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エピローグ

 

 瀧川は白瀬の病室を訪れていた。

 瀧川もずいぶん傷ついてはいたが、白瀬の容態は見た目以上に重いものだった。

 病院へ運ばれた白瀬は、二日間目を覚まさず、生死をさまよった。

 肺に血が溜まり、あと三十分遅れていれば、呼吸不全で死亡していたそうだ。六時間を超える手術の末、なんとか一命を取り留めた。

 治療を終えた白瀬はICUに隔離され、容態が落ち着いた一週間後に、ようやく個室へ移動した。

 瀧川は退院してからも何度となく、白瀬のもとに足を運んでいた。

 他人事ではないからだ。

 作業班員として活動する限り、いつ自分が生死の境を行き来するかわからない。

 目の前で酸素マスクと点滴の管をつけて苦しそうに寝ている白瀬の姿は、明日の自分の姿かもしれない。

 ベッド脇のパイプ椅子に座り、寝ている白瀬を見つめていると、藪野が入ってきた。その横に、林田健太郎がいる。

 健太郎は瀧川に一礼すると、すぐベッド脇に駆け寄った。

「白瀬さん、まだ眠ったままですか?」

「意識ははっきり取り戻したから、心配はないよ」

 瀧川は笑顔を作った。

「大丈夫だ。こいつはミサイルを撃ち込まれても死なねえから」

 藪野は笑い、健太郎の頭をくしゃくしゃっと撫でた。

 瀧川はその様子を見て、微笑んだ。

「藪さん、具合は?」

「この通り、もうぴんぴんしてる」

 藪野は腕を動かして見せた。が、時折、傷に響くようで相貌が歪む。

「おまえはどうなんだ?」

「僕もこの通り」

 腕を上げるが、痛みに顔をしかめた。

 藪野と顔を見合わせ、苦笑する。

「本当に命がけで、僕たちを守ってくれたんですね……」

 健太郎は掛布団の端を握ってうつむいた。

「それが僕らの仕事だから。君たちが無事で何よりだ」

 瀧川は笑みを濃くした。

「処理は終わったんですか?」

 瀧川は藪野に訊いた。藪野は個室のソファーに移動した。瀧川は藪野の対面に腰を下ろした。

「死んだ女が持っていたUSB内のデータの解析が終わって、IFAUCを通じて売買された子供らの居所はほぼ特定できた。今、外事を通じて、各国の当局が売られた子供たちの保護を行なってる」

「よかった……」

「オークションに参加した連中の摘発も進んでるよ。まあしかし、ろくでもねえ連中ばかりだ。犯罪組織の人間もいりゃあ、表では紳士淑女ぶっているセレブもいた。あんな連中のところに送り込まれなくてよかったよ、あいつも」

 藪野は健太郎を一瞥した。

「データがそろっていたんでな。宮代兄弟と組んで人身売買していた組織は次々と摘発されている。ヤツらのネットワークは完全に潰せるだろうよ。それと、連中の仲間から、宮代たちが何をしていたかもわかってきた」

 藪野は身を乗り出して顔を寄せ、少し小声で話し始めた。

 宮代兄弟は人身売買組織に売られ、アメリカで育った。そこでは売春を強要されていた。北島が話していた通りだ。

 宮代大幸はその悲惨な境遇から逃れるために感情を閉じてしまったそうだ。同じ境遇だった真優と出会った福士は、養父母を殺した後、真優も連れて密航し、日本に戻った。

 しかし、福士があの場で話していた通り、身分証すらない少年少女がまともに働ける場所はなく、裏社会に染まっていった。

 その中で、人身売買組織に接近し、内部に食い込んでいった。

 福士は自分の手で人生を作り出す手伝いをしただけだと言っていたが、事実は異なっていた。

 福士たちが人身売買組織に接触し、海外の組織とネットワークを築いたのは、自分たちのような境遇に置かれた少年少女を特定して救い出すのが目的だったそうだ。

 さらに、そうした境遇でしか生きていけない子供たちは、自らの管理下で手配し、トラブルが起こった際は自分たちの組織力で救い出せる体制を整えていたという。

 実際、福士が運営するIFAUCを通して養子となった者のほとんどはきちんとした養子として幸せに暮らしていて、ひどい扱いを受けた子供は救い出し、クライアントには脅しをかけていたという。

 ただ、福士にとってウイークポイントとなったのが、大幸だった。

 心が壊れた大幸は、抵抗できない子供を愛でることしかできなくなったそうだ。

 自分たちがされた恥辱を他の子どもたちに与えるのは気が引けたものの、唯一の身内である兄を放っておくこともできず、トラブルにならない程度のことであれば目をつむっていた。

 しかし、知らぬ間に児童性愛グループが出来上がっていて、稼働を始めていたという。また、福士が関わっていた人身売買組織も大幸の〝趣味〟に目を付け、協力するよう迫られていたそうだ。

 福士は、理想と乖離していく現実に苦悩していたという。

「大幸はともかく、福士はここで潰されてよかったと思ってんじゃねえかな。死んじまったから、真意は訊けねえが」

 藪野が言う。

 瀧川もそう感じた。いや、そうであってほしいと思った。

 宮代福士が本当に人身売買の被害者のことを思っていたとすれば、まだ人の心を失っていなかったということだ。

 どこかで宮代兄弟と境遇が重なる瀧川にとって、人の心まで失ってしまう絶望は想像するだけで苦しくなる。

 福士がまだ心を持っていたとすれば、それはそれで救いのような気がした。

「守ってあげなきゃいけないですね。できることは多くないにしても」

 瀧川は健太郎に目を向けた。

 健太郎が瀧川の方を向いた。目が合う。

 健太郎は瀧川のそばに近づいてきた。

「有村のお父さん、ありがとうございました」

 深々と頭を下げる。

「お母さんは?」

「はい。おかげさまで、少しずつ回復しています。食事も摂れるようになって、少しふっくらとしてきました」

「それはよかった」

「僕、聖稜をやめて、公立中学へ転校することになりました」

「なぜ? 君は協力者だ。うちから資金は出ているだろう?」

「いただいていますが、それは今後のために貯めておきたいと思います。それに、どこにいっても勉強も運動もできるし」

「そうか。君がそう決めたなら、応援するよ」

 瀧川は微笑んでうなずいた。

「で、高校を卒業したら、警察官になって公安部に入ろうと思います」

「おいおい、そりゃやめとけ。お先真っ暗だぞ」

 藪野が言う。

「そうだよ、健太郎君。警察官になるのはいいと思うけどね。公安はやめておけ」

「いえ、僕もみなさんみたいに、困った人たちを助けたいんです。僕が助けられたように」

 健太郎はまっすぐ瀧川を見つめた。

 瀧川はため息をついて、藪野を見た。藪野も苦笑する。

「まあまず、世間を見てからにしろ。おまえみたいな賢いヤツは、いくらでも困った連中を救う仕事はできる」

「藪野さんの言う通り。君が公安部に入るとなったら、僕が全力で阻止するよ」

「俺も手伝う」

 藪野が笑う。

「いえ、僕は絶対に──」

 話していると、かすれた声がした。

「やめときな……公安は」

 白瀬が声を絞り出していた。

 健太郎が駆け寄る。藪野と瀧川も立って、ベッド脇に行った。三人が白瀬を覗き込む。

 白瀬は健太郎を見つめた。

「楽しいことなんて、一つもないから……公安は。もっと幸せに……暮らせばいい」

「死にかけが目が覚めた途端に口にする言葉がこれだ。これが公安の現実だ。よく見とけ」

 藪野が言う。

「いえ、僕は──」

 健太郎が言い張ろうとするところに、白瀬と藪野が言葉を被せる。

 そのやり取りを聞きながら、自分が置かれている現実をなぜか思い知らされ、暗澹たる気持ちになった。

 

 

(了)