振り返ると、凄絶な殺し合いが繰り広げられていた。断末魔の叫びが、背後から繰り返し響く。

 手綱を握りしめ、直冬は歯を食いしばった。

 武士の王を殺す。己で決めた道だろう。犠牲なしでたどり着けるほど、甘い場所ではないことなど、分かっていたはずだ。息を吸い込み、感情を殺した。

 徐々に戦場の喧騒が遠ざかり、直冬に従う五十騎の馬蹄だけが耳朶を打った。

 

(つづく)