プロローグ
男はタキシードを着ていた。蝶ネクタイをきりりと締め、目元には仮面をつけている。背の高いハットをかぶり、手には白い手袋を嵌めている。その姿はまるでマジシャンだ。
男の前には三脚にのせたビデオカメラがあった。カメラの後ろには丸いドーナツ状の照明があり、男を照らしている。
明かりを浴びた男のタキシードは、ちりばめたラメでキラキラと輝いていた。
さらにその後ろの壁にはモニターが取り付けられていた。壁の上半分一面、実に二十台も設えられている。
モニター一台に二人の人物が映っている。若い女性の姿もあれば、老齢男性の姿もある。人種も様々だ。すべての者が、男と同様、仮面やマスクをつけ、顔を隠していた。
男はカメラの死角となっている部屋の隅に向けて、右手の人差し指を振った。
そこにはコントロールブースがあり、音響機材やノートパソコンが置かれている。二人の男女が、音響や映像の品質管理、画像の表示、様々な効果の提供を行なっている。
スポットライトが差し、男を照らし出す。
「紳士淑女のみなさん。ファミリーオークションへようこそ。今回も多数のご参加、感謝申し上げます」
男はよく通る声で、日本語で挨拶をした。
男の話したことは即座に通訳され、音声と文字で画面向こうの人々に示された。
「本日も私どもで厳選した極上の商品をご用意しています。まずはこちら」
男が言うと、スタジオが明るくなり、男の後ろの大画面に赤ん坊の写真が表示された。白い肌着を付けて帽子をかぶり、ベビーベッドに寝かされている。
「生後三カ月の女の子です。母親が養育を放棄し捨てられた子ですが、母の家系は大手繊維会社の創業者の筋、父方は代々英文学の研究者をしていて、血統は悪くありません。丁寧に育て上げれば、素敵なレディになるでしょう。では、一万ドルから」
男が言う。
と、モニターが瞬き始めた。赤い光が点滅したかと思うと、画面に数字が表示され、緑色に戻る。参加者一人一人の画面が赤と緑の点滅を繰り返す。
10000から始まった数字は、20000、30000と増えていく。
「なかなか出てこない上物ですよ!」
男は両腕を広げ、参加者を煽る。
数字はどんどん増えていき、十万を超えた。そこからはカフィーヤを巻いた髭面の男と白人男性の一騎打ちとなった。
数字はさらに増し、百万に届いた。
そこでカフィーヤを巻いた男が下りた。
男は脇の台に置いていた象牙のハンマーを取って、打った。カンと小気味のいい音が鳴る。
「この商品は、F氏に百万ドルで落札されました!」
男が声を張る。
ファンファーレが鳴り響き、白人男性の部分がゴールドに点滅する。
「いやあ、素晴らしい! 本日は初取引から百万ドルが出ました! みなさん、この調子でバンバンご購入ください。続いてはこちら」
表示されたのは、色白の男の子だった。
「七歳の男の子です。細身ですが、幼い頃から器械体操をしていたので、体はしなやかでスタイルも素晴らしい。飾って眺めるもよし、玩具にするもよし、働かせてもよし。使い勝手のいい商品ですよ。こちらは七千ドルからお願いします」
男が右手を上げる。
再び、画面で数字が動き出す。今度は白人の年配女性と東洋人男性の争いになっていた。
また数字がぐんぐんと伸びる。
最終的に東洋人男性が七十万ドルで競り落とした。
その後も、幼児から年配の女性まで、さまざまな年齢の男女がオークションにかけられ、次々と競り落とされる。
買い手は何も語らず、黙々と落札していくだけ。
異様な光景も、男たちの演出のせいか、エンターテインメント性の高いネットオークションにしか見えない。
「さて、最後の出品です。十四歳の男の子。サッカーが得意で将来有望視されている少年です。うまく育てれば、将来、高値で売れるかもしれませんよ!」
精悍な顔つきの少年がモニターに表示された。
と、この日初めて、遠隔の買い手からの質問が出た。
──有望視されているということは、それなりに名の通った子ということだね。足がつくことはないのかね?
音声は日本語に変換されて流れる。男性言葉だが、実際に質問しているのが誰で、男性か女性かもわからないようになっている。
「そのあたりはご心配なく。この子の母親はシングルマザーでして、アルコール中毒者です。一時は更生施設に入り、回復の兆しを見せていましたが、再び飲酒をして元に戻り、今では廃人同然です。放っておけば、数カ月以内に死ぬでしょう」
──それは遺伝的にどうなのかね?
別の質問が来るが、語り口調もトーンも変わらない。
「血統は確かです。この子の父親は一部では有名なサッカー選手でした。主に海外で活躍していましたが、故障して引退。その後、パーソナルジムを経営していましたがうまくいかず倒産し、自死しました。この話を聞けば、メンタル面にご不安があろうかと思いますが、それもご心配なく。彼は自ら、親と決別して、新天地へ踏み出す覚悟を決めましたから」
──少年は売られることに同意しているということかね?
「現状よりはマシだと述べました。強いメンタルを持った少年です。本人はサッカー選手になることを望んでいますが、それは本人の勝手な希望なので、購入後、どう扱われようとかまいません。本人はそのリスクも承知しています。必ずや、お買いいただいた方にはご満足いただけるでしょう。では、一万五千ドルからお願いします!」
男が声を張った。
数字はこれまでの商品の比ではなく、みるみる上がっていった。
仮面の下に覗く客の眼は、いずれも欲に満ちた黒い輝きを放っている。
百万ドルはあっという間に超え、二百万ドルも超えた。
「さあ、この極上な少年を手にするのは誰でしょうか!」
男は指を振った。コントロールブースの女がうなずき、気分を高揚させるバスドラムのような音を流す。そのリズムにつられ、金額はさらに上がっていった。
──私がもらう。
誰かがつぶやいた。瞬間、一千万ドルの値がついた。
「エクセレント!」
男はハンマーを取って、何度もたたき台を打った。
「一千万ドルのあなた! 落札です!」
最後に強くカンと鳴らした。
スタジオ内には、モニター越しに伝わってくる熱気が満ちていた。その熱が少しずつ引いていく。
男はハンマーを置いて、カメラの正面に立った。コントロールブースの男が周りの照明を落とし、男だけにスポットライトを当てた。
「本日はまことにありがとうございました。これほどの熱気に満ちたオークションが行なえたことに感動すると同時に、みなさまに感謝しております。次回は秋のオークションとなる予定です。またご案内させていただきますので、奮ってご参加ください。どうもありがとうございました!」
左腕を背中に回し、右腕を腹に添え、腰を折った。
拍手と歓声の効果音が鳴り響き、スポットライトとモニターの画面が消えた。
スタジオが明るくなった。
男は上体を起こした。ハットと仮面を取って台に置き、大きく息をつく。前髪を指で漉き上げ、蝶ネクタイを緩めながらコントロールブースに近づいた。
「どうだ?」
女に訊く。
「入金は順調です」
女がモニターに目を向ける。
銀行の画面を更新するたびに、億単位の金が入ってきていた。
「さすが、人買いは金払いがいいな」
男がにやりとする。
男は、ブースの撤収作業をしていた部下の男に目を向けた。
「商品の発送準備はできているか?」
「はい。いつでも出荷できるよう、倉庫に集めています」
「そうか。購入者と連絡を取って、すぐに手配しろ。このところ、当局の動きが小うるさくなってきているからな」
「尻尾をつかまれているんですか?」
女が訊く。
「いや、当局は何もつかんではいないだろう。ただ、日本はトラフィッキングの対策が甘いと世界中からつつかれているからな。政府主導で本腰を入れているところを見せなきゃならんようだ。小規模同業者がいくつか挙げられた。まあ、これで面目も立ったんで、しばらくは動かないだろうがな。状況によっては秋のオークションは延期しなきゃならんかもな」
トラフィッキングとは、人身取引の別称で、国際的に使われている用語だ。
「ほんと、迷惑な話ですよね。日本のことをとやかく言いますけど、誘拐、詐取、人身売買は外国の方が圧倒的に多いのに」
女がぼやく。
「自国の問題を隠すために他国を責める。いつの世も大国のすることは同じだ。じゃあ、俺は先に事務所へ戻るので、撤収作業を終えてくれ。お疲れさん」
男は右手を上げた。
作業中の男女は立ち上がって一礼し、作業の続きを始めた。
「まだまだ、儲けさせてもらうぞ」
男は白手袋を取り、台に置いて、スタジオを後にした。
(つづく)