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十二 直冬(承前)

 

 林立する旗が、朝焼けの透明な光を受けて燦然と輝いている。

 東西に広がる水城の前に展開する大軍は壮観だった。一色家の二つ引紋、大友家の杏葉紋、島津家の十字紋、少弐家の寄懸り目結紋がたなびき、その間に大小さまざまな旗が並んでいる。敵の後方、一色勢の中に紛れるように掲げられた日足紋を見て、直冬は静かに肩を回した。

 こちらの七千に対して、二倍以上の大軍だ。

 向かい合うだけで、尻の穴がすぼむような気がする。楠木正行は、この恐怖に耐えていたのだ。刀を交えた朱色の鎧に身を包んだ正行を思い出し、直冬は柄に手をかけた。さらに言えば、正行の相手は、この戦乱の中で最も勝利を重ねてきた高師直だった。

 一色道猷ごとき。心の中で、そう呟いた。

 短く息を吐きだし、直冬は無理やり笑みをつくった。

「一人あたり、二人でいい。功を欲張るなよ。お前たちにとっては、容易なことであろうが、三人目は、輩に譲ってやれ」

 強がりとも、自信ともとれる檄を飛ばすと、周囲の兵が静かに笑い、そして歓声を上げた。七千全軍の鯨波となって空気を震わした直後、直冬はゆっくりと駆け始めた。

 こちらを包み込むように敵が大きく広がった。数を恃んでいることが分かる。右手に島津勢、左手には大友勢が展開し、正面は少弐勢とその後ろに一色勢がいる。それぞれ気勢を上げているが、長駆してきた島津勢にはやや勢いがない。

 馬腹を蹴り、二つ呼吸をする間に、疾駆となった。少弐勢の前衛の顔が、恐怖に歪んだ。昨日の戦で、一蹴された記憶が焼き付いている。

 少弐勢にぶつかった。十列に構える少弐勢を、五列目まで崩した。その時、戦場に甲高い鉦の音が鳴り響いた。直貞が自ら叩いているはずだ。直後、少弐勢の向こうに布陣する一色勢が、いきなり崩れた。

 日足紋の旗が、縦横に駆けまわり、まっすぐと少弐勢の背後から襲いかかった。派手な黄金色の鎧の武士が、大太刀を振り回し、高らかに笑っている。龍造寺家平だ。味方の裏切りに混乱する少弐勢を断ち割り、直冬はそのまま先頭で一色勢めがけて駆けた。

 二つ引紋の旗の下、紺糸威鎧に身を包んだ武士が、一色道猷と見える。顔を怒りで歪ませている。龍造寺の裏切りへの怒りであり、若僧と侮った直冬への怒りなのだろう。

「早いところ、逃げろよ」

 口の中で呟き、直冬は刀を水平に構えた。二度、縦に立ち割った。

 道猷が声を枯らす勢いで叫んでいる。粘り強さはある。島津勢と大友勢が間に合えば、直冬たちを包囲殲滅できると考えているはずだ。だが、それを許すつもりは無かった。削り取るように、一色軍の外縁を駆けた。道猷が狼狽えるように左右を見た時、少弐勢を突破してきた阿蘇惟時率いる騎兵が、一色勢に突っ込んだ。

 一色勢がさらに崩れる。緩んだ陣形を見極め、直冬は一直線に突っ込んだ。道猷のすぐそばを駆け抜け、掲げられた旗を持つ兵の腕を斬り飛ばす。

 二つ引紋の旗が倒れ、すぐに土にまみれる。

 直後、直貞率いる五千の徒士が、少弐勢を蹴散らして一色軍に殺到した。道猷が一目散に水城の方に向かって潰走を始めた。

「大友、島津に使者を送れ。戦う気がないのであれば、干戈を交えることはない」

 一色道猷の首に興味はなかった。この先、九州各地を制圧する戦が始まる。戦下手の道猷とその息子を九州探題としている方が、都合がいい。

 法螺貝の音が、鳴り響いた。島津勢の背後にある大野城の方からだ。霞が、大野城を落としたのだろう。挟撃を恐れて、島津軍は円陣のまま動くことができていない。大友軍もまた、動かない島津勢を見て、その場から動こうとはしていない。

 直貞が陣を方陣へと変えた。正面には散りに散った少弐勢が、頼尚の旗の下でまとまろうとしている。左右の島津、大友もすでに戦意は失っているようだった。

 四半刻ほど経った時、不意に島津勢が南へと軍を返した。続いて、大友勢が後退を始めた。

 遠ざかる島津、大友勢を見て、直冬は長く息を吐きだした。

 道猷の軍に龍造寺家平を送り込むのに成功した時から、負けることはないと分かっていた。それでも、己の命運を賭けた戦だったのには違いなかった。

 肩に感じていた重みは、いつの間にか消えていた。

「幕府方の九州探題を討ったことで、殿は名実ともに幕府の敵となったわけですな」

 汚れ一つない白の狩衣姿のまま、直貞が近づいてきた。

「幕府は、すぐにでも追討軍を興しましょう。率いる将は、高一族か、それとも大樹自身か」

 その時が、この国の全土を巻き込む動乱の始まりになると、直冬にも分かっていた。尊氏が直冬討伐の軍を興した時、直義は立ち上がる。

「足利直冬という武士のお披露目としては、良き戦でしたな。龍造寺の策が嵌ったとはいえ、こちらの犠牲は百にも満たないのでございます。京には、殿の圧勝が伝えられましょう」

 頷き、直冬は遥か東の空を見つめた。直義は、直冬の勝利をどう思うだろうか。よくやったと思うのか。それとも、始まってしまったことに後悔の念を抱くだろうか。

 その両方だろうと思い、直冬は首を左右に振った。

 迷う時は、もう過ぎている。そう心の中で言い聞かせた。

 

 一色道猷の敗北と、足利直冬の勝利は、遠く京の地を大きく揺るがした。

 天下人である尊氏の子が、九州の武士を引き連れて京を攻めんとしている。その風聞が畿内を駆け巡り、北朝方の公卿たちは、南朝方の衰退への喜びが束の間であったことを嘆きあった。近江国への避難や、帝の遷幸を叫ぶ者もあり、朝廷は大いに混乱したという。

 慌てふためく者たちの中で、くすりと笑った武士が、ただ一人いた。

 足利直義が、直冬を西国に送り込んだのだ。その程度のことは起こりうる。もしも直冬が敗れていたら、むしろ興ざめだったであろう。鴬張りの回廊で、その音に心地よさを感じながら歩く足利尊氏は、すぐさま高兄弟を屋敷に呼び出した。

 観応元年(西暦一三五〇)六月。

 尊氏の命によって京を出陣した高師泰が、石見国に侵攻を開始した。率いる兵は八千。幕府の動きを知った直冬は、即座に益田兼見を石見へと戻し、三隅城を包囲する師泰と対峙させた。戦上手の師泰であれば一月経たずして、石見国を制圧できる。誰もがそう予想する中、山地で神出鬼没の戦を展開した兼見によって、師泰軍は石見国に釘付けとなった。

 九州へ征するどころか、石見すら突破できない幕府軍に朝廷が怯え始めた十月二十六日、足利直義の姿が、京から忽然と消えた。

 直義が兵を上げることを恐れ、尊氏の腹心である佐々木道誉や仁木頼章が直義の追討を願い出たが、尊氏は一顧だにせず、自ら足利直冬討伐に赴くことを宣言した。武士の王が死ぬに相応しい戦を、直義が始めようとしている。それを妨げる者を尊氏は許すつもりは無かった。そして、必死の戦であろうと、自らが負けることはない。

 

 

十三 足利直義

 

 観応元年(西暦一三五〇)十一月二十一日──

 河内国石川城。底冷えする板張りの床に、褥を敷くこともなく座り、足利直義は腕を組んでいた。くるぶしからは、冷たさと痛みが全身に這い上がってくる。

 脳裏に浮かぶのは、冬枯れの平原を西へと向かう足利尊氏の軍勢だった。直義が動き出すのを待っていたかのように、兄は高師直を従えて京を出陣した。山城国天王山から見下ろした直義は、遠ざかる軍勢が地平の果てに消えるまで見続けていた。

 この先の戦は、兄が思い描くような華々しいものには決してならない。足利直義という武士は、兄が望むような戦人でないのだ。千軍万馬を縦横無尽に操る兄と、百年の計を差配する弟。それが、自分たちの強みだったではないか。

 身につける直垂の深い緑色をしばらく眺め、懐から書簡を取り出した。記された文字を人差し指でなぞってみても、汚れはしなかった。黒い墨は乾ききっている。当然だと苦笑しながらも、直義は九州の遠さを感じた。

「息災にしておるようだな」

 力強い書体は、直冬の傍に付けた今川直貞のものだった。月に一度、直貞から報せが届く。もともとは、京に来たばかりの直冬を監視する意味合いが強く、直冬の考え方や話した内容が多かった。だが、長門探題として京を出立してからは、搗栗を嬉しそうに食べていることや、大塔宮の忘れ形見である霞の作った食い物に苦しむ姿など、他愛のない内容が増えた。

「瀕死の傷を受けても、その性は変わらずか」

 備後国の鞆で、南宗継率いる黒草衆の襲撃を受け、直貞が重傷を負ったことは知っていた。

 珍妙な姿と皮肉げな言い回しで誤解も多い男なのだが、飄々としているようで、心の底には熱いものを持っている。戦の才もある。吏僚として、直義の許で働いていたこともあり、先を見通す力は、自分に近いとも思っていた。もしも、自分ではなく兄に従っていれば、もっと違った道を歩いていたのかもしれないと思うほどの大器だった。

 だからこそ、紀伊国を平定した戦のあと、直貞が己の意思で、西国へ行く直冬に従うことを言葉にした時は嬉しかった。足利直冬という武士は、直貞が認めるほどの武士になったのだと、そう思えた。

 書簡には、征西将軍宮である懐良親王から、霞と直冬の婚姻を提案されたことが記されていた。一度は断ったようだが、両人ともにまんざらでもないこと。直冬に降った少弐頼尚が、南朝の血筋であることが問題ならば、霞を少弐の娘として祝言を上げればいいと言ったことが書き綴られていた。

 足利直冬という武士を遠くから見つめていると、己の養子ながら、その凄まじさがよく分かった。

 二百に満たない手勢で九州に上陸しながら、瞬く間に肥後国で軍を興し、尊氏麾下の一色道猷率いる二万を破ってみせた。届けられた戦の仔細を検分すれば、戦になる前から勝敗は決まっていたと思えるほど、直冬は緻密な調略を施している。なにより、自ら先陣に立った時の指揮の鋭さは、戦人として抜きんでた才を感じさせた。兄の血を引いている。そう思うと同時に、直義のような周到さも感じて思わず頬が綻びもした。

 一色道猷を駆逐した後、麾下の武将を各地に派兵し肥前国、肥後国、筑前国、筑後国まで勢力を広げ、豊前国にも直貞を大将として送り込んでいる。直冬が指揮した戦に、一度たりとも負けはない。無敗の名将として、九州の武士たちの心を掴み始めていた。

 もとは一色道猷を支持していた少弐頼尚が直冬に降り、豊後守護の大友氏泰、薩摩の島津一族である島津貞久もまた、直冬麾下に参じることを決めていた。日向国守護の畠山直顕も直冬と連携を取っており、わずか一年で九州の過半をその勢力下に置いている。肥後国を根城とする征西将軍宮と菊池一族も、今のところは直冬と協調しているように見えた。

 勿論、ひとたび直冬が劣勢に陥れば、もろく崩れる勢力であることには間違いないが、それは、直冬ならずとも同じことが言える。確かなことは、戦人として、直義の予想を超えて直冬は急速に大きくなっているということだった。

「ゆえに、兄も立ったのであろう」

 足利直冬討伐を帝に奏上して、尊氏が京を出陣したのは、一月前のことだ。

 九州を統一しかけているのだ。当然のことではある。だが、それでも尊氏の視線は直冬ではなく、自分に向いていることを、直義は気づいていた。直冬の成功も、直義の御膳立てに過ぎないとでも思っているかもしれない。

 尊氏が望む戦場を、弟である直義がどのように用意するつもりなのか。京の守りを減らし、直義に隙を見せる形で、尊氏は京を出陣した。京に残されたのは、直義に代わって政務を司る義詮と、腹心の佐々木道誉。守りとして不足しているとは言えないが、それでも直義が動き出すには十分だった。

 それが、致命的な失策であることに、兄はいつ気づくのであろうか。おそらく、その時はすぐに来る。そして、期待に応えられなかった弟に怒り、憎悪する。怒りに染まった兄の顔を想像して、直義はため息を吐いた。

「もとより、兄上と私では、戦場が違ったでしょう」

 戦場で輝くのは、いつも兄だった。その陰で、謀を成すのが、直義の役だった。天才的な戦ぶりを見せる尊氏と、戦場で華々しく戦える敵になれるはずもなかった。それを、尊氏は忘れている。いや、弟に対する期待と信頼ゆえに、敢えて見て見ぬふりをしているのかもしれない。

 尊氏への謝罪の言葉を心の中で呟いた時、正面の襖がすっと開いた。

 差し込んできた透明な朝陽が、板張りの床を白く照らした。大柄な影が、陽の光を遮り、直義の前に胡坐をかいた。石川城に、直義を迎え入れた畠山国清だった。足利一族の武士であり、白く染まった虎髯が、妙な威圧感を醸し出している。

 無二の将軍方と謳われるほど、尊氏に心酔していた男だ。

 だが、直冬の紀伊国討伐に従軍した時、その指揮ぶりに心酔し、足利の一族として直冬を応援することを決めたのだという。直冬に対する尊氏の無慈悲な仕打ちに、国清はひどく憤り、直義に与することを伝えてきた。

「大樹が、備前国の福岡に陣を敷かれたようですな」

 国清含め、麾下の武士たちは、尊氏を名指しで呼ぶことにまだ慣れていない。国清に頷きを返すと、直義は広げた書簡を握りしめ、懐に戻した。

「この戦に、大義はないことは、お主もよく分かっておるな」

 征夷大将軍に逆らう者の言葉としては適当ではないと思いつつ、それ以外に口にできる言葉はなかった。これから始まる戦は、ただ尊氏の無邪気な願いから始まるものであり、泰平を願う民の想いはどこにもない。国清の頷きを見て、直義は短く息を吐いた。

「二月のうちに、足利尊氏、高師直の二人を討つぞ」

 立ち上がった直義に従い、国清が立ち上がった。

 十一月二十五日、南朝方の重鎮である北畠親房を石川城に迎えた直義は、南朝への降伏を申し入れると同時に、麾下の石塔頼房と上野直勝を近江国に送り込み、兵を挙げさせた。

 近江国は、尊氏腹心の佐々木道誉の本拠地でもある。戦場に立たせた時、尊氏麾下で怖いのは高師直に次いで、佐々木道誉だった。剃り上げた頭皮は赤銅色に日焼けし、荒法師のような巨躯にもかかわらず、裏からの謀を好む質だ。博打を好む本人の気風もあるのだろうが、道誉の動きはひどく読みづらく、あまりまともに相手にはしたくない。

 道誉の力を、先に削いでおきたかった。

「我らも、行くぞ」

 国清に命じ、三千の兵を率いた直義は、十二月二十一日には摂津国天王寺まで進んだ。すでに、石塔頼房は近江で佐々木勢を破り、京の宇治に布陣している。

 海に近いせいだろうが、潮の匂いを強く感じた。

 肌を刺すような冷たい海風が、全身を打ち据えるように吹いている。用意された昼餉を焚火の横で食っていると、獣の皮で作った袷を国清が持ってきた。すまぬと小さく呟き、そそくさと腕を通した。

「温かいな」

「直垂だけの殿の格好は、見ているこちらが寒くなるようでしたからな。衣服に頓着されないことは存じておりますが、それでは、麾下の者たちから軽んじられますぞ」

「私を軽んじる者がいるかな?」

 おどけた口調でそう言うと、国清が口を結んで鼻から息を抜いた。

「まあ、おらんのでしょうが」

 肩をすくめた国清が、焚火にかけられた釜から、粥を椀に移してかき込む。

「これは、卵の量が足りませぬな。あと三つくらいは入れぬと」

「兵たちは一個もないのだ。我慢せよ」

「さすがは、質素を旨とする殿でございます。ちと、真似できそうにもありませぬわ」

 喋る国清に、髯に米粒が付いていると指をさすと、再び肩を竦めて髯を撫でた。

「一昨日、石塔殿と佐々木道誉が、淀川を挟んで小競り合いを演じたようですな」

「矢合わせ程度のようだ。義詮も兵を集めているようだが、まだどこか事態を甘く見ているのであろうな」

 甥の義詮は、人柄は申し分なく、与えられた役回りを淡々とこなすことにかけては優れている。だが、生死を懸けた戦の経験が少ないからか、どこかで物事を甘く考えているところがある。今も、京の三条殿に居座ったまま、備前国にいる尊氏の命を待っているはずだ。

「年が明けた後、京へ押し出す」

「大樹は、いまだ福岡におられるようですが、そちらへ兵を向かわせなくとも?」

「よい。尊氏は、私が畿内で大兵を集めると考えている。それまでは、のんびりとこちらの様子見をするつもりだろう」

 兄は、童のような無邪気さで、畿内で兵を集めた直義と、西国の兵を集めた尊氏による大戦を夢想している。だが、すでに西国はおろか、全土で尊氏の許に集う武士はいない。石川城に入城した時、直義が整えてきた尊氏に対する包囲を、国清には伝えてある。半信半疑というよりも、ほぼ信じていないようだった。尊氏を見限った国清でさえ、そう思うのだ。これから起きることは、兄や師直からすれば信じられないことのはずだ。

 武士の王を楽しませるためだけに、多くの人死にを出すつもりは無かった。

 椀を拭い、直義は焚火に手をかざした。

 年が明けた七日、山城国の石清水八幡宮に入城した直義は、広げられた全土の地図に書き込まれた黒の文字を眺めつつ、新たな報せが届くたびに筆を走らせた。

 直冬が九州に下向してから一年、直義は全土に散らばる麾下の武士と連絡を取りあい、それぞれが狙うべき標的を調べ上げていた。

 その成果が、今まさに地図の上に現れている。

 東北では吉良貞家が、尊氏方の畠山高国を圧倒し、岩切城に追い詰めている。鎌倉府のある関東でも、足利基氏を旗印とした上杉憲顕が、師直の養子である高師冬を甲斐国に追放し、熾烈な追撃を続けている。信濃でも諏訪直頼が、小笠原政長の領地に侵攻し、勝利を重ねている。

 北陸からは、能登守護を金丸城に追い詰めた桃井直常が、直義への合流を目指し、七千の兵を率いて京に雪崩れ込んできていた。

 高一族の勢力が強い東海道でも、直義方として挙兵する者が相次いでおり、尾張では今川一族の今川朝氏が、三河でも粟生為広が尊氏方の武士を討ったとの報せが届いた。

 覗き込むようにして地図を見ていた国清の口が、呆気にとられたように半開きとなっていた。

「何を呆けておる」

「いえ、これほどまでとは思っておらず。大軍を操る大樹と、死闘を演じることになると覚悟しておりましたゆえ」

「始める時に言ったであろう。大義のない戦に、流す血はいらぬと」

 少しだけ笑い、直義は再び地図へと視線を戻した。

 

(つづく)